カイトレイナ炎上・4
ケイ・エルフマンの肌はもともと白かったが、いまはさらに青ざめていた。
携帯通信機を持つ手がわなわなと震えていた。
エルフマン艦隊旗艦「オステア」の、長官個室の中は静かで、それは時が止まった深淵の空無のような静けさだった。
エルフマンの手から通信機がすべり落ち、彼女は驚愕と絶望と怒りがないまぜになった怒涛の感情にさらされ、目を見開き、意味もなくまばたきをくりかえした。
そうして長い間、エルフマンは部屋の真ん中に立ちつくしていた。が、やがて自分の意志とは関係がないような足取りで、壁際にある大きなデスクに向かっていった。
エルフマンは、これも意志を感じさせない手つきで、デスクに据え置かれているモニター付きの通信機を操作した。
コール音は長くつづいた。それはエルフマンにとっては、永遠とも、一瞬ともいえるような時間だった。
コール音が止むのと同時にパッと映像が灯り、モニターに映し出されたその女は、一見して不機嫌そうに見えた。
「なんだ、エルフマン?」
中枢卿団・第二隊長ルキフォンスは、不愉快さを隠さない声でいった。首元まで伸びた白銀のフェイスマスクのせいで、顔全体の表情はうかがえないが、その目には友好を示すどんなしるしもなかった。
「ピットが、死んだ」
エルフマンは焦点の定まらない目をルキフォンスに向けて、まるで魂を吐き出すようなうつろな声でそういった。
「ピットが死んだ? なぜだ」ルキフォンスは眉をひそめ、硬い声でたずねた。
「おまえのせいだ」
エルフマンは目を大きく見開き、なおもうつろな声でそういった。
「わたしのせい? どういうことだ」
「おまえが殺した。おまえが艦隊を下げたせいで、ピットは死んだ。おまえが、殺した」
「妥当な判断だった」ルキフォンスは冷然といった。「下がらなければ全滅していた」
「わたしは反対した。そうよね? わたしは反対したわ。でもおまえは見捨てた。おまえはカイトレイナに残る地上部隊を見捨てた。許せない。おまえ、死ね」
「意味がわからん」
ルキフォンスはエルフマンの言葉にいっこうに動じることなく、冷やかにいった。
「わたしは連合艦隊の司令長官として、まっとうな決断を下した。おまえもそれにしたがった。いやいやながらでも、おまえはわたしの決断にしたがったのだ。それはおまえが選んだことで、おまえの責任だ。責めるなら自分を責めるがいい」
「許さない」エルフマンは声を震わせた。「おまえはわたしの手で殺す。かたちがなくなるまで、切り刻む」
「行いは、かならず自分に返ってくるものだ」ルキフォンスは平然といった。「おまえは軍部からむりやり部隊を接収した。それを勝手に自分の配下に置いた。エルフマン機甲部隊、だったか?」
ルキフォンスはせせら笑った。
「なんのためか、おおかた察しはついている。わたしに対する当てつけだろう? 副団長の自分ではなく、第二隊長のわたしがメサイアやロヴァを与えられたことへの嫉妬だ。ちがうか、エルフマン? おまえは私利私欲に走った。そしてその報いをうけた。自業自得だ」
エルフマンはサッと机の反対側にまわりこみ、据え置きの通信機を両手でつかんで持ち上げると、猛然と床に投げつけた。ぐしゃっと悲鳴をあげて半壊した通信機は、ひび割れた画面のモニターをさらして倒れた。すでに機能していないその黒いモニターを、エルフマンはおそろしい力で踏みつけた。白いロングブーツの脚が、まるで狂った機械のように、何度も何度も一定の間隔で振り上げられ、振り下ろされた。
事が止み、こなごなにくだけたモニターをぼう然と見おろすエルフマンのほほに、涙が伝った。唇はわななき、鼻孔から鼻水が流れた。
エルフマンには、もはや行動に思考をさしはさむ余地はなかった。彼女は無意識に手の甲で顔をぬぐうと、これも無意識に身支度を整え、不気味なほど整然とした足取りで、部屋の出口の方に歩いていった。
*
カイトレイナの中心地に降りた三人は、一様に怪訝そうな顔であたりを見まわした。
「なにかおかしい」サヴァンがいった。
「ああ、おかしいぞ。なんでこんなにやられてるんだ?」とルケもいった。
崩壊した建物群がひしめく十字路にかれらは立っていた。どちらを向いても、路上には味方の死体や血の跡や破壊された車両が見受けられた。
「敵のすがたはないですね」リディアが考えこむ風にいった。
「敵はもう後退しているはずだ」サヴァンがつぶやくようにいった。「でも死体はまだ新しい」
「刀傷が多いぞ」レダがすばやく周囲に目をやりながらいった。
「卿団か?」サヴァンがレダに顔を向けていった。
レダは首をかしげた。「さっきまであった気配が消えてる。それに銃でやられた死体も多い。卿団は銃は使わないぞ」
かれらのいる区画の戦闘は終わっていて、動く者のすがたは見当たらなかった。あちこちでは、まだ銃声や砲声が鳴りひびいている。かなり激しい戦闘のようだが、降下艇で降りる前の情報では、アイザレンの地上部隊はもうこの中心街にはいないはずだった。
サヴァンは再度あたりを警戒してから、倒れている者たちをよく観察した。レダのいうとおりだった。砂漠部族の様々な服を着たそれらの死体は、大きな裂傷や刺し傷を受けているものもあれば、銃弾を受けているものもあった。どの死体も、まだ傷口から血を流していて、路上の血だまりや血の筋も乾いていない。
