第二章
第二章 被害者の過去
川原学園の高等部には校舎から少し離れた所に講堂がある。典型的なバロック建築で天を突き刺さんとする斜塔を三つ備えた大きな建物だ。講堂は学校の敷地内に建っていたが、学校の持ち物ではない。地元の有力者の持ち物である。その為、講堂は学校の公式行事には使われていないが、基本的に出入り自由になっていた。もっとも、校舎から歩くとそれなりに距離があるので、訪れるのは建築学部志望の生徒か一部の変わり者だけだ。
講堂の中には一脚だけ長椅子が設置されていた。もともとは入り口近くに置かれていたのだが俺が講堂の中央に移動させた。
「テイリは本当に変わってるよね」
ある日の放課後。いつもの通り講堂でぼんやり天井を見上げていると、突然声をかけられた。いつからそこにいたのか、彼女は椅子に座る俺の前で呆れたような表情をしていた。
「どちら様ですか?」冗談ではなく、本気で誰なのか分からなかった。川原学園高等部の制服を着ているからここの学生には違いない。
「はあ? テイリ、同級生の顔も覚えてないの?」
実は覚えていない。例外はユキ、小海、佐川だけだ。
「夜之雲雀、なんで覚えてないかなぁ」
夜之はぶつくさ文句を言いながら俺の隣に腰を下ろした。長椅子にはまだ余裕があるのに、肩が触れそうなほど近い。俺は怪訝な表情をしていたのだろう。
「勘違いしないでよ」とふてくされたように夜之は言った。
じゃあ勘違いさせるような態度をとるなと忠告してやろうか迷い結局何も言わない事にした。暗くて夜之の表情は読み取れない。まあ、どうでもいいことだ。俺は視線を天井に戻し、施された精緻な彫刻を観賞する。天井はドーム状になっていて中央にある丸い天窓を取り囲むように天使の彫刻がいくつも彫られていた。
「ねえ、いつもここで何してるの?」
「別に」素っ気なく答えた。
「用が無いなら帰ったら?」
天井から視線を外して夜之に焦点を合わせる。夜之はどこか落ち着かない態度だ。
「夜之は何しに来たんだ」
「別に」俺と似たような素っ気無い物言い。明らかに不自然だった。俺がここに居ては不味い理由がありそうだ。
「逢引か?」冗談混じりに聞いてみる。講堂にはそれなりにいい雰囲気があるから、たまに待ち合わせする変わり者もいた。何度かそうゆう場面を目撃した事もある。
「まあね」存外素直に夜之は肯定した。
「それはそれは、じゃあ退散した方がいいね」
人の恋路を邪魔するつもりはない。俺は腰を浮かせた。
「あっいいよ。別に、外で待ち合わせしてるから」
浮かしかけた腰を下ろした。待ち合わせ時刻が何時なのか知らないが、へたすれば逢引相手と鉢合わせするかもしれない。それは少し気恥ずかしいし、あらぬ勘違いをされる可能性もある。ここは大人しく夜之の好意に甘えておこう。これが好意だとゆう証拠はどこにもないが。
「あのさ、テイリは口が堅い?」
「まあ、堅いかな」正確には最低限の情報交換しかしないだけだけど、一般的な認識から言えば口が堅い方だと思う。
「もしもさ、誰か、好きになっちゃいけない人を好きになったら……テイリはどうする?」
「告白する。断られたら諦める」
「ええ! 即答? もうちょっと考えようよ」
夜之の声が少し緩んだ。甘えているというより、幼子が親に縋り付いているような声だ。わざわざ、ただの同級生にこんな相談をするくらいだ。よほど悩んでいるのだろう。
「じゃあ少し考えてみようか」俺はしぶしぶ口を開いた。小さい頃から両親に女の子には優しくしなさいと教育されてきたおかげで、頼られると断れないのだ。我ながら因果な性質である
「例えば教師と生徒。よく禁断の関係といわれるね。映画とかドラマの題材にもなっている」
「高校教師とか?」
「うん、見たこと無いから自信はないけど……えっと、話を戻すよこの関係が禁断な理由は一つに年齢差が考えられる」
「でも最近はあまり問題にされないよね」
「そうだね。じゃあもう一つの理由、教師がえこひいきする」
「恋人の成績を改竄したり?」
「就職や進学の口利きも考えられるね。まあ、これは教師が恋人の担任でなければ問題ないしどうとでもなる」
「そうかな、他にも問題あると思うけど」
夜之は少し笑った。朗らかさの感じられない乾いた笑みだ。
「それが三つ目の理由だよ。世間体」
