二章 パニック・イン・キャッスル その⑥
「痛ましい犠牲はありましたが、ともかく陛下がご無事でなによりにございました」
淡々とした声で言うミランダに、僕は無言でうなずいた。
ここは僕の執務室である。着替えと休息のため、ミランダをともなって戻ってきたのだ。
予想もしないジアドスの暴挙は、本人の突然の死によって終息した。
それはけっこうなのだが、しかし、犠牲は大きかった。宰相のエドモンドをはじめ、五人もの死者が出たのだ。惨々たる有様とはこのことであろう。
ソファーに座りながら僕は考える。
今にして思えば、あんな危険きわまりない男を城に連れてきたことが、そもそものまちがいだったのだ。
それをブルーク隊長をはじめとする意地汚いあの憲兵連中が、城で飲み食いしたいがために尋問を理由に連れてきて、地下牢から逃げられたあげくあんな暴挙まで許し、結果、死者まで出す始末である。
まあ、城への連行を命じたのは宰相のエドモンドなので、この件で憲兵隊を責めるのは厳密にいえば筋違いなのかもしれないが、しかし、そのエドモンドはジアドスによって殺されてしまい、もっか、怒りをぶつける相手は憲兵隊しかいないのだ。
ゆえに彼らを非難することは筋違いでもなんでもなく、しごく当然というものなのである。
「あの憲兵どもは何をしている?」
「彼らなら広間の片付けをしておりますが」
「次に予が広間に行くまで、一人残らず城からたたきだしておけ。いいな!」
「それはご無理というものですよ、陛下」
やれやれと言いたげにミランダが頭を振る。
「なぜだ? ジアドスは死んだのだぞ。もう城にいる必要はないだろう」
「ですが、まだ王妃様の行方がわかっておりません」
あっ、そうだった! ミランダの指摘に、僕はおもわず胸の中でうなった。
今日は朝からとんでもない騒動に巻きこまれたため、誘拐事件のことなどすっかり忘れていたのだ。
むろん、声にも態度に出すわけにはいかないので、僕は咳払いしてごまかした。
「とにかく予は疲れた。しばらくここで休むから誰も通すな。あとのことはすべてお前に一任する」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
ミランダは一礼して部屋を出ていった。
一人部屋に残った僕は、ごろんとソファーに横になった。そして、天井を見つめながら思案にふける。
いろいろな問題がかさなり、あやうく殺されかけもしたが、ともかく誘拐犯に仕立てたジアドスが犯人のまま死んでくれた。狂言誘拐の首謀者としては、まず喜ぶべき状況といえる。
あとはエリーゼの死体をどこぞの森の中にでも遺棄し、発見させれば一連の計画は終了するのだが、その肝心の死体がどこかに消えてしまったのだ。
「それにしても、誰がエリーゼの死体を持ちさったのだろう?」
僕がそんなことを考えていると、ふいに扉をノックする音が聞こえてきた。
「なんだ、ミランダ。まだ何か用か?」
僕が不機嫌そうに声を投げると、ゆっくりと扉が開き、エフェミアが顔を覗かせてきた。
「私でございます、陛下」
「おおっ、エフェミアか!」
僕はソファーから跳ね起き、エフェミアを室内に招き入れた。その際、熱いキスを交わしたことは言うまでもない。
「それで、エフェミア。階下はどうなっている?」
「広間の片付けはだいたい終わりました。死体もまもなく引き取りにくるとのことです」
「やれやれ、そっちはとりあえずいいか」
エフェミアをソファーに座らせると、僕もその隣に腰をおろした。
「それにしても、陛下。これからどうなるのでしょうか。誘拐犯に仕立てたジアドスは死にました。あとは死人に口なし。すべての罪をかの者に着せて、事件の幕引きをはかるだけなのですが……」
「うん。じつは予もそのことを考えていたんだよ。君の言うとおりジアドスが死んだ今、あとはエリーゼの死体を適当な場所で発見させれば、当初の計画どおりにすべてが終わるのだけれども、その肝心の死体が消えてしまったからな」
「誘拐された被害者が見つからずじまいということは、市井の事件でもよくあることですから、別に死体を発見させなくても問題はありません。問題なのは、セラーから死体を持ちさった人間が、王妃様を殺害したのが陛下であることを知っている、ということです。むろん、誘拐が狂言であることもですが」
「それなんだよ、予が頭を悩ませているのは。それにしても、畜生。いったいどこの誰が死体を盗みやがったんだ」
「やはり陛下がおっしゃられたように、侍従官のマッサーロ殿の仕業でしょうか?」
「うん、たしかにあいつが一番怪しいのだが……」
そのマッサーロはというと、先のジアドスの騒動で生首と死体を目の当たりにしたのがよほどショックだったのか、今、熱をだして自分の部屋で寝込んでいるのだ。
そんな小心で繊細な神経をした男が、はたして死体を盗み出すような真似ができるのだろうか?
