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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
10/142

ユーゼン公領の殺人・2

「二公戦争、などと華々しくいうがね」

 その男は、悔恨をこめたような笑みを浮かべていった。

「要するに、なんどもなんども、ひたすら戦争をくりかえしただけだ。おろかしいことこの上ない」

 リディアが目をさましたとき、サヴァンは公爵邸の一階の応接間で、主のユーゼン公シャブロウ二世と対面していた。

 マスチスがこの領内に着陸したのが二日前。そして昨日までは、その収拾やリディアの看護などでたちまち過ぎていき、サヴァンが領主とまともに話をするのは、これがはじめてだった。

 なめらかな光沢のテーブルをはさんで、豪華な革張りのソファーに向かいあって座りながら、サヴァンは落ち着かない気持ちでいた。

 相手は地方の一領主だ、そこまで緊張することはない、と自分にいい聞かせはするものの、やっぱりなんだか萎縮してしまう。

 そんな気の弱さに、サヴァンはわれながらあきれていた。

 ──こんなことじゃ、エントールの皇帝になんて、とても会えないな。

 シャブロウの話を神妙に聞きながら、サヴァンはぼんやりとそんなことを思った。

 まあ、会う機会はないだろうけど。……いや、ないといいけど。

「わたしの父、先代のシャブロウ一世は、即位して二十年、死ぬまで戦争に明け暮れた」

 シャブロウ二世は話をつづけた。

「ほぼ三年ごとに、戦争と休戦のくりかえしだ。──わたしが生まれたのは、四度目の戦い、つまり最後の戦争が終わったあとのことでね。すぐに父もエイゼン公も相次いで他界して、さいわいなことに、それから三十年、まずまず平穏をたもっている」

 ということは、三十歳か、とサヴァンは公爵の顔を見ながら思った。

 髪を後ろにぴったりとなでつけた、ひげのない顔は、たしかに年相応だ。

「わたしはね、サヴァン君」

 と、シャブロウ二世はサヴァンの目を見すえていった。

「わたしは、二公戦の時代に生まれなくて、本当によかったと思っている。そして、もう二度と、この地を戦場にしたくはない」

 礼儀正しくうなずいて、サヴァンは目を伏せた。

 これは、おれたちに早く出て行ってほしいということなのか? そうだとすれば、まあ気持ちは理解できる。アイザレンに追われる得体の知れない連中など、戦時でなくてもかくまいたくはないだろう。でも……

