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夜を愛するあなたと誓いを〜吸血鬼(あなた)の愛に怯まない〜

作者: 和傘
掲載日:2026/08/18


スマホを操作して、「ご飯できたよ」とメッセージアプリで送信する。

すぐに既読がついたから間もなくやってくるはずだ。

テーブルを拭いてお皿を並べていると、ガチャリと玄関のドアが開く音がした。


「おはよう。」


「…ん。」


短く返事をして席についたのは私の彼氏、(さく)だ。今起きましたというように部屋着で寝癖をつけたまま。柔らかな白金色の癖毛は元気に重力に逆らっている。私のメッセージの通知で起きたのだろう。大きくあくびするその口には鋭い牙がちらりと見えた。


今は20時。私にとっては夜ご飯だけど、朔にとっては朝ご飯だ。普通の人なら生活に支障をきたすくらいの昼夜逆転ぶりだが、朔の場合はこれが正常な生活リズムである。


今日はスーパーの特売で買った牛肉をステーキにした。私の分は程よく焼いて、朔の分はレア。朔はステーキソースさえかけないでガブリとかぶりつく。赤い肉汁がじわりと染み出して、ポタポタと白いお皿に滴る。

付け合わせの野菜はもちろん避けられ、ご丁寧に私のお皿に移動させられる。食事のバランスが〜とかは、言う気にならない。朔にとってはとりあえずタンパク質を摂ることが大切だから。野菜達が食べられることは無いと分かっていながらも、盛り付けた時の彩りが寂しいのでどうしても入れてしまう。



「ごちそうさま。」


ご飯を食べ終わると食器をシンクに運んでそのまま私の分まで洗ってくれる。


「ありがとう。時間はまだ大丈夫?」


「んー。今日は22時からだったはず。」


「はず、ね。遅れないように準備してね。」


洗い物が終わった朔を玄関まで見送り、二度寝しちゃダメだよと声をかけると軽く手を挙げて返事をした。そのまま出て行くかと思いきやクルリと私を振り返り、頬に軽くキスをした。


「美味しかった。おやすみ、(みお)。」


赤い目を細めて笑うと、そのままバタンと玄関扉を閉めて出て行った。


閉まった無機質な扉を見て、ふぅーと息を吐く。

たまに不意打ちでああいうことをするのだからズルい。


私と朔は同じマンションに住んでいる。

もともと私はもっと一般的なアパートに住んでいたのだが、ある日朔から鍵を渡された。「なにこれ?」と首を傾げると、「一緒に住むマンションの鍵」と何でもないことのように告げたのだ。

これはもしかして同棲!?と心臓がドキドキしたけれど、その後すぐに、朔と同じマンションの朔とは別の部屋だと判明して胸の高鳴りは消え去った。思えば朔は、同じマンションとは言っても、同じ部屋とは言わなかった。

まあ私達は生活時間がまるで違うもんなぁ。同棲しているのに時間がすれ違うばかりではきっと不満も溜まる。でも、少し強引に私を今までより近くに呼び寄せたのは、もっと私と一緒にいたいと思ってくれたのかなと、密かに喜んだ。


それに、このマンションは悪くない。よく管理されていて綺麗だし、セキュリティもばっちりだ。私の収入では痛すぎる家賃だけど、なんと朔が払ってくれている。それは悪い気がしたけど、私に無断で住む場所を用意したのは朔だし…と思って、この恩恵を受け入れている。




寝る準備を整えて布団に入りスマホを見ると、時間はなんだかんだ日付近くなってる。

明日も仕事があるから私はもう寝るけど、今頃朔は配信中かな。


夜を生きる朔はゲーム配信者で、よく遅い時間に活動している。一人だったり誰かと組んで複数だったり、メジャーゲームだったりインディゲームだったり。今はいろんな職業があるので、太陽が沈んでから活動しても、リアルで人とあまり関わらなくても生活していく術がある。最初は趣味で始めていたのに、今や人気ゲーム配信者だ。私をこのマンションに住まわせるなんてわけないくらい稼いでいる。好きなことでお金を稼げるなんて羨ましいと思いつつ、そんな才能も度胸も無い私は大人しく普通の会社員をしている。…別に普通が悪いことじゃない、朔が特殊だからちょっと他より輝いて見えるだけだ。


特殊というのは、朔の見た目にも、その正体にも当てはまる。

白金色の髪、赤い目、鋭い牙、夜を好む性質。周りには秘密にしているが、朔の正体は吸血鬼だ。


秘密を守るのが大変かというとそうでもない。今はヘアカラーやカラコンが当たり前だから、派手な外見が少し目を引いてもあまり不審には思われない。


そして、吸血鬼と言えばやっぱり血を飲むイメージが一番強い。牙を首筋に立てて血を啜る姿が本の挿絵になっていたりする。しかし実際は、血は生きていくのに必須のものでは無いと言う。あれば嬉しいが、なくても問題はない、嗜好品のような立ち位置なのだそうだ。


他にも、陽に当たっても消えることは無いし、ニンニクも料理の香り付け程度なら嫌な顔はするものの食べてくれる。ただ今日の夕食のように、赤みの肉や魚、それのできるだけ生に近いものを好む。そこに血を求める本能が垣間見えて、たまにゾクリとすることは秘密だ。


そんな感じで一般的な吸血鬼のイメージからかけ離れていて、私も最初は驚いたけど、朔は「現代の吸血鬼を舐めるなよ」と得意げに笑うのだ。

私の恋人の吸血鬼は現代に適応して驚くほど逞しく生きている。





「ええ!?あんたそれおかしいよ!」


ガチャンとジョッキをテーブルに叩きつけて、鈴香は言った。あまりの勢いの良さにビールが少し溢れる。いくら騒がしい居酒屋といっても、近くの人がなんだ?と視線を向けてくるのが恥ずかしい。


