浮遊のリターグ・1
広いオフィスだった。
だが、いまはいくぶん手狭に見える。六人の人間がいれば、当然のことだ。
オフィスの奥の、大窓を背にしたデスク席には、黒いゆったりとしたローブを着た、リターグの知事局の局長、ジオ・レドムが座っている。
そのデスクをへだてて、ならんで立っているのは、『知事』のトップ・エースのロー・エアハルトと、レイ=ロード・サヴァンだ。ふたりとも、白い詰襟の制服をきっちりとまとっている。
オフィスの中央にあるソファーには、同じ制服を着て、だらけた格好のレダ・リュッケと、ベージュのブラウスをまとった、姿勢正しいリディア・ナザン。そして、どこか居心地が悪そうに肩を丸めている、クイラ・クーチ。
いつもの光景だ。いつもと変わらない、局長のオフィスでのブリーフィング。
でも、決定的にちがうところがひとつある。
だれもかれも、そのちがいが大きすぎて、いまひとつ実感が湧かない。
そう、このリターグは、もはや地上にはない。飛んでいるのだ。
かつて聖地として自治領の立場を守ってきたリターグだが、いまは領地とは呼べない。その容貌も、とても町とはいえない。
ちょうど、知事局がブリッジのように突き立った、まごうかたなき戦艦の化け物だ。
悪夢のような、それでいて整然とした、台形のシルエット。遠目には岩のかたまりのように見えるが、四方八方から、砲門が無数に伸びている。
リターグはいま、高い上空に轟音をうねらせながら、低速でじりじりと前進していた。
時は真昼。紺碧の空から降り注ぐ陽光が、超戦艦リターグの装甲を射す。
エントール皇国が滅亡して、三日が経過したころのことだった。
「ということで、今朝方、エントールとの同盟は正式に破棄された」ジオ・レドムのしゃがれ声がする。「まあ、元エントールだな。なんにせよ、むこうの戦争は、終結したということだ」
「なんといったらいいのか」と、かすかに鼻で笑うようにして、エアハルトがいった。「要するに、エントールは、併合されたのですか? それとも、手のひらを返してアイザレンと同盟を結んだのですか? 最近の情勢を聞くかぎり、どうも後者にみえますが」
「どちらでもある」レドムはじっと上目づかいでエアハルトを見て答えた。「リミヤン・キュベルカ、だったか。あれは、よほどきわどい綱渡りをしたな」
「で、われわれは、今後どうするんですか?」エアハルトの横のサヴァンが、間に入った。
「どうもこうも、こちらの状況は変わらんよ」エアハルトから直接サヴァンに目を移して、レドムはいった。「千キロ先ではルキフォンス艦隊が待ちかまえている。地上のアイザレン軍も撤退する様子はない」
「そしてあたしらは飛んじゃってる」ソファーのレダが、暇をもてあましたのか、顔をこちらに向けて、割って入った。「やるしかないじゃん?」
「そのとおり」レダに人差し指を向けて、レドムはいった。「やるしかないよ、ルキフォンス艦隊を。そうすれば連中も尻込みする。まちがいない」
「数万人の民間人を乗せたまま、ですか」サヴァンがおそるおそるいった。
「数万人の民間人をのせたまま、だ」レドムがおうむ返しのように答えた。「それができないと思っていたら、はじめから飛んじゃいないのさ」
「なーに心配することないぞサヴァン」レダが大声をあげた。「大陸最強の艦隊だかなんだか知らないけどな、このリターグを目の前にしたら、しっぽ巻いて逃げてくぞ」
レドムが、いいぞ、とばかりにもう一度レダに指を向けた。エアハルトは苦笑し、サヴァンはため息をついた。
「あの、」と、間を取って、リディアがふいに口を開いた。「あの……その、この戦争が終わったら、リターグは、どうするのですか」
「この戦争が終わったら、か」レドムが肩ほほを上げて、笑みのようなものをみせていった。「どうなりますかね。もしかしたらわれわれは、飛びつづけるかもしれませんよ、リディア殿下」
そういって、レドムはぎょろっとした目をリディアに向けた。その視線には、なにか意味がこめられているような気がした。しかしリディアには、それがなんなのかわからず、とまどいながら視線を受けるしかなかった。
「なんにしても、ルキフォンス艦隊とは、二週間にらみ合ってきました」エアハルトが、リディアに顔をむけていった。「とてもやっかいな、空上の壁です。これを突き破らないと、先へは進めません」
──先、か。
サヴァンは、その会話を耳にしながら、おもむろに考えた。
先とは、なんだ。わからない。おれたちは、ルキフォンス艦隊にむかって、進行している。負けたらそれまで。それで、勝ったら、どうする? アイザレン本土に進攻か? それとも、エントール、いや、元エントール皇国のように、同盟を取り結んで、どこかに着陸して、また町を作るのか?