「たしかに、ご当地は、まだ戦域ではないようですが」

 サヴァンは思ったことを口にした。「遠からず戦火のおよぶ可能性は、あるのではないでしょうか」

「そうだね」

 と、ユーゼン公はまた悔いるような笑みを浮かべてうなずいた。

「ハイドスメイが落ちれば、ここが前線になるだろうね」

 サヴァンには、なんとも返答のしようがなかった。

 ユーゼン公はすこしの間だまりこんでいたが、やがて、ふいに話題を変えていった。

「新しい飛行艦は、こちらで手配しよう。もちろん、リディア殿下が快復されるまで、ここで静養してもらってかまわない。あとは、戦況次第だな」

 恐れ入ります、といって、サヴァンは頭を下げた。

「しかし、『知事』にお会いするのははじめてだが、」と、ユーゼン公は感心した表情になっていった。

「お若いのに、このような重要な任務に就かれるとは、優秀なんだろうねえ」

「いや、そんなことは……」

 と、サヴァンはきまりが悪そうに笑って答えた。


「もちろん、あたしは『知事』の中で、いちばん優秀だ!」

 両手を腰に当てて、レダは得意満面でいいきった。「正直、ほかのやつらとはレベルがちがう!」

「まあ」と、心底感じ入った様子で、女がいった。「それでは、その、ご一緒のサヴァンさんよりも?」

「サヴァンか」レダは軽く答えた。「あれは、あたしの部下みたいなもんだな」

 横で聞いているリディアは、どう反応していいかとまどっていたが、それ以上に、あたり一面の花に心を奪われていた。

 赤、オレンジ、ピンク、紫、白。どこまでも続く花園。

 ほんとうに夢のよう。でも、これが夢じゃないことははっきりしている。むせかえるほど濃厚な、花の甘い香り。

 なんてすてきなんだろう。リディアは顔をほころばせ、大きく息を吸いこんだ。

「この庭、お気に召しまして?」

 女がにっこりとして、リディアに話しかけた。

「ええ、とっても」とリディアもほほえみかえした。「わたくし、砂漠から出たことがありませんでしたから、こんなに美しいところは、はじめてです」

 目がさめてからしばらくして、リディアは足腰のリハビリもかねて、この庭園を歩いてみることにしたのだった。

 めんどうだとしぶっていたレダも、歩くうちに持ち前の好奇心が頭をもたげてきて、あとはリディアの付き添いもそっちのけで、目を輝かせて歩きまわっていた。

 そのうち、庭園の奥のほうにさしかかり、二人はひとりの女と出会った。

 白いプリーツ・ドレスを着た若い女で、あかぬけた顔立ちはとても気品があった。

 その女、ユーゼン公爵夫人リーンは、親しみをこめたあいさつで二人をむかえた。

 そうして、三人は世話ばなしをはじめたのだった。

「この庭は、うちの自慢ですの」

 と、リーンはいまのリディアの言葉を受けて、ほがらかにいった。「これほどの庭園は、エントールのどこにもありませんわ」

 そうして、ほんの少し間があいたところで、リーンはさらにいった。

「ここの、白い花、ありますでしょう?」

 リディアはうなずき、レダもその花に顔を近づけた。

「これは、リーン・オーキッドといいますの。わたくしの名前をつけた、新しい品種のランですのよ」

「きれいだな!」と、レダの単純明快な声が響いた。

 それは純白のランで、先のとがった花弁が、いかにも凛々しい印象だった。

「ここには、蒸留所もありますの」

 と、楽しげにリーンはいった。

「いまは、このランの精油を作っているところですわ。よろしかったら、香水にしたものをさしあげますわね」

 リディアとレダは、キラキラと期待に満ちた目を、リーンに向けた。


「香水をもらったんだぞ!」

 と、レダが喜色満面でいった。「しかも、すっごいきれいな瓶に入ってるんだ。いいだろ!」

 フフフ、とリーンが歌うように笑った。

 リディアも目を伏せてほほえんでいる。

 夜の晩餐は、実になごやかに進んでいた。

 三人が公爵夫妻と食卓を囲むのは、この日がはじめてのことだった。そしてだれも、これが最後になるとは思ってもいなかった。

「ランの香りは、とても強くて、甘いんですよ」

 と、リーンは三人に向けていった。「ですから、寝る前に少しだけ香らせると、とてもいいこころもちで眠りにつけますわ」

 ──晩餐なんて、どうなることかと思ったけど、

 と、サヴァンは着なれない『知事』用の白い礼服に違和感を持ちながら、心の中でつぶやいた。

 これなら、どうにか乗りきれそうだ。

 サヴァンは隣にいる、同じ礼服姿のレダに意識をやった。

 どうせこいつの無礼のフォローで、食事どころではないだろう、とサヴァンは覚悟していたのだ。

 それが、ここまでは公爵夫人の絶妙なとりなしで、なにごともなくすんでいるのだった。

 しばらく食事を進めたあと、リーンがサヴァンに明るく話しかけた。

「ねえ、もしよろしければ、リターグのことをお聞かせくださいな。どのようなところですの?」

「そうですね、それほど、特徴のあるところではありません」

 サヴァンは言葉を選びながら無難に答えた。

「聖地や秘所などといわれますが、ごく普通の、小さな町です」

「それでも、『知事』のかたたちがお住みになっているだけで、特別な場所ではありませんか」

 と、リーンは陽気にいった。

「あ、ではサヴァンさんたちのことを、お聞きしてもよろしい? どうやって『知事』におなりになったの?」

「あたしたちは、孤児だ」

 唐突に、レダが割って入った。

「物心がついたときには、もう『知事』になるための寄宿学校で暮らしてた。『知事』には、そういうやつが多いぞ」

「……ご、ごめんなさいね、よけいなことを聞いてしまって」

 リーンはうつむいて、小さな声で謝った。

「いや、どうかお気になさらず。こちらこそ、無礼を申しあげまして……」

 サヴァンはあわててそういうと、軽く歯ぎしりをしてレダに目をやった。公爵夫人を恐縮させてどうする! それ以前に、敬語を使え、敬語を!

