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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
109/142

聖都動乱・7

「メイナードを退けるか」リカルドはコーデリアを見すえて、いった。「ただの団員ではないな。名を聞いておこう」

「名前なんか、どうでもいいのよ」おぼろげに、コーデリアが答えた。「あなたの名前も、どうでもいい。聞きたくないの、そんなこと」

 研ぎ澄まされた細い気配が、横一線に伸びる。

 リカルドは直後に剣を払い、そのコーデリアの凶刃の衝撃波をかき消した。

 横にいるルケは、二人のやりとりを意に介さないように立ち、まだ指を伸ばしていた。しかし、それはリカルドにではなく、今度はルケの前方にうずくまる士団員たちを指している。

 リカルドの全身から、すさまじい気が立ちのぼる。通常の者ならば卒倒しそうなほど、強烈な殺気だった。

 パッ、とリカルドの身体が消える。次の瞬間、リカルドはコーデリアの眼前にいた。

 頭上に迫る剣を、自分の剣で受けるコーデリア。

 だが力の差は歴然だった。コーデリアの剣は、見る見るうちに押し込まれる。

 コーデリアは顔をしかめ、飛びすさった。

 リカルドの激烈な気迫が、周囲の空気を逆巻かせる。

「グウァァアア!」

 狂乱に取りつかれた卿団員が数人、リカルドに打ちこんでいく。

 コーデリアの目には、リカルドは少しも身体を動かしていないように見えた。

 だが、攻撃をしかけた卿団員たちは、ことごとく一刀両断され、血を噴き出させ、臓物を飛び散らせながら、地に落ちる。

 その無残な有様も、コーデリアの心には響かなかった。大陸最強の剣士といわれるリカルドに、いままさに討ち取られようとしている自分が、心も身体も、どこか遠いところにあるように思われた。

 ──それじゃあ、いったいあたしは、なんなのかしら。

 白く、茫漠とした想いが、コーデリアの心をひたしていく。

 想いに沈みこんだコーデリアは、ふっと気を抜いた。

 それを見てとったリカルドが、戦いに決着をつけるべく、前かがみになって身構える。

「おいおい待てよ、リカルド」

 突如、コーデリアの横に、ルケが立っていた。

「おまえの相手は、こいつじゃない。おれだ」

「貴様の精神攻撃になど、まどわされるわたしではないぞ」

「おや、そうかな?」ルケは、ニヤリと笑みを見せた。

 そのときだった。

 リカルドの背後にいる、味方であるはずの士団員たちが、立ちあがる間も惜しいといった様子で、リカルドを目がけて、突進した。

 叫び声をあげ、目を血走らせ、汚れきった士団員たち。その剣先が、リカルドの背中に突きかかる。

 コーデリアは、おぼろげに思いかえした。自分がリカルドと立ち合っている間に、士団員を指さし、なにかぶつぶつと文言をとなえていたルケ。

 ──そう、あなた器用な人ね、ルケ・ルクス。

 リカルドに迫るいくつもの剣。いかに錯乱状態にあるとはいえ、全員、一騎当千の強者たちだ。避けられない。リカルドであっても、不意を突いた味方の、真後ろからの攻撃は、受けようがない。

 コーデリアは、うつろな心の中で、リカルドの胸から無数の剣が突き出るさまを、その苦痛の表情を思い描いた。

 ──!

 コーデリアは、やにわに正気に立ちかえった。

 自分の隊長を貫いているはずの、士団員の剣。それは、なにか見えないものにさえぎられ、硬直している。

 一陣の旋風が起こる。

 コーデリアの目には、依然リカルドは、一歩も動いていないように見えた。

 しかしリカルドの背後の士団員たちは、それぞれ深く斬りつけられ、いっせいに倒れていく。

「いったはずだ」リカルドが口を開いた。「貴様の精神攻撃に、まどわされるわたしではないと」

「卑怯じゃねえか、おっさん」ルケの声が、憎々しいものに変わった。「機械の力を借りやがって。大陸最強が聞いてあきれるぜ」

 ──機械?

 コーデリアはその言葉を耳にして、リカルドを注視した。

 チリチリと、青い線がリカルドの背中付近を走っている。それは電流のようにうごめくと、やがて色を失った。

 ──防護シールド?

「貴公に、卑怯うんぬんをいわれる筋合いはない」厳然として、リカルドはいった。「もとより本意ではないが、貴公の流儀に合わせたまでのこと。貴公にとって立ち合いとは、遊興にすぎないようだな」

「なんでも、楽しむに越したことはないぜ」ルケはまた不敵な笑みを見せると、ギラリとリカルドをにらみつけた。

「ならば、楽しみながら死ぬがいい」

 ザッ、と、リカルドは脚を一歩踏み出すと、ルケの方向に剣を振り下ろした。

 強烈な斬撃が、武器を持たないルケの身体を縦に割る。一刀両断されたルケが、ピクリとほほをけいれんさせた。

 だが、血しぶきは飛ばない。ルケの身体は霧のように、ゆらりと真っ二つのまま、しばらくただよい、やがてまた、元の立ち姿に戻った。

「幻視か」リカルドがつぶやいた。「どこまでも、人を食う男だ」

「アッハハハハ!」ルケの笑い声が立ちのぼる。

「おれを斬れるやつなんて、だーれもいないのさ」

「ほう、そうかな」

 ふいに、リカルドは剣をさやにおさめた。

 ──いまなら。

 意を決したコーデリアだったが、なぜか身体が動かない。剣を振るうつもりはあるのに、どうしてもそれを拒む、戦慄があった。

 リカルドの、ざわりとした冷気。身がすくむ。ひざが震える。

 ふっと、コーデリアの脳裏に、顔が浮かんだ。

 ──エアハルト……

 切り替わるエアハルトの姿。笑い、怒り、戦い、傷つき、また笑う。……エアハルトの笑顔。

 コーデリアの全身に、熱いものがほとばしった。

 リカルドの手が、おもむろに、おさめた剣の柄にかかる。

 ……クッ!

