一章 キング・イズ・マーダー その⑥
短く刈った銀色の髪をしたその男は、年齢は二十代後半だろうか。
細身ではあるが長身の男で、端がつりあがった目が印象的である。
「だ、誰だ、無礼者め。ここは予の執務室だぞ!」
「これは失礼いたしました、国王陛下」
と、その男はうやうやしく低頭したが、まったく意に介していないことは態度からもわかる。
事実、その男はあいかわらず嫌な笑いを浮かべてこう語をつないだのだ。
「しかしながら、陛下。人に見られたくないことを行うときは、十分用心をされてからのほうがよろしいかと思います。まして現在の状況下ではあらぬ疑いを招きますぞ」
「うっ……」
僕は反論に窮し、声を詰まらせた。
たしかにこの男の言うことはもっともである。昼下がりの情事はもっと慎重にするべきなのだ。
この男、なかなかいいことを言うじゃ……いや、感心してる場合じゃないんだ。
この男は、僕とエフェミアがキスをしているところを目撃した。
それはつまり、僕とエフェミアが国王と城勤めの女官以上の関係にあることを知られたも同然である。むろん、キスくらいでなにを邪推しているんだと強弁することもできるが、しかし、それも時と場所によりけりである。
王妃が誘拐されている最中に女官と、しかも自分の執務室でキスをしていたとなると、やはりこれは僕たちが主君と女官という君臣の枠を逸脱して、あきらかに「情事の間柄」であることをしめす根拠になるだろう。
事実、男のにやついたあの顔。あれは完全に「クロ」と断定している顔だ。
「と、ともかく、見たところそなたは憲兵のようだが、予の執務室になんの用かね」
僕は全身の勇気と演技力を総動員し、必死に動揺していない態をよそおったのだが、当の男はというと僕の話などまるで聞いていなかった。
「それにしてもすっかり見ちがえたな、シュザンナ。まさか、お前が城勤めの女官になっているとはね。さすがに貴族の出だけのことはあるな」
と、僕の渾身の演技を完全に無視したばかりか、なれなれしくエフェミアに声をかける始末である。どこまでも失礼な奴だ。
「えっ?」
「俺のことを忘れたのか、シュザンナ。それともとぼけているだけかな」
ややあって、エフェミアがはっと息をのんだ。
「あ、あなたはフォロス……!?」
「そうさ、昔なじみのフォロスだよ。ようやく思いだしたか。ま、無理もないか。お前が俺の前から姿を消して四年にもなるし、おまけにこんなお堅い格好していりゃな」
そう言って男はケラケラと笑い、さらに語をつないだ。
「それにしても驚いたぜ。最初に広間でお前を見たとき、なんだか見憶えがある顔だなとは思ったが、すぐには気づかなかった。ずっと考えてようやくわかった。いやはや、なんともお上品ぶっているじゃないか。嫌み抜きに似合っているぜ」
「あ、あなた、どうして憲兵なんかやっているの?」
「お前と同じ理由――かどうかはわからんが、ともかく俺も裏の商売に見切りをつけてカタギになろうと思ってな。たまたま町の仕事案内所に行ったとき、憲兵隊が屯所の雑務係を募集していた。駄目もとで応募したら、なり手がいなかったのかすぐに採用されてな。ま、捜査権限のない名ばかり憲兵だが、ともかくはれて憲兵様になったというわけさ。で、本来なら今日も屯所でつまらん雑務に追われていたはずだったんだが、人手が欲しいということで城に駆りだされたわけさ。それにしても、まさかお前と再会することになるとは、神様も粋なはからいをしてくれるねえ」
フォロスとかいうその憲兵はまたしても声をたてて笑ったが、すぐに表情をかえ、
「それにしても、ほかの女官に聞いたところではエフェミアとか名乗っているらしいが、いったいなにを企んでいるのかな?」
「やめてよ! 私はもう昔の……」
「おっと、おとぼけは俺に通用しないぜ、シュザンナ。俺はお前がどういう女か、嫌ってほど知っているんだからな。偽名を使って城勤め。しかも王様とは色仲で、おまけに王妃様は誘拐されたときている。これをすべて偶然というには無理がありすぎるんじゃないか、ええ、シュザンナ?」
「そ、それは……」
エフェミアは声を詰まらせ、唇を噛んだ。男がにやりと笑う。
「まあ、王様と色仲だろうとなんだろうと、そんなことに俺は関心はない。人生をやり直そうとカタギになってみたものの、やっぱり俺には宮仕えなんてものは性に合わないらしい。アゴでこき使われるだけで俸給もクソ安いしな。人生はやっぱり金だってことがつくづくわかった。条件次第では見ざる、聞かざる、言わざるを決めこんでもいいぜ」
