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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
11/142

ユーゼン公領の殺人・3

 変わり果てたユーゼン公の姿を見て、サヴァンは言葉もなかった。

 書斎の中だった。

 床に倒れたユーゼン公の横顔は、苦悶にゆがんでいた。

 その場には、執事と使用人の女が一人、そしてレダと、部屋着のままのリディア。

 リディアはあまりのことに、口もとを両手でおおっている。

 朝、七時三十分。快晴の陽光が、書斎の窓からそそがれていた。

「殿下は、いつも七時に起床なさいますので、」

 と、サヴァンに説明を求められた執事は、取り乱しながらもなんとか話をした。

「使用人が、その時間にお茶を運ぶ日課になっておりまして。今日も、この者が」と、となりで身体を震わせている使用人に顔を向けてから、「殿下のお部屋をノックしましたところ、お返事がかえってこないとのことで、わたくしに報告にきまして」

 執事は軽く咳ばらいをしてつづけた。

「殿下は、とても几帳面であられて、寝過ごされるということは考えられませんので、わたくしもノックしまして。それでもお返事がありませんので、ドアを開けましたら、いらっしゃいませんで。それで、すぐ二人で手分けをしてほかの部屋をさがすうちに、この者が、このようなお姿を発見しまして……」

 そして、その使用人の叫び声を聴いたレダが、リディアを起こし、二人は警戒しつつ一階に降り、この現場に行き当たって、レダはあわててサヴァンを起こしにいった、というわけだった。

 ──いったい、どうしてこんなことに。

 サヴァンは力なく首を横に振って、とりあえず書斎を見まわした。

 大きな部屋で、壁一面が豪華な書棚になっている。

 中央にはテーブルをはさんでソファーが二つ。テーブルには、ワインとチーズが置いてある。

 奥の、テラスに通じる大窓は開け放たれていて、朝のすずしい空気が感じられる。

 そしてその空気にもまぎれない、コーヒーの強い香り。

 サヴァンはいぶかしそうに、ユーゼン公の死体に目をやった。

 死体は、入り口とソファーの間に倒れていた。口もとには血の筋が見える。そして伏せられた手の下には、挽いたコーヒー豆が入った袋があり、そこから中身が飛びだして散乱しているのだった。

 ──本当に、これはコーヒーでも飲んで頭を働かせないと。

 とサヴァンは思った。

 へたをしたら、おれたちは、このユーゼン領から出られなくなるぞ。


 書斎から応接室に移動すると、一同はソファーに腰を下ろし、それからしばらくは、使用人のすすり泣きの声だけが聴こえていた。

「それで、警察には連絡したんですか?」

 やがて、サヴァンが執事にたずねた。

「いえ、いたしておりません」

 サヴァンは目を丸くした。

「なぜ?」

「リーン殿下から、内々に処置するように、とおおせつかりまして」

 そういうと、執事は自分で納得するように何度かうなずいた。

「昨日の特使のこともありますので、万が一、この件が政治の問題になりますと、いまの時期には支障が大きすぎると、わたくしもそう判断いたします」

 おいおい、と、サヴァンは胸の内でつぶやいた。

 万が一もなにも、この件はもう、政治の問題だ。このまま自分たちが知らん顔でラザレクに行ったあとで、ユーゼン公の死が実は暗殺だった、なんてうわさがたったら、リディアどころか、リターグにまで影響がおよぶ。冗談じゃない。