「世間体? ちょっと違うような気がするけど」
「夜之は自分が抱いた違和感を説明出来ないだろ」
夜之はしばし天井を睨みつけてから嫌そうに頷いた。自分が負けたみたいで気にいらないのだろう。プライドの高い女は嫌いではない。男女平等だと訴えながら、最後はすべて男性に責任を擦り付ける似非フェミニストより品がある。
「違和感、忌避感、禁断、それらはすべて世間が作りあげたものにすぎない。忌憚なくいえばただの思い込みなんだ」
「屁理屈に聞こえるけど」夜之は訝しげに小首を傾げた。
「なに不気味な笑い方してるの?」
自然に口元が緩んでクックックと魔女のような笑いが漏れる。
「確かに屁理屈だけど、でも世間体は例外なく屁理屈だよ。理由はどこにもないか、あっても簡単に解決できるから」
釈然としないのか、夜之は唇を尖らせて黙りこんだ。聞かれなければ話題はない。俺も黙って天井を見上げた。
「時間だからいくね」
日がほぼ百八十度まで下がり夕日が講堂を侵食し始めたころ、夜之はパタパタ立ち去った。
それ以来、俺は彼女と話したことはないし、講堂にも来ていない。理由は至極簡単だ。夜之と別れた次の日に、平見サクラ、俺の片思いの相手が講堂の斜塔から飛び降りて自殺したのだ。
「そう、わたしは死んだの……」レミアから一通り説明を聞いた先生は今だに動揺していた。目の焦点が定まらず。立ち上がる気力もないのか、蹲ったままだ。
「レミア」手招きしてレミアを呼ぶ。
「はい?」
「平見先生は死ぬ予定だったのか?」
「どうゆう意味ですか?」
「俺が死体を消させたから平見先生は死んだのか?」もし、俺の責任なら弁解しようがない。許して貰える訳がないとはいえ謝罪しなければ後味が悪すぎる。
「もう、創ちゃんは心配症なんだから、そうゆう優しい所がかわいいんだけど」
とりあえず俺の責任ではないようだ。
さて、振り出しに戻ってしまった。当然、犯人は同一犯だろう。こんな田舎で別々に二件も殺人が起こる可能性は限りなくゼロだ。俺だけならともかく、先生まで殺されたとなると無差別殺人の可能性もある。いや、少々飛ばしすぎか。犯人は同一犯なのだろうが、無差別とは限らない。そもそも何故犯人は保健室に戻ってきたのか。俺が死んだのか確認しにきたのか? あっそうか、うっかりしていた。犯人はナイフを回収しに来たのだ。まてよ、犯人はその時ナイフを持っていたのか? 眼球に不必要な力がかかりじわりと痛む。そうだ、もしかしたら。先生の遺体に歩み寄って、背中から生えたナイフを穴が開くほど観察する。僅かに付着した血液は大別して二種類あった。乾いた血液と、まだ乾いていない血液だ。
「レミア!」
「ひゃい!」レミアはビクリと背筋を伸ばした。まるで教師に叱られた小学生である。
「回収されるのは死体だけなのか?」
「はい、そうです」と窺うようにレミアが言う。
「凶器は回収されないのか?」
俺が何を言いたいのか薄々気づき始めたのだろう。レミアの顔が青くなる。
「ええ、その、回収されません。遺体の持ち物以外は管轄外なので無理なんです」
「そうゆう事は早く教えてくれないかな?」
レミアは俺の顔を見て一歩後ずさった。
「ごっごっごっごっごめんなさい!」レミアは超高速でお辞儀を繰り返した。お前は水飲み鳥か。とにかく、先生を殺したナイフと俺を殺したナイフは同じ物だ。
「あの、すみません、忘れていたんです。ワザとじゃないんですよ? ほら、床の血は消えているでしょう」
確かに、床の血液は消えていた。素朴な疑問が脳裏をよぎる。
「なんでナイフには血がついたままなんだ」
「あまり完璧にやりすぎると、創ちゃんが殺された事実が消えてしまうんです。へたすると死んだ人が蘇ることもあります。前例はありませんけど」
そんな前例があってたまるか。
「凶器の位置は変わらないのか?」
「はい、寸分違わずとはいきませんけど」
ならば、先生に聞かなければいけない。ナイフはドアの前に落ちていた筈だから、保健室に入れば必ずナイフが目に入る。それも血で濡れたナイフだ。なぜ先生は保健室に止まったのか。
「先生、警察に連絡しましたか」
先生は力なく首を左右に振る。
「なぜ保健室に?」
「仕事よ」
「保健室に入って何か気づいたことはありませんか?」
「別に、何も」
