二章 パニック・イン・キャッスル その⑤
ほどなく視線が合うと、ジアドスは爬虫類めいた不気味な笑みを僕に向けてきた。
「やあ、王様」
「や、やっぱり逃げていなかったのか!」
「当然さ。まだ俺は仕事を終えちゃいないんでね」
「し、仕事? なんのことだ?」
「すぐにわかるさ。だが、その前にちょいとした余興を見せてやるぜ、王様」
「余興だと?」
「これさ」
そう言って、ジアドスは広間の中に何かをほうり投げてきた。
ゴトゴトと鈍い音を響かせながら、ひとつの個体が広間の床を転がってくる。
それは胴体から切断された人間の生首だった。宰相エドモンドの生首が……。
「エ、エドモンド!?」
たちまち広間内に悲鳴が重なりあがり、女官の中には卒倒する者があいついだ。
そりゃそうだろう。人間の生首なんか見せられたら、まともな人間は正気でいられるはずもない。
こんなもの拝まされて平然としていられるのは、今日までふたつの死体を間近で見ている僕やエフェミアくらいのもんだ。
実際、傍らにいたマッサーロなどは、ショックのあまりか泡を吹いて失神しているし。
「それじゃ、王様。また会おうぜ。ククク」
凄みのある笑いを残して、ジアドスは扉を閉めて姿を消した。
「お、おい、ちょっと待て!」
僕はあわてて叫んだが、ジアドスがふたたび顔を覗かせることはなかった。
事実、タッタッタッという廊下を遠ざかる疾駆音が聞こえてくる。
「おい、なにをやっているんだ。さっさと追いかけないか!」
そう僕が怒鳴りつけると、それまで惚けたように立ちつくしていた警護の憲兵たちはハッとしたように動きだし、各自腰の剣を抜いて広間を飛びだしていった。
まったく、いちいち指図されないと行動できないなのかね、この連中は?
その直後である。またしても複数の悲鳴が僕の鼓膜を打った。ただし、今度は広間の中からではなく外からである。
「な、なんだぁ!?」
驚いた僕はふたたび広間の扉に視線を走らせ、一瞬後、今度は声のかわりに左右の眼球を飛びださせた。
当然だろう。今しがたジアドスを追って広間を飛びだしていった憲兵の一人が、なぜか血まみれの姿で広間に転がりこんできたのだから。
「ど、どうしたのだ、おい!」
「ジ、ジアドスが……ジアドスが……!」
声になっていたのはそのあたりまでで、あとはたんなるアゴの運動でしかなく、何を言ってるのか理解できなかった。それでも憲兵の身になにが起きたかは理解できる。
なにしろ憲兵の腹には一本の矢が深々と突き立ち、鮮血を噴きださせていたのだ。ジアドスの仕業であることは言うまでもない。
「なんだ、これは。弓矢か?」
「これは弩の矢ですよ、陛下」
という背後からの冷静な声はミランダのものだった。
否、声だけではなく、態度そのものも落ち着きはらっていた。
女官たちの手前、責任者としてとり乱すわけにはいかないと思っているのかもしれないが、そうだとしても大した胆力である。
「おい、ほかの憲兵たちはどうした!」
「み、みんな、扉を出てすぐに殺られてしまいました。廊下で待ち伏せをうけて……」
そこで憲兵の声はとぎれ、ほどなく絶命した。またしても悲鳴が広間内にあがる。
それにしても、どうしてジアドスは弩なんか持っているんだ?
「おい、ミランダ。城には武器庫なんかあるのか?」
「いいえ、ございません。観賞用に刃を落とした剣や槍は廊下の壁などに飾ってはありますが、それでも弩の類は観賞用としても置いてはおりません」
「じゃあ、あの男。どこで弩なんか手に入れたんだ……?」
僕の発言を端にして、重苦しい沈黙が広間内をつつんだ。
当然である。ただでさえ危険きわまりない盗賊が、弩というこれまた危険きわまりない武器を持って城の中にいるのだ。これじゃうかつに広間の外にも出れやしない。
「そ、そうだ!」
僕はふと心づいて、傍らのミランダに向き直った。
「おい、ミランダ。ミックとキースはどうした? あの二人なら……」
武勇の誉れ高きあの兄弟なら、いかに武器を持っているとはいえ、盗賊の一人や二人など片腕一本で片づけてしまうだろう。
遅まきながらそのことに僕は気づいたのだが、ミランダの答えはというと、
「すでにわが屋敷に帰してあります。陛下が休まれよとおっしゃいましたので」
というつれないものだった。
なんてこったい! こんなことなら帰すんじゃなかった!
