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レガン戦記  作者: 高井楼
第三部
102/142

ラザレクの動静・3

「静導士団・首席隊長リミヤン・キュベルカだ。お初にお目にかかる、マッキーバ卿」

 デスクの据え置きの通信機のモニターに映されたキュベルカを、マッキーバは疑念と好奇心をもってながめた。

 肩まである、カールのかかった黒い髪。貴族然とした黒い上着、飾りのついた白いシャツ。

 ──話には聞いていたが、若いな。しかし男か? 女か? 声からも外見からも、区別がつかない。

 執務室として使っている部屋の、デスク席に座るマッキーバは、そう胸のうちで思いをめぐらせた。

「『士団の秤』と称されるキュベルカ卿と、こうして話ができるのは光栄だ」マッキーバはいった。「それで、ご用の向きは」

「察するところ、卿団におかれては、貴公がもっとも話が通じると判断した、マッキーバ卿」

「どのような話かな」

 マッキーバと同じく椅子に座るキュベルカは、こころもちあごを上げて、不遜なような顔つきになった。

「こちらは、皇軍、士団ともに、数日中に攻勢をかける構えだ」

 キュベルカはいった。

「エントールとアイザレンが、このまま総力で切り結べば、どちらもただでは済むまい。無益な損失は避けたいものだ。そこで」

 キュベルカは、ひとつ間を置いて、つづけた。

「共謀、という道を、提案申しあげたい」

「共謀?」マッキーバは、通信機のキュベルカから目を離さず、眉をひそめた。

「こちらは、貴公らの戦線を突破し、後方にまわりこみ補給路を断ち、同時に貴公らを包囲して、せん滅する算段でいる」

 キュベルカは淡々といった。

「……この作戦に乗じて、軍も士団も、貴公らの後方にまわる。だが、あとは動かぬ。貴公らは、労せずブレトを抜け、あとはまっすぐラザレクに侵攻すればよい」

「条件は?」マッキーバは、平静な表情を崩さずにたずねた。

「ラザレク陥落のあかつきには、このキュベルカに、国の統治をまかせてもらいたい」キュベルカはいった。「そのうえで、アイザレンとは同盟を結びたい」

「話にならん」

 マッキーバは、首を横に振った。

「第一に、後方にまわるというそちらが、動かない確証がない。第二に、われらは、同盟は望んでいない。目の前に占領が見えていれば、なおさらだ。そして最後に」

 マッキーバは目を細くして、キュベルカをにらみつけた。

「われら中枢卿団は、そのような奸計を、いさぎよしとはしない」

「……知ってのとおり、このエントール皇国は、諸侯の寄り集まりだ」

 キュベルカがいった。

「占領というが、それはあくまでも、ラザレクにかぎってのこと。諸侯は黙っていない。戦後に待っているのは、諸侯による抗戦に次ぐ抗戦。この広大な国土が、一気に煮えくり返る。安定はとうてい望めぬ。貴族から平民の子供まで、手には銃と剣。他国のアイザレンには、御しきれまい」

 切れるような沈黙が降りた。互いの通信機越しに、マッキーバとキュベルカの視線がぶつかり合った。

「栄えある静導士団の首席隊長にあって、その言葉、許されるものではない」おごそかにマッキーバが口を開いた。「それとも、これは士団の総意か?」

「この件においては、もうひとつ条件がある」

 キュベルカはマッキーバの問いには答えず、いった。

「栄誉ある中枢卿団におかれては、静導士団の壊滅を願いたい」

 それを聞いたマッキーバは、きつく眉根を寄せた。

「どうあっても引きあうのが、士団と卿団の定め。これだけは、まず避けられまい。最悪、リカルド・ジャケイの首だけは、どうあっても討ち取ってもらいたい」

「私心私欲に走られるか、キュベルカ卿」厳しい声でマッキーバがいった。「そのような奸賊の言に、耳を貸すほど、われら卿団は落ちぶれてはいない」

「貴国のしかるべき筋に、話を通されよ、マッキーバ卿」高慢にキュベルカはいい放った。「明日いっぱい、返答を待つ。返答のない場合は、決裂とみなす。……そう、もうひとつ、リターグの件だが」