「──リディア殿は」

 と、ふいに、ユーゼン公シャブロウ二世が口を開いた。

 これまでほとんど会話に加わらず、おだやかな様子で淡々と食事をしていただけに、ほかの四人は場の気まずさも忘れて、いっせいに上座のシャブロウに顔を向けた。

「リディア殿は、ラザレクに行かれて、その後は、どうなさるおつもりですか?」

 ラザレク。エントールの首都の名前だ。国内では「聖都」と呼ばれることが多い。皇帝が住まう場所だからだ。

「わたくしは……」

 こちらも終始静かだったリディアは、言葉につまった。砂漠民らしいゆったりとした紅色の正装姿で、ナザン王家ゆかりの模様が、まるく開いた胸元のまわりに大きく刺繍されている。三つ編みを頭に花冠のように一周させた、いつもの髪もひときわ美しかった。

「ラザレクに着いてからのことは、……いまは、考える余裕がありません」

 ひかえめな調子で、リディアは答えた。

「それは、よくわかります」

 と、シャブロウはうなずいた。

「ですが、ある程度の心がまえは、されたほうがいい。戦時でなくとも、ラザレクは安全とはいえませんからね」

「心がまえは、できております」

 リディアはシャブロウに顔を向け、細いながらもはっきりとした声でいった。

「わたくしは、自分がなぜアイザレンに追われているのか、それすらわかっておりません。ですが、たとえ目の前が暗闇でも、そしてこの先、どう身をやつすことになろうとも、わたくしは、生きてゆかなければならない、そう思っております」

 ゆるやかな沈黙が流れた。

 シャブロウは、無表情でリディアを見つめていた。

 すると、食堂の扉が開かれた。

 中に入ってきた使用人が、シャブロウのそばに立つ執事に、なにごとか耳打ちをした。執事はそれを、シャブロウの耳元で伝えた。

 シャブロウは眉を寄せて、けげんな表情をしてから、ひと呼吸置いて、食卓の全員に向けていった。

「まことに失礼ながら、少々急な用事が入りましたので、これで退席させていただきます。みなさんはどうか、このままお進めください。それと、リディア殿」

 シャブロウ二世は、サヴァンの見なれた、あの悔恨をにじませた笑みを浮かべていった。

「さきほどは失礼な物言いをしまして、まことに申しわけありません。あなたなら、きっとラザレクでも、うまくやってゆかれるでしょう」

「こちらこそ、出すぎたことを申しました」リディアは恐縮していった。

 シャブロウはほほえんだままリディアに目礼をして、さらにほかの三人にも短くあいさつをして、食堂をあとにした。

「どういうことなの?」

 と、リーンが顔を曇らせて執事にたずねた。

 執事は一瞬、この場で伝えていいものか迷った様子を見せてから答えた。

「エイゼンより、特使が参っております」

「エイゼンの特使? めずらしいこと。どういった用なの?」

 存じ上げません、というと、執事は軽くおじぎをして、食堂を出ていった。

 サヴァンとレダは、すばやく視線を交わした。

 エイゼン? このあたりでエイゼンといえば、二公戦争でユーゼンと戦った、あのエイゼンしかない。なんだか、いい予感はしない。念のため、今夜はリディアの警護をしっかりしよう。

 一瞬の目だけの会話で、サヴァンとレダは、ざっとそんなことを確認しあったのだった。

 ほどなく、主人を欠いた晩餐が終わり、公爵夫人とあいさつを交わしたあと、サヴァンたち三人は客室に引きあげた。夜の九時すぎのことだった。

 昼と同じく、この夜も、レダがリディアの部屋で警護にあたった。

 リディアがベッドに入って、やがて寝息を立てはじめても、レダはソファーに座り、うしろに組んだ両手に頭をもたせて、不機嫌そうに天井を見上げつづけていた。

 自分の部屋に戻ったサヴァンも、部屋着に着がえるとベッドにあおむけに寝ころがり、なにか得体のしれない胸騒ぎをかかえて、いつまでも眠れないでいた。


「起きろよ! サヴァン!」

 荒々しく身体を揺さぶられて、サヴァンはゆるゆると目を開けた。

「いつまで寝てんだよ! 起きろ! このバカ!」

 今度は横っつらを思いきりひっぱたかれ、サヴァンはガバッと跳ね起きた。

「なんだ? 襲撃か?」

 サヴァンは目を丸くして、レダにいった。

 レダはブンブンと首を横に振った。

「じゃあなんだ、リディアがどうかしたか?」

 今度は小さく首を横に振って、レダはいった。

「ユーゼン公が、殺された」


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