「ちょっと!お酒こぼれたよ。騒いだら周りの迷惑になっちゃうでしょ。」


テーブルに飛んだビールの水滴をおしぼりで拭き、静かにしてよとジェスチャーをする。


「たしかに鈴香は騒ぎすぎだけど、私も澪のそれはどうかと思うよ〜。」


テーブルを一緒に拭きながら詩乃が言った。


須田 鈴香と高原 詩乃は会社の同僚で友達だ。

今日は華金。週末に浮かれる社会人達の例に漏れず、私達も居酒屋で食事とお酒を楽しんでいた。もちろん上司の愚痴で盛り上がる。好きなものより、嫌いなものの話の方が盛り上がると聞いたことがあるが、その通りだ。


愚痴が落ち着いたら最近ハマっているものとか話題のドラマのことになり、私はふと、鈴香の耳に輝くシルバーピアスが気になった。「ピアス素敵だね。」と言うと、「ああこれは彼氏に貰ったの。この前のデートでね。」と幸せそうにうふふと笑うものだから、つい、「いいなあ、最後に昼にデートしたのいつだっけ。」と発言してしまったのだ。二人は当然、え?という顔を私に向けた。しまったと思った時にはもう遅く、朔のことを詳しく聞かれることになった。


「昼夜逆転の人だから昼はちょっと苦手なの。」と誤魔化すと、何の仕事をしているのか聞かれる。正直に言ってもいいのか分からず「個人事業主。」と誤魔化すと今度は、それってまともな仕事?収入はちゃんとあるの?と聞かれた。すると、朔の名誉を守らなければと謎の義務感を覚えてしまい、「もちろん!私の家賃を出してくれるくらいあるよ!」なんて、言わなくてもいいことを言ってしまった。同じマンションの別の部屋に住んでいて、夜ご飯だけは毎日一緒に食べているということも。


それを受けて、鈴香の「あんたそれおかしいよ!」という発言に繋がったのだ。


「だいたい何で一緒に住まないの。」


「お互いの生活リズムが違うから、それが不満に繋がっても大変でしょ?」


同棲しないことについての、もはや定型分になった答えを返す。


「それはそうだけど、そういうのはすり合わせていくもんでしょ。他に一緒に住まない理由があるのかもって思っちゃうよ。」


他の理由…?何が言いたいんだろうと思って首を傾げつつ鈴香を見るけど、肝心なところで言いづらそうに口をモゴモゴさせる。

すると、それまで私たちのやりとりを聞いていた詩乃がのんびり口調で言い出した。


「澪さぁ〜、彼氏とはえっちしてる?」


「は、えっ?」


突然の下世話な話題に心臓が跳ねる。女子会だとそういう話題が上がることもあるけれど、私はその手の話を恥ずかしいと思ってしまうタイプで、自分のことを話すにはもう少し酔いが足りない。

「ちょっと、やめてー。」と言って笑おうとしたけれど、でも目の前の詩乃からは揶揄いたいとかそういう類の感情は見えなくて、グラスを両手で持って俯きながら頷きだけ返した。


「ふーん。じゃあ彼氏との最近の逢瀬は、ご飯作ってあげるかえっちだけってこと?」


「そう、だけど。…いやいや、そんな都合の良い女、みたいな…。」


自分の口から出た言葉にハッとする。

今の私を客観的に見た言葉がこれってこと?

まさか、そんな。

笑い飛ばしてしまえればいいのにそうできないのは、今の状況に少しの不満と違和感を感じていたからかもしれない。

ご飯と、()()()()()()を提供する都合の良い女。


「……。」


一度そう思ったら、苦い感情が胸に溢れて重苦しい。私は朔のことが好きだ。朔も私のことを好きでいてくれていると思う。そうでなきゃ、別の部屋ではあるけれど、わざわざ私を近くに置く意味が分からない。愛情表現だってある。でも、でも…。朔を疑うなんてことしたくないのに、一度疑ってしまったらそればかり考えてしまう。


「…別に今すぐ別れろなんて無責任なことは言わないけどさ、ちょっと冷静に考えてみてもいいかもよ?」


無意味にグラスの中身を見つめる私へ、鈴香は言った。


「…うん。そうしてみようかな。」


私はそう言って頷いた。




いつもは飲みに行ってもほろ酔いくらいで止めるけど、何だか今日は徹底的に呑みたくなった。朔には飲みに行くってことは伝えてあるし、そもそも配信中だろうし、ちょっと遅くなっても気にしないだろう。そう思って二人に誘われるがまま二軒目に行った。


二軒目に訪れたのはイタリアンバル。路地裏のこの店は詩乃の行きつけらしい。ワインで乾杯して、ペペロンチーノとアクアパッツァを頼んだ。普段は控えているニンニク多めの料理だけど今日くらいはと思って次々に口に入れる。「二軒目なのによく食べるじゃん。」と笑われたが、ガツガツと食べる私を見て何か察したのか、鈴香も詩乃も一緒に食べてくれた。


「あれ?もしかして高原さん?」


詩乃を呼ぶ男性の声に、ん?とそちらを見ると、見覚えのある姿があった。振り返ったことで、声の主は私と鈴香にも気が付いた。


「茨さんに、須田さんも。三人で女子会?」


そう言ったのは同じ部署の先輩である岡田さんだ。その後ろには後輩の佐原くんもいる。岡田さんは嬉しそうにこちらへずんずん進んできて、その後ろの佐原くんはビックリした顔をしながらも岡田さんに着いてくる。会社の人とプライベートで会うと少し気まずい。