かれらが一度の戦闘で倒れたのは、状況から見てあきらかだ。そうなれば、敵の歩兵と中枢卿団の部隊が混合して襲いかかったとしか考えられないが、兵士と中枢卿がそのように緊密に連携するとは思えない。
「気配が消えたっていったな?」サヴァンが口を開いた。「なんでだと思う?」
「知るもんか」レダが答えた。
照りつける日差しの下で、三人はすこしの間それぞれ思案をめぐらせ、会話がとだえた。路上の血は乾きはじめ、車両から立ちのぼる白煙や、周辺に舞い広がる塵芥や、鉛のようなにおいの中で、不気味な穏やかさがその場をつつみこんだ。その間にも、この区画の外ではひっきりなしにライフル銃の高い音が、まるでなにかの信号音のように、タタタタ、タタタタ、と響いていた。
サヴァンは味方の死体のそばにあるアサルト・ライフルを見て、マガジンの残量を調べてどれくらいの戦闘だったのかを確認しようと思い、そちらにおもむろに脚を運びはじめた。そのときだった。
「サヴァンさん!」とリディアが叫び、サッと剣を抜いた。
とたんにサヴァンはリディアのほうに振りかえり、リディアが顔を向けている方向にすばやく目を移した。
三人は十字路の一角にかたまって立っていたが、一方の道路のむこうから、なにかの集団がやってきていた。
遠目にも奇怪なすがただった。生白い硬質な身体が、陽光を受けて鈍く光っている。腕や足などの関節部分だけが、黒ずんだ色をしている。頭髪のない顔は身体と同じように生白く、目はぽっかりと穴が開いているように見えた。数は十五人ほどで、全員、黒い刀剣か小銃を手にしていた。
「なんだありゃ」レダがすっとんきょうな声をあげた。
「前にエアハルトがいってた機械兵じゃないか?」サヴァンは剣を抜いて片手で持ち、十字路のほかの三方向に視線を走らせ、挟み撃ちや包囲はされていないことを確かめた。
サッと白い者の小銃の銃口がこちらに向けられ、サヴァンはとっさにリディアの身体を引き寄せ、建物の陰に隠れた。
タタタタタ、と発砲音が重なりあって鳴った。銃弾は正面に立ちつくしているレダに浴びせられたが、なぜかことごとく弾はそれて、路上や建物の壁などに反射し、チリッと細い反響音を鳴らした。
レダは白い者たちのほうを見て、腕組みをして立っていた。そしておどけるように小首をかしげると、濃い口紅を塗った口の端を上げて、ニヤッと笑った。
「リディアさん、ここにいてください」サヴァンは建物の壁に背中をあずけているリディアに、口早にいった。「別の方向に敵が見えたら、叫んで」
リディアは息を飲んでうなずき、サヴァンは建物の陰から出ると、レダの横に立った。
「あいつら、うちらの味方じゃなかったっけ?」レダがサヴァンの顔を見ずにいった。
「わからん。でもいまは敵だ」
突如白い者たちが駆けだした。小銃を持っていた者は、それを捨てて黒い刀剣に持ち替え、全員がとてつもない速度で直進してくる。レダが剣を抜いた。
白い者たちは二手に分かれ、刀剣を振りかざし、サヴァンとレダにおどりかかった。
ふたりはかれらの打突を軽やかに受け流し、相手の胴を狙って剣を次々に打ちこんだ。『知事』であるふたりの、常人にははかりしれない壮絶な斬りこみは、相手の硬い装甲の胴を砕き、切断した。両断された白い身体からは黒い液体が噴き出した。
五秒にも満たない間だった。サヴァンとレダの足元には、機械の残骸が散らばり、黒い液体が灰色の路上にみるみる溜まりを作っていった。
「こいつらだな、この区画の味方をやったのは」サヴァンは残骸を見おろしながらいった。
「そうだな、たぶんほかの区画で戦ってるのも、こいつらだ」レダがいった。
リディアが建物の陰から出て、ふたりのそばに寄った。そしてまゆをひそめて、その不気味な残骸に目をやった。
「なんだろうな、こいつら」サヴァンはいった。「アイザレンの味方だとしても、もうカイトレイナでの戦況は決まっているのに、なんで前に出てくる必要がある?」
「さあな。足止めって線もありえるぞ。アイザレンの残存部隊の、撤退までの時間かせぎ」レダがいった。
剣を片手にしたままのサヴァンは、うーん、とうなり、思案顔になった。
──なにかひっかかる。この機械兵たちは、並の兵士とは比較にならないほど強い。これほどの部隊を投入してまで、必死に撤退させなければならないほどの戦力だっただろうか、ここを守っていたアイザレンの陸上部隊は?
と、そのとき、「ん?」とレダが声をあげ、どこかはるか遠くを見すえるようにした。
サヴァンも同じ方向を向き、けわしい顔になった。
「中枢卿だな」レダがいった。
「うん。おれにもわかるくらい、強い気配だ」
「隊長だな」
「たぶんそうだ」
リディアはふたりの顔にかわるがわる目をやっていった。
「どうかしたんですか?」
「遠くにひとつ気配がします」
サヴァンはリディアに顔を向けてから、またその気配のする方向に向きなおった。
「すごく荒い気だ。尋常じゃない。やっぱりなにかおかしいな。この気配といい、機械兵といい」
「行くしかないだろ?」レダはビュッと剣を振って、刃に付着した黒い液体を払った。
「ああ、行くしかない」サヴァンはそういうと、レダと同じことをしてから、了解をうながすようにリディアに顔をやった。リディアは決然とうなずいた。
「降下艇で行こう。すこし手前で降りて、様子を見る」
リディアとレダは軽くうなずいた。そして三人は身をひるがえし、降下艇に向かって、急ぎ足で歩いていった。




