二章 パニック・イン・キャッスル その②
僕が頭をあげて前方に視線を転じると、広間の正面扉が開き、そこから憲兵の集団がぞろぞろと入ってくる光景が見えた。
集団の中心に一人だけ装いの異なる男がいた。それが件の盗賊ジアドスであることは言葉にする必要もなかった。
なにしろ両手には木製の手錠がかけられ、腰には太い紐が巻かれているのだ。絵に描いたような罪人の姿である。
僕をはじめ、広間に立ちならぶすべての人間の視線が、その男ジアドスに注がれた。
もっとも、彼らの顔に怯えている様子はまるでなく、むしろ奇妙な珍獣でも見るかのような、好奇心に満ちた表情をしている。
まあ、手配中の盗賊なんか間近で見る機会などそうそうないので、気持ちはわからんでもない。
そんな広間にあって、ただ一人宰相のエドモンドだけは、例の悪鬼を思わせる表情を浮かべて、連行されてきたジアドスに鋭すぎる眼光を向けていた。
なにやら殺気すら感じるその形相に僕などはおもわず身震いしたほどだが、ふと心づいてそのエドモンドに訊ねた。
「それにしてもエドモンド。どうして城への連行なんか命じたのだ? 尋問なら憲兵隊の屯所でもできると思うが」
「それはむろん、非道にも王妃様を拐かした憎き凶悪犯の顔を、陛下にも一度見ていただきたいと思ったゆえです」
「そ、そうか……」
どうやら僕に対する配慮のようなので、いちおう納得したようにうなずいてみせたのだが、じつのところ憎き凶悪犯とか言われてもピンとこないのである。
そりゃそうだ。なにしろ誘拐は狂言で、このジアドスとかいう盗賊はなにひとつ関係していないのだから、憎むほうが無理というものだ。
とはいえ、他人のエドモンドがああも憤った態を見せているというのに、夫の僕が淡々としているのも不自然なので、ここはひとつ彼を見ならい、僕も憤怒の表情を浮かべることにした。
目端をつりあげ、唇を噛みしめる。鏡が近くにないのでなんとも言えないが、ま、それなりの表情はできていると思う。
しかし、こんなメンドーな「顔芸」までせにゃならんのだから、被害者の夫という立場もなかなか大変なのである。
それにしても、と僕は思う。凶悪犯とエドモンドは言ったが、憲兵たちに連行されてきた男には、その種の雰囲気はあまり感じられなかった。
盗賊ジアドスは、年齢は三十代前半くらいだろうか。
中肉中背の身体に青灰色の瞳が印象的な、まず端整といっていい顔だちをした男で、どことなく知的な印象すらうける。すくなくとも世間から恐れられている凶悪な盗賊という雰囲気は僕には感じられなかった。
そうこうしている間にも広間の中央にまで連れてこられたジアドスはそこで床の上に座らされ、ブルーク隊長がその前に立ち、その顔をじろりと見おろす。人相から言えば、こちらのほうがずっと悪人面だ。
「ブルーク隊長。盗賊ジアドスを連行してまいりました」
「ご苦労だった。しかし、ずいぶん時間がかかったな」
「はあ、じつは途中で食事をしてきましたので」
「なに、食事だと?」
「はい。こいつ曰く『どうせ俺は死刑になる身だ。それならせめて最後の晩餐をさせてくれ』なんて言うもんですから。支払いは自分でするというので、つい許してしまいました」
憲兵の説明に、ブルーク隊長は薄く笑った。
「ふん、さすがに自分の末路はわかっているらしいな。それで、こいつは何を食べたんだ。焼き芋か?」
「いえ、城下にある〈至高亭〉という店に立ち寄り、そこで食事を取りました。この男がどうしてもそこで食べたいと言うもので」
