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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
113/142

浮遊のリターグ・2

 紅い瞳孔がふたつ、じっと見ている。

 その視線の先には、男と女の姿がある。

 ぼっさりとした長髪に地味なマント姿のマッキーバと、壮麗なパフ・スリーブのローブに、長い金髪のエルフマン。

 エントールの最後の砦だった宮殿が落ちた二日後、マッキーバとエルフマンには、卿団本部から、アイザレンの首都ケーメイへの帰還命令が出た。

 緊急といっていい召還だ。ふたりは、とるものもとりあえず、艦隊をまとめて一日がかりでケーメイに戻った。

 そしていま、休む間もなくふたりは、中枢卿団・団長オービットの執務室で、その『赤目』といわれる眼光にさらされているのだった。

 ちょうど、サヴァンたちがレドムのオフィスで会話をしているとき、そして、ルキフォンスとケンサブルが、長官個室で会話をしているときだった。

「まず、ルケについてだが」

 オービットが口を開いた。青白い顔。四十代とは思えないほど、肌は若い。

「かれは、エントールに残すことにした。要は、目付けだな。キュベルカを見張らせる」

「例の、コーデリアという女も?」エルフマンがいった。

「コーデリアも、ルケの艦隊も、そのままとどまらせる。キュベルカだけではない、エントール諸侯の動きも気になるからな」

「それで」マッキーバが息を抜くような声でいった。「わざわざおれたち二人を、同時に呼び出したのは、ほかにわけがあるんだろう?」

「そのとおり」オービットは表情を変えずに答えた。「知ってのとおり、リターグのけん制で、ルキフォンスとケンサブルは動けない。そこにきて、国内で面倒が持ちあがった」

 エルフマンが眉をよせ、マッキーバはやれやれとばかりに顔をしかめた。

「元エントール宰相の、ヴァン・ビューレン」オービットが淡々と言葉をつづけた。「かれが、アイザレンに亡命し、極秘裏にラジャ・メッツァと接触している」

「元宰相と、首相が?」マッキーバがけげんそうな声をあげた。

「どう関係しているのかはわからん」オービットがつづけた。「だが、あまりいい予感はしないな」

「連中の巣窟のカイトレイナは、あなたの庭ですもの」居丈高な調子で、エルフマンがマッキーバにいった。「もとの仕事にお戻りなさいな」

「……いまは、エンディウッケがいる」だれにでもない調子で、マッキーバがつぶやいた。

「そっちの聴取は、進んでいないようだな」わざとらしく首をかしげて、オービットがいった。

 マッキーバは、言葉を返さなかった。沈黙が立ちこめた。

「つまりわたしたちは、メッツァの監視にあたればいいのね」エルフマンがいった。

「メッツァと、ビューレンと、かれの連れてきた部隊の監視だ」オービットがいった。「あのふたりの関係は、おれが洗う。おまえたちは、いつでも動けるようにしておけ」

 つんとした表情で、不満げに視線をそむけるエルフマン。苦い顔つきで、自身の足元を見つめるマッキーバ。

 窓からあふれるおだやかな陽光も、この冷やかな空気を、溶かすことはなかった。


  *


 かつてエントール皇国と呼ばれていた国の、聖都ラザレクの奥にある、広大な宮殿は、代々皇帝が住まう場所として知られていた。戦火にさらされた現在でも、損傷はすくなく、中ではいつもとかわらず、何千人という人間が大廊下を行きかい、生活していた。

 宮殿の中に、皇帝専用の住居として使われていた宮廷がある。ほかの場所とは大扉でへだてられ、中は常にシンとしている。

 その宮廷の広間のひとつに集まる者たちがいた。

 ぶ厚い絨毯、豪華な調度品にシャンデリア。濃い花の香が、どこからかただよってくる。そんな広間だ。

「いまだに信じられんな」丸テーブルのそばに立つリミヤン・キュベルカが、琥珀色の酒の入ったグラスを片手に口を開いた。「わたしの国か。たしかに、それだけのことはした。だがどうも、実感が湧かん」

「時が経てば、否応にも認識することになるでしょう」同じくグラスを持ち、キュベルカの向かいに立っているスペイオがいった。「あなたは、皇帝です。その責務や重圧は、他人には理解されない。あなただけのものです。もちろん、特権も、ですがね」

「他人事のようにいうが」軽く笑って、キュベルカはいった。「おまえも、当面は宰相だぞ。激務が待っている。心しておくのだな」

「気にいらん」と、すこし距離をあけて立っていたコーエン公が、突然口を挟んだ。

「おまえには、諸侯の筆頭としての名誉が与えられた。このうえ、なにが不満だ」キュベルカが鋭い目をコーエン公に向けた。

「いや、わたしのことではない」無造作に腕を振って、コーエン公は答えた。「アイザレンの目付け、あれが気に入らん。どこの馬の骨とも知らん、にやついた若造だ」

「中枢卿団の、第三隊長ですよ、コーエン公」キュベルカの隣に立っていたコーラが、噛んで含めるようにいった。「馬というなら、大陸屈指のサラブレッドです」

「いたしかたあるまい」キュベルカが、コーラの言葉を継いだ。「自治権が与えられていても、実質的は、アイザレンの属国のようなものだ、いまのこの国はな。まずは国のかたちを変え、わが皇国の地歩を築き、そうして、本来あるべき独立国としての体裁をとりもどす」