「感謝の言葉もないわ」
エフェミアが吐き捨てるように言うと男は薄く笑い、今度は僕に視線を転じた。
「それでは陛下、自分はこれで失礼させてもらいます。お邪魔いたしました」
そう言うと、フォロスという憲兵は執務室から出ていった。
それまで呆気の態で二人のやりとりを見ていた僕は、ようやく我に返るとエフェミアに声をかけた。
「なんなんだ、今の男は? たかが憲兵の分際でえらそうな口をきいて。おまけに訳のわからないことをベラベラと……」
だが、僕が横に向き直ってエフェミアを見たとき、なぜか彼女は青ざめた顔でソファーに座り、黙りこんでいた。
「どうしたんだ、エフェミア?」
「……もう、お終いですわ」
「お終い? なにが?」
「私たちの関係ですわ。このまま続けることはおろか、私はもうお城にさえいられません」
「な、何を言っているんだ、エフェミア!」
エフェミアのとんでもない一語に、僕は飛びあがらんばかり驚いた。
しかし、視線の先のエフェミアの顔は冗談を言っているようには見えない。
どう見てもあれはガチで言っている顔だ。
「と、とにかく、予にもわかるように話してくれ」
「わかりました。すべてをお話しますわ、陛下」
エフェミアは小さくうなずくと、そのまま語をつないだ。
「あの男が言ったとおり、エフェミアという名は偽名にございます」
「偽名? つまり偽の名前ってこと?」
「はい。私の本当の名前はシュザンナといいます」
「シュザンナ……?」
愛人の名前がいきなり変わるというのも妙な気分である。
それでもシュザンナか、シュザンナね、シュザンナだなと、せっせと脳ミソに刷りこむ。
「それで、あの男は何者なんだ?」
「私の元恋人ですわ」
「な、なんだって、君の元恋人!?」
おもわず訊き返した僕に、エフェミアこと本名シュザンナは無言でうなずいた。
「私は貴族とは名ばかりの貧乏な家に生まれました。両親は病弱で、それゆえ私が一家を養わなければなりませんでした。しかし、女の身で得られる収入などたかがしれております。かといって娼婦に墜ちる勇気も覚悟もなかった私は、どのようにしてお金を工面するか途方に暮れていました。そんなときです、あの男に出会ったのは。今でこそ憲兵をしておりますが、昔は別の仕事をしていました」
「なんの仕事をしていたんだ?」
「霊感商法の元締めです」
「霊感商法の元締め?」
「はい。家庭のいざこざや病気など、さまざまな悩みを抱えている貴族などを相手に『天国に行けるタン壺』とか『幸運を呼びこむハエ取り紙』といった、効果の根拠のない紛い物を高値で売りつけるあこぎな商売にございます」
「ようするに詐欺みたいなものか」
「さようにございます。そして、あのフォロスという男は、私も属しておりました詐欺集団の頭目でした。誘いに乗って仲間になった当初、詐欺商法などまるでわからなかった私は、あの男に教えを受けているうちに深い仲になったのです」
「なるほど、これでさっきのやりとりが理解できたよ」
僕は得心してうなずいたが、理解できたことはもうひとつある。
なるほど、今にして思えばあの役者顔負けの演技力は、過去の詐欺商法によって培われたものだったのか。どうりで堂に入っていると思ったよ……。
「でも、いくら貧しい生い立ちだからといって、人様を騙して金品を巻きあげるそんな日々に嫌気がさし、私はあの男の前から姿を消しました。四年前のことです。その後、私はたまたま目にした城勤め女官の募集に応募し、運よく採用されましたので、生まれ変わったつもりで今日まで必死にお仕えしてまいりました。人生をやり直すために……」
「だったらそれでいいじゃないか。過去は過去。大事なのは今をどう生きているかだよ」
おっ、われながら今の台詞は男らしくて抜群にキマっていたぞ。完全に思いつきの台詞だけどね。
どうやらエフェミアも同じように感じたらしい。
感極まったように涙を浮かべながら僕の手を握りしめてきた。
「ありがとうございます。陛下ならきっとそう言ってくださると思っていましたわ」
というわけで、この日もう何度目かはいちいち憶えていないが、ともかく僕らはひしっと抱きあい、そして、これも何度目かはもう忘れたが、ともかくそのまま唇をかさねたのである。
