アンサンブル
ほんの少し前までの生活が嘘のように、明るく楽しく毎日が過ぎて行った。
私の心の中には、秋になればミミが行ってしまうという現実が、まるで染みのようにいつもそこにある。それでもこの恋を大事にしたいと、矛盾を抱えながらも思っていた。
七月が終わりに近づいた時、ミミが出掛けたいと言いだした。
「ねぇ、約束したの、憶えてる?」
「ん?」
「ほら、ケイが国内を案内してくれるっていう……」
「えぇ、憶えてているわよ。もうすぐお休みだから、どこかへ出かける?」
「うん。出かけたい!」
「わかったわ。そうしましょう」
「でもねぇ、僕は東京や、京都や奈良には出掛けちゃったから、他にどこがあるかなぁ?」
「出掛けるところはたくさんあるわよ。夏だから、涼しい北海道でもいいし、暑いけど沖縄へ行けばウォータースポーツも楽しめるわよ」
「そうか……日本って、縦に長い国だから、夏だって涼しいところもあるんだね」
「そうね。それに山もたくさんあるから、涼しい所へ行きたいのなら、遠くへ行かなくても近場で見つかるわよ」
「ふーん、そうか。でも僕、別に涼しい所に行きたいわけではないの。どこか日本らしいところがいいな」
「温泉とか?」
「それもいいけど、きれいで落ち着いたところへ行きたいの」
「あら、難しいわね」
「山は、虫がたくさんいるから苦手なんだ。植物園とかそういうのでもいい」
「そうねぇ、じゃあお城は?」
「お城も、もういくつも見ちゃったよ」
「じゃあ、少し距離があるけど日本庭園は?」
「庭園?」
「そう、大きなお庭なの。私は冬に行ったことがあるんだけど大きくて静かなお庭だったわ」
「へえ、そう。きれいなの?」
「そうね。落ち着いた感じで、私は好きだわ」
「ケイが好きなら、そこがいい」
「金沢というところにあってね、そこからもう少し奥へ行くと、飛騨高山という古い町並みの見られるところがあるの」
「ふーん、でも人混みはダメでしょ?」」
「京都ほど混雑もしていないし、食べ物もおいしいから、ゆっくり楽しめると思うわ」
「そう? じゃあ決定!」
今年の会社のお盆休みは、十三日から一週間あった。
出来るだけ混雑を避けたいので、お盆の真ん中の十四日に出かけ、帰りは十八日頃と考えていた。
距離があるので運転は交代で行うことにした。時折休憩を入れると半日以上かかる計算になるけれど「ドライブも楽しいから平気」とミミが言う。
私たちは、パッキングや地図でルートを確認する作業を前日の午後に終えると、早めに休んで早起きをすることにした。
私は車で出掛ける時には出来るだけお弁当を作ることにしている。たとえ渋滞したり、何かのアクシデントがあっても、どこでも食べられるからだ。
ミミは、コンビニで買えばいいのにと笑うけれど、私は工場で作られたものが苦手なのだ。
朝、おにぎりを握っているところへミミが起きて来て「ケイ、ごめん。僕、寝坊しちゃった」と言う。
「あら、寝坊なんかしていないわよ。私がお弁当を作りたかったんだもの」
「僕も手伝おうと思ったんだ」
「後はおにぎりで出来上がりだから、大丈夫」
「そう」
ミミは、返事をすると流し台に向かい、調理器具を洗い始めた。
「ありがとう、洗い物をしてくれて」
「ううん、いいの。ねぇ、朝食はどうする?」
「あまりお腹が空いていなの」
「そう。じゃあ、コーヒーを淹れるよ」
ミミは、機械にコーヒーをセットすると、洗面所へ向かった。私は、おにぎりを詰め終えて片付けるとカップをふたつ用意した。
後は、じっとしていてもミミがさっさと荷物をまとめて玄関へと運び、車に積む準備をする。こういう段取りは、本当にしっかりしていると思う。
(どうして、普通に結婚できないんだろう? 私たち)
そう思うと、涙が浮かびそうになる。
