聖都動乱・7
「メイナードを退けるか」リカルドはコーデリアを見すえて、いった。「ただの団員ではないな。名を聞いておこう」
「名前なんか、どうでもいいのよ」おぼろげに、コーデリアが答えた。「あなたの名前も、どうでもいい。聞きたくないの、そんなこと」
研ぎ澄まされた細い気配が、横一線に伸びる。
リカルドは直後に剣を払い、そのコーデリアの凶刃の衝撃波をかき消した。
横にいるルケは、二人のやりとりを意に介さないように立ち、まだ指を伸ばしていた。しかし、それはリカルドにではなく、今度はルケの前方にうずくまる士団員たちを指している。
リカルドの全身から、すさまじい気が立ちのぼる。通常の者ならば卒倒しそうなほど、強烈な殺気だった。
パッ、とリカルドの身体が消える。次の瞬間、リカルドはコーデリアの眼前にいた。
頭上に迫る剣を、自分の剣で受けるコーデリア。
だが力の差は歴然だった。コーデリアの剣は、見る見るうちに押し込まれる。
コーデリアは顔をしかめ、飛びすさった。
リカルドの激烈な気迫が、周囲の空気を逆巻かせる。
「グウァァアア!」
狂乱に取りつかれた卿団員が数人、リカルドに打ちこんでいく。
コーデリアの目には、リカルドは少しも身体を動かしていないように見えた。
だが、攻撃をしかけた卿団員たちは、ことごとく一刀両断され、血を噴き出させ、臓物を飛び散らせながら、地に落ちる。
その無残な有様も、コーデリアの心には響かなかった。大陸最強の剣士といわれるリカルドに、いままさに討ち取られようとしている自分が、心も身体も、どこか遠いところにあるように思われた。
──それじゃあ、いったいあたしは、なんなのかしら。
白く、茫漠とした想いが、コーデリアの心をひたしていく。
想いに沈みこんだコーデリアは、ふっと気を抜いた。
それを見てとったリカルドが、戦いに決着をつけるべく、前かがみになって身構える。
「おいおい待てよ、リカルド」
突如、コーデリアの横に、ルケが立っていた。
「おまえの相手は、こいつじゃない。おれだ」
「貴様の精神攻撃になど、まどわされるわたしではないぞ」
「おや、そうかな?」ルケは、ニヤリと笑みを見せた。
そのときだった。
リカルドの背後にいる、味方であるはずの士団員たちが、立ちあがる間も惜しいといった様子で、リカルドを目がけて、突進した。
叫び声をあげ、目を血走らせ、汚れきった士団員たち。その剣先が、リカルドの背中に突きかかる。
コーデリアは、おぼろげに思いかえした。自分がリカルドと立ち合っている間に、士団員を指さし、なにかぶつぶつと文言をとなえていたルケ。
──そう、あなた器用な人ね、ルケ・ルクス。
リカルドに迫るいくつもの剣。いかに錯乱状態にあるとはいえ、全員、一騎当千の強者たちだ。避けられない。リカルドであっても、不意を突いた味方の、真後ろからの攻撃は、受けようがない。
コーデリアは、うつろな心の中で、リカルドの胸から無数の剣が突き出るさまを、その苦痛の表情を思い描いた。
──!
コーデリアは、やにわに正気に立ちかえった。
自分の隊長を貫いているはずの、士団員の剣。それは、なにか見えないものにさえぎられ、硬直している。
一陣の旋風が起こる。
コーデリアの目には、依然リカルドは、一歩も動いていないように見えた。
しかしリカルドの背後の士団員たちは、それぞれ深く斬りつけられ、いっせいに倒れていく。
「いったはずだ」リカルドが口を開いた。「貴様の精神攻撃に、まどわされるわたしではないと」
「卑怯じゃねえか、おっさん」ルケの声が、憎々しいものに変わった。「機械の力を借りやがって。大陸最強が聞いてあきれるぜ」
──機械?
コーデリアはその言葉を耳にして、リカルドを注視した。
チリチリと、青い線がリカルドの背中付近を走っている。それは電流のようにうごめくと、やがて色を失った。
──防護シールド?
「貴公に、卑怯うんぬんをいわれる筋合いはない」厳然として、リカルドはいった。「もとより本意ではないが、貴公の流儀に合わせたまでのこと。貴公にとって立ち合いとは、遊興にすぎないようだな」
「なんでも、楽しむに越したことはないぜ」ルケはまた不敵な笑みを見せると、ギラリとリカルドをにらみつけた。
「ならば、楽しみながら死ぬがいい」
ザッ、と、リカルドは脚を一歩踏み出すと、ルケの方向に剣を振り下ろした。
強烈な斬撃が、武器を持たないルケの身体を縦に割る。一刀両断されたルケが、ピクリとほほをけいれんさせた。
だが、血しぶきは飛ばない。ルケの身体は霧のように、ゆらりと真っ二つのまま、しばらくただよい、やがてまた、元の立ち姿に戻った。
「幻視か」リカルドがつぶやいた。「どこまでも、人を食う男だ」
「アッハハハハ!」ルケの笑い声が立ちのぼる。
「おれを斬れるやつなんて、だーれもいないのさ」
「ほう、そうかな」
ふいに、リカルドは剣をさやにおさめた。
──いまなら。
意を決したコーデリアだったが、なぜか身体が動かない。剣を振るうつもりはあるのに、どうしてもそれを拒む、戦慄があった。
リカルドの、ざわりとした冷気。身がすくむ。ひざが震える。
ふっと、コーデリアの脳裏に、顔が浮かんだ。
──エアハルト……
切り替わるエアハルトの姿。笑い、怒り、戦い、傷つき、また笑う。……エアハルトの笑顔。
コーデリアの全身に、熱いものがほとばしった。
リカルドの手が、おもむろに、おさめた剣の柄にかかる。
……クッ!
