二章 パニック・イン・キャッスル その⑦
「それは、まさに死闘でした!」
そう言ってブルーク隊長は吐息し、「それでも犠牲は出てしまいました」
ぬけぬけとよく言うよ、と、僕は内心で毒づいた。
ここは城の謁見の間。時間はすでに夕方である。
城の中は騒動の余韻がまだ残っていてあいかわらず騒然としていたが、中でも謁見の間は今や憲兵隊だけではなく騎士団までもが大挙して駆けつけ、てんやわんやの大騒ぎであった。
さすがに一国の宰相が賊に殺されたこともあって、責任者としてブルーク隊長はその経緯と説明に追われていたのだが、
「私は陛下の御身を守るために、お傍から動けませんでした」
と、責任逃れするだけなららまだしも、言うにことかいて、
「すべては城側の牢の管理があまかったことが原因ですな」
などと、こっちに責任を押しつける始末。この野郎、扼殺してやろうか!
ともかく、正直こんな騒がしいところに僕は近づきたくなかったのだが、なんとかという騎士団長が僕に謁見を求めてきたので、しかたなく広間に向かったのだ。
「私は騎士団長のブルームにございます。事件のことは聞きおよびました。宰相閣下をはじめ犠牲者たちには気の毒でございましたが、ともかく陛下がご無事でなによりでした」
玉座に座った僕にうやうやしく挨拶を述べてきたブルームというその騎士団長は、ブルーク隊長と同齢のように見えた。
背はブルーク隊長よりも頭ひとつ分ほど高く、ややグレーのかかった髪をもつ彫りの深い顔だちの、なかなかに端整な容貌の人物である。
「うむ。それにしても宰相のエドモンド侯爵を失ったことは、わが国にとっても大きな損失だ。はなはだ残念である」
「ご心中、お察しいたします」
そこでブルーム団長は、玉座の前にやってきたブルーク隊長に向き直り、
「それにしてもブルーク卿。なぜジアドスのような危険な賊を城に連れてきたのです。尋問なら屯所でもできたはずでは?」
「それは奴に素直に自白してもらうためですよ、ブルーム卿」
ブルーク卿にブルーム卿となんだかまぎらわしいので、ここからは役職名で呼ばせることにする。
「自白……ですか?」
「そうです。お前はほかの罪人とはちがう! あの種の悪党はこのフレーズに弱いのです。王城での尋問という特別扱いをしてやることで、極悪人の冷たく凍った心は氷解し、感動のあまりその場に泣きくずれ、洗いざらい罪を白状する。それを狙ったのですよ」
まだ言ってるよ、このおっさん……。
一方、ブルーム騎士団長のほうは微量の感銘もうけていないようで、
「そうですか……」
と、端的にうなずいただけである。
「しかし、その結果、陛下を危険にさらし、あまつさえ誘拐された王妃様の所在はわからずじまい。これはとんだ手落ちではありませんか、ブルーク隊長?」
「ふ、ふん、結果論だけならなんとでも言えますな。あの極限状況の中、命懸けで陛下をお守りしたわれわれにケチをつけるのはやめてもらいたいですな、ブルーム団長」
「別にケチをつける気はありませんよ、ブルーク隊長」
ブルーク隊長が不快げに睨みつけ、それをブルーム団長が冷笑で返す。そんな構図である。
僕の見たところ、どうやらこの二人。互いに反感を抱いているようだった。
いや、それはこの二人にかぎった話ではないのかもしれない。
それというのも憲兵隊と騎士団。ともに騎士階級の人間だけが就ける名誉ある仕事なのだが、なぜか伝統的に仲が悪いという話を僕は聞いたことがある。
ブルーム団長がふたたび僕に向き直る。
「それにしても陛下。王妃様の安否が気づかわれますな。主犯の盗賊が死んだ今、解決の手がかりはなくなったにひとしいゆえ」
「う、うむ、まったくだ」
もうエリーゼは死んだ身なので、正直、安否がどうの言われても返答に困るのだが、そうも言えないのでともかく僕はうなずいてみせたのだが、その直後。
「また脅迫状が届きました!」
という声に、たちまち広間内がざわめきだした。
「陛下、どうか中身をご確認してください」
一転して静まりかえる広間。
すべての人間が息をのんで見つめる中、僕は渡された脅迫状の文面に目を通した。
