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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
116/142

リターグの北上・2

 寒いねえ。

 強い風に巻かれる飛行艦の甲板に降り立ち、ケンサブルは思わずそうつぶやいた。

 甲板といっても、一週間ほど前までは、市街地だったところだ。用をなさなくなった、無人の建物が、崩れかけたまま左右に立ち並んでいる。車両や、フロート・タンクの残骸なども散らばっている。夜の空上のゴースト・タウン。遠くの、ブリッジになっている知事局の建物だけが、煌々と明かりを灯していて、どこか別世界に見える。

 たがいの砲撃が止んだことで、ケンサブルは苦もなくリターグに降りることができた。これなら、わざわざロヴァで来なくてもよかったか、と、ケンサブルはひびわれた大通りを、知事局に向かって歩きながら思った。

 光学透過戦闘機『ロヴァ』。視認できず、レーダーにもかからない、アイザレンの最新鋭の兵器だ。完全に停止しているいまは、灰色のずんぐりとしたエイのようなすがたをあらわしているが、夜の闇に溶けこみ、目立たない。これが昼間になれば、飛行している間は、完全に透明になる。

 この戦争でも、ロヴァは要所要所で重要な役割を果たしていたが、今回ほど重大な局面はない。超戦艦の懐に入りこんだいまとなっては、うまくすればブリッジを破壊し、航行不能にすることもできるかもしれない。だが、ロヴァは火器に関してはそれほど特徴はない。一門のレーザー砲と、機銃だけだ。巨大な知事局の建物を手早く崩壊させるだけの火力は、持ち合わせていない。

 そしてそれ以前に、ケンサブルには、ロヴァでブリッジをたたくつもりは毛頭なかった。

 ケンサブルはなんの気なく、腰の後ろに手をまわして、散歩でもするように、ぶらりと歩を進めた。ふだんは抜身だが、いまはめずらしく鞘におさめられた一振りの刀が、よれたジャケットの内側のシャツに無造作に巻かれた帯に差さっている。

 もっと知事局に近い場所に降りることもできたが、ケンサブルはこの非常識なように空に浮かぶ街を、歩いてみたかった。

 高所ならではの風は、ケンサブルに横ざまに吹き付けていた。ゴウ、と音を立てながら、ときおり、より強く吹きすさぶ。建物が壁になることもあれば、まともに風にさらされることもある。その中を、ケンサブルはゆっくりと、しかし歩調を変えずに、まっすぐ歩いていた。

 やれやれ、と、すこし行ったところでケンサブルはつぶやいた。夜の死んだ町にもそれなりに風情はあるが、こうも同じ風景ばかりだと、やはり味気ない。明るい知事局の建物は、まだだいぶ先だ。予想以上に長い道のり。自然と思いが沸き起こる。これからのことについて。

 ルキフォンスの望みは、知事局の制圧だ。でもはじめから、おれにそれを期待してはいない。おれは感じ慣れた気配に誘われて、引き寄せられただけだ。中枢卿の宿命として。『卿団の刃』といわれるおれの定めとして。それを、ルキフォンスも理解している。

 おれは、メイナード・ファーと果たしあえれば、それでいい。あとのことは、まあ、そのとき考えればいいさね。

 ──そうだろう、メイナード?

 ケンサブルは、脚を止めると、夜の闇に、ニカッと不気味な笑い顔を浮かべた。

 すこし行った前方に、立つ者のすがたがある。

 丈の短い白いローブと長い髪が、横風に吹かれて揺れている。

 背筋をぴんと伸ばし、微動だにしない立ち姿は凛々しく、両手で持つ黒い大槍「イサギ」は、まがまがしい。

 ケンサブルは、腰の後ろに手をまわしたかっこうのまま、会話ができる距離まで、ふらりと近づいていき、立ち止まった。

「……あなたを、仇とは思っていません」

 メイナードが、口を開いた。「あなたのことは、なんとも思っていない。それでも、戦わなければいけませんか」

「おれは、おまえが好きだよ、メイナード」

 次の瞬間、まるで時間が飛んだように、光景が切り替わった。

 ケンサブルの振り下ろした刀を、横にしたイサギで受けるメイナード。

 強烈な殺気にとぎすまされたケンサブルの目と、かなしげなようにも、うつろなようにも見えるメイナードの目。

 とたんにメイナードの身体が後ろに退き、イサギが横になぎ払われる。

 とてつもない衝撃波が、置き捨てられた車を二、三台吹き飛ばす。

 ケンサブルのすがたが突如メイナードの横に現われる。

 鋭い突きをすれすれでかわすメイナード。

 そしてふたりは、間合いを取って立ち止まった。

 風が吹く。

 と、ケンサブルがメイナードのすこし横に目をやった。

 メイナードの斜めうしろに、二人の男女が立っていた。どちらも『知事』の制服を着ている。白いマントがやはり強い風になびいている。

 一人は、短髪で精悍な顔の青年。もう一人は、こちらも髪が短く、痩せた少女。

 どちらもじっと戦いを見守る様子で立ちつくしている。

「……連戦かね。きついねえ」

 そういうと、ケンサブルはふいに、正眼にかまえていた刀から片手を離し、だらりと両腕を下げた。そして、なにごともないような、まるで散歩の途中といった歩調で、メイナードに近づいていった。