渋滞に遭うこともなく、ドライブは順調だった。
運転の順番は私が先だったので、ミミが助手席から話しかけて来る。
「あれ? ケイ、そんな時計持っていたの?」
「あぁ、これね。お友達の叔母さんが経営しているブティックで買ったの。ちょっとアンティークな感じのデザインでしょ?」
「そうだね。お花がたくさんあって可愛い」
「輸入物みたいだけど、これ日本製なのよ」
「へぇ、じゃあ時間も正確だね」
「うん、そうね。遅れたりしないわ」
「いいなぁ。僕もそんなのが欲しい」
「そう。これね、デコレーションは手作りだし、デザイナーさんが亡くなっているそうだから同じものは、もうないかもしれないの」
「えー、残念!」
「フランスにも素敵な時計は、たくさんあるんじゃないの?」
「フランスではどちらかというとモダンなデザインのものが多いから、あるとしたらイタリアかな?」
「そう? イタリアも素敵なところよね。憧れるわ」
「いつか、ケイが来たら一緒に行こう」
「うん。案内してね」
二人でいると、揉め事になるようなことはひとつもなかった。ミミは大人だったし、日本や日本人の考え方について理解しようと一生懸命だった。
到着したら既に夜だったので、食事をして休むことにした。
私が予約をしたのは金沢でも古い旅館で、赤壁の間に案内された。この部屋は昔、婚礼やお祝い事の宴会に使われていたのだと仲居さんが教えてくれた。
ミミにとっては初体験だという布団で眠り、翌日、観光に出かけた。
朝の内にお城へ出かけ、兼六園をゆっくり散歩した後、ぶらぶらと街を歩いた。夕方、芸者さんとすれ違ったのにミミは感動し、私が九谷焼のお店を見つけて中へ入ると、分からないと言いながらも一緒に長い間、陶器を眺めていた。
旅館に戻ってから、私はミミに贈り物を渡した。
「着物とは行かなかったけれど、デパートでお願いしてお揃いの浴衣を誂えておいたの。昨夜渡すつもりが遅くなっちゃった」
「うわぁ、嬉しい! ケイ、ありがとう!」
既成のものだと難しいけれど、サイズを測ってからお願いしたのでミミにぴったりに作ってあった。
紺色をベースのモダンな柄で、お花のような幾何学模様に明るい色が使われている。ミミには明るめのブルーの帯を締め、私のは朱色を選んでおいた。
夕食の時に日本酒を注文すると、仲居さんが浴衣を褒め、「珍しい柄ですが、お二人とも良くお似合いです」と言ってくれたのでミミは得意そうだった。その時、素敵な九谷焼のお銚子とお猪口が運ばれて来た。私がとても気に入ったのを見て、明日はこれを探すことにしようと、ミミも張り切った。
翌日、二軒目で無事にお目当ての陶器を見つけて購入し、高山へと移動した。
ここではホテルのツインルームに予約をしていたので、食事は外に出掛けることに決めていた。荷物を置いて部屋を出ると、まだ陽の残る街を歩いた。
観光案内の地図に従って歩くと、居酒屋が何軒かあった。
「ねぇミミ。ここでは、飛騨牛というお肉が有名なの。それでね、今夜か明日に食べようと思うんだけど、どちらがいい?」
「それは、ステーキ?」
「お鍋もあるわよ」
「ケイは、どっちが好き?」
「私はどちらでも好きよ。どうせお肉はたくさん食べられないし」
「そう。僕ね、チキンが食べたいから、今夜は焼き鳥のお店に行きたい。明日はステーキかな?」
そこで私たちは、何軒かのお店を覗いて比較した後、ミミが気に入ったと言う大きな暖簾をくぐり、カウンター席に座った。そこは夫婦で経営しておられ、客には地元の常連が多く、店内は落ち着いていた。
焼き鳥以外にも一品料理がたくさんあったので、私たちは、おいしそうなものを順番に食べて行った。
ミミは、昨夜から日本酒が好きになったと言い、ここでも日本酒を飲み、新しい銘柄のお酒を試しては「これは甘すぎる」などと、俄か仕立てに通のようなことを言って得意になっていた。