「え〜!こんなところで偶然!」


詩乃はそんなことは微塵も思っていないようで、二人に向かってひらひらと手を振る。


「せっかくだから一緒に飲みませんか〜?」


「皆さんが良いならぜひ!男二人で華が足りてなかったからな。」


岡田さんはニコニコと笑いながら佐原くんの肩をバシバシ叩く。「ちょっと、やめてくださいよ。」と苦言を呈されているが、全く気にしていない。

そんなこんなで店員さんに許可を取って、テーブルを合わせて一緒に飲むことになった。


「男性二人でなんて、お二人は仲が良いんですね。」


鈴香が聞くと、岡田さんは注がれたばかりのワインを一口飲んで言う。


「まあな。でも今日は佐原の相談を聞いててな…。」


「岡田さん。」


佐原くんが、被せるように岡田さんの名前を呼んだ。まるでそれ以上言うなというように。岡田さんが「悪い悪い。」とヘラヘラしているのをジトッとした目で見ている。

そんな二人に首を傾げたが、止めるってことは私たちに聞かれたくない話なんだろう。仕事の悩みの相談とかかな。分かるよ、誰かに話を聞いてもらいたい時期あるよね、なんて勝手に理由を想像して納得する。


「三人こそ何話してたの?あ、でも女子会の内容は聞いちゃいけない感じ?」


「そんなことないですよ〜。…そうですね、今は澪の彼氏の話をしてました。」


そう言って、「ね。」と詩乃が笑顔でこちらを見る。当然私は焦る。


「ちょ、ちょっと!」


「大丈夫、詳しくは話さないよ。でも悩んでるのは本当でしょ?」


詳細をペラペラ話す気はないことに安心する。詩乃はお酒が入っても判断がつかなくなるタイプじゃなくて良かった。それはそれとして、悩んでいるということを否定できず、かと言って岡田さん達の前で詳しく話したくない私は「それは、まあ…。」と曖昧な返事をした。

しかし岡田さんは思ったより話に食いついた。


「え!?それって一体何が…、いや、話したくないんだよな…。うーん。……もうすぐ別れる感じ?」


興味はありつつも、私の様子を見て話したくないのだろうと推測し、無理に聞かない判断をしたのは好感が持てる。でも、悩んだ末の質問が「もうすぐ別れる感じ?」なんて、直球すぎて逆に笑えてくる。


「それはこれから考えなきゃとは思ってます。」


「あー、そうか。うーん…。」


苦笑いしながら答えると、岡田さんは視線を彷徨わせながら唸り出した。ここに来た時から顔も赤いし、お酒がたくさん入って思考力が鈍っているのだろう。

これ以上何か言われる前にと、できるだけ明るい声で岡田さんへ言う。


「岡田さん恋バナ好きなんて知らなかったです。奥さんとの馴れ初め聞かせてくださいよ!」


岡田さんの左手薬指にはシルバーの指輪が光っている。ランチは毎日奥さんの手作りお弁当で、スマホを見せながら職場の人に惚気ているのを見たことがある。私の言葉を聞いた岡田さんは思った通り、とても良い笑顔を浮かべた。


「よく聞いてくれた!俺が妻と出会ったのは中学の時だ。みんなも分かるだろ?あの頃は好きな子に素直になれなくてさ……。」


ワイン片手にまるで舞台俳優のように語り出した。詩乃は苦笑い、鈴香はやってくれたわねと言いたげな視線を私に送る。心の中でごめんねと謝りながら、話の矛先が逸れたことに安心したのだった。




結局解散したのは日付を超える頃だった。ふと時計を見た鈴香が「やばい終電!」と言わなければ、延々と語るのではないかというくらい岡田さんは喋り続けた。

そして残念ながら、私は終電を逃した。

鈴香、詩乃、岡田さん達の路線はまだ大丈夫だったようで、急いでホームへと駆けて行く背中を見送った。残された私と佐野くんへ向かって「頑張れよ!」と手を振った岡田さんの良い笑顔は忘れない。


「タクシー呼びます?」


タクシー配車アプリを開きつつ佐野くんは聞いた。お酒をたくさん飲んだ身体は怠くて一刻も早く帰りたがっているけど、なんだか少し歩きたい気分だ。


「ううん。歩けない距離じゃないから歩いて帰るよ。」


「じゃあ俺も歩きます。暗くて危ないので送らせてください。」


「心配しなくて良いよ、佐野くんはタクシー使いなよ。」


「…じゃあ、途中まで一緒に行きます。帰る方向が分かれたらそこでさよならって事で。」


「まあ、それなら…。」


佐野くんの家がどこかは知らないけど、電車で一緒になったことないし、すぐに方向が分かれるだろう。そう思った私は佐野くんと歩いて帰ることにした。


駅前はこんな時間でも人が多いけど、少し外れてしまえば人はまばらになる。飲みに出て、こんなに遅くに帰るのは学生の時以来かもと思いながら、夜空が縁取るビル街を見つめた。しかししばらく歩いても佐野くんは分かれる気配がない。もしかして、さっきは私が気を遣わないようにああ言っただけで、家まで送ってくれようとしているのだろうか。


「茨さん、さっきの話…。彼氏とは上手くいってないんですか?」


「え?…うーん。」


佐原くんまで私の話に興味があるとは意外だ。みんなと話していた時は、佐原くんはその話に一切触れなかったのに。なんて答えようか少し悩んだけど、アルコールでふわふわした頭では上手く誤魔化せる言葉が見つからなかった。