それを考えると、どうもマッサーロではないような気がしてくる。
「とにかく、エリーゼの死体を探しださないことには、枕を高くして眠ることもできやしない。なんとか見つけださないと……」
「その必要はありませんよ」
と、突然声が聞こえてきたので、僕とエフェミアは驚き、同時にソファーから飛びあがった。
当然だろう。なにしろわずかに開いた扉の隙間から、あのブルーク隊長が顔を覗かせていたのだから。
「ブ、ブルーク隊長! いつからそこに……!?」
声をわななかせる僕を見て、ブルーク隊長は薄く笑った。
「話はすべて聞かせてもらいました、陛下」
「ぬ、盗み聞きか、隊長!?」
「とんでもありません。陛下にお話したいことがありましたのでお部屋を探していたら、偶然、お声が聞こえましたので。邪魔するのも非礼と思い、お二人のお話が終わるまでここで待っていたというわけです」
なにをぬけぬけと! それを盗み聞きと言うんじゃないか!
「いやはやそれにしても、まさか陛下が王妃様を殺害されていたとは驚きで声もありませんよ。おまけに愛人と組んで狂言誘拐までされるとはね」
「ううっ……」
僕は反論に窮して唇を噛んだ。
なにしろエフェミアとの会話を聞かれてしまったのだ。今さらとぼけても無理だろう。
それにしても扉の鍵を閉め忘れるとは、ほんと、僕はどこまでドジなのだろう。
これじゃあ憲兵連中を役立たずだの、ボンクラ集団だのと笑えないじゃないか。いや、そんなことより……。
「そ、それで、予とエフェミアをどうするつもりだ?」
「私は法の番人たる憲兵です。たとえ国王陛下といえど、人を殺したとなれば看過するわけにはまいりません。お二人を捕縛し、裁判にかける。それが私の仕事です」
そう言うとブルーク隊長はふっと笑い、「まあ、銅貨一枚分の得にもなりませんがね」
「わかりましたわ、ブルーク卿」
という声はエフェミアである。
僕が沈黙を守っている中、エフェミアはブルーク隊長の前まで歩を進め、
「あなたの魂胆はわかりました。ようするに黙っていてほしければ……ということですわね?」
「さ、さすがは陛下のご寵愛をうける女性のことだけはある。話がはやくて助かります」
「恐縮ですわ。で、いくら欲しいのですか? 遠慮せずにおっしゃってくださいな」
「そ、それは……」
エフェミアのストレートな物言いに、ブルーク隊長はとっさに答えられず口をモゴモゴさせた。
心底を見透かしたようにエフェミアが薄く笑う。
「まあ、いきなり訊かれても答えられませんわよね。わかりました、こちらで決めてあげましょう」
そう言うと、エフェミアはあごに指をあてて沈黙したが、
「では、金貨一千枚でどうでしょうか?」
「き、金貨一千枚!?」
一瞬、ブルーク隊長は目玉をひんむいた。それが妙に下品に見える。
「不足ですか?」
「い、いや、まあまあというところですな。ハハハ……」
と、平静を装っているわりにはその表情は硬く、声も裏返っている。動揺しているのがまるわかりである。風貌はいかついが、根は小心な男なのだろう。
「では、交渉成立ですね。そのかわりわかってますわね、隊長殿?」
「ええ、もちろんです」
「それでは出ていっていただけますか。私たち、まだ話し合うことがありますので」
「わかりました。それではごゆっくりどうぞ」
と、ブルーク隊長は素直に応じたばかりか、卑屈なまでにぺこぺこと頭を下げながら僕たちの前から消えた。
ふたたび静けさを取り戻した執務室で、僕は一人、底知れない感動にひたっていた。
事件の真相を知って暗に脅迫してきたブルーク隊長を、たちどころに丸めこんで追いはらったエフェミアの交渉術の巧みさと、なによりその度胸にである。
これが僕だったら、ああもうまく事は運ばなかったであろう。
またぞろ君臣の理屈を発揮してブルーク隊長の反発を買い、事態をさらに悪化させていたかもしれない。
やはり僕のような人間は揉め事には下手に首を突っこまず、ひたすら傍観に徹していたほうがいいのだ。やぶ蛇とはまさに僕のためにある言葉なのだから。自慢げに言うことではないけれど。
「いや、おみごと、エフェミア!」
そう僕が賞すると、エフェミアは僕のもとに駆けよってきて胸に顔をうずめた。
「勝手なことをして申しわけありませんでした。ですが、ああするしかなかったのです」
「なにを言っているんだ、エフェミア。君の機転で何事もなく済んだんじゃないか」
「しかし、陛下に断りもなく、勝手に金貨一千枚などと約束してしまいましたわ」
「ぜんぜんかまわないよ。金貨の千枚や二千枚、惜しくはない!」
僕はひしっとエフェミアを抱きしめ、そのまま唇をかさねた。
ま、正直な話、ブルーク隊長に金貨一千枚をやるのが惜しくないかといえば嘘になるが、それでも罪人として裁判にかけられるよりはずっとましである。
それにしても死んだフォロス憲兵といいブルーク隊長といい、まがりなりにも法の番人たる憲兵が他人の弱みにつけこんで金銭を要求してくるとは、とことん性根の腐った連中である。まったく、わが国の憲兵隊は人間のクズの集まりかと怒りがおさまらない。
国王が愛人の女官と一緒になるために王妃を殺すことは許されても、家来が主君を脅迫することなど決して許されないのである。
今に見てろよ、あのド腐れ隊長め!
一連の事件が無事に終息したあかつきには、地方のへんぴな村の代官所付きの憲兵にでも左遷して、一生、国都には戻れなくしてやるからな。王様を怒らせたことを死ぬまで後悔させてやるから覚悟しておけよ!
ともかくエフェミアとキスをしている間、僕はこれだけのことを考えていたのである。




