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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
111/142

聖都動乱・9

 ラザレクの宮殿の、最奥にある謁見用の大広間は、まだ静かだった。

 砲声も、銃声も聴こえない。人の声もない。

 ただ無数の死体が、広間の床一面に、敷きつめられるように倒れている。

 老若男女さまざまだが、みな裸だ。かつてかれらの性の嬌声は、この広間にたえまなくさんざめき、かれらのうごめきは、生をなまなましく浮き彫りにさせていた。

 女帝リリィ・エントールは、踏み段の上の玉座に座り、うつろな顔で、たたずんでいた。

 ──死、か。

 女帝の心に浮かぶ、死という言葉。

 それは現実的な力感をもって、身の内に迫ってくる。

 近侍の者たちは、ラザレク陥落が目の前に迫っていることを口早に告げ、ろくに別れもいわず、女帝に付き添おうともせず、みなどこかへ去っていった。

 広間の無数の男女を、女帝が自分の異能でことごとく殺したのは、それからほどなくしてのことだ。

 ──こうして、たわむれに死体の群れを作ってみても、やはり死は理解できぬ。

 虚脱感が、女帝を襲う。

 宮殿の周辺にも、死体の群れが築かれていることを、女帝は知らなかったが、察することはできた。

 アイザレンの中央軍集団の三個軍は、すでにこの、ラザレク最後の砦である宮殿を包囲していた。

 抵抗は少なかった。宮殿を護る兵士も、近衛の静導士も、圧倒的な兵力差のもとでは、なすすべはなかった。

 銃弾の雨に消える、エントール軍の兵士たち。多勢に無勢の中、中枢卿の部隊に果敢に挑み、散っていく士団員たち。

 町の中にある町、といえる広さを持つこの宮殿内に、残された兵士や士団員たちは立てこもり、最後の抵抗を試みていたが、そこに希望といえるものは、なにひとつなかった。

 ──物心もつかないうちに、こうしてまつりあげられ、宮殿に閉じ込められ、その日その日を、おもしろくもおかしくもなく、生きてきたが……

 いいようのない思いが、女帝の胸の内に広がる。

 このうえ、みじめな生き恥をさらすつもりは、毛頭ない。……だが、死とは、なんなのか。

 不思議と、恐怖は感じない。ただ理解できないだけだ。ならばせいぜい、理解するもしないもない状況の中で、死ねればいいと思う。そう、たとえば、ここになだれこんでくる兵士や中枢卿たちを相手に、思う存分暴れまわり、戦いの内に爆ぜるように死に果てる、というような。