絵に描いたような「後悔先に立たず」に直面して僕は頭をかかえたが、考えてみればもう一度呼べばいいだけだ。
「よし、使いの者をミランダの屋敷に走らせよ。ミックとキースを城に呼ぶのだ」
すぐに異議の声があがった。ほかならぬ兄弟の母親から。
「無理をおっしゃらないでください、陛下」
「どうしてだ? あの二人ならジアドスごとき軽々とやっつけるだろう」
「それはそうかもしれませんが、今、城の中にはあの凶悪な男が武器を持ってうろついているのですよ。不用意に外に出たら最後、さきほどの憲兵たちのように狙い撃ちにされるのは明白です。ともかく今は、ブルーク卿らが戻るのを待つのが吉かと」
「そ、そうだな……」
たしかにミランダの言うとおり、捜索に出ている憲兵たちの戻りを待ってから動いたほうがよさそうだ。
あのブルーク隊長を筆頭に飲み食いすることだけは三人前のごく潰しどもだが、すくなくともジアドスの弩から身を守るための「生きた盾」としては使えるだろう。
とにかく近くにジアドスの気配がないことを確認してから、廊下に倒れていた憲兵たちの死体を広間内に運び入れ、広間の中央で身を寄せあって閉じこもることしばし。ふいに広間の扉が鈍い蝶番の音を発した。
僕たちはおもわずギョッとしたが、舌打ちを漏らしながら広間に入ってきたのはブルーク隊長をはじめとする憲兵たちだった。
「まったく、奴め。いったいどこに姿をくらましやがったのか……」
「ブルーク隊長、戻ってきたか!」
「おおっ、陛下。今、戻りましたぞ。どうやらジアドスの奴、われわれに恐れをなしてどこぞに雲隠れしたらしく……」
「そんなことより隊長。彼らを見てくれ!」
「へっ、彼ら?」
僕にうながされて広間の隅に視線を転じたブルーク隊長は、血まみれの姿で床に横たわる部下の姿にまずきょとんとし、次いで顔から血の気をひかせると、最後にはあうあうと声ならざる声を漏らした。
「こ、これはいったい……!?」
さらに僕が一連の経緯を説明すると、ブルーク隊長の声が驚愕にひびわれた。
「ジアドスが襲ってきたというのですか!?」
「ジアドスが襲ってきたというのだよ!」
理の当然とはこのことで、説明する気にもなれないほどだ。
ついでに言えばジアドスが自己の罪悪を悔い、改心して投降でもしないかぎり、ふたたび襲ってくることも明白である。
呑気な男だが、ブルーク隊長もさすがにそのことを察したらしい。
すぐさま部下の憲兵に命じてテーブルを扉の前に運ばせると、それをいくつも積みかさねて外から入ってこれないように厳重にかためさせた。
「よし、これでいい。ジアドスめ、入ってこれるものなら入ってくるがいい。フフフ」
それまでの蒼白顔から一転、急に笑いだしたブルーク隊長を見て僕は呆気にとられた。
どうやらこの隊長、安心すると気が大きくなるタイプらしい。
それにしてもまいった。本当にまいった。今までもまいったことはいろいろあったが、これはその中でも最上級に値するまいったな話である。
僕はちらりと広間の隅を見やった。床に並べ置かれた死体が視線の先にある。
その数、四体。いや、エドモンドの生首もあるから四体と一個というべきか。
ともかく痛ましすぎる犠牲だが、最悪なのは、犠牲者がこれ以上でないという保証がまったくないということだ。
あのジアドスが突然、自分の罪悪を悔い、改心し、武器を捨てて投降してくるという極小の可能性をのぞけば、おそらくこの先も僕たちを襲い、そのたびに犠牲者がでることだろう。ちっともありがたくない未来予想図だが、事実だから仕方がない。
それにしても、あのジアドス。どうやら僕たちを皆殺しにする腹づもりのようだが、しかし、なにかが変である。
