三章 ライツ・オブ・ザ・ケース その⑤
二人の姿が部屋から消えたのと前後して、ミランダは僕に向き直り、なにやら意味ありげな微笑を浮かべた。
「それにしても陛下は、まことに強運の持ち主でいらっしゃますね」
「強運?」
「はい。あれだけのことがあったというのに、最後はお一人だけ、さまざまな意味で生き残られました。これを強運と言わずしてなんと申しましょうか」
「それは皮肉か、ミランダ?」
「いいえ、本心からそう思っているのですよ、私は」
そう言って、ミランダは薄く笑った。
僕の目にはどう見ても皮肉っているようにしか見えないのだが、それでも不思議と反感はそそられなかった。
ひとつには、自分でもそう思っているところがあったからだが、それでもミランダの言葉にはおおいに異論がある。
信頼していた宰相には謀殺されかけ、妻たる王妃はその方棒を担ぎ、愛していた女官には陰で裏切られる。
こんな人間のどこが強運の持ち主なのか。どう考えても疫病神に取り憑かれているとしか思えないぞ。一連のことを思い返すたびに僕はつくづくそう思う。
もっとも、そんな僕を騙し、欺き、脅し、裏切った人間がことごとく死んだことを考えれば、たしかに強運の持ち主と言えないこともないが……。
いや、待てよ? よくよく考えてみればまだ一人残っているぞ。
国王たる僕を脅迫する極悪な家来がまだ一人!
「そうだ、ミランダ。ひとつ話しておきたいことがある」
僕はブルーク隊長に脅されていることをミランダに話した。
「そうでございましたか……」
特に驚いた様子もなく、淡々とした態でミランダはうなずいた。
「あの隊長、一見、バカでボケているように見えるが、エフェミアが死んだことを知れば予が口封じのために殺したものと思い、次は自分の番だと警戒するんじゃないかな」
「つまり、ブルーク卿が第三者に秘密を漏らす恐れがあるとおっしゃるのですね。自分を殺したら秘密が漏れるぞ、という脅しをかけるために」
「うん、あの隊長ならそう考えてもおかしくない」
「ならば、答えはひとつしかございません」
「エフェミアの死が知られる前に彼も消すか?」
「はい。後日の憂いを断つ方法はそれしかないかと」
「……そうだな。予もそう思う」
どこか憎めない男だが、まあ、しかたがない。
なに、脅迫してきたあいつが悪いのだ。役人の分際で国王たる僕を脅し、金銭をせしめようとするその不埒な性根が招いたこと。自業自得というやつだ。
「で、あの者にはどうやって死んでもらう、名脚本家どの?」
ミランダは苦笑した。おっ、めずらしく僕が一本取ったぞ。
「そうでございますな……」
城中きっての名脚本家はしばし考えこんだが、それも長いことではなかった。
「かの御仁は責任感が強く、また忠誠心も高い王国騎士の鑑。王妃様のご遺体を見つけ、事件を無事解決できなかったことに対し責任を感じ、自ら毒の入ったワインをあおっても不思議ではございません」
「……わかった。それでいこう」
さすがは名脚本家。無理のない、それでいて死者に対する敬意がこもった筋書きだ。
これなら殺される側もさぞかし満足(?)だろう。
さよなら、ブルーク隊長。葬儀のときは、これでもかとばかりの名誉と賞賛に富んだ弔辞を送ってあげるから、まよわず成仏するんだよ。では、アーメン……。
「それでは陛下、私はこれにて失礼させていただきます」
うやうやしい一礼を残して、ミランダは執務室を出ていった。
しんと静まりかえる部屋に一人残った僕は、ソファーに座ったままぼんやりとしていた。
今頃、現地に向かった憲兵隊と騎士団の連中がエリーゼの死体を発見し、大騒ぎになっているかもしれないが、しかし、それで僕が疑われることはない。
すべてはジアドスとその仲間による犯行であり、事件の首謀者たるジアドスは死に、彼の仲間は身代金を取りそこねたことに腹を立て、王妃を殺して国外に逃亡した。この結末に疑いをもつ人間はいないだろう。
あとは妻を殺された悲劇の夫を国民の前で演じ、時期をみはからってあらたな王妃を娶る。その間にも事件の真相を知るブルーク隊長も消す。
それらはすべてミランダにまかせればいい。
あの切れ者の婆さんなら、僕に見合った女性を見つけてきてくれるだろうし、ブルーク隊長もごく自然な形で「自殺」させることだろう。