 リリィ・エントールは、自分の白い片手を握りしめ、おぼろげにそれをながめた。

 そのとき、広間の大扉が開く、ぶ厚い音が響きわたった。

 女帝は自然と威儀を正し、あごをこころもち上げて、そちらを見やった。

 女帝の脳裏には、何人もの、敵意をあらわにした者たちの姿が思い描かれた。

 だが現われたのは、一人の、奇妙な容姿の男だった。

 白い長衣、白い長髪。だが顔は若い。見たことのない者だ。穏やかな風貌のその男は、臆することなく、ゆっくりと近づいてくる。流れるように、死体の群れを避けながら。

 やがて男は、踏み段の下で立ちどまった。

「何者じゃ」リリィ・エントールはいった。

「わたしの名前はイド。いまはそう呼ばれています」イドは女帝を見上げ、ゆったりとした口調で答えた。

「して、イドとやら、何用じゃ」

「まず、あなたは〝日に立つ者〟のことをご存じのはず。これに間違いはありませんか?」

「リディアという娘か。たしかに、リカルドから聞き知った。もっとも、その異名と、このレガン大陸に災厄をもたらす、ということしか聞いてはおらぬが」

「災厄。そういういいかたも、あるいはできるでしょう」イドは、うっすらとほほえんだ。

「はよう、大元の用件を申すがよい」

「定めが、わたしをここに導きました」イドは答えた。「そして定めの元に、あなたもここにおられる」

 リリィ・エントールの、イドを見おろす目が光り、ふと細められた。

「……わらわと、戦う心づもりか」

「あなたは不憫なお方だ。せめて、最期はわたしが看取りましょう」

 フッと、女帝は、楽しげに笑った。そして突如、目を見開くと、腕をイドにむけて伸ばした。

 バン! と轟音が鳴りひびく。

 女帝の手から放たれた強烈な衝撃波が、イドの身体を襲う。

 だがイドは、なにごともない風に、立っていた。

 女帝の顔が、まがまがしくゆがめられる。長い黒髪が、ブワッと逆立った。

 女帝は、なにかにとりつかれたように、玉座から立ち上がった。

 そしてふたたび、片腕をイドに突きつける。

 ズバン! と、今度はさらに強い衝撃波が、イドに浴びせられる。それでもなお、イドは平然と、女帝を見あげていた。

 女帝は、荒い息を鼻から吐いた。壮絶な殺気が、その身体から立ちのぼる。

 女帝は両腕を振り上げると、喉を振り絞り、両手をイドに向けた。

 ドゴン! と、激烈な衝撃の波動が、広間全体に渡った。すでに死んで床にある男女の身体が、ことごとく肉片となって飛び散る。

 イドの白い衣服にも、死体の血や肉片が付着する。だがイドは、片手で顔をおおっただけで、無傷のまま立ちつくしていた。

「いいでしょう」

 イドは姿勢を直すと、いった。

「仕儀は成った。それゆえ、あなたには、わたしの真の姿をお目にかけよう。心するがよい、薄暮の女帝よ。わが本体、そうそう見せるものではない」

 ザワ、と、広間の空気が一変した。リリィ・エントールは、これまでに感じたことのない戦慄に、鳥肌が立った。

 イドの身体が、幻影のように揺らぐ。そして徐々に、変貌していく。

 ──!

 女帝は、顔を引きつらせ、その様に目をくぎ付けにした。

「な、なんじゃ! そなたは、それは!」

 わなわなと震える女帝。立っていることもままならず、玉座に腰が落ちる。

 ──死ぬ、か……

 それが、女帝リリィ・エントールの、最期の思いだった。

 数刻が過ぎた。

 女帝は、玉座に座り、うなだれたまま、口から血を流し、死んでいた。

 前と変わりのない姿のイドが、その前に立っている。

 見開かれたままの女帝の目を、イドはジッと見すえた。

 やがて、イドは踏み段をゆっくりと降りると、そのままの歩調で脚を進め、大扉を開き、開け放しのまま、去っていった。

 アイザレン兵や中枢卿の部隊が、この広間に押し寄せてきたのは、それからほどなくしてのことだった。


  *


 噛みしめる唇が痛い。それにもまして、痛む心。

 メイナード・ファーは、大槍を片手に握りしめ、眼下の光景に、苦悶の目をやっていた。

 虫のように群れ、宮殿になだれこんでいく者たち。

 ラザレクのあちこちで立ちのぼる、黒煙。

 この飛行艦のブリッジの窓からは、音は聞こえない。だがメイナードには、銃声や、剣を交える音、足音、怒号、そういった渾然一体の喧騒が、耳についてくる気がした。

 包帯が巻かれた腹の傷は、不思議と痛まない。自分の心の、いや、この聖都ラザレクそのものの痛みが、全身に突き刺さってくる。

 エントールは、滅びた。

 その現実を、まざまざと見せつけられている。

 そして、もうひとつの現実。

 リカルドの気配が、絶えたこと。

 それは自分をかばい、命を救ってくれたリカルドが、死んだことを意味している。

 部下の士団員たちも、ひとりとして生き残った者はいない。エントールの壊滅とともに、静導士団も、壊滅した。

 頭に浮かぶのは、キュベルカの顔。

 士団の首席隊長の大任を受けながら、アイゼン公家の呪わしい血に駆り立てられ、いまはどこでどうして、この現状を見ているのか。

 怒り、苦しみ、悲しみ。それらを超えた無常が、すこしづつメイナードの全身をひたしてゆく。

「メイナード卿、敵の飛行艦隊が近づいております」後ろの艦長が、口を開いた。「いかがなされますか」

「リターグに、針路を取りなさい」メイナードは、静かな中にも力をこめた声で、そういった。「……亡命します」

 とたんに騒がしくなったブリッジ内で、メイナードは、なおも唇をかみしめ、いつまでもはるか下方の宮殿を見つめつづけた。


 これより数時間後、ラザレクは、完全に占領された。

 南方をすべる大国エントール皇国は、こうして滅亡したのだった。


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