「上手くいってない訳じゃないんだけど、なんて言うか…。自分に自信がなくなっちゃったというか…。」


せめて重い話にしたくなくて、あははと軽く笑ってはみたものの、佐原くんが思っていたより真剣な顔で私を見るものだからヘラヘラした笑いは引っ込んだ。


「その人とはもう長いんですか?」


「高二の時に向こうが転校して来て、それが出会い。付き合ったのは大学に入ってからだったなぁ。」


思い出すと懐かしい。

高校二年生の秋に、うちのクラスに転校生が来るって話題になって、やって来たのが朔だった。自由な校風だったから、当時から髪はあの色だったけど、目は流石に目立つと思ったのかブラウンのカラコンを着けていた。本当の目の色を知ったのはもっと後のことだ。

先生の横で特に笑顔も浮かべず名前だけを名乗った朔を見て、すごく綺麗な男の子だなと思った。私が思うということはみんなも思うというわけで、男女問わず朔は人気者だった。英語の発音がとても綺麗なところとか、笑った時に犬歯がチラリと見えるところとか、いつも怠そうにしているのに不思議と雨の日や雪の日は元気なところとか、そういう朔の魅力が気になっていって、気が付けば私も多数の女子と同じように朔に恋心を抱いていた。でも私なんかの手が届く存在じゃないんだと思って、淡い恋心を胸にそっとしまっていた。


それが崩れたのは、高校三年生の夏だった。

窓を叩きつける激しい雨、湿った教室の匂い、響く遠雷、切れた指の痛みと滴る血の赤、血よりも赤い目。

あの時のことは私の五感が覚えている。

一生忘れられないであろう、あの時の衝撃と感情が少しだけ胸から溢れて、ぶるりと身体を震わせた。


「__茨さん?大丈夫ですか?」


名前を呼ばれてハッとする。一瞬だけ私を支配した感覚が霧散して、夜風の冷たさが私を現実に引っ張った。


「あ…。大丈夫、ちょっと冷えたかな。」


誤魔化すための言葉だったが、真に受けた佐原くんはジャケットを脱いで私の肩にかけた。慌てて返そうとするが佐原くんは譲らず、ありがたく少しだけ借りておくことにした。そのまま歩き出すと、佐原くんは言った。


「俺、今日は岡田さんに恋愛相談してたんです。岡田さん意外とそういう話真面目に聞いてくれるから。」


「そうだったの!佐原くん気になってる人いるんだ。もしかして…社内恋愛?」


佐原くんも恋に悩んでいるから、私の恋愛事情が気になったのだろうか。岡田さんには相談していて、同じ職場の私達女性には言いたくなさそうにしていたなんて、もしかして社内恋愛?そう考えるのは安直すぎるだろうかと思いつつ聞くと、佐原くんはピタリと足を止めた。

…え?当たり?


わあ誰だろう、なんて勝手にワクワクして佐原くんを見ると、彼はただまっすぐに私を見つめていた。どこか切なさを帯びた真剣な眼差し。私はそれに似たものを見たことがある。見たことがあるからこそ、これ以上触れてはいけないと即座に感じ取った。


「わ、私の家もうすぐそこなの!もう一人でも大丈夫だから、送ってくれてありがとうね。」


視線を断ち切って明るい声を出す。実際に私のマンションはもうそこに見えているので嘘ではないけど、あからさまな態度だろう。いそいそと貸してもらったジャケットを脱いで、ありがとうと佐原くんに押し付けるように返す。そのまま踵を返し歩こうとしたのだが、動けなかった。


「待ってください!」


その言葉と共に右腕を掴まれたからだ。


「…!」


私の手首にぐるりと指が回るくらい大きな手だ。お酒が入っているせいか、それとも彼の身の内に燻る熱のせいか、その手のひらは酷く熱い。咄嗟のことできっと佐原くん本人が思っているより力が入っていて、少しだけ痛みを感じる。


「俺の好きな人にはもう彼氏がいて、困らせるだけだって思ってたんですけど…。でも今日話を聞いたら、俺にもチャンスが欲しくなったんです。」


私を逃さないようにしながら、少しだけ声を震わせて一生懸命話している姿を見て焦る。


私、すごく無神経だった。思えば私の彼氏の話をしてる時、岡田さんはいろいろ言葉を考えながら視線を彷徨わせていた。チラチラと視線を送るその方向には佐原くんがいたんだ。そして、駅で別れた時、岡田さんが「頑張れよ!」と手を振ったのは佐原くんにあてた激励だったんだ。

何も気付かなかった私は佐原くんと一緒に帰って、弱いところを見せて、チャンスだって思わせてしまった。私では彼の気持ちに応えてあげることはできないのに。

困って情けない顔をしていると思うのに、佐原くんには私がどう見えているのか、頬を染めて喉を鳴らした。


「茨さん、俺…。」


腕を掴む強さも、熱の乗った吐息も、体温が上がって潤む瞳も、私にはその全てが怖い。それらを受け取って胸が高鳴るのは、私にとって朔だけだ。こんなところで朔への気持ちを再認識してしまうのは、目の前の状況から逃れたい気持ちが根底にあるからだろう。


「ごめんなさい、私は…!」


先に断ってしまうしかないと口を開いた時、ビュウと強く吹く風と共に、大好きな声が鼓膜を震わせた。


「手、離せよ。」


「朔…!」


来てくれたことに私はホッとする一方、急に現れた朔に佐原くんは驚く。赤い瞳にジロリと睨まれてパッと手を離した。上から下まで朔を見て唇を引き結ぶ。髪の色も目の色も派手だとか、切れ長の目に睨まれると怖いとか考えていそうだけど、でも一番は、迫っていたところを彼氏に見られて気まずいという顔をしている。