 メイナードは、槍を両手にかまえたまま、目を閉じた。

 左から右に吹く風の音だけがある。

 立ちつくす自身の身体が、風に溶けこんでいく。

 生も死もない境界。だがそれは長くはつづかない。なにかが起こる。すぐにも。

 いや、わたしが起こす。起こさなけれなならない。でなければ、負ける。

 メイナードはカッと目を見開き、直感をたよりに、見定めた一点にむけてイサギを突きだした。

 ほとんど感触はなかった。だが、槍の穂先は、ケンサブルの、刀を持つ右肩に深く刺さっていた。

 ──流れを支配する、それがあなたの極意。でも時間の流れは支配できない。あなたは、わたしに近づかざるをえない。それが、あなたのただひとつの弱点。

 メイナードはすばやくケンサブルの肩から槍を引くと、さらにかまえ、突きかかった。壮絶な一撃。だがその先にケンサブルのすがたはない。

 風が突きの威力に巻かれて、一瞬よどんだ。

 かろうじて後ろに跳びすさったケンサブルの右肩から、とめどない血が流れ落ちる。ケンサブルは、肩に手をあてるでもなく、だらりと両腕を下げたまま、じっとメイナードをにらみすえていた。ほとんど狂気をはらんだような、薄笑い。目はぎらぎらと輝いている。

「次が最後だ」

 薄気味悪いだみ声で、ケンサブルがいった。「次に会ったときは、どちらかが死ぬ。それか、どちらも死ぬ。覚悟しておくんだね」

 ケンサブルのすがたが遠ざかっていく。

「追わないの? エアハルト」思わずクイラが意気込んでいった。

 エアハルトはすこしの間沈黙し、それからゆっくりと首を横に振った。

 ケンサブルが完全に闇に消えてから、エアハルトとクイラはメイナードに近づいていった。

「いまのは、イル・ケンサブルか? あの『卿団の刃』の」エアハルトがたずねた。

「……そう」メイナードは短く答えた。視線はまだ、ケンサブルが消えた闇の先を見すえていた。

 透徹された表情だ、とエアハルトは、メイナードの横顔をそれとなく眺めながら思った。いまのおれと、この女との距離は、あまりにも遠い。なにか、生き物としての違いをみているかのようだ。おれの剣技は彼女には遠く及ばず、人間としても、到底かなわない。

 ともあれ、彼女がいうように、いまのおれではケンサブルになど勝てるはずがない。おれは、両腕を下げたあの男が、いつの間にメイナードに近づいていったのか、それすらわからなかった。いや、目で追ってはいたが、その光景の意味が消失していた。もしあの場で、メイナードではなくおれが立っていたら、おれは自分でも気づかないうちに死んでいたのではないか。

 歴然とした差。メイナードも、ケンサブルも、おれとはかけ離れたところにいる。『知事』のトップ・エースのおれが、まるで子供のように思えてくる。これではクイラにも示しがつかない。もちろん、コーデリアにも。

 劣等感が胸をよぎる。いやな兆候だ。ハイドスメイでエルフマンと戦ったときと同じ、絶望的な劣等感。

 一つの欲求が灯る。あれを使えば、いけるかもしれない。メイナードやケンサブルの高みに。あの薬さえあれば、欲するものが手に入る。しかし同時に、おれはもっとも欲するものを失うだろう。本末転倒だ。

 メイナードはいつまでも、イサギを両手にして、立ちつくしていた。エアハルトもまた、深い物思いに暮れた顔で、同じ方向を向いて無言で立っていた。クイラも、なにを思うでもなく、エアハルトに寄り添うようにしてたたずんでいた。風は止むことがなかった。


 この日、深手を負ったケンサブルを収容したルキフォンス艦隊は、ヴァキ砂漠からの撤退を決断した。リターグはゆっくりと北上をつづけ、七日後、ついに砂漠とアイザレン帝国をへだてる山脈の手前に到達した。

 砂漠の諸部族もまた、リターグの勢いをかって、徐々に決起しはじめた。残存するアイザレンの地上部隊は、かれらの攻勢に押され、戦線は大きく後退した。

 これ以降、主戦場は、アイザレン帝国に移ることとなった。

 超大国VS超戦艦。

 レガン大陸全土に渡る戦争の、最後の戦いがはじまろうとしていた。


  *


「実際、随分待たされたね」若い男の声がする。

 大広間だ。壁の四方には、アイザレン帝国の幾何学的な模様の国旗と、中枢卿団の団旗が、入れ違えとなって、所狭しと掲げられている。

 広間の奥に高段があり、薄い白幕がおりている。

 男の声は、その幕のむこうから聴こえた。

 高段の前には、ひとりの男が立っている。中枢卿団の団長の制服をまとった、エーヌ・オービットだ。その「赤目」は、なんの表情も映さずに、白幕を見あげている。

「いい加減、そろそろ待ちくたびれた」幕の内側の男がいった。

 オービットが小さくうなずいた。

「抜かりはないね、オービット」

「はい陛下」オービットは短く答えた。

「まあおもしろいこともあったよ」陛下と呼ばれた男は、くだけた調子でそういった。「『知事』というのは、なかなか興味深い。なってみてわかったことだけどね」

 幕の内側の男が、薄くほほえんだ。それはかつてリターグで、ユース・ヴァンゼッティと呼ばれていた男だった。


(第三部・了)


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