「その時は、案外近いかもしれませんよ」スペイオが、グラスの酒に目を落としながらいった。「超兵器となったリターグに、アイザレンは手を焼いてます。このまま着々と、リターグがアイザレンに迫っていくとしたら」

 数瞬の沈黙が、あたりをおおった。それはどこか、切れるようでもあり、まろやかでもあるような、不思議な静けさだった。

「なんにせよ、国が成って数日だ。外のことをいっているひまはない」キュベルカがいった。「わが大望は、成就された。あとは継続する。このアイゼン公キュベルカの治世をな」

 フフフ、とキュベルカは喉で笑うと、グラスに満たされた酒を、一息であおった。


 アハハハハ! と、無邪気な笑い声が聴こえる。

 ここは、元エントール、現キュベルカ皇国の、宮殿の一間だ。スペイオたちと話していた広間からはかなり遠い。宮殿の中の宮廷の、奥の奥にある間だ。

 豪奢なソファー、天井からつららのように伸びるシャンデリア。重厚な調度類。さきほどの広間と同じような場所だが、そこにいる者の顔ぶれはちがう。

 広間の床を、踊るようにかけまわる、キュベルカ、いや、レザーン。

 それをソファーから憂い顔で見つめる、コーラ・アナイス。

 ふたりだけでは広すぎる。だがふたりでいる必要がある。

 キュベルカのもうひとつの人格、レザーンを知る者は、もはやコーラだけとなった。無邪気で、快活で、天真爛漫なレザーン。キュベルカとは、まるで正反対の人格。

 アイゼン公家の廃絶は、キュベルカにとっては屈辱であり、絶望だった。それはレザーンの凶行がもたらしたもので、厳密にいえば、キュベルカの知るところではない。血にまみれ、あっけにとられて立ちつくすキュベルカ、その身体を思わず抱きしめたコーラ。二人の関係は、血のつながり、といってもよかった。実際、二人はアイゼンの本家と分家の間柄で、多少は二人の身体に、同じ血は通っているはずだった。

 いまは亡き女帝リリィ・エントールは、当時のキュベルカに対して、即刻死罪を申し渡した。何十人という人間を虐殺した惨劇であれば、死をもってつぐなうのは、当然なのかもしれなかった。

 だがそれを行ったのは、キュベルカではなく、レザーンだ。わたしではない、と、だからキュベルカは憤激した。なにに対して、だれに対してという方向も定まらないまま、キュベルカの怒りは蓄積された。

 許されない。わたしがこのように死ぬなど、許されてはならない。

 救いの手は、意外なところから差し挟まった。

 キュベルカ=レザーンの、特異な戦闘能力に目をつけた、静導士団の団長リカルド・ジャケイだ。

 かれの勧めによって、キュベルカとコーラは静導士団に入り、キュベルカは早々に首席隊長に登りつめたが、かれの怒りは、リカルドにすら向けられた。

 卑賤の徒が、諸侯の中の侯であるこのアイゼン公キュベルカを、手足として扱うなど、あってはならないことだ。いまに見ていろ、ラザレクの俗物ども。貴様らのひざは、わたしの前で、必ず、折られるのだ。

「嫌なやつらは、みーんな死んだわ」

 いま、レザーンは軽快に歩きながら、歌うようにそういった。「あたしのもの。ぜーんぶ、あたしのものになった!」

 コーラは、苦笑を浮かべかけて、それをおさえた。

 ──よくやったわ、本当に。キュベルカ、レザーン。あなた、いやあなたたちは、本当によくやった。

 治世と困難は切り離せない。だからわたしは、これからもキュベルカ様を、レザーンを助ける。味方はむかえ、敵は殺す。そう、たとえばルケ・ルクス。アイザレンが送りこんだ目付け。あれは、純然たる敵か? それとも、味方になり得る者か? 味方にならなくても、役に立つ者か? 見極める。キュベルカ様とわたしなら、どんな障害でも乗りこえられる。

「謁見の間は、絶対、あたしの好きなように飾るから!」テーブルにあったクッキーをほおばりながら、レザーンがそういうのを、コーラはどこか遠い感覚で聴いていた。

「好きになさい」

 ふっと笑みを浮かべて、コーラがいった。自分でも驚くほど、素直な笑み、素直な言葉だった。コーラの胸に、温かいものが灯る。

 ──心配ないわ。心配ない。うまくいく。ここまできたんだ。もう怖いものなんてない。

 コーラは、無意識に、何度もゆっくりと首を縦に振った。

 レザーンは鼻歌を歌いながら、腰の後ろに手をまわして、もどかしいほど満ちあふれる生命力に突き動かされるように、部屋を歩きまわっていた。


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