「それにしても妙だな」
それはごく低声のつぶやきであったのだが、いつの間にか僕の背後にいたミランダには聞こえたらしい。
「妙とはなんのことですか、陛下?」
「いや、なんであのジアドスとかいう盗賊、こんな無茶なことやらかしたんたんだろうなと思ってな」
「それは逃げるためではありませんか?」
「そこなんだよ、予がひっかかるのは。そもそも地下牢から抜け出した時点で、十分、城からも出ていけたはずだ。にもかかわらず城の中にとどまって、城の人間に襲いかかる始末。いったい奴はなにを考えているんだと思ってな」
「なるほど。たしかに陛下のおっしゃるとおり奇妙ですわね」
そうミランダは首をかしげたが、じつのところ、僕にはジアドスがなぜこのような行動にでたのか、思いあたることがあった。ずばり「報復」である。
ミランダやブルーク隊長は知るよしもないが、あのジアドスは無実の人間なのだ。
これまで盗賊団の頭目としてさまざまな悪事に手を染めていた男ではあるが、こと今回の事件に関してはまったく無関係な人間なのである。
にもかかわらず、憲兵隊には王妃誘拐容疑で捕縛されるわ、城に連行されて身に憶えのないことで厳しい尋問をうけるわ、あげくには地下牢に投獄されるわと、ジアドスにしてみたら「ふざけんな!」と怒りたくなるのも道理である。
つまり今度の無差別殺傷の背景には、無実の自分を罪人扱いした僕たちへの恨み辛みがあるのだろう。それならばジアドスがこんな無茶な真似をやらかした説明もつく。もちろん、ミランダやブルーク隊長には説明できないことだが。
「いいか、奴ごときに恐れる必要などないのだ!」
突然、ブルーク隊長の声が広間内に響きわたった。
何事かと思って僕が視線を向けると、憲兵たちを前に一人気勢をあげていた。
「いいか! いかに武装しているとはいえジアドスは一人。対するこちらは七十人もいるのだ。恐れる何者もない!」
ブルーク隊長の声に、僕は周囲を見まわした。
どうやら部下の憲兵だけではなく、僕とミランダ、侍従官に女官に衛兵、さらには料理人に清掃員といった城勤めの人間まで「戦力」に入れているらしい。そうでないと七十人という数字は成立しないのだ。
まあ、厳密に言えば憲兵隊も本来の仕事は事件の捜査なので、騎士団とはことなり純粋な戦闘員とは言えないのだが。
「しかし、ブルーク隊長……」
戦力うんぬんの話はともかく、ある不安から僕はブルーク隊長に質した。
「こうしてもう五人が殺されている。聞けば奴は弓の名手とか。そんな男を相手にどういう手段で対抗するつもりなのか?」
「ご心配にはおよびません、陛下。私に策がございます」
「それは?」
「この広間の出入り口はあの扉ひとつだけです。ここがミソです」
「というと?」
「ごらんのように扉の前にはテーブルが積み重なっていますので、外からは入ってくることはおろか開くことさえできません」
「うむ、それで?」
「夕方には交代の人間が屯所から城にやってきます。そのとき彼らは城内の異変に気付き、すぐさま援軍を呼んでくるでしょう。さすれば、さしものジアドスも逃げださざるをえません。われわれはただ広間にいるだけで勝利を手にすることができるのです。戦わずして勝つ、これぞ兵法の極意です!」
そう言ってブルーク隊長は誇らしげに胸を張ったのだが、なんのことはない。要はひたすら広間に閉じこもって、味方が駆けつけてくるまでやり過ごそうというのだ。なにが策でどこが兵法なんだか……。
とはいえ、現状ではそれが最善の策かもしれない。
夕方まではまだまだ時間があるが、ここは籠城に徹したほうが得策のよう……うん、なんだか臭いぞ?