「ナイフを見ていませんか?」
先生は弾かれたような勢いで立ち上がった。そのまま勢いをつけて俺の胸に体当たりしてきた。勢いに押されて尻餅をつく。
「あなたも私が悪いと言うの! 私が何をしたと……私はただあの子の幸せを……あの子に私と同じ苦しみを背負わせたくなくて」怒声が涙声に変わり、やがてすすり泣きに変わる。レミアは目を丸くしていた。俺も似たような顔をしていただろう。年上の、それも大人の女性が胸の中で泣いている。体格は俺と変わらないのに、今の先生は酷く小さく、頼りない。かける言葉は思いつかず、先生の気が済むまで泣かせておくしかない。
「わあお、ラブシーン? もしかして僕、お邪魔かな?」
調子のいい声が暗い雰囲気を一掃した。
「あ! シャオちゃん」とレミアがはしゃぐ。
「よっおひさ」いつからいたのか、パイプベッドの上でヤンキー座りをしている人影が一つ。人影はレミアと同じワンピースを着ていたが、レミアのワンピースより丈の短いミニスカート風だ。見えそうで危なっかしい。
「駄目だよ、お兄さん。見られてるのわかるんだから」
シャオは意味深なにやにや笑いで俺を見た。
「あ! 創ちゃん! 見ちゃ駄目だよ」
レミアが俺とシャオの間に入って視界を塞ぐ。見えてはいないのだが、レミアはご立腹だ。
「硬いなぁレミは、良いじゃん。減るもんじゃないし」
「減るよ」
「何が?」
「何がって……」レミアは頬をサクラ色に染めた。それを見てシャオがけらけら笑っている。
「かっわいいー」尚も二人は他愛ない会話を続ける。おそらくシャオも死に神だろう。しかしとても死に神には見えない。顔がアイドル並みに小さい。顔のパーツは絶妙な位置に収まり、目は大きく、色は空を連想させる青色。体格はレミアと似たようなものだが、鍛えているのだろう、少し筋肉がついているようだ。
「ごめんなさい」先生が顔を上げた。眼鏡をつけていない先生の顔は結構幼い。
先生はふらふら立ち上がってレミア達の方に体を向ける。
「あなた達は死に神なの?」
「まあね、僕があんたの担当。そっちのお兄さんの担当はこれ」とレミアを指差す。
「わたしはどこにいくの」
「あの世、でも地獄とか天国なんかないからね。罪はどう足掻こうと償えないものだから」
何かを決心するように先生は拳を強く握る。
「いきましょう」
「あいよ」
「ちょっと待った!」咄嗟に先生の腕を強く掴む。先生の悲しげな視線が俺を貫いた。
「またラブシーン? もうお腹いっぱいなんだけど」シャオの一言は当然無視された。
「ごめんなさい……」
先生は力なくうな垂れた。そして俺の腕を掴み自分自身に言い聞かせるように口を開いた。
「地獄がないのなら、わたしはせめて口を噤まないといけないの」
「僕たちには何も出来ません。先生は犯人が誰なのか知っている筈です。教えて下さい」
先刻の取り乱し方は尋常ではなかった。先生は確実に何かを知っている。
「大体、先生の死体が此処にある限り、犯人は捕まりますよ」
「それなら僕がどうにか出来るけど」
舌打ちしてシャオを睨む。よけいなことを。
「睨むなよ、お兄さん。出来る限り死者の希望に答えるのは、死に神の義務なんだ」
殊勝な科白に反してシャオはチロリと舌を見せる。
「どうゆうこと」と先生
「死体をこちらで回収できる。ただし、凶器は回収できない。ナイフに付着した血液も無理だあんたが殺された事実を消すと因果律が狂う。それでもよければ死体を回収しよう」
沈黙は一瞬。
「お願いします」先生は深く、丁寧に一礼した。
「またまた振り出しに戻りましたね」
ベッドに仰向けに寝転んで黄ばんだ天井を見上げる。レミアは俺の隣に腰を下ろして調子外れの鼻歌を口ずさんでいる。レミアの意見は半分正解で半分不正解だ。先生は重要なヒントを残して逝った。先生は自分の死体を消して犯人を庇った。しかも、血が付着したナイフを発見したのに警察に連絡していない。さらに犯人に対して罪の意識を抱いている。先生は『あの子の幸せを』と言っていた。『あの子』といえば去年自殺した先生の妹、平見サクラ以外に考えられない。先生とサクラの間に確執があり、その確執のせいで先生が殺されたのだろう。ん? 待てよ。先生を殺した犯人はそれでいいとして、俺はいったい誰に殺されたんだ?
