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レガン戦記  作者: 高井楼
第一部
1/142

ナザンの王女・1

 扉をたたく音で、リディアは目をさました。

 自分の部屋の、ベッドの上だ。

 いつのまにか、着がえもしないで眠ってしまったのだ。

 夢をみていた。

 どんな夢だったかは、もう思い出せない。でも、自分が歌をうたっていた、ということだけはおぼえている。

 なにかとても美しくて、なつかしい歌。この世のものではないような。

 リディアは、寝起きの目でぼんやりと天井を見つめ、その歌の旋律をなんとか思い出そうとした。でも、どうしても思い出せなかった。

 また扉がたたかれた。今度は少し強い調子だ。

 リディアは短く息を吐いて、身体を起こし、ベッドから出ると、扉の前まで歩いていった。小さくて質素な部屋だった。

 窓の外は夜ふけだ。そしてこの時間にも、外ではときおり、砲声が重苦しく響いていた。

 扉を開けると、そこには見なれた若い女の姿があった。女はリディアを見ると、目を伏せ、軽く頭をさげた。

「父王陛下が、お呼びでございます」

「……こんな時間に?」

 リディアは驚いて、思わずそう口にした。

 はい、と女は低い声でいった。

 彼女はリディアの、いちばん親しい侍女だった。陽気で、いつも話し相手になって楽しませてくれていた。でもいまは疲れきり、うちしおれ、ふだんの面影は微塵もない。

 そう、この十日間で、なにもかもが変わり果ててしまった。

「……わかりました、すぐ行きます」

 リディアはやわらかい声でそういった。ほかにかける言葉も見つからなかった。


 ──嫌な予感しか、しない。

 夜の城の、がらんとした大廊下を歩きながら、リディアは胸がしめつけられるような思いだった。

 民族調の複雑な模様がはいったワンピースを着ていて、長い金髪は簡単に三つ編みにして、頭に一周させている。いつもならもう少し外見を整えるのだが、いまはそんなひまはない。そんな気にもならない。たとえこれから会うのが一国の王で、自分がその娘であっても。

 リディアは謁見用の広間に着くまで、きびしい表情で歩きつづけた。

 〝アイザレンが、砂漠に侵攻?〟

 つい十日前の記憶が思い起こされる。そのときも、今日と同じくらいの時間で、知らせたのも同じ侍女だった。

 〝でも、なぜ?〟

 ぼう然としたリディアには、そう問いかけるしかなかった。

 〝わ、わかりません。砂漠の北が攻められたということしか〟侍女もまたうろたえていた。

 しかしこのときは、ふたりとも、いや、砂漠の中央にあるこの小国ナザンのだれもが、現実感を持っていなかった。

 アイザレン帝国といえば、大陸の北を統べる超大国だ。それが、諸部族の細々とした国が点在するだけの砂漠に侵攻するなんて考えられない。なにかのまちがいじゃないのか?

 だが一日、二日と過ぎるうちに、それが現実のことで、もうナザンも他人事ではないとわかると、たちまち恐慌がおこった。

 アイザレンのとてつもない大軍、それも陸だけではなく、空からも飛行戦艦の艦隊が近づいていると知り、国中があわてふためいた。

 実際、アイザレンの大軍は、小さな町々を攻め落としながら怒涛のように砂漠を南下し、三日目にナザンを包囲した。飛行戦艦どころか、軍隊と呼べるようなものもないナザンの陥落は目に見えていた。

 そして、それから一週間が経過した。

 アイザレン軍は攻めてこなかった。

 王の居城を中心とした一つの街でしかないナザンを、かれらは包囲したまま、断続的に威嚇のように砲撃をするだけで、なぜかまったく動く気配がなかったのだ。それでも、このままの状態が続くとはとうてい思えない。リディアのいる城内の緊張は限界に達していた。


 謁見用の広間の扉を開けると、中はうす暗く、しんとしていた。リディアは扉を閉め、前に進んだ。

 奥の石づくりの玉座に、父王の姿がある。リディアは、その横に立つ男に、歩きながらちらっと目をやった。だれだろう。

 白いマントで全身をおおっている、若い男の人だ。黒い短髪、ひきしまった顔。じっとわたしを見ている。

 リディアは玉座の前で立ちどまり、片膝をついて頭を下げた。

「リディア、参りました」

 ナザン王ユリリク・ナザンは、短くあいづちをうった。灰色の長いひげが威厳をたたえる老人だ。一族ゆかりの、見事な意匠のローブで身を包んでいる。

「夜分にすまぬが、火急のことゆえ、許してくれ」ユリリク・ナザンが口を開いた。

 はい、とリディアは答えた。

「敵は明日、いよいよ総攻撃をかけるつもりのようだ」ユリリクは続けた。

「相手は三個軍。もとより勝ち目はない。交渉する気もないらしい。もはや、これまでと見るべきだろう」

 リディアは頭を下げたまま、がく然として目を見開いた。胸がつまる。のどがしぼられる。心がまえはできていたはずなのに、その言葉の重さが、わたしの身体を震わせる。

「このうえは」と、ユリリク・ナザンはさらに続けた。

「このうえは、おまえともども、砂漠民の誇りをかけて戦い、果てるべきと覚悟していた。……だが少々事情が変わったのだ」

 リディアはけげんそうに、顔をあげた。ユリリクは、となりに立つ男に顔を少し向けていった。

「こちらは、リターグの『知事』、ユース・ヴァンゼッティ殿だ」

 紹介された男が、リディアにおじぎをした。

 リディアは困惑顔で、そのユース・ヴァンゼッティという若い男を見た。リディアは話の不可解さ以前に、男の肩書に驚いた。

 リターグの『知事』。

 それは、この砂漠のはるか南の、リターグという国の住人のことだ。しかもただの住人ではない。ふつうの人間には想像もできないような異能の持ち主たち。それが『知事』だ。

 しかしそう話に聞かされるだけで、ほとんどの人間は、かれらを一生目にすることはない。秘所、聖地とうたわれるリターグを守る者。人々は『知事』のことを漠然とそんな風にとらえて、畏敬の念をいだくのだった。

