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レガン戦記  作者: 高井楼
第四部
119/142

カイトレイナ炎上・3

 その広大な飛行艦用のハンガーの中は、傷ついた戦艦の修復にあたっている整備士たちの大声や、機械の作業音の喧騒につつまれていた。

 それらの戦艦は、どれも空に浮かぶリターグの護衛にあたっていたものだ。まだ冷めきらない船体の熱気が、どんよりとこもっている。

 ハンガーの出口は閉じられていて、すぐ近くに一隻の両翼型の降下艇が停まっていた。

 いまその降下艇の最終点検を終えた整備士たちが、背中を向けて急ぎ足で歩き去っていった。

 サヴァンは遠ざかる整備士たちの背中を見送り、それからざっとハンガー内を見わたした。

 二か月前、まだリターグが町だったころ、地下にあったこのハンガーから、サヴァンとレダとリディアは、エントールに向かう大型艦に乗りこんだのだった。

「ずいぶん変わったな」サヴァンはつぶやいた。

「なに?」そばに立つレダが、耳ざとく聞きかえしてきた。

「いや、おれたちがさ、ずいぶん変わったなって」

「そうか? あたしはなーんにも変わらないぞ」

 サヴァンはその声を受け流し、まぶしいような目で、騒々しいハンガーを見つめつづけた。

「おれらは『知事』の落ちこぼれだった」サヴァンはだれにでもない調子でいった。「戦争だって、遠いどこかの話だった。それが、いまじゃおれたちが中心となって、最前線で戦ってる」

 レダは、ちらっと意味ありげな視線をサヴァンに送った。

「なんのための戦争なのかは、全然わからない。でも、わからないと心底実感できるということは、変わったってことだ」

「それで?」

「それだけさ」

 レダは腰に手をあてて、ふー、と息をついた。

「なんでもいいけどな、サヴァン」レダがいった。「ここに残ってるほかの『知事』たちを連れていかなくていいのか?」

「ああ、いい」サヴァンはうなずいた。「数も少ないし、戦力にもならない。足手まといだ」

 レダはいつにない真顔で、サヴァンを見た。

「サヴァン、おまえ、本気を出すつもりか?」

 サヴァンはレダの視線を避けるように、おもむろに反対方向に顔を向けた。

「わからない。相手次第だ」

「どうしたサヴァン、なんでそんな気になったんだ?」

 サヴァンは首を横に振った。

「わからない。変な気分だ。身体の中で、なにかがはじける用意をしているような」

 そのとき、降下艇のハッチの奥から、声があがった。

「サヴァンさん、レダさん、もういつでも飛べます」

 操縦室から出てきたリディアは、厚手のベージュのチュニックを着て、ぴっちりとした黒いスパッツで脚全体をおおい、かかとまでの頑丈な黒いブーツを履いていた。チュニックの腰は、革の帯で締められ、一振りの長剣が差さっている。