いいムードだし、できればこのまま彼女を寝所に誘い「オトナの体話」に持ちこみたいところだが、さすがに真っ昼間からそんなことをしていては発情期の猿も同様である。
一国の王様が盛りがついたエテ公と同レベルというのも情けない話なので、ここは理性を優先し、ぐっと堪えることにした。
ちなみに「オトナの体話」というのがなんであるかは、読者諸君の想像にまかせる。
「とにかく、君は堂々としていればいいんだ。今の君は城勤めの女官として立派に働いているんだからね。あの男のことなんか無視すればいいさ。だいたい、奴に君の過去をうんぬんする資格なんかないじゃないか。元詐欺師の頭目のくせに」
エフェミアは悲しそうに首を振った。
「事はそう単純なお話でございません。たしかに陛下との関係を知られる前なら無視もできたでしょう。しかし、あの男の言い草を陛下もお聞きになられたでしょう。私たちの関係を知ったあのフォロスは、いずれそれを材料に陛下を脅迫してくるでしょう」
「な、なんだって、予を脅迫する!?」
温厚でなる僕も、さすがに怒りをおぼえずにはいられなかった。
エフェミアの元恋人という過去だけでも鞭打ち刑に値するのに、そのうえ国王たる僕を脅迫しようとはまったくけしからん奴である。
それはまあ、こっちも王妃殺しと狂言誘拐までやっている極悪な立場だから、あまりえらそうなことは言えないのだが、それでも役人ふぜいが国王をゆすろうとしているのは、やはりけしからんことである。
「しかたがございません。こちらは弱みを握られています。王妃様が誘拐されている最中、国王陛下は女官と密会するなど深い間柄にある。これを聞けば世の人々はどう思うでしょうか。まずまちがいなく王妃様の誘拐とからめて、あれこれ想像の翼を広げて陛下をお疑いあそばすことでしょう」
たしかにエフェミアの指摘は真理かもしれない。大衆というものはとかく流言飛語に惑わされやすく、また好むものなのである。
もっとも、愛人の女官と再婚したいがために王妃を殺して、おまけに狂言誘拐までやっているのだから、たとえ世の人々が僕に疑いの目を向けても、それは邪推でもなければ憶測でもなく、完璧に真相なんだけどね。
「心配ないよ、エフェミア。簡単な解決方法がある」
「えっ、それは?」
「予があの男に他言無用を命じればすむ話じゃないか。元詐欺師だかポン引きだかしらないけど、国王に命じられたら震えあがってふたつ返事で従うだろうさ」
あっさりと解決策を見いだしたことに「われながら冴えてるぅ!」と、僕はドヤ顔を浮べたのだが、それに対するエフェミアの反応は重い吐息だった。
「申しあげにくいことですが、陛下。あの男に陛下のご威光が通じることはありません。あの者にとって主君や忠義などというものは、道端に落ちている小石よりも価値のないものです。あの男にとって金こそすべて。それ以上のものは存在しないのです」
「な、なんだってぇ!?」
繰り返しになるが、エフェミアの元恋人というだけでもけしからんのに、あまつさえ国王の権威を畏れないとはますますけしからん奴である。
それはまあ、愛人と一緒になりたいがために妻を殺した身勝手な王など敬えるか、という意見もごくごく一部にはあるかもしれないが、それでも国王とは尊き存在であり、民は皆、かしずき、平伏し、尊敬し、そして崇めるべきなのだ。それがファンタジー世界における不動の設定というものなのである。
とはいえ、国王を屁とも思わないというのなら別の手段を考えるしかない。
身分にとらわれない思考ができるところが僕の美点である。
「じゃあ、どうすればいいんだろう?」
「選択肢はふたつしかございませんわ」
「それは?」
「ひとつは私が陛下の前から消えることです。そうすればあの男は陛下を脅迫する理由がなくなりますゆえ、いっさいの問題が解決いたします」
「な、なんだってぇ!?」
思いがけないエフェミアの言葉に、仰天した僕はおもわず屁を漏らしそうになった。
しかし、こんなシリアスな場面で、しかも愛人の前でマヌケにも屁なんか漏らしたら最後、国王として、否、一人の男して死んだも同然である。ゆえに僕は必死のお尻の穴を制御して、どうにかこうにか悪臭の流出を阻止することに成功した。
ふう、あぶなかった……って、こんなことで安堵している場合じゃない!
