第三章と蛇足
第三章 我らの罪を許したまえ
講堂に備えられた斜塔のうち中央に異様を誇る塔には名前が付けられていた。塔の頂上に名前が彫られた金属のプレートが嵌められている。が、実のところ、プレートは錆び付いて判読不能だ。壁に埋め込まれたプレートを睨み、一つため息を吐く。斜塔の頂上にあるホールにて、俺は所在無く壁にもたれていた。俺の隣には大きな窓らしき物。ガラスのない唯の穴を窓と呼ぶかは人によるだろうが、一年前、マスコミはこれを窓と読んでいた。そう、この窓から平見サクラが飛び降りたのだ。窓からは気だるい赤い光がなだれ込み、暗い階段を照らしていた。
まるでクリムゾンロード。平見サクラはこの道を辿り、あの世に逝った訳だ。
ならばきっと犯人はここから飛び降りるだろう。それも平見サクラが飛び降りたのと同じ時刻に。だから俺は悠々と待っていればよいのだ。
予想は半分外れた。夕日が完全に沈み、月が天の覇権を手中にしたあと、彼女は現れた。
「やあ」気楽に挨拶する。階段の前に佇んだ彼女は、目を見開いて俺を睨んだ。無理もない。やっと平見サクラのもとに逝く決心をしたというのに、俺のような変人に道を塞がれたのだ。彼女でなくても怒るだろう。
「テイリが先生の遺体を隠したの?」
静かな詰問口調。なるほど、死体を確認するために戻っていたのか。
「まあね」俺は表情を取り繕いながらいった。嘘だとばれたら面倒だからだ。彼女を説得するには常にイニシアチブを保持しなければいけない。
「どうして?」言葉には怒りが込められていた。
「偶然と成り行き」正直に答えたが彼女は不満なのか何か諦めるように大きくため息を吐いた
「そう、じゃあ聞いてもいい」
「? 何かな」
彼女はたっぷり時間をかけて呼吸を整えた。動揺しているのが丸分かりだ。
「どうして先生は生き返ったの?」
思わず、口がひきつる。そうか、彼女から見ればそう見えるのか
「生き返ってはいないよ。君が刺したのは別の人間だ。そいつはまだ生きてるから、心配しなくていい」
彼女は視線を下に落とした。肩が小刻みに震えている。
「ところで、随分遅かったね。待ちくたびれたよ」
視線を下に向けたまま、彼女は不本意そうに答えた。
「テイリが余計なことをするから」彼女の視線が上がり、俺の横を通り越して窓の向こうへ据えられた。月が彼女の瞳を妖しく輝かせる。
「また生き返ったのかと思って探し回ってたの、おかげで大遅刻」
ふっと、彼女が笑みらしき表情を浮かべた。退廃的だが、魅力的ではある。この世のすべてを振り切った、空っぽの笑み。それは俺のような人間にとっては麻薬になりえる物だ。しかし今は芳しい香りに堕とされてはいけない。俺は彼女を止めに来たのだから。
「夜之、どうしても死ぬのか」
夜之雲雀は沈黙で答えた。
「あの世なんてないぞ。死んでも、平見には会えない」
「……やっぱり、テイリは全部知ってるんだね」
夜之は力なく歩き始めた。ゆっくり俺との距離を縮める。
「いつから知っていたの?」
「今日だ」触れ合える距離で夜之は歩みを止めた。身長差があるせいで、自然に雲雀が上目づかいになる。
「あの世はない。だから生きろ」強い口調で言う。内心、恥ずかしさが渦を巻く。
「あの世がなくても、サクラに会えなくても、わたしは人を殺したから、罪を償わないとフェアじゃないでしょ」
「甘い考え方だな」
先生と同じ科白だ。先生も夜之も考えが甘すぎる。
「罪を償う方法はない。夜之が死んでどうなるんだ? 何も変わらない。人の命に価値なんてないんだ。夜之が死んだあとに残るのは罪だけだ。自首しても罪は償えない。罪は消えない」
夜之の瞳に映った俺の顔が歪んだ。涙は流れていないが目に涙を溜めている。それでも、夜之は俺から視線を外さない。
「後悔しながら生きていくしかない」
俺は彼女から離れて、窓に近づいた。幽霊が実体化していられるのは長くても二時間だけ。夜之が夕刻に来るとふんで、とうの昔に実体化したから、残された時間はごく僅かだ。