「なんだ、そこは。場末の安酒場か?」
「とんでもありません。国内随一と謳われる高級料理店です。貴族を主要な顧客としているほどの店で、たしかこいつが食べたのは金貨三枚のコース料理だったと思います」
「き、き、金貨三枚だと……!?」
ブルーク隊長の顔からたちまち血の気がひいていった。
金貨三枚もする料理がこの世にあるのか? 底知れない驚愕にゆがんだそのいかつい顔は見るからにそう言いたげであったが、そんな上官の心情にまるで気づいていない憲兵が、これまた余計な一語をつけくわえる。
「はい。なにしろ三十年物のビンテージワインが付いていましたからね」
「ビ、ビンテージワインだと!?」
驚愕に声をひびわらせたブルーク隊長はたちまち頭をかかえ、
「な、なんてことだ……せっかく私が考案した自白誘導プランが、すべて台無しになってしまったではないか……」
もともとタダ飯食らうための口実だったくせによく言うよ。僕は胸の中で毒づいた。
「ええい、こうなったらしょうがない!」
頭をかかえたのも束の間、たちまち態度を一変させたブルーク隊長は、ジアドスに詰めよるとえり首をつかみあげ、怒号をその顔に吐きだした。
「おい、ジアドス。素直に白状しろ。王妃様はどこにおられる!」
「王妃様だと? ふん、何のことかわからんね」
「とぼけるな! きさまが王妃様を誘拐し、身代金を要求したということは調べがついているんだぞ!」
「はん、とんだ言いがかりだ。俺はそんなことしちゃいないね」
「嘘をつくな、この極悪人め!」
いや、その男の言うことは本当だよ。僕は心の中でブルーク隊長に声を投げた。
なにしろ真犯人は、あんたの後背で玉座に座っているんだからね。
むろん、そんなことは夢にも思っていないブルーク隊長は、もともと赤い顔をさらに赤くして怒鳴りつけて自白を迫り、それをジアドスが冷笑で否定する。そんな光景が広間の真ん中で延々と続いていたのである……。
†
「それにしても、これからどうなるんだろう?」
謁見の間からふたたび執務室に戻った僕は、ソファーに寝転がりながらそんなことを考えていた。
とにかく問題が多すぎるのだ。
想定外のジアドスの捕縛もそうだが、それより問題なのはワイン倉庫に隠してあるエリーゼの死体である。腐敗が始まるまでになんとか城の外に運び出さなければ、その死臭で気づかれる恐れがあるのだ。
とはいうものの、現状、ああも城の中に憲兵連中がうじゃうじゃといては、とても運び出すことなど無理だ。
なんとかしてあの連中を城から追い出して、さっさとエリーゼの死体を処理しなければ……。
そのとき、扉をノックする音が聞こえてきた。姿を見せたのはマッサーロだった。
「失礼いたします、陛下。お着替えをお持ちいたしました」
「そうか、ご苦労」
そう応じてから僕はふと心づき、マッサーロに訊いた。
「ところでマッサーロ。まだ尋問は続いているのか?」
「いえ、尋問はいったん終わりまして、あのジアドスとかいう盗賊は現在、城の地下牢に投獄されています」
「それじゃあ、憲兵たちも帰ったのか?」
「いえ、今は広間で夕食をお取りになられています」
……僕は無性に腹立たしくなってきた。
事件発生以来、こっちは食事も睡眠もろくに取らず、山積する難題問題をどう解決すべきか頭を悩ませているというのに、本来、僕以上に頭を悩ませるべき憲兵たちが、脳天気を絵に描いた姿で酒や料理を堪能している。こんな不公平なことがあっていいのか?
