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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
114/142

浮遊のリターグ・3

 そこは応接間とも、執務室ともいえるような場所だった。部屋の真ん中には向かい合わせのソファーとテーブル。奥には簡素ながらどっしりとした机。書棚があり、小窓があり、おだやかな陽が机に射している。

 男はその机の前の椅子に座り、机の上に両肘を乗せ、手を組んでいた。じっとなにかを考えこんでいるようでもあったが、男の口もとは、どこかにやけたようにゆがんでいた。

 歳は四十代後半といったところか。きれいに刈った黒髪、切れ長の鋭い目。灰色の背広を着こみ、一見すると、一癖も二癖もありそうな商人といった風だった。

 と、部屋の重々しい扉が、ノックされる音がした。

「どうぞ」男はいった。

 開かれた扉のむこうには、ひとりの老人が立っていた。いかめしいしわの刻まれた、堂々とした顔つき。ほほからあごにかけて、豊かな灰色のひげが伸びている。髪は、同じ灰色の長髪だ。濃紺のゆったりとしたローブ姿のその老人の姿は、並々ならない威容をたたえていた。

「まあまあ、中へ」背広の男はそういうと立ちあがり、応接ソファーを手で示した。老人はゆっくりと後ろ手に扉を閉め、中に入った。

 ふたりは、テーブルを挟んで立ち、顔を合わせた。

「お久しぶりだね、ヴァン・ビューレン」

「いつ以来かわからんな、ラジャ・メッツァ」

「なにか飲むかい?」

「いただこう」

 メッツァと呼ばれた男は、書棚の隣の棚からグラスをふたつ取り出し、そこにウィスキーをそそぐと、両手に持ってもどってきた。その間に、ヴァン・ビューレンはソファーに腰をおろしていた。

「どうだい、調子は?」ふた回りほど歳の離れたビューレンに対して、メッツァは気楽な様子で、敬語も使わずに話した。コトリ、と、ふたりの前にウィスキー・グラスが置かれる。

「ほどほど、というべきか」息を吐くようにビューレンはいった。「まあここまでは、うまくいっていると見ていいだろう」

「そうだね」メッツァは軽く受け答えると、くだけた格好で脚を組んでソファーに身を落ちつけた。

「問題は、〝あれ〟が、どこで覚醒するかだ」ビューレンがいった。

「〝あれ〟というのは、リディアのことでいいのかな?」

「マザー・キーの顕現の際、われらの手に届かない距離では意味がない」

「遠からずリターグは、このアイザレンにやってくるさ」ひとつため息をついて、メッツァはグラスを手に取り、ふっと目を細めて、中の液体の琥珀に見入った。「顕現の日は近い。ここまできたら、もう失敗は許されない」

「おおむね順調だが、」老人の目が鈍く光った。「問題はある。イレギュラーの要素だ」

「だからいっただろう?」皮肉な笑みを浮かべて、メッツァがいった。「統制しきれないものを使うなと。カザンやマレイを取りこんだのはあんただ。その責任は果たしてもらうぞ」

 わずかに渋面を作ったビューレンは、おもむろに手元のウィスキー・グラスを取ると、ゆっくりと飲み干した。

 メッツァは目の端でそれを見ながら、あざけりにも似た笑みを口の端で浮かべ、手に持つウィスキー・グラスをかすかに揺らしつづけた。


  *


 当たり前のようにあったもの。それを取り上げられてしまうと、こんなにも心に、穴が開くものなのかしら。

 メイナード・ファーは、心の中でつぶやいた。

 簡素な部屋だ。真っ白で清潔だが、味気ない。パイプの椅子、テーブル。壁の隅には、ドーム状の監視カメラ。窓はない。外の音も聴こえない。ということは、中の音も、外にはもれない。

 メイナードは椅子に座り、姿勢を正して、待っていた。ここにだれかが来るのを。

 地味なベージュのブラウスを着ている。その内側のお腹は、包帯が巻かれている。ラザレクで受けた傷の治療の跡だ。

 長く降ろした髪には、つやがない。顔はきぜんとしているが、どこかはかなげだ。

 なにより、〝士団の切先〟メイナードは、いま、その牙を抜かれているのだ。

 名槍イサギ。

 メイナードの命ともいえる、黒い大身槍。これを手にするまでどれだけの血を流し、手にしてからも、どれだけの血を流したか。

 それを、このリターグに亡命したときに、まっさきに取り上げられた。手放したときの喪失感が、三日たった現在でも、まったく消えない。返してもらえるかしら。いや、返してもらわなくては。だってイサギは、わたしそのものだもの。いまいるわたしは、ほとんど抜け殻。ただの、やせた女。

