表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
107/142

聖都動乱・5

 斧を持ち、狂気の喜悦を顔に張りつけたミド。その背後で、けわしい表情で、口を引き結ぶシド。一歩一歩、近づいていくエンディウッケ。エンディウッケは、前に伸ばした片手で、すばやく印を結ぶ。シドの眉根が寄る。ミドの身体はいまにも躍動し、エンディウッケに打ちかかろうとしている。

 シドの脳裏に、テッサでの戦いがよみがえる。壮絶な精神攻撃。身体が溶けるような、おそろしい体験。

「ミド、距離を取ろう!」

 シドがそう叫んだときだった。

 エンディウッケが、片足のつま先を地に着け、トントン、とたたいた。

 そして、バッ、と両腕を開いた。

 ミドとシドの視界が揺らぐ。

 ……クッ、しまった!

 シドの視界が逆巻く。全身が空気に四散するような、弛緩の感覚。

 取りこまれる!

 そう思った直後、シドとミドの目は、同時に白んだ。



 白い部屋。

 まばゆいばかりの白い部屋に、シドはうずくまっていた。

「ああ、白い!」

 シドは、なぜかむせび泣きそうになる。

 その白い部屋の床が、徐々にひだを作っていく。やがて、ひだの間から、長い毛におおわれた白い猫が無数に湧き出てくる。

「風景ガ行クヨ」猫たちは、口々に金切り声でそう叫ぶ。

 シドは絶望する。

「置いていかないで!」シドは懇願する。

 すると無数の猫たちが、たちまち床のひだに吸いこまれる。

「他ノ者ハ消エロ」しわがれ声で、ひだがいう。

 ぼくは、他の者なのか?

 にわかに疲労を感じたシドは、立ちあがると、ひだを踏みつける。そして部屋の窓の外を見る。

 海が広がっている。遠くの海岸で、白い衣服に身を包んだ少女が、地に倒れている老婆に斧を振り下ろしている。何度も何度も、少女は腕を大きく振り上げ、その動作を繰りかえす。

 帰らなきゃ。シドは思う。でも、どこへ?

 シドはふと振りかえる。そこには、天井にまで届く、巨大な白いコオロギがいる。

「あなたの猫は元気ですか?」コオロギが、澄みわたるような声でいう。「わたしの猫は元気です。あなたの猫は元気ですか?」

 シドはとっさに窓の方を向く。

 遠くの少女が、斧を何度も空中に振り下ろしながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 ああ!

 シドはたちまちひざまずき、両手を合わす。

 コンコン、と窓をたたく音がする。シドは起きあがると、窓を開ける。少女は流れるように大きくまたいで部屋の中に入ってくる。

「耕さなきゃ、耕さなきゃ。あなたの身体を耕さなきゃ」少女が早口でいう。「わたしはお医者さんです。わたしはお医者さんです」

 そして突然はじかれたように笑い出し、「お医者さん! お医者さん!」と連呼する。

 ギャアアアアア! とコオロギが叫ぶ。いつのまにか、少女がコオロギに火をつけている。

 巨大なコオロギは、その真っ白い身体を、見る見るうちにどす黒く焦がされていく。

「名前がないのよ!」突然少女がカッと目を見開き、憤怒の形相でシドをにらみつける。「名前を返して! 名前を返して! 返して! 返してよ! 返せ! かえせ! カエセ!」

 少女が怖ろしい顔つきで、斧を振り下ろしながら近づいてくる。

 シドは泣き笑いを浮かべる。

 カエセ! カエセ! カエセ! カエセ!

 少女は狂ったようにわめきながら、シドの頭上に斧を振り上げる。

「そうだ、ミド! きみの名前は、ミド!」

「ミド?」少女は斧を地に降ろし、不思議そうな顔で問いかける。

「わたしの名前は、ミド?」

「ミド、ミドだよ。きみの名前は、ミド」

「ああ、うれしい」少女は感涙にむせび、口をおおいながら声を震わせていう。

「そうだわ、そうだわ、わたしの名前、わたしの名前」

 そして気を取り直したように少女は姿勢を正し、ひざを軽く曲げておじぎをすると、「はじめまして、わたしの名前は、ミドです」

 シドはとたんに恐慌におちいり、失禁する。身体の震えが止まらない。

 クスクスクス、と少女がいたずらっぽく笑う。はじかれたように、シドも笑いをもらす。

 笑い声。ふたりの笑い声は徐々に高まっていき、それはけたたましく重なりあう。シドは目にも止まらない速さで、頭を上下させる。少女もそれに負けじと、斧を何度も何度も床に振り下ろす。