翌朝、朴葉味噌のセットされた食事を済ませると、私たちは朝市へと出かけた。
川沿いにたくさんのお店が並んでいて、お茶の試飲やお菓子の試食をさせてくれる。
その内の一軒でコーヒーを飲むと、自分たちのためのお土産に、赤かぶ漬けや七味、お味噌などを買った。
その後、川を離れると小京都と呼ばれる古い町並みを眺めながら歩く。思ったよりも人が多いのには閉口したけれど、造り酒屋の試飲コーナーで休憩をしたり、可愛いさるぼぼの並ぶ民芸品の店を覗いた。
お昼には高山ラーメンを食べて、食後にソフトクリームを買い、「みたらし団子もおいしいのよ」と言うと、ミミが「ケイ。おだんごみたいに、まぁるくく太っちゃうよ」と笑った。
それから陣屋を見学することにした。靴を脱いで上がろうとした時に、玄関付近で走り回る子供がいた。ミミが「危ないからここで、走ってはいけません。静かにしてください」と言ったので、子供たちがピタリと止まり、目を丸くして驚いていたのがおかしかった。
ここにもお土産物屋さんが出ていたので、覗いてみる。私は恵美子の飼っている猫にまたたびの枝を買った。
赤橋の上では、たくさんの観光客が写真を撮っている。私たちは人力車を避けながらホテルへと向かった。かなり歩いて疲れていたし、今夜は飛騨牛のステーキと決めてあるので、部屋にお土産を置いてシャワーを浴びてから出掛けることにしていた。
シャワーの後で化粧を直していると、ミミが後ろから腕を回して来た。
「まだ時間があるから、後でもう一度シャワーをしよう……」
私たちは少し遅めにステーキの食事をした。
飛騨牛は柔らかく、ジューシーだ。私は百五十gでお腹がいっぱいだったけれどミミは三百gも食べていた。少し前に貧血で倒れた時のことを思えば健康的だし、この方がミミらしいと思った。
次の日は直接帰る予定にしていたのが、温泉に入りたいというミミの希望で、貸切の家族風呂に入って帰った。
熱いお湯は苦手だと言い、ミミは水をたくさん入れる。
温泉も初めてだと聞いて驚いた。もしかすると、日本に住む外国人の多くは、こういう経験をしていないのかもしれない。
ミミほどの日本語の能力があってもそうなのだ。そうでなければ尚のこと、多くの外国人が周囲の日本人と深くは交わっていないのではないかと思った。
楽しい旅から戻ると、いよいよ八月も後期に入った。
パリに支社を作るという計画は順調に進んでいる。
資金については、本社と並行して加藤が担当するようで、漏れ聞こえて来るミミとの会話の中に為替レートなどの用語が混じっているのは、貿易だけでない利益も考えに入れて行こうということなのだろう。
私には、そういう難しい数字のことは分からない。
でも、一生懸命学んで来たコンピューターの操作が、かなり問題なくこなせるようになって来たことについて、社長は大変な進歩だと褒めてくれた。
大きく変わったことは、机の上から雑多な書類が減ったこと、そして仕事の処理が早くなったことだ。ミミが初めてここへ来た時に、スペルミスをチェックしてくれたことが、もう遠い昔のように思える。
そんなある夜、私たちは仕事で遅くなり、外食をして家に辿り着いた。
ミミはデザートを探してキッチンに立ち、私は着替えを済ませて、眠る為の準備を始めていた。
「ねぇ、ケイ。そろそろパッキングをしなくちゃいけないんだけど、箱をどうしたらいいかなぁ」
「会社から送る荷物と一緒に、社長が手配してくれるわ」
「そうなんだ。じゃあ、それまで待つよ」
私はミミの台詞に、いよいよだという思いがして胸が疼いた。でも、一緒に行ける訳がない。ミミがこの話を断らない限り、あと少しで確実に別れがやって来ることはわかっていた。