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レガン戦記  作者: 高井楼
第四部
117/142

カイトレイナ炎上・1

 もうもうと立ちのぼる、いくつもの黒煙。

 業火に包まれた地上では、砲声や爆発音が響いてやまない。

 半壊した建物の群れ。がれきにおおわれた路上。

 逃げまどう人のすがたはなく、喧騒の中にも、整然とした静けさが落としこまれている。

 空はそんな下界の様子とは無縁に、青々と広がりわたっている。

 アイザレン帝国の第二都市カイトレイナは、燃えていた。


「敵巡空艦一、撃沈。敵艦隊、退避行動を取る模様です」

 オペレーターの鋭い声が飛ぶ。

「どっちの艦隊だ?」

 司令席に座る黒いローブを着た男が、横のデスクに座る参謀に、しゃがれた声でたずねた。

「ルキフォンス、エルフマン、両艦隊ともです」

 すぐに確認を取った参謀が、自分のデスクのモニターから目を離さずにいった。

「連携が早いな。ルキフォンスが全体指揮をとっているのか」

 男はだれにともなくつぶやいた。

「追いますか?」

 参謀が男のほうを見ていった。

「いや、地上の支援にあたる」

 首を横に振って、男は答えた。「下はだいぶ手こずってるな」

「それは、寄せ集めですから。アイザレンの正規軍相手では、どこまで持つか」

 男は、ちらっと参謀に目をやってから、奥の壁の巨大なディスプレイに顔を向けた。

 かつては砂漠の聖地として知られたリターグ。

 それはひと月ほど前、目と鼻の先まで迫ったアイザレン軍の度肝を抜くかたちで、空に浮かび、浮き島とも呼べるような超戦艦にすがたを変え、アイザレン本土に向けて、ゆっくりと進撃を開始した。

 ここはその超戦艦リターグの、戦闘指揮所の中だった。司令席に座る男の名は、ジオ・レドム。リターグの異能者をたばねる知事局の局長で、いまは艦の指揮もまかされている。

 ──寄せ集めか。まあそのとおりだ。

 レドムはじっと黙りこんだまま、思いをめぐらせた。

 しかし、よくここまで集まったものだ。まさか砂漠の諸部族で、これほどの大部隊が作れるとは思ってもいなかった。それもこの短期間で。

 戦艦となったリターグに乗りこんできた、アイザレンの中枢卿イル・ケンサブルが敗走し、同じ中枢卿のルキフォンス艦隊も砂漠から撤退したのは、ちょうど一週間前。加えてアイザレン軍の陸上部隊も本国に逃げ帰り、ようやく、ヴァキ砂漠は自由を取り戻した。

 南のエントール皇国が崩壊して、このレガン大陸唯一の大国になったアイザレンにとっては、考えてもみなかった、手痛い打撃だっただろう。特にケンサブルとルキフォンスを負かしたことは大きい。

 アイザレンの『中枢卿団』といえば、リターグの『知事』、そしてかつてのエントール皇国の『静導士団』とならぶ、強力な異能者集団だ。その中にあって、勇名とどろく二人の隊長が手もなく敗北したとなれば、アイザレンの動揺は火を見るよりあきらかだ。

 そして、解放された砂漠の諸部族には、希望の二文字が灯された。

 つまりは、この超戦艦リターグの威力を、敵も味方も思い知ったというわけだ。

 五万。結集した砂漠の戦士たちの数。

 さまざまな服装、さまざまな武器をたずさえた、五万人の砂漠民たち。

 かつては部族同士、争った者たちもいるだろう。だがいまはこうして、アイザレン帝国打倒のために、手を取りあっている。

 アイザレンとの国境になっている山脈につどったとき、かれらはみな、戦いの場であるアイザレンのほうではなく、空のリターグを見あげていた。

 かれらの希望は、そのまま、リターグへの期待だ。

 山脈をこえて、侵攻を開始したのは二日前。国境の近くにあるカイトレイナまでの道のりは短かった。

 そして今日の朝、われわれはこのカイトレイナに攻めこみ、六時間後の現在、占領はほぼ確定した。

 ──さて、あとはここでの戦いは、ひとつだけだ。

 レドムは、ディスプレイに映されている、燃えさかるカイトレイナの地上のようすをながめたあと、ふところから携帯通信機を取りだし、操作した。

「はい、サヴァンです」通信機越しに、若い男の声がした。

「中枢卿の気配はあるか? 地上に」

「レダがいうには、いるようです」

 サヴァンと呼ばれた男が答えた。「とりあえず降りたいといってますけど」

 レドムは声をたてずに笑ってから、いった。「そっちの様子が目に浮かぶよ」

「どうしましょうか」

「いるなら降りろ」レドムは即答した。

「……あの、実はリディアも一緒に行きたいといっているんですけど」

 レドムはすこし間をあけていった。「三人で決めろ、いつものとおりな」

「……わかりました」

 通信を終えると、レドムは通信機をしまい、ひとつ息をついた。

「さあて、ここでどれぐらいかせげるか」

「なにかおっしゃいましたか?」参謀がたずねた。

「いや、なんでもない」レドムは答えた。


  *


「降りろってさ」と、レイ=ロード・サヴァンは振りかえっていった。

「よーし」とたかぶった表情で、レダ・リュッケが声をあげた。

 ふたりとも白い詰襟の制服を着て、帯剣している。それは、ふたりがリターグの異能者集団『知事』の一員であることの証だ。

 中性的で細身の、どことなく頼りない印象を受けるサヴァンと、長い髪を頭の両脇で結んだ、濃い化粧のレダ。

 そしてふたりのそばには、独特の民族的な模様がはいったチュニックをまとい、三つ編みを頭に一周させてまとめているリディア・ナザンがいる。アイザレン軍に滅ぼされた、砂漠の小国ナザンの、王家の最後の生き残りだ。そのリディアの決意をこめた眼が、いまはサヴァンにひたむきにそそがれている。

