一章 キング・イズ・マーダー その①
およそ世の中というものは、予期できないことの連続で成り立っている……。
王立学院で学んでいた学生時代、そこの先生の一人だったお偉い哲学者が得意げな顔でそう口にしていたことを、僕はなぜともなく思いだした。
だからこそ人生は面白いのだ、とその先生は続けたのだが、現在の僕の状況に照らし合わせると、面白いどころかはなはだ不愉快でしかない。
それも当然であろう。草木もグーグーといびきをかいて眠っているであろう真夜中に、呼んだ憶えも面会の約束をした憶えもない招かれざる訪問者が、寝所の呼び鈴をチンチンと鳴らして僕を呼んでいるのだ。これでは不愉快にならないはずがない。
おまけに今の僕は、そんな深夜にもかかわらず自分の寝台の上で「極秘の仕事」の真っ最中だったので、突然の呼び鈴の音になおさら驚き、おもわず胸のあたりにキュッと締めつけられるような痛みを感じたほどだ。
ほんと、心臓に悪いとはこのことである。
ともかく今の僕には無礼なアポなし訪問者の相手などしている暇はなかったので、無視してそのまま「極秘の仕事」を続けていたのだが、そんな僕の事情など知ったことかといわんばかりにあいかわらず呼び鈴を鳴らし続けている。チンチンうるさいよ、まったく!
無神経な訪問者に対する怒りもあって、僕は断固無視することにした。
なに、もう熟睡しているだろうと考えてそのうち諦めるだろう。
僕はそう考えて引き続き目の前の「極秘の仕事」に集中しようとしたのだが、件の訪問者は諦めるどころかあいかわらずチンチンと呼び鈴を鳴らしているではないか。
おまけになんだか向こうも意地になっているようで、気のせいか、わずかな間をおいて繰り返される鈴の音は、「さっさと出てこいよ、おらぁ!」と僕を恫喝しているように聞こえないでもない。
おもえば、あの小うるさい純金造りの呼び鈴を選んだのは妻のエリーゼだった。
その金属質の音が耳障りに思えた僕は、もっと澄んだ音を出す青銅製の呼び鈴にすべきだと提案したのだが、
「私は金が好きなのよぉぉ!」
とかのたまって、エリーゼの奴はまったく聞く耳を持たなかったのだ。
そういう経緯があるからなのか、こういうときに聞くとあらためてあの呼び鈴の音はヒステリーを起こしたときのエリーゼの声に似たものがある。
なんとも聞く者の心を不快に、いや、殺意すら抱かせる音なのである。
それはともかく、件の訪問者はあいもかわらず呼び鈴を鳴らし続けている。
こうなると、さすがにこっちも根負けするというものだ。
ひとつには、それまでとりかかっていた「極秘の仕事」がようやく終わったので、応じてやろうかという気分になったこともある。
それにしてもいったい誰だ?
こんな夜中に、しかもこんな「非常時」に訪ねてきやがって……。
僕は内心でぶつぶつと文句を言いながらも、ともかく乱れたガウンを直して寝台から出ると扉の前に立って声を投げつけた。
「誰だ、こんな夜中に予の寝所に押しかけてくる無礼者は?」
「私ですよ」
おい、コラ! 真夜中に人の寝所に押しかけてきて、その返答はないだろう。
名乗らないことはもちろんだが、こともあろうに誰何した主君に向かって「私ですよ」とはちょいと態度が軽すぎやしませんか? 僕は王様なんだぞ、王様!
もっとも、声を聞いただけで誰なのかはすぐにわかった。
そもそも国王である僕にこんな軽くてナメた口をきける人間はこの城に、いや、国中捜してもあの婆さん以外にはいないのだ。
さすがに相手も失礼だと思ったらしい。すぐに語を補足してきた。
「女官長のミランダにございます。夜分申しわけございません、陛下。急ぎお伝えしたいことがありましてまかりこしました」
こんな夜中にか? 僕はますます不審をおぼえた。
ある理由から僕としては扉越しの応対ですませたかったのだが、女官長自ら急ぎ伝えたいことがあると言われては、さすがにそれもできない。
僕はしぶしぶ扉を開けて、訪問者を室内に招き入れた。
「失礼いたします、陛下」
と、形ばかりはうやうやしく一礼して部屋に入ってきたのは、この城で女官長を務めているミランダである。
僕の祖父の代から仕えている最古参の女官で、若かりし頃はそれはもう優美な貴婦人であった(あくまで本人談)らしいが、齢六十を越えた今では半分化石になったような、生気のないしわだらけの容姿をした老女でしかない。
だが祖父、父、そして僕という三人の国王に仕えてきた古参女官としての権威、というか存在感は絶大で、部下の女官たちはむろんのこと、宰相や侍従官長といった国の重臣たちですらこの婆さんには一目も二目もおいている。
おまけに僕のことをデキの悪い息子と見ている態度がありありで、しかもそれをすこしも隠そうとしない。それは先の扉越しのやりとりからもわかってもらえると思う。
それはまあ、自分でも出来がいい人間とは思っちゃいないが、それでも国王なんだからすこしは敬えよと文句のひとつも言いたくなるのだが、先代の国王、つまり僕の父ですらこの婆さんにはてんで頭が上がらなかったのだから、僕なんかが物申すことなどできるはずもない。
それはさておき、僕はできるだけ不機嫌さを押し殺してそのミランダに質した。
「こんな夜中に何事だ、ミランダ?」
「はい。じつは国境の代官所から急報が入りましたので、ご報告にまいりました」
「急報だと?」