 キュベルカの目が、ぎらりと光った。

「あの浮島となったリターグは、ヴァキ砂漠のアイザレン軍の掃討にかかるようだ。つまり、南から北へと移動する。より貴国に近づくというわけだな」

 ふたたび、沈黙が降りた。

 傲然とかまえるキュベルカ。ほとんど嫌悪感から顔をしかめているマッキーバ。二人の思惑が交差する中で、時は研ぎ澄まされ、停止したかのようだった。


 夜の静けさに、しっとりと落としこまれている部屋がある。

 大窓からは、まばゆい明かりが外の闇に伸び、その広い部屋の、荘重な様子がうかがわれる。

 天井にはシャンデリア。部屋の真ん中にはロング・ソファー。

 そのソファーに、二人の者がいる。

 ひとりは、もうひとりのひざをまくらにして寝そべり、安らかな姿でいる。

 ひざまくらをされている者は、寝そべる者の髪をなで、こちらも、おだやかな表情をしている。

「ねえ、コーラ」寝ているほうが、ふいに声をかけた。「なにか、おしゃべりをして」

「おしゃべり?」やわらかい声で、コーラがいった。「そうね、こうしていると、昔を思い出すわね。あなたが小さいころ、よくこうして、ひざまくらをしてあげていたわね」

「うん」ひざの上の頭の位置を直しながら、その者は満足げに答えた。

 ここは、ラザレクから百キロほど北にある、ブレトという町の屋敷のひとつだ。いまは静導士団に接収されている。

 町に灯火はとぼしく、ひと気はない。実際、いまブレトにいるのは、エントール軍の兵士か、静導士団の者たちだけだ。住民はほとんど町を離れていた。遠からずこの地は、もうもうと黒煙の上がる、焦土と化すだろうと、だれもが考えていたのだった。

「もうすぐね」ソファーに寝そべる者が、いった。「もうすぐラザレクは、あたしたちのものになる。ううん、このエントールが、エントールじゃなくなる。あたしのものになる。なんでもできる。好きなことが、なんでもできる」

「レザーン……」コーラは、憂えた目で、ひざの上の顔を見おろした。

 いまこうして、コーラが頭をなでているのは、リミヤン・キュベルカの秘められたもうひとつの人格、レザーンだ。

 ──もうここまできたら、どんな疑問も、差し挟んではいけない。

 コーラは、心の内でつぶやいた。

 あとは、突き進むだけ。たとえそれが、赤黒く血塗られた過去に、さらなる血を塗りこめることになろうとも。

 アイゼン公キュベルカ。

 かつてエントール一の名家とうたわれた、この呪わしい家名。

 まだ年端もいかないキュベルカの姿が、ふいによぎる。

 公家の分家筋にあたる、ただひとりの味方だったコーラのひざに顔をうずめ、いつまでも嗚咽を止めることのなかったキュベルカ。レザーン。

 いまひざまくらで身を横たえるレザーンの姿に、そのときの痛ましい姿が映しこまれる。

 ──キュベルカ様……

 なに思うでもなく、コーラは心の内で名を呼んだ。

 キュベルカ様、レザーン。わたしの愛する人。わたしのすべて。わたしが、生きる理由。この髪の一本一本、息づかい、身体の重み。あたたかくて、満ち足りたこの時。……時間はありがたい。それは、流れてくれるから。決してとどまることはないから。一瞬一瞬、解放されていくから。

 すこやかな寝息が、コーラの耳にここちよく響いてきた。身体を丸めるようにして、レザーンは安心しきって眠ってしまった。

 うん、眠りなさい。

 コーラは、かすかにほほ笑みを浮かべた。だが、すぐにいいようのないせつなさが、胸に広がっていった。

 コーラはそれを振りほどくように、首を横に振った。

 レザーンの髪をなでるコーラの手は、いつしかすがるような、執拗なものに変わっていた。


  *


「準備に、おこたりはあるまいな」老人の声がする。

「は、万全、整っております」男の声が答える。

 ひんやりとした、うす暗い部屋だ。背の高い椅子が、後ろを向いている。老人の姿は、椅子の背に隠れて見えない。

 が、うしろに立つふたりの者の姿は、はっきりと見てとれる。

 ひとりは、大柄の男で、背広を着ている。奇妙なのは、頭部全体を覆う、目の部分だけ開いた白い面布だ。男の顔は、そのゆったりとした面布におおわれ、髪の毛の一本も目にできない。

 もうひとり、その男の隣に立つ者は、これも大柄で、背広を着ている。だが、こちらの男の顔に面布はない。かわりに、幾何学的な模様の黒いタトゥーが、びっしりと顔一面にほどこされている。頭髪は、長くまっすぐに垂れる黒髪だ。

「卿団をあなどるなよ、ゴドー、リクドー」しわがれ声で老人がいった。「だが、おそれることもない。おまえたちであれば、その役目、正しくまっとうできるだろう」

 は、と、ゴドー、リクドーと呼ばれた二人は、同時に受け答えた。

「行け。そして戦え。来たるべきマザー・キーの到来のため、おまえたちの責務は重い」

「イドとニドは、よろしいのですか、好きに行動させて」面布の男がいった。

「それぞれ、役目がある」老人はおごそかにいった。「あれらの目的も、マザー・キーであることに変わりはない。……リターグは動き、『日に立つ者』はいまだ覚醒をとげず、かれらも焦れている。ニドはもちろん、イドにしてみたところで、いかにとりつくろおうとも、心は同じよ。焦れているのだ」

「なれば御意のままに、ビューレン様」

 面布の男がそういい、たちまち二人の姿が掻き消えた。

 その老人、ヴァン・ビューレンはひとり、椅子に座ったまま、軽く首を横に振った。

「ここも潮時か」ビューレンはつぶやいた。


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