 三人はリターグの艦内の一室にいた。サヴァンだけが立っていて、レダとリディアは、ソファーに向かいあわせに座っていた。

 まだ砂漠の町だったリターグに亡命したリディアが、サヴァンとレダに出会ったのは、二か月前のことだ。それから三人でエントール皇国の聖都に行き、リターグの危機を知って、また舞い戻ることになった。

 三人は二か月のあいだに、多くの経験を積んだ。どれも血なまぐさい経験だ。それは三人にとって忘れようもないことで、さらに三人それぞれを成長させ、絆を深めさせた。

 苦悩に次ぐ苦悩。わきおこる疑問の数々。そして、戦い。

 かれらはまだその渦中にあって、しかも、これまでよりもいっそう苛烈な環境に置かれているのだった。

「地上の大勢は決まったみたいだけど、まだ戦闘はつづいてる。気をつけないとな」

「なーに、蹴散らしてやるよ、あたしが」レダが口の端を曲げて、不敵な笑みを見せた。

 サヴァンは調子を合わせるように苦笑すると、リディアのほうを向き、複雑な表情を浮かべた。

「ここにいるほうがいいと思うよ、リディアさん」

「レドムさんは、なんて?」まっすぐな目でサヴァンを見つめ、リディアはたずねた。

「三人で決めろ、と、まあいつも通りのことをいっていたけど」

「わたしは行きます。ひとりでも」

「あたしは賛成。多数決で決まりだな」レダが軽い調子でいった。

 ──どうしたものかな。

 サヴァンは難しい顔で、考えこんだ。

 そもそもアイザレンは、なにが目的かはわからないが、リディアをつけねらっている。ナザンが侵攻されたのも、リディアの話を聞くかぎり、彼女が原因といってまちがいない。エントールに向かう途中でも、おれたちはエルフマン艦隊の不可解な襲撃を受けた。アイザレンにとって、リディアは単なる亡国の王女というわけではないらしい。

 そんなリディアがいちばん安全にいられる場所、それはこの空上のリターグだ。こんなに堅い砦はない。地上では、どこに隠れようと、かならず中枢卿が追ってくる。次から次へとくるだろう。大部隊で襲ってくるかもしれない。これはやっかいだ。

 でもいかに堅固なリターグといっても、いまはアイザレンの領内を飛んでいる。リディアはわざわざ危険に身を投じたかっこうになっている。このうえ、そのアイザレンの手の上に降り立つことは、自殺行為に等しい。

 それでもリディアは、降りるという。彼女の目は語りかけてくる。砂漠民としての誇り。自分の手で諸部族をまとめたいという望みがかなえられなかったことへの、後悔。なにもできなかった自分をしり目に、団結した砂漠民がいまこうしてアイザレンと戦っていることへの、苦渋や焦り。

 自分だけ、とどまっているわけにはいかないという思いが伝わってくる。取り残された置物のように、いつまでも座ってはいられないのだ。

 サヴァンは目を伏せて思いをめぐらせた。その間にも、リディアの一心に見すえる視線が突き刺さってきた。

 リディアを本当に大事に思うなら、ここに残れというべきだ。

 でも、リディアのことを理解し、信頼し、尊敬の念を持つならば、ともに戦うという選択肢以外は、ありえない気がする。

 二本の線がからまり合う。頭がこんがらがる。胃が痛くなるほど悩ましい。

 こんなとき、『知事』のトップ・エース、ロー・エアハルトなら、どう答えるだろうか、とふいにサヴァンは思った。相談したい。でも、エアハルトはいない。あいつは昨日、ここを去った。パートナーのクイラ・クーチとともに、ただひとつの個人的な目的のために、エントールに向かった。

「いまさら、なーにをかっこつけてるんだ? サヴァン」

 レダの声がした。

 顔を上げると、レダは薄笑いを浮かべてこちらを見ている。だが目は笑っていない。

「リディアはひとりでも行くといってるんだ。いいのか? あたしたちは、まだ護衛の任務を解かれていないんだぞ?」

 サヴァンは、レダからリディアに顔を移した。まるでそこだけ時間が止まったように、リディアはサヴァンを見つめていた。身じろぎ一つしなかった。だが、置物のようではない。彼女はいま、たしかに人間だった。強い心をもった人間としてそこにいた。

「剣は? リディアさん」サヴァンはいった。

「いただきました。部屋に置いてあります」リディアは静かに答えた。

 サヴァンはまたしばらくだまりこんだ。そしていった。

「では、行きましょう」


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