コーデリアは、とっさに自分の剣を構えた。
巨木の枝葉がとどろいた。と思う間に、リカルドの手は、ふたたび剣の柄から離れていた。
静寂。
「……てめぇ」
ルケが、ふりしぼるような声を出した。その姿は、胴から両断された状態で、揺らいでいる。しかし先ほどのように、身体が元に戻らない。上半身と下半身が、ゆらゆらと煙のようにたゆたい、薄れていく。
「貴様の心、斬らせてもらったぞ」
「……なめたまねしやがって」
その声と同時に、ルケの身体が掻き消えた。
──死んだ? まさか、あの死んでも死なないような男が?
コーデリアはそう不審げに思いながらも、自分の身体の痛みに、唇をかみしめた。
首元に、深い切り傷。ほとばしる血が、折れて地に落ちた剣の刃にふりかかる。
言語を絶する、リカルドの斬撃だった。
コーデリアは、力の抜けた両ひざを地に付けて、うなだれた。
「これは驚いた」
リカルドの声が響く。「おれの居合いを受けて、まだ生きているとは。……女、最期にもう一度聞く。名乗るつもりはないか」
荒い息をつくコーデリアの喉元に、血がせり上がる。
──疲れるのよ、あなたの声。聞きたくないのよ、もうなにも。
リカルドが、ゆっくりと近づいてくる。その足音すら、死の間際にも嫌気がさす。
もういい。エアハルトが、生きてさえいるなら、もういい。
リカルドは、コーデリアの真横に立つと、剣を抜いた。
「……これまでだ」
観念したコーデリアは、血を吐き出しながら、長い息を吐いた。
リカルドはコーデリアの、ひざまずきうなだれた首に、剣を振り上げた。
そのときだった。
まっすぐ、歩いてくる者の気配がした。
リカルドはとっさにそちらに顔をやり、コーデリアから剣を引いた。
リカルドは、きつく眉根を寄せた。
ひとりの少女が、道をやってくる。
黒いマントで全身を包み、引きつめて後ろに束ねられた長い黒髪が、歩く動作に呼応して、左右に揺れている。
リカルドはまるで魅入られたように、その闖入者を見つめた。
意識を失ったコーデリアが、どさりと地面に倒れる。
やがて少女は、リカルドと間合いを取って、立ち止まった。
「……何者だ」リカルドは、ただならない気配の少女に、警戒をこめた声でいった。
「我はニド。ここではそう呼ばれている」少女の声は、幼いが、凛としていた。
「何用だ」
「苦労をかけたな、リカルド・ジャケイ」リカルドの問いには答えずに、ニドはいった。
本能的に、リカルドはニドに剣を差し向けた。
だが、そこにはすでに、ニドの姿はなかった。
リカルドは、驚愕から目を見開いた。
いつのまにか、ニドが自分の胸元にいる。
そして、硬く、鋭い痛みが、胸に走る。
「大儀であった」
リカルドの胸から、ニドの剣が引き抜かれる。
リカルドの視界がかすむ。
消えゆこうとする意識の中で、さまざまな思いが錯綜する。目だけは、なおも鮮やかに、その少女を写し取っている。
やがて、視界がかたむく。めまぐるしく明滅する、過去の光景。そのどこにも、どの記憶にも、この少女の断片はなかった。
──誰だ。誰だ……
ニドの足元に倒れたとき、リカルドは、すでに事切れていた。
「出てくるがよい、そこの男」ニドがいった。
木々の間から、一人の男が現われる。警戒した足取りで、男はゆっくりとニドのほうに歩いていく。
「なんだ、てめぇ?」その男、ルケ・ルクスは、敵意をあらわにしていった。
「この女、そなたの仲間であろう? まだ間にあう。連れ帰り、手当てをするがよい」ニドは尊大にそういった。
ニドの流し目と、ルケの鋭い目が交錯する。
「『知事』か? ……いや、ちげぇな。マッキーバを狙った、ガキどもの仲間だろ」
「この場はもはや、静まった」ニドは視線を外すと、ルケに背を向けた。「去るがよい」
そうして、もと来た道を歩いていくニドを、ルケはぎらついた目で凝視した。
すーっと、ルケの目から一本の線が降りた。それは涙ではなく、血だった。
「クソ、限界か」ルケは無造作に、その目から流れ出た血をぬぐった。
あたりに散る、無数の肉塊。血だまり。主をなくした剣。それらを踏みしだき、ルケは倒れているコーデリアのもとに、歩を進めていった。
市街地の砲声は、さきほどよりも遠ざかっていた。
それは、アイザレン軍が、ラザレクの奥にまで侵攻したことの証だった。