「……。」


朔は無言でじっと佐原くんを見ていたが、視線を逸らされたことでもう良いと思ったのか、そのまま私の手を引いて歩き出した。

でも私はどうしても一言言っておきたくて、佐原くんへ声をかけた。


「佐原くん、私、ちゃんと朔のこと好きだよ。…送ってくれてありがとう。」


チャンスがあるかもと思わせたままなのは、私にとっても佐原くんにとっても都合が悪いだろう。当てつけのように聞こえたらどうしようと思ったけど、私の言葉を聞いた佐原くんは何も言わず、軽く会釈して踵を返した。…やっぱり、佐原くんの家は別方向だったんだ。


朔は、私達のやり取りをただ無言で見ていた。





マンションのエントランス、エレベーター、廊下も、ずっと無言で手を繋いで歩いた。怒っているのかなと思いながらも何も言えずただ歩いて行くと、たどり着いたのは私ではなく朔の部屋だった。


小さく「え?」と言った私を無視して、朔は扉を開けてそのまま進んでいく。ソファの前で「ん。」と言われ座るように促される。大人しく座ると、キッチンに行ってすぐに戻って来た朔からペットボトルの水を手渡された。

ありがたく飲むと冷たさが喉を通ってく感覚が気持ち良い。思っていたより喉が渇いていたようで半分近く飲んでしまった。


満足したのでペットボトルをテーブルの上に置くと、フッと影がかかる。え?と見上げたすぐそこには朔の顔があって心臓が跳ねた。後頭部にするりと手を回され、自然と距離が近付き、そのまま鼻が触れるほどになって……、私はハッと思い出した。


「待って、私いっぱいニンニク料理食べて来ちゃった!」


慌てて腕を突っ張ると、ほぼピッタリとくっ付いていた朔との間に距離ができた。普通の恋人同士でもキスは憚られるのに、朔にとっては弱点と言われるものの一つなんだからダメに決まってる。そう思って首を横に振ると、朔は眉間に皺を寄せた。


「そんなの言われなくても気付いてるから。」


「じゃあ尚更…。」


「そんなものより気に食わない匂いがあるんだよ。」


明らかに不機嫌な言い方だ。それが何なのか問う前に、ぐっと距離を詰められる。肩に手を置かれそのまま体重をかけられて、簡単に押し倒されてしまった。

鼻先が触れるほどの近い距離で視線が交差する。私を見つめる赤い目がギラリと光って息を呑む。その内に潜む本性が垣間見えて、怖いだけではない感情が溢れ出す。心臓が煩いほど高鳴って、苦しいほどで、待ってと言おうとした瞬間に唇が重なった。


…あ、思ったより優しいキスだ。

不機嫌な様子と鋭い眼光から、少しは乱暴なものを覚悟していたが、存在を確かめるようなふわりとした口付けは私を安心させた。しかしそれは一瞬のことに過ぎなかった。


「…っん!」


安心しきった途端に、噛みつくような口付けに変わった。力を抜いていた唇はぬるりと舌が侵入するのを簡単に許してしまう。舌が絡み合う度、口蓋をくすぐられる度、唇が強く押しつけられる度、ビリビリと電気が走るような感覚になる。苦しさと快感から逃れたくても、腰に手を回され、体重をかけられた状態ではそれも叶わない。熱の籠った吐息を漏らすことしかできず、身悶える。


やっと唇が離されると、新鮮な空気を求めて短く呼吸するので精一杯だ。朔の呼吸に合わせて揺れる肩も、乱れて少し目にかかる前髪も、ひたりと私を見つめる赤い目も、頬を撫でる指先も。朔を形作る全てが私の胸を高鳴らせる。あんなに逃れたいと思ったのに、朔の濡れた赤い唇を名残惜しく見つめてしまう。


頭がぼーっとするのはお酒のせいか、酸欠のせいか。そんな状況でも、鈴香と詩乃との会話が頭をよぎって、気が付いたら私は口に出していた。


「私のこと好き?」


朔が目を細める。そんな表情も良いなぁと思いつつ、まずい、怒らせた?と少し焦る。いちいち気持ちを確認したがる女なんて面倒くさいだろう。しかし私の頭の中で蘇った言葉……"ご飯と、()()()()()()を提供する都合の良い女"。それは私の胸に深く刺さっていてどうしても真偽を確かめたかった。朔の口から否定して欲しかった。

祈るような気持ちで朔の返答を待っていると、小さなため息と共に朔は口を開いた。


「澪はさ、俺の気持ちの半分も分かってないよ。…まあ、俺が悪いんだろうけど。」


それは私が思っているよりも、私のことが好きなんだと捉えられるような言い方だ。

頬に添えられていた指先がつぅと首筋をなぞる。そのまま軽く爪を立てられてビクリと反応してしまう。その甘い痛みは朔が求めているものを彷彿とさせて自然と息が乱れ、目が潤む。朔は薄い皮膚の下にある血潮を感じ取ったのか、その赤い目が獰猛に光った。目の前にいるのは捕食者なんだと自覚させられて心臓が早鐘のように打つ。


「あの日から、俺はずっと澪に囚われてる。どうしようもなく苦しいんだ。…好きな気持ちを問いたいのは俺のほうだよ。」


その言葉通り、苦しさを耐えるような表情と熱の籠った吐息にゾクリとする。苦しそうに寄せられた眉、荒い息遣い、熱い吐息、私を射抜くような赤い目。それらがいつか見た光景と重なって、朔が言った"あの日"を鮮明に思い起こさせた。