「それで、リーン殿下はどちらに?」

 とサヴァンはたずねた。とにかく、すぐに公爵夫人と会って、気持ちを変えさせないと。

「殿下はご気分を悪くされて、ご寝室でお休みになられております。侍医がまもなく到着する予定です」

 うーん、と、サヴァンは思わず苦い声をあげた。その直後、使用人の女も気分が悪いと訴え、執事に付き添われて、応接室をあとにした。

 残されたのは、サヴァン、レダ、リディアの三人だけだった。

「どうする?」レダがサヴァンにいった。「一度、局長に連絡するか?」

「いや、だめだ」とサヴァンは答えた。

「内々に、とリーン殿下がいっている以上、こっちも勝手に話を広められない」

「その〝内々〟の意味がわからないぞ」とレダがいった。

「このまましばらく死んだことを隠すのか、自然死ってことで公表するのか、それとも……」

 おれたちをダシに使うのか、だろ。

 サヴァンは心の中で答えて、考えこんだ。

 うわさが流れる以前に、名目上でも拘留なんかされれば、それだけでおれたち三人のラザレクでの立場が変わってくる。

 最悪、ここの連中が、おれたちを殺して犯人に仕立てあげようなんてやけっぱちを起こしたら、リターグとエントールの軍事同盟が破棄される可能性だってあるんだ。

 サヴァンはまたひと声うなって、目を閉じ、眉間を指でもんだ。

 地雷の上に乗ってるようなものだ。それを解除できるのは、いまのところ、リーン殿下しかいない。おれたちは身動きがとれない。

「……あの、」

 ふいに、それまで黙っていたリディアが口を開いた。

「シャブロウさんは、やはり、殺された、と見てよいのでしょうか」

「まあ、まず他殺でしょう」サヴァンは、事態の悩ましさのほうに気を取られながらも答えた。

「そうですよね」とリディアはいって、こうつづけた。

「あの、わたくしは、その内々にというのは、犯人を知っているから、という風に、なんとなく受け取ったのですけど」

「で?」とレダがうながした。

「もし、リーンさんが犯人をご存じなら、わたくしは、なんとしてもそれを知りたい」そう答えると、リディアはほんの少し間を取ってからつづけた。

「それができなければ、わたくしは自分の力で、あのかたを殺した犯人を見つけたい。ご恩に報いないまま、ここを去りたくありません」

 レダがニヤリとした。いうじゃないか、という表情だ。

 サヴァンは、ひとつ大きく息を吐いた。

 しかたない。地雷の上に立ちつくすだけが能じゃない。少しかがんで、雷管のぐあいをさぐるくらいのことは、してみるべきだろう。

 なにせその雷管は殺人だ。時間がたつほど解除が難しくなる。

 地雷というよりは、時限爆弾か。

 サヴァンはソファーから立ち上がった。そして心を決めたサヴァンの意識が、ようやく、部屋にただよう甘ったるい匂いに向いた。

 言葉を待つレダとリディアに、サヴァンはいった。

「ふたりとも、香水つけすぎだ」


   *


 着替えのためにリディアが部屋に戻り、レダもそれに付き添ったので、ひとりになったサヴァンは、とりあえず現場の書斎に行ってみることにした。

 書斎はシンと静まりかえっていて、中には誰もいなかった。

 もちろん、シャブロウ二世をのぞいてだ。

 その顔には、サヴァンが思わず顔をしかめて目をそむけるほど、おそろしい苦しみがきざまれている。

 生前のあのおだやかな顔を知っていれば、なおさら衝撃は大きい。

 サヴァンはため息をついて、奥の窓際に歩いていった。

 窓の先のテラスには、変わったところはない。靴跡なども見当たらない。さわやかな風が、顔をなでるだけだ。でもとにかく、テラスから侵入することは難しくはなさそうだ。

 サヴァンは窓を離れ、今度はソファーのほうに向かった。

 自然と目につくのは、テーブルのワインとチーズだ。

 ワインの入ったボトルが一つと、飲みかけのグラスが二つ。

 そして、直径十五センチくらいの、ホール・チーズが皿に一つ。

 それは一ヶ所がうすく切り取られているだけで、まだほとんど丸ごと残っている。

 小さい皿も一つ、空のまま置いてある。

 たぶん切ったチーズを置く皿だったのだろう、と考えながら、サヴァンはなにげなくホール・チーズに触れた。

 硬い。

 ためしにノックをするようにたたいてみると、ものすごく硬い。

 見れば、チーズ全体が、なにかロウのようなものでコーティングされている。

 腐食をふせぐためだったかな、とサヴァンはおぼつかない記憶をたどり、ふと切られている部分に目をやった。

 片側のカットの断面が荒い。そこだけけずりとったような感じだ。ナイフはチーズの横に置かれていた。

 次にサヴァンが、まだコーヒーの匂いにつつまれているシャブロウ二世の死体を検分しようと、こわごわ足を踏み出したとき、執事が入ってきた。

 執事は驚いた顔をしたが、すぐにまた元のいんぎんな表情に戻った。

「侍医が参りましたので」と執事はいった。「殿下の死因も、確認していただこうかと」

「そうですか」

 部屋に、少しのあいだ沈黙がおりた。

「……昨日の、特使のことですけど」

 やがて、サヴァンはたずねた。

「素性ははっきりしていたんですよね?」

「ええ」と執事は答えた。「お立場上、シャブロウ殿下は、来客にはお気をつけるようになさってましたので、殿下が中に通されたということは、はっきりした身元ということになります」

「では、エイゼンの特使にまちがいない、と」

「そうなりますな」

 また沈黙がはさまった。

 エイゼンの名前がからんでくると、手詰まりだ、とサヴァンは考えた。軽々しく干渉できない。

 第一、ユーゼン公の死因も、まだはっきりしていないのだ。もしかしたら、自然死という可能性だって、絶対にないとはいいきれない。

「……リーン殿下のご容体は、いかがですか?」

 そうたずねたサヴァンの口調はさりげなかったが、内心はあせっていた。

 ──戦争だって続いているんだ。こんなことをしているうちに、ハイドスメイが陥落でもしたら、大変なことになる。

 早く公爵夫人と話をしなければ。リディアがいうように、犯人の見当がついているのかどうか、まずはそこから探りを入れないと。

「だいぶ、落ち着かれたご様子で」と、執事はサヴァンの質問に答えた。「ですが、なにぶんこのようなことになりましたので……」

 途方に暮れて言葉を切った執事に、サヴァンはうなずいた。

 シャブロウ二世も若かったけど、夫人はもっと若く見える。自分やレダより二、三歳上、というくらいの印象だ。その分、ショックも大きいだろう。普通ならば。

 ──そう、普通ならば。

 サヴァンは、シャブロウ二世の死体に目をやりながら思った。

 なんといっても、あの人はユーゼン公爵夫人だ。ユーゼン公の死によって得る遺産は少なくないだろう。事件を内密にしようとする姿勢も、当然気にかかる。

 サヴァンは執事との会話を切り上げると、書斎を出た。

 夫人について、執事に聞きたいことはいくらでもある。でもよくよくタイミングを見ないと、冒涜と受け取られかねない。そしていまは、そのタイミングじゃない。

 サヴァンは静まりかえっている屋敷の階段を、重い足取りで上がっていった。


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