 リディアもまた、『知事』を目にするのはこれがはじめてだった。

 ──そう、確かに、

 とリディアはその若い男の顔を、見るともなくながめながら思った。

 砂漠に侵攻するということは、かれらを敵にまわすということだ。そうまでして、なぜアイザレンは……。

「リディア」

 ユリリクの声でリディアはふっと我にかえり、父王に顔をむけた。

「おまえには、いまから、ヴァンゼッティ殿と共に、リターグに行ってもらう」

 ……え?

 リディアの頭はまっ白になった。

この国が包囲されたときから、リディアの心は決まっていた。ナザン王の娘として、戦って死ぬ。リディアは非力ではなかった。ナザン一族は、武技の名家だ。幼いころからリディアは、その一族の名に恥じない、文武の教育を受けてきた。

 たとえ、リディアが、ナザンの血を引かない子供であっても。

 十八年前、ユリリクは一人息子と妻を、流行り病でなくした。それからほどなくして、ユリリクは、使用人が見なれない赤子をあやしているのを、たまたま見とめた。聞けば、城門の前に捨てられていたのだという。ユリリクはその、まさに玉のような赤子を、しばらくながめた。そうして、みずから育てることに決めた。ふたたび妻をめとることもなく、ユリリクはリディアの教育に、心血をそそいだ。

 そして十八年後の現在、リディアは美しく、やさしく、勇ましい人間になった。そのめざましい成長を見るにつれ、ユリリクは赤ん坊の顔を見たときの、なんともいえない直感めいたものが、正しかったのだと深く満足した。いまもそうだ。玉座からこうして娘の姿を目にして、ユリリクは感慨にひたった。これが最期、という思いが、感慨をいっそう強く、やるせないものにしていた。

「事情は、ヴァンゼッティ殿に、あとでお聞きするがよい」

 ユリリクは気持ちを必死でおさえ、かろうじて平静な声でいった。

「わしにも、よくわからぬことだ。だがこれでおまえが、すこしでも生きながらえるのであれば、それでよい」

「父上……」

 リディアは、あふれる涙をこらえることができなかった。そして震える声で続けた。

「わたくしは、ナザンの子です。父上と共に戦って、死ぬ覚悟でおります。わたくしは……わたくしは、ここを離れたくありません!」

「ならん」ユリリクは即座にいった。

「おまえが生きていれば、ナザンの名は絶えぬ。すぐしたくをせよ。あとは万事、ヴァンゼッティ殿におまかせする」

「いまより同行いたします、殿下」

 ヴァンゼッティがはじめて口を開いた。

「時間がせまっております。すぐにお発ちいただかなければなりません」

「父上……」

 リディアは、ユリリクを見上げ、涙声でそう呼びかけるのが精いっぱいだった。父との別れは、戦いの中で果たされると、リディアは信じていた。それがこんな、自分だけ逃げるようなことになるなんて。いや、こんなことはまちがっている。父を捨て、国を捨てて、わたしはどんな顔をして、生きていけばいいの?

「よいのだ」

 リディアの心を見透かしたように、ユリリクは微笑していった。

「これでよい。わしは満足だ。もはや、思い残すことはない。おまえは一族の血は引かぬが、おまえの名が、一族の血である。おまえはナザンの誇りだ。これからも、精進せよ」

「陛下、それでは」ヴァンゼッティがうながすようにいった。

「うむ。万事よろしく、お頼み申し上げる」

 ヴァンゼッティはユリリクのもとを離れ、リディアのほうに歩いていった。リディアは、捨て子の自分をおしみない愛情で育ててくれた父王に、いま、かける言葉が見つからなかった。絶句して、ただただ身体を震わせ、涙を流した。ヴァンゼッティに手伝われ、よろよろと身体を起こす間にも、〝父と共に死ぬんだ、このナザンで死ぬんだ〟とそんな思いばかりが胸をかけめぐっていた。リディアはようやく立ち上がると、泣きぬれた顔を、ユリリクに向けた。ユリリクは、ほほ笑んでいった。

「達者でな、リディア」

 その言葉を聞いて、リディアの心から、ふっとなにかが抜けた。あたりの静寂が、ふいに広がりわたっていくような心地がした。

 ほとんど無意識に、リディアは片ひざをついた。

「いままで、お世話になりました」

 のどをふりしぼるように、リディアはいった。

「ありがとうございました、お父さま」

 リディアはスッと立ち上がると、深く頭を下げた。

 そしてきびすをかえすと、しっかりとした足取りで、広間をあとにした。ヴァンゼッティもそれにつづき、扉が閉まった。

 ユリリクは、長い間、その閉じられた扉を一点に見つめつづけた。

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