ひどく暑い夏だった。

太陽がジリジリと肌を焼き、息苦しささえ感じるムワッとした空気が肌に張り付いて、そのまま汗になるような不快感。クラスのみんなも夏の盛りに辟易としていたが、もうすぐ夏休みだという事実にふわふわした期待感を寄せていた。私もそうだ。


しかし朔だけは楽しみな様子を少しも見せず怠そうに机に突っ伏している。元気すぎる太陽のせいで連日猛暑日が続いたせいか、最近、朔の機嫌が悪かった。暑さに呻いているようにも、何か苦しさを耐えているようにも見えた。


夏休みを目前に控えたある日、私に日直が回ってきた。日直なんて面倒だけど、二人一組で当番制のペアはなんと朔だった。気になっている人と一緒なら話は別で、密かにワクワク、ドキドキしていたのだが、肝心の朔はあの調子で、特に何か起こることもなく放課後を迎えた。まあそうだよねと、勝手に何かを期待した自分を慰めながら最後の仕事の花瓶の水換えをしていた。薄水色の花瓶に水が溜まるのを待ちながらふと水道の窓から外を見ると、鉛色の分厚い雲が空を覆い始めていた。これは夕立になるかもと思ったその通り、すぐに激しい雨が窓を打ちつけた。


こんなにザアザア降りでは傘を差していても濡れてしまうだろう。すぐ止むかな?ちょっと待ってみようかと思いゆっくり教室に戻ると、教室で一人、机で寝ていたはずの朔が起きていた。窓が開けられていて雨の匂いを含んだ湿った空気が入ってきている。朔は窓の外を見ていたようだけど、私が教室に入って来た気配を感じて振り返った。すると私を見て一瞬驚き、すぐに顔を伏せた。一瞬こちらを見たその顔に少しだけ違和感を覚えたものの、いつもよりよそよそしい態度に少し傷ついて違和感なんて忘れてしまった。胸の痛みを誤魔化すように明るく声をかける。


「最近ずっと怠そうだね。こう毎日暑いと嫌になっちゃうよね。」


「…うん。太陽が出てないとマシなんだけど。」


返事はしてくれたことにホッとする。

不思議なことに朔は、雨とか曇りとか、冬だったら雪の日とかは特に元気だ。今も雨が降ってきたから起きたのかもしれない。雨が嫌だって思う気持ちなら分かるけど、太陽が苦手なのは珍しい。


「ごめん、仕事ほとんどやらせちゃって。あと何か残ってる?」


「ううん、これで最後だよ。もう帰れるけど…まだ降りそうだね。」


遠くで雷が鳴っている。雷が近付いてきたら嫌だな。雨が止むのを待たずにさっさと帰った方が良いかな?なんて考えながらいそいそと花瓶を教室の後方へと運ぶ。


「…茨さん。」


不意に名前を呼ばれてドキリとする。変に期待してはダメ、顔に出してもダメと自分に言い聞かせて振り向いた時、空がピカッと光って轟音が地面を揺らした。


「っ…!!」


ガシャンッと大きな音が響く。雷に驚いて手を滑らせ花瓶を落としてしまった。散らばった花と割れた花瓶から流れ出る水に焦って手を伸ばす。花瓶を割ってしまったという事実に体がこわばって、自分で思うより強く破片を触ってしまった。


「痛…!」


ピリッと走った痛みに人差し指を見ると赤い線ができてしまっている。じわじわと広がる血を見てやってしまった…と思っていると、ふっと影がさした。


見上げた先には朔がいてしゃがみ込む私を見下ろしていた。私が花瓶を割ってしまったから心配して来てくれたのだと思うけど影になってその表情はあまり見えない。そのはずなのに、薄暗い中、赤い目だけがギラリと光って息を呑む。


…どういうこと?朔は普通の茶色の目をしていたはずだ。私が教室に入って来た時に朔の顔を見て、少しだけ覚えた違和感はたぶんこれだ。すぐに伏せられてしまったけどあの時から赤い目をしていた。

赤いカラコン…?でも、どう見ても本物にしか見えない。本来は赤い目で、それを隠していた…?


頭の中ではいろいろ考えるのに、まるで獰猛な捕食者に睨まれたように、こちらをひたりと見つめる赤い目に囚われて動けない。


朔はゆっくりとしゃがみ込み、私と視線の高さを合わせ、手を床についてにじり寄ってくる。反射的に距離を取ろうとしたが体が上手く動かせず、バランスを崩して尻餅をついてしまう。それでもこちらへ近付いてきて、ほとんど私に覆い被さるような体勢になった。


「ま、待ってよ。いきなりどうしたの?」


かろうじて出せた声は情けなく震えてしまった。

そんなことにはお構いなく、赤い目が射抜くように私を見ている。そして、おもむろに私の右手を掴んで持ち上げた。その目は血の滲む私の指を見つめていて、なんだ心配してくれただけかも、なんて楽観的な考えが一瞬頭をよぎった。しかし朔はあろうことか、わたしの指に舌を這わせたのだ。


「なにして…っ!」


咄嗟に手を引っ込めようとしたが、強い力で握られていてびくりともしない。赤い舌が私の指をねぶる光景と、過敏になった指先に当たる鋭い犬歯、ぬるりと這う舌の感覚にゾクゾクする。思わず小さく息を漏らすと、それに気付いた朔がこちらに視線だけを向けた。再び私を見たその瞳が熱を孕んでいることに気が付いて心臓が早鐘のように打つ。恋愛経験の乏しい私でも、迫られているのだとはっきり分かる。


何で?どうして突然?

それに血を舐めるなんて…、朔ってちょっと特殊な性癖なの?