「手紙にこう書かれてある……ジアドスの身柄および身代金と引き換えに王妃を解放する。時は明日の正午。場所は王国領東端にあるラウール村という場所だ」
「なんと、王妃様を解放すると!」
ふたたびざわめきが広間をつつみこんだ。女官たちの中からは歓声すらあがった。
あんな女でもいちおう無事を喜ぶ人間はいるらしい。
でも、ごめんね、もうあのビッチは死んでいるんだよ。死体は消えちゃったけど。
「なるほど、共犯者がいたのか。事件解決の道はまだ残っていたぞ!」
ブルーク隊長が嬉々とした声をあげた。
それにしてもこの隊長も変わった人間である。王妃を殺害したのは僕で、誘拐は狂言ということも知っているはずなのに、まるでそんな風には見えないのだ。
むろん演技なのはわかっているが、それを考えるとこの隊長、そうとうな役者である。
「ようし、憲兵隊の総力を挙げて賊を捕縛するぞ。皆の者、出陣じゃ!」
なんだか戦争かなにかと勘違いしているようだった。
「待ってください、ブルーク隊長。私にひとつ提案があるのですが」
という声はブルーム団長である。たちまちブルーク隊長の顔が不快げにゆがんだ。
「おいおい、ブルーム団長。捜査はわれわれ憲兵隊の仕事ですよ」
「むろん承知していますよ、ブルーク隊長」
と、ブルーム団長は薄く笑い、
「しかしながら、ことは王家にかかわる事件。管轄にこだわっている場合ではないかと。まして王妃様の安否がかかっているとなれば、救出のために協力しあうのが臣下としてあるべき姿ではありませんか?」
「ううっ……」
ブルーク隊長は反論に窮し、唇を噛んで押し黙ってしまった。
どうやら「口の達者さ」では、ブルーム団長に分がありそうだった。
「で、では、貴公の意見とやらを聞かせてもらいましょうか。参考までに」
「いいでしょう」
ブルーム団長はうなずき、語をつないだ。
「賊が指定してきたこのラウールという村は、東の隣国ミカワン王国との国境近くにあります。地理的状況から分析するに、おそらく賊は取り引きを終えると同時にミカワン王国内に逃げこむ腹づもりでしょう。逃げやすい国境の村を指定してきたのがその証拠かと」
「なるほど。逃走路を考えての取り引き場所というわけですか」
ブルーム団長の言葉にうなずくブルーク隊長の顔は、まさに真剣そのものである。
それにしてもこの隊長、どこまで本気なのだろうか?
演技なのはわかっているが、いや、それにしても迫真すぎる。あれはどう見ても本気で納得しているとしか見えない顔だ。
ひょっとして、いわゆる「ボケ」がすでに始まっていて、僕とエフェミアの関係や誘拐が狂言であることなどとっくに忘れてしまっているんじゃないか? そう思わざるをえないブルーク隊長の態度であった。それなら口止め料を払わなくて済むのだが……。
「おそれながら陛下に言上いたしまする」
いきなり声を向けられて僕はあわてた。
「な、なにかな、ブルーク団長?」
「私はブルームです、陛下」
「そ、そうであったな。いや、失礼した、ブルーム団長」
まったくややこしい連中である。
「ともかく私が推察しますに、おそらく賊は、すでに死んでいるジアドスの身柄はともかくとして、身代金を受けとると同時に隣国に逃げこむつもりでしょう。それを阻止するには隣国との街道に人員を配置し、金を受けとって逃げこんできたところを待ちかまえて捕縛する。これしかないと思いますが、いかがでございましょう、陛下?」
「う、うむ、そうだな……」
とりあえずうなずいてみせたが、僕に意見を求められても正直困る。
何度も言うが王妃を殺したのは僕で、誘拐は狂言。盗賊ジアドスは無関係。したがって仲間だの共犯だのは存在しないのである。
そうである以上「もう好きにやってくれ」としか言いようがないのだが、立場上そんなこと言えるはずもなく、
「なるほど。騎士団長の意見、もっともである」
と、もっともらしいことを言ってみる。僕も役者だよな、ほんと。
「おそれながら陛下に言上申しあげます」
という声はミランダだった。
「なにかね、女官長?」