「なんだ、この臭いは?」
にわかに異臭を感じとり、僕は周囲を見まわした。ブルーク隊長があわてて首を振る。
「わ、私はオナラなどしていませんよ」
「いや、この臭いはそんなんじゃ……」
その直後だった。突然、広間の扉付近から火が噴きあがったのだ。
もうもうとした黒い煙がそれに続き、たちまち広間内は熱気と異臭につつまれた。
とっさの出来事に、僕も含めて皆、呆然のあまり声すらだせないでいる。
「は、はやく火を消せ!」
さすがというべきか、いちはやく自己を回復させたブルーク隊長が叫んだ。
その声に鞭うたれた部下の憲兵にくわえ、衛兵や侍従官たちも扉の前に殺到する。
幸いにも憲兵たちへの朝食に出された水や紅茶がまだ残っていたので、総出でそれを火にぶちまけ、なんとか消し止めることができた。やれやれである。
「それにしても、どうして火が……?」
僕の疑問にミランダが答えた。
「この臭いから察するに、おそらく外から扉の隙間に油を流してそれに火をつけたのでしょう。城の調理場に行けば油はたくさんございますから」
むろん誰がこんな真似をしたのかは明白である。ジアドスだ。
「ふん、火攻めとはこざかしい!」
ブルーク隊長が床を蹴りつけて吐き捨てた。
「しかも、このていどのチンケな火でわれわれを焼き殺そうとするとは、やはり盗賊、知恵が浅い奴だ!」
と、隊長はせせら笑い、「ま、ちょっと咳きこむていどだな」
「それだけならよろしゅうございますが……」
という心配そうな声はミランダだ。
「何か問題でもあるのか、ミランダ?」
「はい、陛下。ジアドスが広間ではなく扉だけを燃やそうと考えたら、いささかまずいことになります」
「どうして?」
「あの扉を失えば、私どもは丸裸にされたも同然です。ジアドスの弩から身を守る術がございません」
どうやらジアドスも同じ発想にいたったらしい。
消火したのも束の間。またしても黒煙が扉の隙間から広間内に入りこんできた。
たちまち扉越しに凄い熱気が伝わってくる。ミランダが危惧したとおり、ジアドスが扉に油をかけて火をつけたのだろう。
「まずいぞ、ブルーク隊長。奴はあの扉を燃やして、こっちを丸裸にするつもりだ!」
他人からの受け売りを、さも自分の考えのように言えるあたりが僕の長所である。
「ひ、火を消すんだぁーっ!」
と、ブルーク隊長はヒステリックな声をあげたが、扉の外側で燃えている火を室内にいる人間が消せるわけがない。
命令をうけた憲兵たちもどうしていいかわからず、困惑の顔を交わしている。そりゃそうだろう。
そうこうしている間にも扉は徐々に黒く変色しはじめ、隙間からは黒煙がまるで蒸気さながらの勢いで広間内に噴きだしてくる。
これでは焼け落ちるのは時間の問題だなと思っていたら、案の定、そのとおりで、蝶番の部分がメキメキという鈍い異音をあげながら壁からはがれると、ほどなく扉そのものも崩れ落ちた。
その瞬間、床に落ちた衝撃で噴きあがった火の粉がはげしく散華し、次いで、まるで黒い積乱雲を想起させる黒煙が広間内に吹きこんできて、たちまち僕たちを呑みこんだ。
その煙の濃度たるや、凄いのなんのって。なにしろ隣の人間すら見えないのだ。
おまけに目は痛いし、涙はあふれるし、息苦しいし、咳は止まらない。だが、本当にやばいのはこの後だ。
「や、奴が来るぞ! みんな備えろ!」
僕はとっさに叫んだのだが、なにをどう備えていいのか、僕自身もよくわからなかった。
なにしろ煙で何も見えないのだ。この状況で矢を撃たれたらひとたまりもない。
とにかく僕は床に伏せて、煙がおさまるのを待った。幸いにも煙は予想よりもはやく薄れていき、ほどなく視界が回復した。床に伏せたまま前方に視線を走らせる。
そこに見たのは無惨に焼け落ちた広間の扉。しかし、一向にジアドスは襲ってこない。