熱の上がった頭で考えられるのはそれくらいだ。

頬が熱い。体温が上がって目が潤む。緊張と、怖さと、ほんの少しの興奮で身体が震える。

朔はそんな私を見て目を細めたかと思うと、私の肩に手を置いてそのままグッと力を込めた。もともと不安定な体勢は簡単に押し倒されてしまう。背中に床の冷たさを感じる。対照的に、私の右手を掴む手と肩に置かれた手が酷く熱い。

視線が交錯しゆっくりと朔の顔が近付いてくる。私の血を舐めた赤い唇に視線が吸い寄せられる。熱の籠った吐息が肌に触れるたびゾワゾワとした感覚がせり上がって私を苛んだ。鼻先が触れるほどの距離まで近付き、唇が触れるまであと少しというところで朔はピタリと動きを止めた。


…止めてくれるの?

ホッとした気持ちはある。しかしそれよりも、その先を知りたい、物欲しい、と感じている自分に気が付いて愕然とした。自分自身にこんなにも女としての性質を感じたことがなくて戸惑う。


心臓をドキドキさせたまま朔を見つめると、朔もまた私を見つめた。


「好き。」


吐息混じりに伝えられた言葉に目を見開く。それは私が夢見ていた言葉だ。自分の願望が見せた幻なんじゃないかってくらい、私に都合が良い言葉。しかしそれは幻でも幻聴でもなく、たしかに目の前の朔の口から出た言葉だった。


「なんで…?…いつから?」


信じられない思いで疑問を口に出す。


「理由なんているの?いつからかは…、…初めて会った時から。でも今、より深まった。」


苦しいような切ないような表情で見つめられて、胸がキュッと苦しくなる。もう一つ聞きたいことがあって口を開こうとしたが、今度こそ重なった唇によって遮られた。


柔らかな唇が重なったかと思うと、啄むようなキスをされる。もう既に煩かった心臓が壊れるんじゃないかってくらいドキドキして、苦しささえ覚える。唇に全ての感覚が集中してもたらされる感覚に震えていると、突然ぬるりと舌が割り入った。驚いた私は口を開けてしまい、結果的に舌を口腔内に招き入れてしまった。


「…っ、んっ…!」


知識としてはあっても経験なんてない。生々しい感覚と熱に思わず声を出すと、その吐息さえ飲み込むように朔の舌が私の舌にねっとりと絡みつく。籠った水音が鼓膜を揺らして頬が熱い。そのままゾロリと口蓋をなぞられると、体の奥がじんと熱くなって小さく腰が跳ねる。こんな感覚、知らない。


どれくらい時間が経ったのか。朔は満足したのかゆっくりと唇を離した。息を整えるような短い呼吸に合わせて肩が動いている。目を細め、濡れた唇を舌舐めずりするその様子を、はくはくと必死に酸素を求めながら見つめた。

私を見つめていた朔の視線が少しずつ下がっていき、私の首元で止まった。熱に浮かされぼんやりとした頭で何を見ているんだろうと考えていると、今度は首筋に舌を這わされた。


「ひ、あっ…。」


くすぐったさだけではない感覚に変な声が出てしまう。全身が敏感になっているみたいだ。耳に、首筋に、熱い吐息がかかり皮膚が粟立つように反応してしまう。時折首を掠める歯が何かとても怖いのもののように思える。身をよじろうとするが、腰に回された手がより強く私を引き寄せて逃れられない。

それでも私はどうしても朔に聞きたいことがあって、ビクビクと身体を震わせながら口を開いた。


「んっ…!まって、聞きたいことが、あるの…!」


私の言葉を聞いて、朔は動きを止めた。ゆっくりと顔を上げ、眉を寄せて苦しさを我慢するような表情で私を見る。何?と言いたげな目だ。


「その目って…もともと赤いの?牙も…。朔は…、何者…?」


私の言葉を聞いて、朔はクスッと笑った。

少しだけ身体を離して私を見下ろす。


「何に見える?」


僅かに開けられた口からのぞく犬歯はやはり鋭くて、それは歯というより牙に見える。獰猛さが滲む目は私の指から流れる血よりも赤い。人間ではない、更に上の…捕食者のような存在に思える。しかしそんなことがあり得るのか分からず答えられないでいると、時間切れとでもいうように、再び私の首に唇を近付けた。


「あと、一つだけ…!」


またあの刺激が来ると身構えたが、まだ大事なことを言っていなかったと声を上げた。またストップをかけられた朔はイライラしたのか半ば睨むように私を見る。腰を掴む手にも力が入ってビクリとしたけれど、どうしても言わなきゃと思った。


「好きだよ。私も、ずっと前から。」


朔はその赤い目を見開いた。朔が好きって伝えてくれたから、私も気持ちを返したかったのだ。ちゃんと言えたという満足感を抱きながら朔を見ていると、頬が赤く染まり、ゴクリと喉が上下した。眉間に皺を寄せて目を細める。切ないような目をしているのに、その奥で獰猛な光がより強くなった気がして、ひやりと汗をかく。


「ここまでする気はなかったんだけど、…ごめんね。」


「え…?」


その表情からは意外なくらい優しい声で謝られたかと思うと、朔は私の首筋に顔をうずめた。そして、熱い吐息がかかり、首筋にズプリと牙が立てられた。





「好きな気持ちを問いたいのは俺のほうだよ。」


そう言われた私は、心の中の疑念を晴らした方がいいと思って覚悟を決めて口を開こうとした。しかし、朔は何も聞きたくないというように、言葉を発する前に再び唇を重ねた。


「…んぅ…!」


…ずるい、気持ちを問いたいって言ったのは朔なのに。じゃあ聞いてよ。私が何を考えてるか、朔のことがどんなに好きか聞いてよ。朔は何も聞いてくれないし、何も言ってくれないじゃない。