 ──喪失感。

 メイナードは、無意識に眉を寄せた。

 イサギのことだけじゃない。アイザレンの侵攻からここまでの道程、その断片が脳裏で移り変わっていく。最後にはじき出される言葉は、虚無と死。わたしが、わたしであることの存在意義は、無と死を生み出すことでしかないのかしら。

 ふいに、ガチャッと、ドアが開く音がした。

 心をさまよわせていたメイナードは、ハッとして、そちらに顔を向けた。

「おそくなってすまない」

 そういって中に入ってきたのは、『知事』のロー・エアハルトだ。名高いトップ・エース。この浮遊する超戦艦となったリターグに来て、何度か顔を合わせたが、ふたりきりというのははじめてだった

「いっておくけど、これは純粋な聞き取りで、尋問というほどのものじゃない」

 エアハルトは、メイナードと机をへだてて対面に座り、いった。「きみと、きみの部隊の亡命は、今日正式に受け入れられた。つまり、きみらはもうリターグの一員だ。それを心に置いてくれ」

「……わかったわ」静かな声で、メイナードが答えた。

 エアハルトは、ひとつ大きく呼吸をしてから、まっすぐにメイナードを見つめた。

「まず、静導士団は、どうなったんだ?」

「……わたしの知るかぎり、リカルドは死んだ」メイナードは、ややかすれた声で答えた。「まだ信じられないけど、まちがいないと思う。だから、それで静導士団も終わった。わたしみたいに、運よく生きのびている団員も、ほかにいるかもしれないけど、再集結はありえない。士団は、死んだの」

「今度あらたに皇帝になったキュベルカは、元士団員だね」エアハルトがたずねた。

 メイナードは口をきつく引きむすんで、こくりとうなずいた。

「どんな男なんだ? あ、いや、そもそもこっちは、性別すら知らないんだよ」

「わたしも、知らない」

 弱々しく首を振って、メイナードはいった。

「元アイゼン公で、異能者。昔、錯乱して、公家の者を斬殺した。処刑されかかったところを、リカルドが士団にスカウトした」だれにともないような声で、メイナードは流れるようにつづけた。

「見下していたわ、リカルドのこともわたしのことも。キュベルカを取り巻くのは、血と怒りと自尊心。とてつもないエネルギー。わたしは、近づかないようにしていた。あの熱に当たりたくなかったから」

「じゃあ、話を変えよう。きみは、中枢卿団と交戦したね」

 メイナードはうつろな様子でうなずいた。

「その情報がほしい。つまり、中枢卿の。なんでもいいから。話してくれ」

「……ふたりの隊長と、直接戦ったわ。ルキフォンスと、ケンサブル。ルキフォンスは、剣技はわたしより劣る。ケンサブルは、リカルドが死んだいまとなっては、たぶん大陸最強といってもいいかしら。……でも」

「でも?」いいよどんだメイナードに、エアハルトがつづきをうながした。

「ラザレクで、わたしは卿団の、ルケ・ルクスのパートナーと戦った」ふっと、メイナードの目が遠くなった。「若い女だったわ。こう、大きくカールした金髪で、きれいな顔だった。わたしはその女に負けた。リカルドに助けられて、逃げたの。……広いのね、世界は。あの女は、ケンサブルと同じくらい強い。でも名前は知らない」

「大きくカールした金髪」エアハルトは、にわかに目を細めた。

 少しの沈黙。エアハルトが、なにかを切りだすかどうかで、迷っている。そんな風に、メイナードには感じられた。

 やがて、エアハルトは白い『知事』の制服の内ポケットから、薄いケースを取り出し、それを開くと、メイナードに向けた。

「この女、ではなかったか?」ややうわずったような声で、エアハルトがいった。

 メイナードは開いたケースを見た。中には、一枚の写真がおさめられている。ひとりの女の全身像だ。輝くような笑顔。『知事』の制服。そして腰の、細身の剣。

 メイナードは、その写真に見入りながら、何度かうなずいた。

「この人よ」

「……」

 エアハルトの絶句の気配が、部屋に立ちこめる。息がつまるような静寂がただよった。

「……わかった」エアハルトは機械のような、抑揚のない声をたてた。「休憩にしよう」

 心ここにあらずといった風に立ちあがったエアハルトに、メイナードは聞いた。

「イサギは、あたしの槍は、いつ、返してもらえるの?」

「あとにしてくれ」

 そう口早にいうと、エアハルトはわき目も振らず、部屋を出ていった。

 ──そう、『知事』だったの、あの女。

 ひとり残されたメイナードは、おぼろげに思いをめぐらせた。

 恋人、なんでしょうね。

 メイナードは、ふっと視線を横に流した。間遠な感覚。具体的な思いをたぐり寄せようとしても、糸の先にあるのは、空無だけだ。

 メイナードは無意識に、あきらめたように、首を横に振った。


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