 コーデリアは、とっさに自分の剣を構えた。

 巨木の枝葉がとどろいた。と思う間に、リカルドの手は、ふたたび剣の柄から離れていた。

 静寂。

「……てめぇ」

 ルケが、ふりしぼるような声を出した。その姿は、胴から両断された状態で、揺らいでいる。しかし先ほどのように、身体が元に戻らない。上半身と下半身が、ゆらゆらと煙のようにたゆたい、薄れていく。

「貴様の心、斬らせてもらったぞ」

「……なめたまねしやがって」

 その声と同時に、ルケの身体が掻き消えた。

 ──死んだ? まさか、あの死んでも死なないような男が?

 コーデリアはそう不審げに思いながらも、自分の身体の痛みに、唇をかみしめた。

 首元に、深い切り傷。ほとばしる血が、折れて地に落ちた剣の刃にふりかかる。

 言語を絶する、リカルドの斬撃だった。

 コーデリアは、力の抜けた両ひざを地に付けて、うなだれた。

「これは驚いた」

 リカルドの声が響く。「おれの居合いを受けて、まだ生きているとは。……女、最期にもう一度聞く。名乗るつもりはないか」

 荒い息をつくコーデリアの喉元に、血がせり上がる。

 ──疲れるのよ、あなたの声。聞きたくないのよ、もうなにも。

 リカルドが、ゆっくりと近づいてくる。その足音すら、死の間際にも嫌気がさす。

 もういい。エアハルトが、生きてさえいるなら、もういい。

 リカルドは、コーデリアの真横に立つと、剣を抜いた。

「……これまでだ」

 観念したコーデリアは、血を吐き出しながら、長い息を吐いた。

 リカルドはコーデリアの、ひざまずきうなだれた首に、剣を振り上げた。

 そのときだった。

 まっすぐ、歩いてくる者の気配がした。

 リカルドはとっさにそちらに顔をやり、コーデリアから剣を引いた。

 リカルドは、きつく眉根を寄せた。

 ひとりの少女が、道をやってくる。

 黒いマントで全身を包み、引きつめて後ろに束ねられた長い黒髪が、歩く動作に呼応して、左右に揺れている。

 リカルドはまるで魅入られたように、その闖入者を見つめた。

 意識を失ったコーデリアが、どさりと地面に倒れる。

 やがて少女は、リカルドと間合いを取って、立ち止まった。

「……何者だ」リカルドは、ただならない気配の少女に、警戒をこめた声でいった。

「我はニド。ここではそう呼ばれている」少女の声は、幼いが、凛としていた。

「何用だ」

「苦労をかけたな、リカルド・ジャケイ」リカルドの問いには答えずに、ニドはいった。

 本能的に、リカルドはニドに剣を差し向けた。

 だが、そこにはすでに、ニドの姿はなかった。

 リカルドは、驚愕から目を見開いた。

 いつのまにか、ニドが自分の胸元にいる。

 そして、硬く、鋭い痛みが、胸に走る。

「大儀であった」

 リカルドの胸から、ニドの剣が引き抜かれる。

 リカルドの視界がかすむ。

 消えゆこうとする意識の中で、さまざまな思いが錯綜する。目だけは、なおも鮮やかに、その少女を写し取っている。

 やがて、視界がかたむく。めまぐるしく明滅する、過去の光景。そのどこにも、どの記憶にも、この少女の断片はなかった。

 ──誰だ。誰だ……

 ニドの足元に倒れたとき、リカルドは、すでに事切れていた。

「出てくるがよい、そこの男」ニドがいった。

 木々の間から、一人の男が現われる。警戒した足取りで、男はゆっくりとニドのほうに歩いていく。

「なんだ、てめぇ?」その男、ルケ・ルクスは、敵意をあらわにしていった。

「この女、そなたの仲間であろう? まだ間にあう。連れ帰り、手当てをするがよい」ニドは尊大にそういった。

 ニドの流し目と、ルケの鋭い目が交錯する。

「『知事』か? ……いや、ちげぇな。マッキーバを狙った、ガキどもの仲間だろ」

「この場はもはや、静まった」ニドは視線を外すと、ルケに背を向けた。「去るがよい」

 そうして、もと来た道を歩いていくニドを、ルケはぎらついた目で凝視した。

 すーっと、ルケの目から一本の線が降りた。それは涙ではなく、血だった。

「クソ、限界か」ルケは無造作に、その目から流れ出た血をぬぐった。

 あたりに散る、無数の肉塊。血だまり。主をなくした剣。それらを踏みしだき、ルケは倒れているコーデリアのもとに、歩を進めていった。

 市街地の砲声は、さきほどよりも遠ざかっていた。

 それは、アイザレン軍が、ラザレクの奥にまで侵攻したことの証だった。


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