そもそもなんだ? これは、いったい、なんのための戦争なんだ?
「あと、そう、もう一ついうことがある」
というレドムの声に、サヴァンは考えにならない考えから、身をほどいた。
「元静導士のメイナード・ファーの亡命が、受理された」
「アッハハ!」突然、レダがはじけるように笑った。「あのイサギの持ち手か! そうかそうか!」
「身柄は知事局が管理する」レドムがいった。「まず聴取だ。おまえにまかせる、エアハルト」
は、とエアハルトはうなずいた。
「身体能力検査はないのか?」レダがいった。「あたしが、見てやる」
「やめてくれ」レドムは笑って、おおげさに手を振った。「リターグを墜とすわけにはいかんよ」
「じゃあこいつと手合せさせろ」レダはブンと腕を伸ばして、クイラを指さした。「あたしは、こいつの力を見てみたい」
クイラは、こわごわとレダを見つめるしかなかった。
「検討しよう」レドムは、ひょうひょうとして言葉をにごした。
「なんにせよ、まずはルキフォンス艦隊ですね」話を戻すように、エアハルトが口を開いた。
「そしてもうひとつ」レドムは、即座に答えた。「中枢卿団だ」
「フン」と、レダは鼻を鳴らしたが、あとはよどんだような静寂があたりにたちこめた。ズウンという重苦しい飛行音が、オフィスの壁を通して、四方八方からひびいてくるようだった。
*
鉄灰色の、無骨な長方形のかたまりが、空に浮いている。地上から見る者は、あんなとんでもなく巨大な物が空に浮かぶということに、信じられないという思いを掻き立てられるかもしれない。しかし、たとえばそこに、リターグの浮上を目にした者がいるとすれば、たいした驚きも感じられないだろう。
鉄灰色のかたまりは、それよりもはるかに小さな飛行艦に周囲を護られて、どことなく無為な様子で浮かんでいた。
ルキフォンス隊・旗艦「メサイア」。
レガン大陸最大の戦艦で、大陸最強とされるルキフォンス飛行艦隊の象徴だ。それはそのまま、アイザレンの軍事技術の、ひとつのシンボルでもある。
──そう、このメサイアこそ、飛行戦艦の中の戦艦だ。
ルキフォンスは、壁一面に窓がはめこまれた、メサイアの長官個室のデスクで、腕組みをして目をつり上げていた。
──リターグなど、戦艦ではない。あれは、ただの浮島だ。あんなものは、戦艦とは認めぬ。
「それで、どうするね」ぼんやりとした声が、ルキフォンスの背後に聴こえた。くたびれたジャケット姿のケンサブルが、ズボンのポケットに両手を突っこんだ姿勢で、窓の外にじっと身体を向けていた。強い陽光が、小柄なケンサブルの全身を照らしている。
リターグが、ゆっくりとした速度でこちらに近づいてきているという報告が、数分前にこの部屋に入っていた。たまたま居合わせたケンサブルは、たいした反応も示さず、ルキフォンスはルキフォンスで冷静に応対したが、内心ではさまざまな思いが錯綜していた。
そこからここまでの数分間は、互いの、質の違う気のぶつかり合い、探り合いという感じでもあった。
「どうもこうもあるか」ルキフォンスは突き放すようにいった。「艦隊の総力をもって撃滅する。しょせん、目をつむっていても当たる的にすぎぬからな」
「砂漠に降る、硬い雨か」息を吐くように、ケンサブルがいった。「なんだか、風情がないなあ」
「戦争と風情は無縁だ」ルキフォンスは言下にいった。「おまえは、本国に帰ってもいいのだぞ、ケンサブル」
「でもねえ、なつかしい匂いが、するんだよねえ」
ルキフォンスは、ふっと頭をうしろに振り向けた。
「メイナード、か」
「ハハハ、宿命かねえ」ケンサブルはうつろな笑い声をたてていった。「いやはや、こんなに楽しいのは、ひさしぶりだなあ」
「わたしは、艦隊指揮で動けんぞ」ルキフォンスがいった。
「なあに、ロヴァさえ貸してもらえれば」ギラッと、窓外を見つめるケンサブルの目が光った。「……夜がいいねえ。きれいだろうなあ、リターグの灯は」
ルキフォンスは答えずに、見るともない目をケンサブルに向けた。真昼の砂漠を見おろすケンサブルの顔は、呆けたような笑顔で、弛緩していた。




