聖都動乱・3
「やったやった!」
少女の嬉々とした声がする。同時に、ガチャッと重い撃鉄を起こす音が聴こえる。
高い建物の屋上のへりに、その少女は寝そべっていた。少女の前には、自分の身体よりも大きいスナイパー・ライフルが、トライポッドに乗せられて置かれている。
「死んじゃえ死んじゃえ」
少女ナードは、白いキャンディ・スティックを噛みながら、にやりと笑った。
スナイパー・ライフルのスコープに、ナードはふたたび大きな瞳を寄せた。そのスコープ越しに、血を流して地にひざを付く、ピットの姿が映される。
「とどめだとどめだ♪」
歌うようにそう口走ると、ナードはトリガーに手をかけ、照準をピットの頭に合わせた。
瞬間、ナードのすぐ上空を、小型の飛行艇が通過した。
……?
空を見上げるナード。
飛行艇は見る間に、ピットたちの戦う区画に向かっていく。
「なになに?」
いぶかしげにそういったナードだったが、そのとたん、背後に気配を感じ取り、バッと身を起こして振り向いた。
そこには、数人の者が立っていた。ピットと同じような格好の男たち。全員が、剣を抜いている。
「あれあれ?」
ナードはすばやく、スナイパー・ライフルの棺桶のようなケースを手に取り、それを地面に突き立て、ケースの横から、男たちをのぞき見るようにした。
ニヤ、っと、またナードは口の端を上げて笑った。
「邪魔邪魔」
ナードは笑みを浮かべたまま、腰の後ろに差してあるナイフに、手を持っていった。
視界がかすむ。
両ひざを付いたピットは、ジュードがゆっくりと近づいてくるのを、ぼう然を待つしかなかった。
──死ぬのか。
おぼろげな思いが、ピットの胸をかすめる。
怖れよりも、虚無が、心を支配する。
──同じだ、この感覚。レンでコーデリア・ベリを前にしたときと、まったく同じだ。
剣を持つ手が、苦痛で震える。喉元まで血があふれ、もう満足に身体を動かすこともできない。
顔が思い浮かぶ。凛々しい顔。きぜんとした、わが隊長、ケイ・エルフマン。おれの愛する、ケイ。愛している。愛していた。お別れだ、ケイ。せめてその腕に抱かれて、死ねればよかった。
「終結」
ジュードの声が、もう間近に聴こえる。黒光りする刀剣が、ピットの目の端にとらえられた。
振り上げられる刀剣。
──ケイ。
ピットはなすすべもなく、そのときを待ち受けた。
と、その直後、上空に飛行音がとどろいた。
ジュードは刀剣を振り上げたまま、頭上を仰ぎ見た。
翼のない、黒い飛行艇が、重いエンジン音をひびかせて、静止している。
そして、ジュードが正面を向き直ると、自分とピットの間に、立つ者があった。
「ごきげんよう、鉄くずさん」
豪奢なパフ・スリーブの白いローブとマントが、飛行艇から起こる風にはためく。
ケイ・エルフマンは、すずやかな目で、すぐ前方のジュードを見すえた。
「わたくしたち、おもちゃと遊んでいるひまはなくてよ?」
「不測」
ジュードはすっと後退し、エルフマンと間合いをとった。
「工場にお帰りなさいな。廃品として、ね」
ギラッと、エルフマンの目が光った。
まばたきをする間に、場景が切り替わる。
金の指揮刀を抜きはらったエルフマンが、いつのまにか、ジュードの背後にいる。
強烈な一閃、のはずだった。エルフマンの脳裏には、腰から一刀両断されたジュードのイメージがあった。
だが、エルフマンの表情はけわしかった。
エルフマンは、ゆっくりとジュードのほうを振りかえった。
そこには、二本の足でしっかりと立つ、ジュードの背中があった。
「あら、そう」
エルフマンはつぶやいた。
やにわに、ジュードが振り向きざま、刀剣を横になぎはらった。
一秒にも満たない時。
屹立する光景。
ジュードの剣の先に、エルフマンはいない。振り抜いた姿勢のジュードの真横に、彼女は立っていた。
ブワ、っと、ジュードの首元から、黒い液体がほとばしった。と思う間もなく、ジュードの首が、黒いフードとともに地に落ち、つづいて、首を欠いた身体が倒れた。
──まぐれかしら。こいつ、わたしの剣を受け流した。
エルフマンはジュードの残骸を見おろし、眉をひそめた。
──リターグで立ち合ったときよりも、強かった。
飛行艇が降下してくる。降り立った卿団員が、すでに気絶しているピットの介抱をしている。
──心臓はそれている。大丈夫よ、ピット。すぐに回復するわ。
飛行艇の中に運ばれていくピットを見送り、エルフマンもまた、そちらに向かっていった。その途中、ふとエルフマンは、地にある二つの残骸に、目をやろうとした。だが、頭を振って気を取り直すと、急ぎ足で艇内に入っていった。
戦車の砲声は、もうだいぶ先のほうに離れていた。反対の方向からは、続々と、アイザレン軍の地上部隊が押し寄せてきていた。
いまにも打ちかかってこようとする卿団員たちに、ナードは抜け目のない視線を送った。
「楽しい楽しい♪」
ナードはそうつぶやくと、ライフル・ケースの影から、フッとキャンディ・スティックの棒を吹き飛ばした。
卿団員の一人の顔に、まるで矢のように迫るスティック。
それを避ける卿団員。
ナードの姿が、ケースの裏に、完全に隠れる。
瞬時の出来事だった。
ガラッと、ケースが傾き、倒れる。その裏に、ナードはいなかった。
「グッ!」
一番端にいる卿団員の口から、苦悶の声が漏れた。
隣には、その卿団員の首をナイフで刺し貫いた、ナードの姿。
「おバカさんおバカさん!」
態勢を整えようとする、ほかの団員たち。だがその暇を、ナードは与えなかった。
両側で束ねた髪を揺らしながら、流れるように、次々と、ナイフで相手の首を刺し、斬り裂く。
「弱い弱い♪」
ナードが得意げに立ちつくす。その視線の先には、なにが起こったのかもわからずに事切れた、卿団員たちの死体が転がっていた。
ナードの表情が、スッと真剣なものに変わる。ナードはスタスタとへりに戻り、じっと目をこらした。
「クソがクソが!」
まさに飛行艇が、ピットも含めて全員を収容して、浮上しようとしているところだった。
ナードはおもむろに、短パンのポケットから、新しいスティック・キャンディを取りだした。そして無造作に包装を引っぺがすと、いらいらとした様子で口に放りこんだ。
一陣の風が、ナードの身体に吹きつける。
ナードは立ちつくしたまま、遠ざかっていく飛行艇を、鬼気迫るような目で見つめつづけた。