それどころか、待てども待てども姿すら見せない。
扉が無くなった今、あの残忍な顔を覗かせて「もう終わりだぜ」とか「覚悟しろよ」と、冷酷な薄笑いまじりに脅しのひとつもかけてきそうなものだが……。
「奴はどうした、なぜ姿を見せない?」
僕は疑問の声をあげたが、答える者は誰もいない。
ミランダをはじめ、皆、僕と同じように床に伏せたまま、黒くすすけた顔を見交わしている。
ブルーク隊長にいたっては、伏せたまま頭の上で両手を合わせて「お母ちゃーん!」と悲鳴をあげていた。とことん頼りにならない男である。
ともかく、じっとしていても埒があかないので、憲兵隊を先頭に立たせて僕たちはおそるおそる広間から出た。
当然というべきか、いぜんとして凄まじい熱気が一帯にたちこめ、煙と油の臭いも廊下中に充満している。しかし、肝心のジアドスの姿はそこにもなかった。
「妙だな。あの男はどうしたのだ?」
僕が疑問の声を漏らして首をかしげると、さっきまで震えあがっていたブルーク隊長はたちまち元気になり、
「奴め、さては恐れをなして逃げたな」
と、高笑いをあげたのだが、その直後、
「ジアドスがいたぞ!」
という声に誰よりも早く反応し、部下の背後にすばやく回りこんだ隊長の動きを僕の目は見逃さなかった。
とにかく声がした方に僕たちが向かうと、角を曲がった廊下の先にジアドスはいた。廊下の壁にもたれるような格好で床に座りこんでいたのだ。
その足下には、例の弩が無造作に置かれてある。
「お、おい、ジアドス。神妙にしろ、この悪党め!」
ブルーク隊長が怒号を投げつける。
台詞じたいは威勢がいいが、震え声では説得力に欠けるというものだ。しかも部下の背中に隠れながら叫んでもねぇ……。
「どうした、なんとか言え、ジアドス!」
さらにブルーク隊長が叫んでみるも、ジアドスからの反応はなかった。あいかわらず黙ったまま床に座りこんでいる。
なので、おそるおそる僕たちはさらに接近をこころみた。
やがて十歩ほどの距離まで接近したとき、ジアドスの周辺の床が赤く染まっていることに気づいた。
さらによく見ると、どういうわけかジアドス自身の身体も、口まわりから腹部にかけて赤く染まっているではないか。
「なんだ、この赤いのは?」
ブルーク隊長が疑問の声を漏らしたとき、床のジアドスがようやく反応を見せた。
生気のない目で僕たちを見やり、これまた生気のない笑みを浮かべる。
「へ、へへ……どうやら悪運尽きたようだ。情けねえ……」
ジアドスが苦しそうに血を吐きだしたのは直後のことである。
突然のことに僕もブルーク隊長も、否、その場の誰もが困惑のあまり声もだせなかった。
「その方、ひょっとして病を……?」
僕がそう声を向けると、ジアドスは力なく笑い、
「ああ、いわゆる不治の病ってやつだ。医者が言うには臓腑に腫瘍があるんだとさ」
「腫瘍……」
「まったく、笑えねえよな。お楽しみはこれから本番ってときに、まさかあの世からお迎えが来ちまうとはな。とことんツキに見放された人生だったぜ。ま、それも悪くなかったが……」
と、またしても吐血。これはどうやら本当のようだ。
「そんな身体で、どうしてこんな無茶なことを?」
そう訊ねた僕に、ジアドスはまたしても力なく笑ってみせた。
「へへっ、別に理由なんかねえよ。ただ、死ぬ前に派手に暴れたかっただけさ。天下の大盗賊ジアドス様の最期にふさわしい……」
言葉になっていたのはそのあたりまでだった。
ジアドスの口はなおも動いていたが、それはただ唇の微動として発現しただけで、その声は僕を含めてこの場にいる誰の耳にも聞きとれることなく、廊下の宙に消えていった。
やがて完全に動かなくなったジアドスを、僕たちは声もなく見つめていた……。