「一つだけ、嘘をついた」
月明かりを浴びた俺の体は、すでに半透明になっていた。夜之の息を呑む気配が伝わってくる。夜之はどんな表情で俺を見ているのだろう。視界がぼやけて、夜之の顔が見えない。視界がぼやけるのは霊体に変化するさいに起こる副作用だ。
「君が最初に刺したのは俺なんだ。俺は死んだ。でも、君を恨んではいない。先生も君を恨んでない」感覚さえもがぼやけ始めた。もはや声が出ているのかも定かではない。
「だからせめて、君に生きていてほしい」
感覚を取り戻した時には、すでに夜之の姿はなかった。代わりに黒衣の美少女が窓枠に腰掛、脚をブラブラさせている。もちろんレミアだ。月光を背後にしたがえたレミアは俺に気づいて魅惑的な微笑を向けた。最初に会った時の印象からはかけ離れた雰囲気。しかしもう、違和感はない。
「ご苦労様」死に神は茶目っ気たっぷりにウインクした。
「苦労したよ」
俺も窓枠に腰を落とした。ひやりとした感触に一つ身震いする。当たり前と言わんばかりにレミアが身を寄せた。頭を俺の肩において目を閉じる。時間が緩み静かに流れる。いつまでもこのままでいられたらどんなに良かっただろう。それは、死者には許されない贅沢である。
「平見、夜之を庇った理由を聞かせてくれないか」
「サクラでいいよ」平見サクラは甘え声で言った。
「教えて上げてもいいけど、まずわたしがサクラだって分かった理由を聞かせて、なんかくやしいけど」
「君、人を騙す才能ないよ」時たま現れる違和感に加えて、意味ありげな科白。それだけでも彼女が何か知っているのは自明なのだ。
「何か知ってるのは関係者だからだと考えられる。僕の知るかぎり死に神になれる可能性がある関係者は平見サクラ。君だけだ」
小さな舌打ちが聞こえた。勝気なサクラには甘え声より、舌打ちのほうが似合う。
「ついでにあなたが殺されたのは何故か聞かせて」
「注文が多いな」不平は完膚なきまでに無視された。咳払いをして仕切りなおし言葉を紡ぐ。
「夜之は勘違いしたんだ」
返答はないがあざ笑うかのような引きつり笑いが聞こえる。俺も笑いたい気分だ。
「夜之は用務員室の前で朝から平見先生を待っていた。先生が来るまで時間があったから油断してたんだろうね。夜之は俺が保健室に入るのを見て慌てた。俺の姿を見て平見先生だと勘違いしたんだ。まあ、むりもないね。同じ服装、同じ体形、同じ髪、間違える条件が揃っていたから」
「間抜けな死に様ね」
言い返す気力は無かった。
「最後の質問、雲雀が犯人だと気づいた理由は何?」
「君が平見サクラだからさ」得意げに言ってやる。
「まあ、証拠がないから君をサクラだと仮定した。すると、サクラの目的が犯人を割り出すロゼッタストーンになる。ではサクラの目的は何かを考えたんだ。ヒントはいくつかあったね。タイムリミットが夕方、これは君が自殺した時刻だ。犯人が君の恋人ならこの時刻に自殺する可能性が高い。つまり、犯人探しが手間取ると犯人を見殺しにしてしまうかもしれない。だから、君は夕方までに犯人が誰なのか俺に知らせる必要があった。ではどうして俺に犯人を教える必要があったんだろう? 犯人を助ける方法はいくつかあるのに、どうして君は俺に犯人が誰なのか知っていて欲しかったのか。それは、俺に何かをして欲しいからだ。そこまでは推理できた。でも、そこから進めない、だからはったりをかました」
『君が俺の予想通りの人物なら誰が犯人なのか、自明になる』
「とね、そして君は」
『わたしには無理なの、だからあなたに頼るしか手がない。幽霊のあなたなら、生きている人間に姿を見せて相手に触れることも可能なの』
「と、答えた。そこでやっと君の目的が推理可能になる『姿を見せて相手に触れる』あとは犯人が自殺する可能性の高さ、ようするに放っておくと犯人は自殺するんだから、俺に何かして欲しいのならばその逆、犯人を助けて欲しいんだ」長科白は喉に堪える。一旦言葉を切り、熱くなった首に冷たい掌を当てて冷やす。ひやりとした感触が熱い頭脳を程よく覚ます。
