第六話
午前十一時三十分。東京地方裁判所の駐車場に覆面パトカーが停まる。その自動車から大野警部補と沖矢巡査部長が降りる。
二人は裁判所の受付で来訪の目的を告げると被害者の職場である裁判官室に向かう。
裁判官室の木製のドアを開け二人は警察手帳を中にいる裁判官たちに見せる。
「警視庁捜査一課の大野です。郷里忠吾さんの上司の方はいらっしゃいますか」
大野の問いを聞き一番奥の机の前で座っていた白髪のマッシュルームカットに太い眉毛が特徴的な男が立ち上がり、二人の刑事に歩み寄る。
「郷里忠吾の上司で裁判長を長く務めている佐藤高久だ。郷里忠吾のことだったら警察から電話があった。その報告だったら帰っても構わないよ」
佐藤が大野たちの顔を見ると大野は彼に近づくために一歩を踏み出す。
「電話でご存じかと思いますが先程この裁判所に勤務する郷里忠吾さんが亡くなりました。
早速ですが郷里忠吾さんは休暇だったのですか」
「そうだ。郷里忠吾は休みだった。そういえば昨日休みを利用して瀬戸内平蔵検事に会いに行くって言っていたな」
沖矢がメモを取ると大野は再び佐藤に尋ねる。
「一応殺人の可能性もあるのでお聞きしますが、郷里忠吾さんを恨んでいる人物に心当たりはありませんか」
この大野からの質問に佐藤が腹を抱えて笑う。
「それだったら何人いるのか分からんよ。裁判官の判断で被疑者の刑罰が決定するからな。だから法曹界の人間は恨みを買いやすい。彼は結構の古株だから裁判官として被疑者を裁いた人間は十万人以上。その事件の関係者が容疑者だとしたら十万人以上の人間が容疑者になる。捜査協力として彼が関わった事件の被害者遺族と加害者遺族のリストを貸すから今日は帰ってくれ」
佐藤高久が迷惑そうに答えると大野が手を挙げる。
「スケープゴート。ご存じですか」
スケープゴートと聞き佐藤高久の顔色が青くなる。さらに机の前で事務作業を行っていた四十代後半の女が机から書類のファイルを落とす。残りの裁判官たちは何もなかったかのように黙々と作業を続けている。
「知らないな。何だ。それは」
明らかに何かを隠しているかのような口調で佐藤は大野に訊く。
「遺体発見後に被害者の携帯電話に届いたメールなのですが、ご存じありませんか」
「知らない。兎に角リストを貸すから今日は帰ってくれないか」
佐藤高久がぶっきらぼうに答える。その後で彼は郷里忠吾が関わった裁判のリストを大野たちに渡し、二人を裁判官室から追い出そうとする。だが大野は人差し指を立て佐藤に尋ねる。
「すみません。最後に今日の午前十時十五分から午前十一時までの四十五分間どこで何をやっていたのかを教えていただけませんか」
「アリバイか。その時間帯。嫌。俺は午前八時この部屋での仕事を始めてから一歩も外に出ていない。証言者はこの裁判所で仕事する裁判官たち全員。分かったら帰ってくれ」
佐藤が再度刑事を追放しようとするが、大野は気にせずスケープゴートという言葉に反応した女に声を掛けた。
「すみません。お名前と今日の午前十時十五分から午前十一時までの四十五分間どこで何をやっていたのかを教えていただけませんか」
刑事からの質問を聞きその女の体が震える。
女は刑事たちの目を見て答える。
「田中冨喜子よ。その時間だったら外にいたわ。上司の佐藤高久のおつかいで新宿区にある紅茶店で紅茶を買いに行けと言われたので」
その答えを聞き二人は部屋から出ていく。
「どう思うんだよ」
沖矢が裁判所の廊下を歩きながら大野に訊くと大野が口を開く。
「佐藤高久は何かを隠しているようですね」
「それだけじゃないんだよ。田中冨喜子はスケープゴートって聞いて書類を落とすという分かりやすい反応をした。あの女も何か事情を知っていると考えた方が自然だよ」