かなり間抜けな結論が簡単に得られた。
「どうかしましたか?」
「いや、べつに」
レミアには黙っておこう。馬鹿にされるのは目に見えている。
「あっもしかして照れてるんですか?」レミアの辞書には的を射るとは書かれていないようだ
「違う。誰が犯人なのか考えているんだ。先生を殺した動機はなんだろ」
先生は『私と同じ苦しみ』とも言っていたな。先生は昔、同性と付き合っていたという噂もある。噂は所詮噂に過ぎない。けれど今の状況では噂ぐらいしか頼れる情報がない。
「噂も馬鹿に出来ませんよ。噂には根と幹と枝がありますから」
「……」こいつテレパスか? なんでこうも心が読める?
「創ちゃんが分かり易いだけですよ」レミアはニコリと笑う。
「いいけどね。別に」先生が昔同性と付き合い、差別されていたとすればどうなる。さぞ苦しんだだろう。妹に同じ苦しみを味合わせたくないと思いつめても不思議ではない。ならば。
「平見サクラは同性と付き合っていた?」そう考えれば自然に物事が運ぶ。平見サクラは同性との付き合いを姉から反対されて自殺。平見サクラの恋人が恨みを晴らす為に平見彩加を殺害。
「交際を反対されたぐらいで自殺するかな?」
「人によると思います」レミアの雰囲気が一変していた。幾度も感じた強烈な違和感が俺の神経を粟立たせる。カーテン越しに届く光がレミアの陰影を際立たせた。今の彼女は死に神にしか見えない。死の体現者らしく、彼女からは破滅と悲しみの波動が放たれている。
「恋は盲目です。恋が叶わないくらいなら、死を選択した方がましだと考える人もいます。人はどう足掻いても一人では生きていけない生き物ですから、恋に焦がれてしまいます」
「君ならどうする?」俺の声は震えていた。心の中で暗い恐怖がのたうちまわる。恐怖の正体はつかめない。怖い。でも目を離せない。綺麗だ。とてもこの世の者とは思えない儚さ。見れば魂を引き抜かれかねない危うさ。死を司る者だけが纏う気配。
「自殺するかもしれません」
謎めいた微笑が能面の如く、レミアの顔に張り付いた。しかし、その表情は半瞬で消える。
「やだなぁ冗談ですよ。真剣な顔しちゃって。でもそんな創ちゃんも、す・て・き。きゃ!」
レミアが体を恥ずかしそうに左右に振る。俺は勢いよく上半身を起して行儀悪く胡坐をかく同時に四時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。レミアは一体何者なのか。見た目通りの無邪気な少女ではない。俺よりも精神年齢は上だ。しかも推理に行き詰ると的確なアドバイスをしてくる。
「君、もしかして犯人が誰か知っているのか」
レミアはすべてを知っているのに黙っている。そうとしか考えられない。
レミアは俯いて黙り込んだ。彼女の背中が小刻みに震えていた。
(まただな)
違和感。
そして破滅と悲しみ。
これが彼女の本来の姿なのだと俺は悟った。
「さすがね。ちょっと甘くみてたかな」
彼女の声は平坦だ。彼女の背中から心情を察することはできない一切の感情が消えていた。
「甘く見られてもしかたない。俺にはまだ犯人が誰なのか分からないからね。でも」
口が渇いて言葉を止めた。その間を勿体つけていると解釈したのか、レミアはベッドに置かれた手でシーツを強く掴んだ。背中だけでなく体全体が細かく振るえ始める。何が彼女を震えさせるのか。
「君が俺の予想通りの人物なら誰が犯人なのか、自明になる」
もしもレミアがあの人物なら彼女が恐れる物がなんなのかも自明だ。俺が殺された理由と同じように、簡単で情けない回答が得られる。レミアは答えない。ただ弱弱しく震えるだけ。しかし、その態度は明らかに俺の予想を肯定していた。
「あとの疑問は一つだけだね。君は何がしたかったのか」予感がした。その疑問は俺には理解できないものだと。死と生の違いを見失った愚かな男には理解し難いものだと。
「犯人が何をするのか? それが何時なのか、あなたは……」
レミアは体を捻って俺を見た。邪気のない瞳の光は跡形もなく消えていた。代わりに悲哀に満ちた光が瞳に収まっている。口元には悲しい微笑が行き場無くたゆたう。
「わたしには無理なの、だからあなたに頼るしか手がない。幽霊のあなたなら生きている人間に姿を見せて相手に触れることも可能なの」
彼女の科白が思考を加速させた。目の前に閃光が走る錯覚と共にすべての答えが閃く。
「つまり君は犯人を助けろと? 殺された俺に?」
「説得力の無い皮肉ね」
見抜かれたか。俺は犯人に恨みを抱いていない。あのまま生きていても俺の人生にはなんら変化はなかっただろう。ようするに生きていても死んでいても同じことだ。ならば、犯人の命を助けるのも一興だ。
「まあ、仮にも神頼みだからな」笑えない冗談は、虚しく空気に溶けて消えた。