 ひだが苦痛の叫び声をあげる。

 ミドはハッと気を取り直す。

 目の前に、少女が立ちつくしている。彼女は泣いている。

 シドはおもむろに、少女のもとに足を踏みだす……



 両手両ひざを地に着け、恐慌から眼球が震えるミドとシド。

 ミドがたまらず、胃の中のものを吐く音がする。

 エンディウッケは二人の前に、すっくと立ちつくしている。

 やがて訪れるかれらの精神の崩壊。それを淡々と見守る、そんな表情だ。

 が、そのとき、シドがふらりと立ちあがる。ブレザーは土に汚れ、綺麗な髪は汗にまみれている。

「グウアァァ!」

 シドは呪縛を解き放つように叫び、頭を激しく振る。そして、おもむろに肩をいからせる。

 ズン! という音さえ聴こえそうな、強烈な波動が沸き起こる。

 ──は!

 エンディウッケが驚く間に、波動はエンディウッケの身体を取りこむ。

 強烈な圧力。地面に押しつぶされそうな、とてつもない力。

 エンディウッケの身体がよろけ、後ずさる。

 ──あたしの精神攻撃を、抜けた?

 重圧が身体を襲う。すでにミドも気力を取り戻して、口についた汚れを無造作に手の甲で拭いてから、狂気をおびたような目で、エンディウッケをにらんでいる。

「てめえ、まじ殺すから」

 ミドの口から、声が漏れる。

 瞬間、ミドの身体が、すこし前にいるエンディウッケに突進した。片手の斧が、エンディウッケの頭部に向けられている。

 ギィン、と、刃と刃の交わる音が鳴り響いた。

 我を忘れたように立ちつくすエンディウッケ。その頭ギリギリのところで、斧と剣が、せめぎ合う。

「へえ、おっさん、やるじゃん」

 ミドは、ゴドーとリクドーの死体にちらっと目をやって、ニタリと笑った。

 ──テッサではこの少女に押されたが、さすがにエンディの精神攻撃を受けた直後では、思うように力を出せないようだな。

 間一髪で止めにはいったマッキーバは、すばやく考えた。

 問題は、あの少年だ。奇妙な力。これもエンディの攻撃のおかげで、弱まってはいるが、それにしても、この重圧はどうだ。気を抜くと、ひざが地に折れる。

「ウラアァァ!」

 ミドの斧が、今度はマッキーバを襲う。受けるごとに、マッキーバの体勢が崩れる。

 ──くそ、怒りのせいか、あるいは恐怖の反動か。徐々にこの少女の攻撃が、重く、鋭くなってきている。

 早めに決着をつけないと。……だが。

 ──討てるか、おれは、こんな年端もいかない子どもを?

 躊躇、動揺、そして重圧による苦痛。

 マッキーバはミドと何度も刃をまじえながら、自分がいまどうすればいいのか、判断がつかないでいた。

 と、ふいに、すっと身体が軽くなった。

 どさ、と倒れこむシド。

 ──いまだ。

 マッキーバは、あらんかぎりの力をこめて、目の前のミドに突きを見舞おうとした。

 スキをつかれ、目を見開くミドの顔が、マッキーバの目に飛びこんでくる。

 そして同時に、同じ年頃のエンディウッケの、無邪気な喜怒哀楽の模様が、脳裏を過ぎ去る

 ミドの喉元にあてられた剣先が、止まった。

 それを見て、ミドがすばやく後ろに引いた。ミドは昏倒しているシドを片腕で軽々と持ち上げ、エンディウッケとマッキーバに、交互に斧を向けてけん制した。

「また遊んでやるよ、おまえら」

 不敵に歯を見せて笑ったミドは、シドをかついだまま、フッと姿を消した。

 風が渡る。遠い砲声が、静寂の広場に届く。

 エンディウッケの身体がかたむいた。マッキーバがそれを受けとめると、エンディウッケは、すでに気を失っていた。

 マッキーバは周囲を警戒しながら、元からの疑問を呼びおこした。

 ──何者なんだ、この死んだ二人も、さっきの子どもたちも。

 乗ってきた黒い飛行艇が近づいてくる。

 マッキーバは、無意識に、その音のする上空に顔を向けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