「ここはひとつ、騎士団長殿の申されるとおり、憲兵隊と騎士団による合同作戦を実行すべきかと存じます」
「なに、合同作戦を?」
「はい。隣国に通じる街道はひとつやふたつではありません。人員を配置して待ちかまえるとしても、とても憲兵隊だけでは足りません。ここは騎士団も動員して、賊の捕縛に万全を期すことが吉であろうと思います」
もう勝手にしてくれ! と、僕はなかばヤケになっていたが、続くミランダの「その間、城の中が手薄になってしまいますが」という言葉を聞いて、僕の頭にひとつの天啓が閃いた。
そうだ! どういう理由であれこの連中が城から消えてくれれば、こっちもエリーゼの死体を探せるし、あのフォロス憲兵の死体も処分できる。ついでに飲み食いさせる必要もなくなる。
うん、願ったり叶ったりとはまさにこのことだ。
「うむ、女官長の意見、もっともである。予も異論はない」
たちまち猛烈な異議の声があがった。声の主は言うまでもない。
「おそれながら、陛下。賊の捕縛ごとき、われら憲兵隊だけで十分にございます。かならずや不届きな賊めを捕まえ、王妃様をお救いしてごらんにいれまする」
こいつ、本当にボケが進行しているんじゃないか? 僕は本気で思った。
まあ、たんに「縄張り意識」が強いだけなんだろうけど。
「ブルーク隊長の気持ちはわかる。しかし、ここはひとつ協力して事にあたってもらえぬか。なにぶん王妃の安否がかかっているのでな」
「はあ、それはたしかにそうですが……」
と、あいかわらず不満の様子。
やかましい! ガタガタぬかすと口止め料減らすぞ、こらぁ!
ともかくミランダの提案で一時休戦(?)に入った憲兵隊と騎士団は、僕もまじえて城の会議室で王妃救出作戦について協議をはじめた。
作戦といっても、それほどたいそうなことではない。
その中身をざっと言うと、隣国に通じるすべての街道や山道に憲兵や騎士を先回りさせて配置し、賊が逃げだしてきたところを捕まえる。要はそういうことだ。
作戦がまとまると、彼らはすぐに行動にでた。
憲兵隊はブルーク隊長、騎士団はブルーム団長をそれぞれ先頭に城を出て、一路、脅迫状に記されてあった国境の村へと向かったのだ。
とりわけブルーク隊長にいたっては、城を出る際まで部下たちに向かって「絶対に捕まえろよ!」などと気炎をあげていた。あれは本当にボケが始まっているとしか思えない。
それにしても、まったくご苦労な話である。大挙して向かったところで、現地には犯人などいないというのに――いや、待てよ?
僕ははたと気づいた。共犯の賊はいないとしても、もしかしたら偽の脅迫状を書いた人間がそこで待っているのではないか?
おそらく、いや、まちがいなくいるだろう。なにしろあんな脅迫状を送ってきたのも、事件に便乗して大金をせしめようと考えたからだろうし、そのためには自ら指定した取り引き場所にあらわれなければならない。
それを考えると無意味と思えた憲兵隊と騎士団との合同作戦も、一転して意味をもってくる。できれば正体不明の便乗犯を捕まえてもらいところだが……。
憲兵隊と騎士団が城を去り、城内が静けさを取り戻した時分。僕は湯浴みをするためいったん寝所に戻り、着替えを終えると執務室に入った。
ミランダが部屋に僕を訪ねてきたのは、それからしばらくしてのことである。
「陛下。よろしいでしょうか?」
「なんだ、ミランダ。夕食の用意ができたのか?」
「ご所望とあらば用意いたしますが、その前にまずはお祝い申しあげさせていただきます」
「お祝い? なんのことだ?」
「一連の事件がようやく幕を迎えたことにございます」
「ほう、そうか。それはけっこうなこと……えっ?」
僕はおもわずミランダの顔を見返した。言っている意味がわからなかったのだ。
「なんだって、ミランダ?」
だが、僕の質問にミランダは答えることなく、ゆっくりと背後をかえりみた。
扉の向こうから姿をあらわしたのはミックとキースの二人――だけではなかった。
藍色を基調とする女官服姿の女性が、二人に挟まれる形で扉の前に立っていた。
それはエフェミアだった。