 これまで見たことのなかったリディアの勇ましい出で立ちに、サヴァンはじっと目をやり、小さくうなずいた。

 サヴァンとレダがハッチの中に行きかけたとき、近づいてくる足音がして、ふたりは振りかえった。

 淡い色のゆったりとしたワンピースを着た、髪の長いその女は、ふたりの前で立ちどまり、一度目を伏せてから、視線を上げた。

「わたしも、役に立てればいいのに」

「あなたは、まだここに来たばかりです」サヴァンがとりなすような口調でいった。「それに、もう十分助けられています。休んでいてください、メイナードさん」

 元エントール静導士団・副団長メイナード・ファーは、わずかに心痛の表情を浮かべて、また目を伏せた。

 静導士メイナード。『士団の切先』と称され、エントール皇国守護の枢軸をになっていた彼女も、いまは一介の亡命者だ。

 聖都ラザレクの陥落を目の当たりにし、団長も死に、とるものもとりあえず落ちのびた彼女とその部下たちを、リターグはこころよく受けいれた。

 だが同時にそれは、メイナードの宿敵、中枢卿ケンサブルを、リターグに引き寄せることにもつながった。

 一週間前、闇夜にまぎれてリターグに乗りこんできたケンサブルに立ち向かったのは、メイナードだった。

 彼女の持つ凶槍イサギは、ケンサブルの肩をつらぬき、『卿団の刃』とうたわれるかれを敗走させた。

 それ以降、リターグはメイナードに恩を感じ、ことさら彼女を大事にあつかうようになっていた。

 そのことに対して、メイナードはありがたさと心苦しさがいりまじった複雑な心境をかかえながら、今日まで無為に日々をすごしていたのだった。

「ケンサブルの気配はありません」と、またメイナードは視線を上げて、サヴァンにいった。「だから、下に中枢卿がいるとしたら、別のだれかです」

「ありがとう、メイナードさん」サヴァンは厳粛に答えた。

「エアハルトさんは、もう発たれたの?」

「昨日発ちました」

「そう」

「はい」

「……ではどうか、お気をつけて」メイナードはサヴァンたち三人に視線をやって、そういった。

「いってきます」

 サヴァンは短く答え、レダはニヤッといつもの不敵な笑みを見せ、リディアは口を引き結んで、うなずいた。

 ハッチが閉まると、リディアはすぐに操縦室に向かった。後につづくサヴァンはひとつ息を吐き、狭いスペースでふと立ちどまり、うつむいた。

「当ててやろうか」レダが背後で声をかけた。

「なに?」

「いまおまえがなにを考えているか、当ててやろうか。エアハルトのことだろう?」

 サヴァンは答えなかった。脳裏では、昨日のエアハルトとの会話を思い起こしていた。


「おれはエントールに行く」

 昨日の朝、自室にいるサヴァンのもとに、身支度を整えたロー・エアハルトはやってきた。

「いつ?」向かい合わせに立ったサヴァンは、平静な声でたずねた。

「これからすぐだ」

「そうか」

 ふたりはしばらくだまりこんだ。それからサヴァンがいった。

「コーデリアはいると思うか、本当に」

「わからない。でもルケ・ルクスはエントールにいる。それは確認した」

「もうすこし情報を集めたほうがいいんじゃないか?」

 エアハルトは首を横に振った。

「カイトレイナ戦が始まったら、身動きがとれなくなる。その前に出たい。局長の了解もとった」

 サヴァンはエアハルトの精悍な顔から目を離さなかった。

「エントール、いや元エントールか。入れるのか、簡単に?」

「わからない。なんなら身分をいつわってもいい」

「会って、どうする? コーデリアに」

「会いたい。いまはそれだけだ」

 サヴァンは視線をそらすと、小さく何度かうなずき、またエアハルトに目を向け、話題を変えた。

「クイラもつれていくのか」

「クイラもつれていく。残るようにいったけど、どうしても行くといってきかない」

「まあ、現状おまえのパートナーだからな」

 エアハルトは複雑な表情でうなずき、間を置かずにいった。

「ここのことはおまえとレダにまかせる。これも局長と話しあって決めた。おまえたち以外にエースをつとめられる『知事』は、もういない」

 サヴァンは顔をしかめ、苦笑いをしていった。

「おれもレダも、落ちこぼれだぞ?」

「おまえたちの実力は、おれも局長もよくわかっている」

 エアハルトは強い目でサヴァンを見すえていった。

「おまえもレダも、そろそろ本気を出さなきゃいけない。そういう局面にかかっている。そう思わないか?」

 サヴァンは無言で、ほとんど無表情に、エアハルトを見やった。

「もう行くよ」エアハルトがいった。「レダやリディアさんや、メイナードさんによろしくいっておいてくれ。メイナードさんもこの件を知ってる。エントールの情報を聞きがてら、説明しておいた」

「わかった」

「また四人でつるめるといいな」エアハルトが薄い笑みを浮かべていった。「昔みたいに、おれとおまえと、レダとコーデリアで」

 サヴァンもほほ笑みかえした。

「じゃあな」とエアハルトはいって、手を伸ばした。

 サヴァンはひとつうなずいて、その手を取り、ふたりは握手をかわした。


 ハッチの中で立ち止まって昨日のことを振りかえったサヴァンは、自然コーデリアに思いをやった。

 砂漠の奇襲作戦で、ほかのエース級の『知事』たちとともに行方不明になったコーデリア・ベリ。トップ・エースのエアハルトのパートナーで、『知事』の華だったコーデリア。

 亡命してきたメイナードは、奇しくもエントールの聖都で、なぜかそのコーデリアと剣を交えたという。それも、中枢卿ルケ・ルクスのパートナーとなっているコーデリアと。

 それがもし本当なら、こんなに不可解なことはない。単に敵同士というだけではなく、コーデリアは実際にルケ・ルクスと一度戦っている。そして手ひどくやられ、屈辱を受けているのだ。

 おれたち四人。おれとレダと、エアハルトとコーデリア。『知事』になる前のアカデミー時代から、固いきずなで結ばれた、かけがえのない仲間。

 戦争はそんなおれたちを引き離した。いや、エアハルトとコーデリアを引き離した。どこかで、あらがえない見えない手が、何本もの道を作った。コーデリアはその一つを選んだ。

 そしてエアハルトもまた、自分の道を選び、進んでいく。だれにでもあてはまる。選択に次ぐ選択。選択することの責任。なによりも、自分自身に対する責任だ。

「レダ、おまえ、後悔したことはあるか?」

 サヴァンは背後で言葉を待つレダに、唐突に問いかけた。

「ない」レダは即答した。

「あのとき、こうしたらよかった、と思ったことはないのか?」

「あたしはいつも今を生きてる」得意げにレダは答えた。「今は今だ。それ以外のなんでもない」

「そうか」

「そうだぞ」

 サヴァンはなおも少しのあいだ立ち止まっていた。

 降下艇の重いエンジン音が鳴った。

 その音を耳にして、サヴァンは顔を上げた。そして噛みしめるような足取りで、リディアの待つ操縦室に歩いていった。


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