第三十五話
一方東京都警察病院の病室のベッドの上で横になっている柳楽新太郎に木原が尋ねる。
「なぜ北川律と無理心中をしようと思ったのですか。あなたたちの目的は五年前隠蔽された真実を明らかにするのが目的ではなかったのですか」
その質問を聞き柳楽新太郎は刑事の顔を睨み付ける。
「北川律に殺意を抱いたから。それでは不純ですか」
平成二十五年四月八日。午前十時五十分。北川律が東京都内にある地上三十階建てのタワーマンションの自動ドアを潜り、柳楽新太郎が暮らすマンションの一室に向かう。
彼女が柳楽の部屋のインターフォンを押すと、ドアが開き、柳楽倫太郎が彼女を出迎えた。
「悪いですね。こんな時間に呼び出して」
「こちらこそごめんなさい。午前九時くらいにメールが来たのに、こんな時間まで遅刻して」
柳楽は彼女を部屋の中へ通す。北川律は心配した表情になり柳楽に尋ねる。
「お仕事は大丈夫ですか」
「大丈夫です。風邪をひいたって言って休みました。真実を告発する日に仕事なんてできないでしょう」
「仮病ですか。それで準備は終わっていますよね」
「もちろん」
柳楽は北川をリビング案内する。その部屋の机にはロッカーの鍵とUSBメモリが置かれていた。
「後はこれを持って警察に自首すればいいだけ」
「そのことだけど、少し厄介なことになっているよ。あなたは郷里を間違って殺したそうだけど、犯人は既に逮捕されたみたい」
「どういうことですか」
柳楽が顔色を変えると、北川は指を一本立てた。
「これはオフレコになっているんだけど、郷里を殺害したとして、私の彼氏が逮捕されたの。彼氏はストレスが溜まると地下道に水をばら撒く癖があるみたいで。現在警察は私の彼氏を過失致死罪で逮捕して、郷里殺害の件を事故として処理するみたい。こうなったらただ自首しても、証拠不十分で釈放されるのがオチ。まあ犯人しか知りえない事実を知っていれば話は変わるけど」
「だったら自白しますよ」
このまま柳楽が自首すれば、これから起こる悲劇は起きなかった。
偶然付いていたリビングのテレビが悲劇を呼ぶベルを押す。
『平成二十年四月東京で身元不明の男性が殺害された事件で逮捕され実刑判決を受けた岸野吉右衛門容疑者が先日獄中死していたことが東京拘置所の発表で明らかになりました』
そのニュースを聞いた北川律は思わず呟く。
「お父さんが獄中死したニュース。今頃同僚たちは大変でしょうね」
お父さん。その言葉を聞き柳楽は北川に尋ねる。
「まさかお前。岸野の娘か」
「そうだよ」
北川の返答を聞き柳楽の顔が鬼のような顔つきに変貌する。
「お前。俺を騙していたのか」
「関係を悪化したくなかったから言わなかっただけ。騙すつもりはなかった。私はただ五年前の殺人事件の真実が明らかになればそれでいい」
北川が真実を淡々と告げると、柳楽はカッターナイフを手にして、刃を彼女に見せた。
「岸野は獄中で死んだ。だからお前を殺して私の復讐を終わらせる。私は真実なんてどうでもいい。真実を明らかにするのは、復讐の手段に過ぎない。だからお前を殺して俺も死ぬ」
「正気ですか」
「うるさい。加害者遺族と心中なんて死んでも御免だと思ったら大間違いです。警察はまだお前と私の接点を見つけていないから、お前と心中すれば、事件は迷宮入りする。これは真実を揉み消した警察への復讐」
柳楽は怒りに身を震わせ、カッターナイフの刃を北川に近づける。
「いいですか。私があなたの腹を刺しますから、両手にUSBメモリとロッカーの鍵を持って死んでください」
北川は指示に従うしかできず、両手でUSBメモリとロッカーの鍵を握りしめる。その直後柳楽は彼女の腹をカッターナイフで刺した。
北川の体は痛みにより床へうつ伏せに倒れる。右手にはUSBメモリ。左手には青色のプレートが付いたロッカーの鍵。
それらを握り、血を流し倒れている北川の姿を見ながら柳楽がカッターナイフで自分の首を搔き切ろうとする。
だがその直後インターフォンが部屋に鳴り響く。
柳楽は警察が来たのではないかと思い、血液が付着したカッターナイフをリビングの床へ捨てる。
時間稼ぎ。血液が付着したカッターナイフを手にしてどこかに隠れれば、警察は血の匂いを追う鮫のように自分の身柄を発見するだろう。
そうなれば計画が狂ってしまう。
そうなる前に彼は別のカッターナイフを手にして、彼は寝室のクローゼットに隠れた。
もちろん血液が付着したカッターナイフを現場の床に捨てて。
クローゼットの中に息を潜めた柳楽は自分の左手の手首を切る。これは賭けだった。
死ぬのが先か。警察が自分を発見するのが先か。
その答えは後者だった。現場に駆け付けた刑事によって柳楽は発見され、彼は東京都警察病院に搬送される。
そして現在に至る。