第十二話
それは午前十時五分のことだった。テーブルや床までもが木製のおしゃれなカフェのテーブル席に瀬戸内平蔵と郷里忠吾が対面するように座ったのは。店内には静かなクラシック音楽が流れる。
テーブルの上には既にコーヒーカップが置かれていて、瀬戸内はそのコーヒーを一口飲む。一方の郷里は何かに脅えているように体を小刻みに振動させコーヒーカップに手を伸ばさない。そのことに違和感を覚えた瀬戸内はコーヒーカップを置く。
「やはりあの噂は本当だったということですか。その震えは贖罪でしょう。五年前の殺人事件の被疑者が獄中で死亡したことであなたは五年前のことを思い出した」
瀬戸内の声に郷里はテーブルを思い切り叩く。その衝撃で郷里の目の前に置かれたコーヒーカップが零れ、茶色い液体が郷里のスーツの裾に付着する。
「違う。俺は悪いことなんてしていない。今更あのことを告発して何が変わる。俺はただ裁判長に命令されてやっただけだ」
郷里の怒りに瀬戸内は微笑む。
「これでもあなたたちには感謝しているんですよ。あなたたちの判決で私は名声を手に入れたから。でもどんな手段を使ってでも真実を明らかにする司法の天使としては、悪事を見逃せない」
「告発するつもりか。それをすれば身内を売ることになる。それでもいいのか」
瀬戸内は数秒間沈黙して、再びコーヒーを一口飲む。
「警察庁があの事実を告発しようと動いているみたいなんですよ。風の噂では菅野聖也弁護士を仲間に引き入れて告発の準備を進めるらしい。遅かれ早かれ悪事は滅びるということ。だから早めに次の就職先を考えた方がいいと思いますね。何なら東京地方検察庁の天下り先でも紹介しましょうか。株式会社マスタード・アイス。ご存じでしょう。東京地方検察庁の天下り先として法曹界では有名ですから」
その瀬戸内の忠告を聞き郷里はコーヒーを飲み、気を落ち着かせた。
それから午前十時三十分。二人は別れた。それから三十分以内に郷里が殺されるということは瀬戸内には予想できなかった。
一連の流れを瀬戸内が話すと大野は右手を挙げる。
「郷里さんは何かに脅えていたようですが、何に脅えていたのですか」
「五年前の悪事としか言えません。確証がないことは口にしないことにしているんですよ」
「それでは午前十時三十分に郷里さんと別れてから午前十一時までの行動を教えてください」
「店から少し離れた道路にタクシーが停まっていました。そのタクシーに乗って東京地方検察庁に戻った。東京地方検察庁に戻ったのは午前十時五十分。それからは東京地方検察庁で仕事をしました。アリバイの証人ならフジミヤハイヤーに問い合わせて、カフェリゼの周辺で聞き込み捜査を行えば裏は取れると思いますよ」
東京地方検察庁での聞き込みの結果瀬戸内平蔵が午前十時五十分に東京地方検察庁に戻ったことは証明された。残りは戻るまでの二十分間の足取り捜査。
大野と沖矢は東京地方検察庁の駐車場に停車した自動車に乗り込む。助手席に座った沖矢は大野の顔を見る。
「警察庁が事件に関与しているかもしれないんだよ。これから警察庁に向かうか」
大野は沖矢の意見を聞き、首を横に振る。
「まだ早い。警察庁の誰が関わっているのかも分からないのに乗り込むのは無謀でしょう。ここは菅野聖也を落として誰が関わっているのかを問いただした方が早い。ここは瀬戸内平蔵のアリバイの事実関係を確認します」