第三十二話
その頃、東京都警察病院を木原たち四人の刑事が訪れた。木原が看護師に柳楽と北川の容体を聞くと、意識が戻り、話ができる状態であることが分かった。
そのため木原たちは二手に分かれて柳楽と北川に話を伺う。
まず木原と神津は柳楽が入院する病室を訪問する。柳楽はベッドの頭元を大きく上げた状態でベッドの上に座っている。
そして柳楽は視線の先に二人の刑事の姿を確認すると、唐突に告白する。
「私が郷里を殺したんです。彼女は関係ない。彼女。北川律はただ見て見ぬふりをしただけです」
柳楽は手の平を返したかのように郷里殺害を認める。その態度は北川律を庇っているように見える。
「北川律を庇っているだけだろう」
神津が思ったことを柳楽に伝えると、彼は首を横に振る。
「そんなことはありません。本当です」
郷里が殺害された日。何があったのか。柳楽新太郎が自白する。
平成二十五年四月七日。新宿区の地下道の階段の近く。柳楽新太郎の隣には郷里忠吾の姿があった。
暗い地下道の中で郷里は柳楽に声をかける。
「君も人を待っているのか」
思いがけない問に柳楽が戸惑いながら答える。
「はい。郷里忠吾さんですよね。裁判官の。裁判所で何度か会ったことがありますが、覚えていますか。菅野弁護士の秘書をやっているのですが」
柳楽が自己紹介すると郷里は手を叩く。
「ああ。そういえば何度か会ったことがあるな」
「ところで郷里さんは誰を待っているのですか」
「お前には関係ないだろう」
郷里が冷徹な目で柳楽を見つめる。柳楽はその目を見ながら微笑み返す。
「まさか五年前のことで誰かとここで取引でもするつもりですか。五年前新宿区のマンションで身元不明の遺体が発見された殺人事件。なぜ遺体は身元不明になったのか。その理由は単純です。法曹界ぐるみで真実を隠蔽したから」
「何が言いたい」
郷里が柳楽の顔を睨み付けると柳楽はいきなり郷里の胸倉を掴む。
「申し遅れました。私はあなたたちに殺された柳楽倫太郎の息子です」
「殺人犯扱いか。くだらない。柳楽倫太郎を殺したのは岸野だろう。それは裁判で証明された」
郷里は白を切る。だが柳楽は彼の胸倉を離さない。
「おかしいですね。なぜ身元不明の遺体が柳楽倫太郎と分かったのでしょう。やっぱり法曹界ぐるみで真実を隠蔽したというのは事実のようですね。確かに実行犯は昨日獄中死した岸野という男。それは正しいのですが、柳楽倫太郎を殺したのは、あなたたち裁判官ということですよ」
「何が言いたい」
「東京地検特捜部の元トップの父が東京地方検察庁の裏金造りに関するデータを探っているという事実を隠蔽して、身元不明の遺体として処理する。そうすれば世間的には誰が殺されたのかが分からなくなる。元東京地検特捜部のトップが殺されたというニュースがマスコミに漏れれば、マスコミは被害者にスポットを当てた報道を繰り返す。そうなれば不祥事が世間に漏れるのも時間の問題。だから遺体を身元不明にして、真実を隠蔽した。不祥事を隠すという事実から目を反らし岸野というスケープゴートに仕立て上げた。お前ら裁判官が殺したと言ってもおかしくない」
「うるさい。お前に何が分かる」
郷里忠吾の声は地下道に響く。郷里は柳楽の腕を振り払い、階段を一段降りる。
だが郷里の一言が相手の怒りを買い、柳楽は唇を噛む。そしてその手で郷里の体を勢いよく押す。一段下の階段はなぜか小さな水たまりができている。その滑りも殺人犯に加担して、郷里忠吾の体は階段から足を踏み外し暗闇の中に落ちていく。
転落による衝撃音が地下道に響き、彼を突き落した犯人は頭を冷やす。
この後の彼の行動は決まっていた。彼は階段を急いで降り、階段の真下の床で横たわる男を無視して逃げる。