「はい。近年、近隣諸国で無法のかぎりを尽くしている黒狼団のことは、殿下もご存じかと思いますが」
「陛下だろう!」
「失礼いたしました、陛下」
そう言ってミランダは低頭したが、悪びれた様子は微塵もない。
「まったく……で、黒狼団というのは、あの盗賊団のことか?」
「さようにございます」
と、ミランダはうなずいた。
生まれたての赤子でもないかぎり黒狼団を知らない者はわが国にも、そして近隣諸国にもいないだろう。
強盗、誘拐、殺人、詐欺、麻薬売買に人身売買と、およそ考えられるかぎりの悪事に手を染めている極悪集団で、その名を聞いただけで子供が怯えて泣きだすと言うくらいだから、その恐ろしさがわかるだろう。
さすがにこんな連中を野放しにしておくわけにもいかないらしく、わが国を含めた近隣諸国の軍隊が手を組み、黒狼団の壊滅作戦を実行した。昨年のことである。
凶悪無比でならす盗賊団もさすがに諸国の連合軍が相手ではひとたまりもなかったらしく、当初は激しく抵抗していた盗賊たちも、次々に殺されるか捕まるかしてたちまち組織は崩壊。
かくして黒狼団はこの世から消滅したのである。すくなくとも僕はそう聞いていたのだが……。
「かの盗賊団は、たしか消滅したと聞いたぞ」
「ええ、組織そのものは壊滅しました。ただ、残念なことに頭目のジアドスなる者だけが捕縛されることなく、現在も逃走中にございます」
「で、その黒狼団がどうした?」
「代官所からの報告では、今申しあげましたそのジアドスなる盗賊が、風貌や素性を巧妙に変えて、どうやらわが国に逃れてきたようなのです」
「わが国に逃げてきた? そいつは厄介だな」
「はい。そのような危険な賊が国内に逃れてきた以上、陛下におかれましては明日に予定されていたストンズ侯爵との狩猟会は、しばらく見合わせたほうがよろしいかと存じます」
「ああ、そういえば明日だったっけ、侯爵との狩猟会は?」
正直なところ、言われるまで僕はすっかり忘れていた。
なにしろここ十日ばかりは、さっき終えたばかりの「極秘の仕事」のことしか頭になかったので、もともとそんなに興味がなかった狩猟会のことなどすっかり失念していたのだ。
「うむ、わかった。そういうことなら仕方ない、明日の狩猟会は中止としよう。ストンズ侯爵にもその旨を伝えておいてくれ」
「かしこまりました。朝一番で使者を侯爵の屋敷に向かわせます」
「そうしてくれ。じゃあ、用件はそれだけだな。僕、じゃない、予は休むぞ。お前ももう休め、ミランダ」
「そうさせていただきます。では、お休みなさいませ、殿下」
「陛下!」
「失礼いたしました、陛下」
形ばかりはうやうやしい一礼を残して、ミランダは部屋から出ていった。
まったく、ミランダの奴。即位してもう三年になるというのに、あいかわらず僕のことを王子扱いしやがって……。
それはともかく、盗賊団の頭目が国内に逃げこんできたという情報には、やはり心穏やかではいられない。
伝え聞く連中の悪行の数々はどれも耳をふさぎたくなるものばかりで、ましてその頭目ともなれば残忍さも相当なものだろう。そんな凶悪な賊に国内をうろうろされては、おちおち城の外にも出れやしない。
やはりここはミランダの忠告どおり、賊が捕縛されるか、もしくは国外に出たという報告が入るまで城でおとなしくしていたほうがよさそうだ。
さすがに城の中にいれば、いくら凶悪な盗賊でも手出しはできないだろうし……。
そう考えた僕はたいして気にとめることなく、それでいて、しっかりと扉の鍵をかけてから奥の寝台に戻っていった。
べつに臆病風に吹かれたわけではない。
女官長の忠告を受け入れたにすぎないことを強く主張しておく。
「そうだ、ワインでも取ってくるかな」
寝台に戻る途中、なんだか無性にワインが飲みたくなった僕は、そのまま寝所の奥へと足を運んだ。
僕の寝所には小規模ながらもワイン倉庫が敷設されていて、そこには赤白あわせて百本を超えるワインが保管されてあるのだ。
これらはすべてワインをこよなく愛する王妃が――僕に言わせりゃただのアルコール中毒だが――金にものを言わせて国内外から買い集めたもので、どれも目玉が飛び出るような値段にふさわしい極上の逸品ばかりである。
「さてと、どれにしようかな……」
整然と棚に飾られたワイン瓶をひとつひとつ覗いてまわった僕は、その中から三十年物の赤ワインを一本選んで倉庫を出た。
寝所に戻ってきた僕はその一角に置かれた革張りのソファーに腰を降ろすと、ナイフを使って瓶のキャップ紙をはがし、コルク栓を開け、わずかな曇りもない綺麗に磨きあげられたグラスにワインの液体を注ぎ入れた。
自分で言うのもなんだが、いっさい無駄のない流れるような手際である。
なにしろ普段から王妃にやらされている身なので、これだけは自信があるのだ。
まるでルビーを溶かしたようなワインの液体がグラスを満たすと、果物の蜜のような芳醇な匂いが僕の嗅覚を刺激した。
やはり上等なワインはちがう。この匂いを嗅ぐたげで、身体の中から疲労が流れでていく気がする。
まあ、講釈はこのくらいにして、ともかく一杯……うむ、さすがに美味い。
年代物の逸品ということもあるが、やはりひと仕事終えたあとの一杯は格別である。
これに関しては一国の王も市井の労働者も変わらない感覚なのだ。
さて、上物のワインを飲んで気分もリフレッシュしたので、このあたりでそろそろ自己紹介をしておきたいと思う。