「自殺する人間を説得するのは難しい。赤の他人には無理だ。ならば犯人は俺の知っている人物、しかも最低限話をしたことのある人物でなければいけない。君の恋人は女性だからね、その条件に当て嵌まるのは小海と夜之だけ」ホールが暗度を増した。月が雲に隠れたのだろう。
「小海はユキといっしょにいたから、待ち伏せなんて無理だ。となると残りは夜之だけだ」
沈黙がおりた。あるのは虫の鳴き声だけ。冷気が肌に刺さり弛緩しかけた思考を引き締めた。サクラはまだ俺の質問に答えていない。
「そろそろ答えてくれないかな。なぜ夜之を助けた? 恋人だからか? 違うよな。君はそんな甘い人間じゃないだろ」
「助けたのはあなただけどね」ひび割れた声でサクラが言う。
「わたしは雲雀に遺書を残して、お願いしたの」
いきなり腕に強い圧力が加わる。見やるとサクラが腕を掴んでいた。サクラの手は震えている。顔は下に向き、まるで懺悔する罪人だ。罪の重さに耐えかねて立ち上がることすら叶わず自身の闇の深さから太陽を拝むのも叶わない。
「姉さんを殺して、わたしに会いにきてくれって」
腕が痛い。サクラの握力がさらに強まった。
「わたしは雲雀に姉さんを殺して死ねとお願いしたの」
抱えられた闇がサクラを押し潰そうとしている。
「だからせめて、雲雀に生きていてほしかった」
「勝手だね」
サクラはビクリと震えた。
「先生は死んだ。夜之も罪を背負った。死体が消えたから、司法では裁かれない。サクラ、君は自己満足しているだけだ」慰めの言葉をサクラは望んでいない。慰めはさらにサクラを追い詰めるだけだ。サクラが望むのは断罪の言葉。
「甘えてるよね。わたし」身悶えするように搾り出された声はひどく掠れていた。
「そうだな」
暗いホールに月光が射す。闇が渋々後退して、ホールが淡い月光に満たされた。
「もう逝かないと」幻想的な雰囲気を従えて、サクラが徐に立ち上がる。黒いワンピースがさらりと衣擦れて柔らか音を奏でた。
「どうしてあなたが泣いてるの?」サクラは俺の顔を覗き込んでクスクス笑う。慌てて目元に手をやると、指に冷たい液体が付着した。
「さて、なんでかな」
涙は止まらない。もしかしたらサクラが泣かないから、代わりに泣いているのかもしれない。
「逝きましょう」サクラは左手を俺に差し出した。月光がサクラの輪郭を彩る。その様はまるで、踊りに誘うかのように優雅だった。
蛇足
「あのさぁ、もう帰ろうよ。九時だよ、九時。きっと彼女の家にしけこんでるんだよ」
暗い天蓋の下で、ユキは不平の声を上げていた。
「やかましいわ。鞄届けに行こう言いだしたんはユキやんか」
ユキの隣で小海が眉を逆立てている。
「もう少し待とうと言い出したのもユキだよね」
さらに正面では真羅が腕を組み、窓越しの星空を見上げていた。場所は、正弦寺創司朗が住むマンションの前にある喫茶店『伽藍堂』だ。三人とも制服姿なので先ほどから店のマスターが胡散臭げな視線を向けていた。三人ともその視線に気がついていたが、知らないふりを決め込んでいた。学校に連絡されたところで、問題はない。川原学園では、何をしようと自己責任なのだ。よく言えば自主性を重んじている。悪く言えば放任主義である。
「大体さあ、鞄忘れる? 普通忘れないよねえ」
「そうだね」真羅は勤めて平静を装って答えた。
三人が家にも帰らず創司朗を待っているのにはわけがある。保健室で血塗れのナイフが発見されたのだ。まさかとは思うが創司郎の身になにかあったのかもしれない。考えすぎだとは思う。しかし、携帯を何度鳴らしても連絡が取れないし、こんな時刻まで戻ってこないとなると流石に不安なのだ。
「まったく、テイリはなにしとんのやろ」
「彼女と懇ろしてんだよ。きっと」とユキがニンマリ笑う。
「だといいね」窓の外から視線を外さずに真羅が相槌をうつ。
時刻は二十一時十二分。三人は朝まで喫茶店で粘ったが、結局、創司郎は帰ってこなかった
その後、正弦寺創司郎の姿を見た者はいない。
END