まあ、その事件を引き起こしたのは、ほかならぬ僕自身なのだが。
「わかった。とにかく予はすこし休む。用件にかかわらず、誰が来ても明日の朝まで取りつぐな。いいな、マッサーロ」
「はあ……しかし、王妃様の安否にかかわることの場合はいかがいたしましょう」
「憲兵隊に全権をゆだねる。彼らに対処してもらえばいい」
そうだ、あいつらにやらせればいいんだ。連中には飲み食いした分はきっちり働いてもらわないと困るからな。
だいたいエリーゼはとっくに死んでいるのだから、安否など気にする必要はないのだ。口に出しては言えないが。
「わかりました。それでは失礼いたします、陛下」
うやうやしい一礼を残して、マッサーロは執務室を出ていった。
やれやれ、これでようやくゆっくり眠ることができる。
僕は毛布を頭からかぶりソファーに横になった。問題は山積しているがともかく寝よう。あとは目が覚めてからのことだ。
せめて眠っている間は何事も起こらないでいてほしいと祈りつつ、僕は睡魔に誘われるままにまどろみの中に落ちていった……。
誰かに揺り起こされたのは、しばらく眠ってからのことらしい。
ゆっくりと目を開くと、視線の先にエフェミアの顔があった。
「エ、エフェミアか。どうしたんだい?」
「お休みのところ申しわけありません、陛下」
「いや、ちょっと横になっていただけで、たいして眠いわけではないからね」
と、微笑まじりに僕は強がってみせた。本当は死ぬほど眠いのだ。
これがエフェミア以外の者――たとえばマッサーロとか――であれば、飛びかかって革紐で身体を縛りあげ、そのままトイレの便器に頭からたたきこんでいただろう。
「じつは陛下に、おりいってご相談したいことがあるのです」
「予に?」
「はい、ここではなんですので一緒に来ていただけますか」
「どこに?」
「私の寝所にございます」
その言葉にある種の直感が働いた僕は、勇んでソファーから立ちあがり、エフェミアとともに執務室を出た。
廊下に出るとあたりは静まりかえり、物音ひとつ聞こえてこない。
窓から望む外界も暗く、どうやらけっこうな時間、僕は眠っていたようだ。
「さあ、こちらへ」
扉を開けてエフェミアの寝所に入ると、その扉を閉めるなりエフェミアがいきなり僕に抱きついてきた。
あるていどの予感はあったが、それでもこの種の積極的な行動は大歓迎である。
「お願いです、私を抱いてくださいまし」
エフェミアはいつになく熱っぽい声でささやいた。たちまち僕の鼓動が倍速化する。
「う、うん。でも、隣の部屋に聞こえないかな」
「両隣の部屋の女官はどちらも帰省しておりますので、今は誰もおりません」
となれば、もはやエフェミアに対する僕の「愛の衝動」を抑えるものはない。
まして愛しい女性に懇願されては拒めるものではない。もとより拒む気など鼻毛の先端ほどもないけどね。
――かくして、しばしの時間が過ぎたとき。「オトナの体話」を終えた僕とエフェミアは寝台の中で互いに肌を寄せ合っていた。
なお、重ねて言うが「オトナの体話」がなんであるかは読者諸君の想像にまかせる。
「嬉しゅうございます、陛下」
「そ、そうかい?」
「はい。陛下に抱かれたことで、私の中の不安がだいぶ解消されました」
「不安? あっ、そうか。何か相談があるって言ってたよね」
「でも、いいのです。これ以上、陛下にご迷惑はかけられませんから」
ふいに悲しげな表情を浮かべたエフェミアを見て、さすがに僕はあわてた。
「何を言っているんだ、エフェミア。君の悩みは予の悩みだよ。遠慮なんてしないでなんでも相談してくれ」
こう見えても僕は一国の王様である。とてつもない権力をもっているのである。
国王たる僕が指の先をちょいと動かすだけで、およそこの世に存在する大概の問題は解決できるようになっているのである。
もっとも、そんな威勢のいいこと言っているわりには、王妃の死体処理ひとつにあれこれ頭を悩ませているのだが。
「そう言っていただけると信じておりましたわ」
たちまち笑顔を取り戻したエフェミアに、僕は誇らしげにうなずいてみせた。
「それで、相談ってなんだい?」
「じつはフォロスのことにございます」
「フォロス? ああ、あの極悪憲兵ね」
「はい。かの者のことで、陛下にどうしてもお話しておかなければならないことがあるのです」
「うん、それは?」
あの強欲な男のことだから、もっと手付け金を増やせとでも言ってきたのかなと僕は推測したのだが、この直後、それがとんだ思いちがいであったことを知った。
「こういうことにございます」
そう言うとエフェミアは寝台から出て、そのまま部屋の隅に歩いていった。
ほどなく白いクロスが掛けられたテーブルの前に立つと、エフェミアはそのクロスをテーブルからはずした。
白樺造りの木製のテーブルと、その下に隠すように置かれていた「物体」が僕の目に映ったのは直後のことである。
「なるほど……」
エフェミアのいう「相談」というものが何であるかを知り、僕は小さくうなずいた。
テーブルの下に置かれていたもの。それは血まみれのフォロス憲兵だった……。