「そんなこと言わないでくれ、エフェミア! いや、シュザンナか」
「陛下、私は生まれ変わったのです。シュザンナではありません、エフェミアです!」
「す、すまなかった、シュザ――じゃない、エフェミア。とにかく予は、もはや君無しでは生きていけないんだ。だから消えるなんて言わないでくれ!」
「さすれば、残る手だてはひとつしかございません」
「そ、それは?」
「あの男に金品を渡して、口をつぐんでもらうのです」
「えっ、そんなことでいいの?」
エフェミアの言葉に、正直、僕は拍子抜けした。
エフェミアとの関係をネタに脅迫してくるというから、僕はてっきり王位を渡せとか、宰相にしろとか、とてもじゃないが受け入れることなどできない無理難題を要求してくるのかと思っていたからだ。それが金で済むというのなら、こんなに楽な話はない。
「しかしながら、陛下。あの男の金銭欲は際限がございません。血があるかぎり吸い続けるヒルのごとき男にございますよ」
「君のためなら金など惜しくはない!」
これは本心であり、特段格好をつけたわけではないが、エフェミアはたいそう感銘をうけたらしく、
「そう言っていただけると信じておりましたわ!」
と、涙で目を潤ませながら僕に抱きついてきた。
むろん、それを拒むような僕ではない。その細い身体にすばやく腕をまわし、ひしっと抱きしめる。
飽きもせずよくやるよ、という冷ややかなご意見も一部にはあるかもしれないが、しかし、心から愛する女性との抱擁とキスは、たとえ一億回繰り返してもけっして飽きないものなのである。
だが、僕がエフェミアにキスをしようとした、そのとき――。
「陛下、どこにおわしますか! 陛下!」
と、何者かが僕を呼ぶ声がとどろいてきた。もっとも、声だけで誰かはわかる。
「あれはマッサーロだ!」
「私は隠れますわ!」
そう言うなりエフェミアは、とっさにソファーの陰に身を隠した。
マッサーロの奴がノックもせずに執務室の扉を開けたのは直後のことである。
「陛下、やはりこちらでございましたか!」
「どうした、何事だ、騒々しい!」
僕は腹立たしげに吐き捨て、マッサーロをぶん殴ってやりたい衝動に駆られた。
なにしろ愛人とのキスを邪魔されたのだ。これは殴るに足る十分な理由である。
「陛下、落ちついてくださいまし」
と、ソファーの陰からエフェミアがささやく。
僕ははっとした。そうだ、今は平静を装うのだ。
「ええと、何か用かな、マッサーロ君?」
そう言ってから「君」をつけたのは余計な気がしたが、ま、いいか。
「じつはついさっきのことですが、城にまた脅迫状が届けられたのです!」
「なに、また脅迫状が届いたのか!?」
「はい。今、憲兵隊の方々が、本物かどうか内容や字体などを詳しく精査しています」
一度だけならともかく二度もとなると、もはや愉快犯の類ではない。
やはりエフェミアが言ったように、誘拐事件に便乗して大金をせしめようと企む不届きな輩が城勤めの人間の中にいるということだ。
正直、腑に落ちない点もあるのだが、ともかくエフェミアがそう言っているのだからそうなのだろう。彼女の意見に疑問をもつなど、天に向かって唾を吐くのもひとしい行為である。
「よし、わかった。これから予も広間に向かう」
僕はソファーから立ちあがり、マッサーロを連れて執務室を出た。