何から何まで六十越えの婆さんにまかせきりというのも情けない話だが、今回の一件がそうだったように、僕という人間は基本、他人まかせで何もしないほうがいいのだ。
宰相と王妃には謀殺されかけ、盗賊には直接命を狙われ、憲兵には脅迫され、あまつさえ狂言誘拐まで引き起こしておきながらあらゆる面で他人まかせに徹したため、こうして傷つくことなく一人生き残ったのである。
一方で、奇妙なむなしさも感じている。
今回の一件で、自分が哀れな「裸の王様」であったことを知ったからだ。
信頼して国政を託した宰相にも、好き放題させていた王妃にも、心から愛していた女官にもことごとく裏切られた。そればかりか役人風情にまで脅される始末である。
なにが国王か、道化者もいいとこじゃないか。僕にはそう思えてしょうがない……。
いや、待てよ。考えてもみれば、僕にはまだ信頼に足る忠実な家来がいるじゃないか。
陰謀から僕を守るため、陰で働いてくれた女官長のミランダ。
母親同様、同じように陰で働いてくれた二人の騎士ミックとキース。
いささか頼りないが、ともかく忠実な侍従官であるマッサーロ。
それを考えれば僕はけっして裸の王などではなく、すくなくともシャツとパンツと靴下くらいはちゃんと着けていたのだ。それで良しとしよう、うん。
そんな思いが脳裏をよぎると、なんだか無性に眠たくなってきた。
とにかく騒動は一件落着したのだから、今日からは枕を高くして寝ることができる。
僕はごろんとソファーに横になった。
たちまち睡魔が内側から全身を浸していき、僕はまどろみの中に落ちていった……。
†
目を覚ましたのは翌朝のことだった。
と言っても、自然に目を覚ましたわけではない。誰かが傍で僕の名を呼んでいることに気づいたのだ。
ゆっくりと身体を起こしながら目を開けると、そこにはミランダの姿があった。
「陛下、朝早く失礼いたします」
「なんだ、ミランダか。どうした、もう朝食の時間か?」
「ご所望とあらばすぐに用意いたしますが、その前にひとつ、陛下にご報告したいことがございます」
「うん、なんだ?」
「つい先刻、例の国境の村に向かった憲兵隊と騎士団からの急使が城に到着いたしました」
「急使?」
「はい。現地の村の廃屋の中で、王妃様のご遺体を発見したとのことにございます」
その一語で完全に目を覚ました僕は、ひとつ息を吐いてから重々しくうなずいた。
「そうか……痛ましいことだな」
「ご心中、お察しいたします、陛下」
僕とミランダは、たがいに沈痛を絵に描いた表情をかわしあった。
当然だろう。なにしろ脚本・演出ミランダ、主演オーギュスト・ラ・ルース・フィリップ・ド・ウル・ウォダー十四世でおくる狂言劇「悲劇の国王オーギュスト十四世」の舞台は、すでに開演しているのだ。
そうである以上、たとえ二人きりだろうと淡々とした姿など見せるわけにはいかない。
ましてや「よしよし、うまくいったな」などと、ほくそ笑んで握手をかわすなど論外である。
もはや幕が降りるまで、ひたすら演じきるのみだ!
「わかった。急ぎ葬儀の準備をさせよ。ミランダ、お前がとりしきれ」
「かしこまりました。それと陛下、いまひとつご報告したいことがございまして」
「うん、なんだ?」
「急使の報告によれば、現地は猛烈な雷雨に見舞われていたとかで、城への帰路の途中、凄まじい落雷が一団を襲ったとのことにございます」
「落雷? ケガ人でもでたのか?」
「幸いにもケガ人はおりませんが、不幸にも死者が一名でたとのことです」
うーむ、幸か不幸か、議論の分かれるところではある。ま、それはさておき……。
「誰か死んだのか?」
「はい、憲兵隊長のブルーク卿が亡くなられたとのことにございます」
一瞬、僕はぽかんとなった。ミランダの発した言葉をとっさに理解しそこねたのだ。
「あいつ……死んだの?」
「はい、落雷の直撃をまともにうけたとのことで……お気の毒にブルーク卿のお身体は、顔の判別もできないほど灼け焦げてしまったとのことにございます」
なるほど、それではさすがに生きていられないだろう。
いくらツラの皮が豚の皮下脂肪並に厚い男でも、真っ黒焦げになっては……。
ふと顔をあげて視線が合うと、ミランダはうやうやしく低頭し、そして言った。
「陛下はまことに強運の持ち主であらせられます」
まったくだ、と僕も思った。
――オーギュスト14世の華麗なる殺人(完)――