朔はキスが上手だ。熱くてとろけるようなキスはいつも私をふわふわさせて思考力を奪う。でも今は、身体は熱いのに頭の中は酷く冷静だ。キスはするし、それ以上のことだってするのに…、こんなに近いのにお互いの思いが分からなくて胸が刺されるように痛む。気が付いたら私は涙を流していた。


頬に添えられていた朔の手に涙が落ちて、ハッとしたように唇を離した。


「…!ごめん!ごめんっ…!」


泣いてるのは朔なんじゃないかって錯覚するくらいつらい表情を浮かべて、焦ったように謝る。私の涙を拭うその手は震えている。


「…あのね、聞いて欲しいの。」


短く呼吸して息を整えながらそう言うと、朔がビクリと反応する。それはまるで何かに怯えているようで、いつもの飄々とした朔とは違う様子に内心少し驚く。何か言おうとしたのか一瞬だけ口を開いたが、すぐに閉じられギュッと唇を引き結んだ。とりあえず話を聞く気はあるようだと判断して、話を続ける。


「私は朔のことが好き。大好き。」


赤い目が見開かれる。いつか見たような光景だ。あの時は告白なんてしていなかったから驚くのも分かるけど、今は恋人同士なのにどうして驚くんだろう。自分が好かれていることに自信がないのだろうか。


「でも私はいつも不安なの。同じところに住んでるくせに同棲はしてなくて、ご飯だけ一緒に食べて、たまにそういうこと…をするだけ。一緒にいる時間はすごく幸せなんだけど、なんて言うか…、私って都合の良い存在なのかなって思っちゃうんだ。」


もともと心の中にあった不満と違和感が今日の飲み会で浮き彫りになった。この疑念を解決させないことには、私は前に進めない。…一番怖いのは、「お前は都合の良い女だよ」ってここで認められてしまうことだ。それならそれで別の覚悟を決めなきゃいけないけど、それだけは嫌だって祈るように返事を待つ。沈黙が落ちた後、小さく息を吐いて朔が口を開いた。


「…同棲したいって言えないのは、俺が弱いからなんだ。本当はずっと澪と一緒に過ごしたい。生活時間がすれ違うことがあっても、少しの時間でも一緒の時を重ねて、もっとずっと一緒にいたい。」


「じゃあ、なんで…。」


それなら尚更、同棲した方が良いはずだ。一緒に過ごす時間を増やして、思い出を増やして、そうやって今より愛を深めることができるのに。俺が弱いからって、どういうことなの?

そう思って問いかけると、間髪入れずに朔は言った。


「澪を閉じ込めてしまいそうになるから。」


朔が私を見つめる目は真剣だ。私は朔に束縛されたことなんてなくて、交友関係も行動も自由に選択して過ごしている。だからこそ、その言葉が意外だ。しかし冗談なんかじゃないことは朔の目が雄弁に物語っている。


「澪への気持ちが大きくなりすぎて、いろんなことに嫉妬して、そのうち、澪を閉じ込めて二人だけの世界にしたら良いって思ってしまったんだ。でも、澪の自由を奪いたくない。」


「嫉妬って、なんで?疑われるようなことした覚えないよ。」


何が朔のことをそんなに不安にさせているのか分からない。私はずっと朔だけを見てきた。ほんの少しだって他に目移りしたことなんてない。そう思って言うと、朔が目を伏せて長い睫毛が頬に影を落とす。


「…澪は人間だから、人間と関わらなきゃ生きていけない。大学に入ってからも、就職してからも、…澪の周りに新しい関係ができる度に気が気じゃないんだ。…いつ、やっぱり人間がいいなんて言われるか分からないから。」


朔にとっては言いたくないことだったんだろう。自らの罪を告白するように胸の内を吐露した。今までそんな思いは一言も口にしなかったところに、朔の胸の内に秘められた嫉妬深さと愛の重さを知る。切ない感情が私の胸にも流れてきてキュッと苦しくなる。


だが、私のことを舐めないでほしい。


「朔がそんなに私のことを想ってくれているなんて知らなかった。…でも、朔こそ私の気持ちを軽く見過ぎてる。今更他の人が良いなんて言うわけないでしょう?朔の告白を受け入れた時、私がどんな覚悟をしたと思ってるの?」




高校三年生の夏のあの日、朔は私に付き合って欲しいと言って、私はそれを断った。キスも血をあげるのも受け入れておいて何で…?という顔をされたけど、単純に私には覚悟が足りないと感じたのだ。

人間同士だって付き合うのには多少覚悟がいる。朔は自分とは明らかに違う存在で、付き合って、その先を考えた時に、私が朔を支えていける想像がつかなかった。それに、朔のことはずっと好きだったけど、熱に浮かされたように付き合うのは抵抗があった。


それから数回告白されて、その度に断って、結局告白を受け入れたのは大学二年生になった頃だった。朔は高校卒業してから深夜バイトで働く傍らゲーム配信を始めて、だんだん私と生活時間がずれていった。前よりも会う時間は明らかに減って、私への興味が薄れたのかなと寂しく思いつつもこれで良いんだと思う自分もいた。だけど朔はたまに様子を見るように私に会いに来て、少しだけデートして、別れ際は寂しそうな目を向けるのだ。そこに愛を感じずにはいられず、私のふわふわした気持ちは少しずつ固まっていった。


ある日、私は朔に言った。おとぎ話に出てくる吸血鬼は悪役になってしまうほど強くて、恐ろしくて、孤高の存在だけど、実際には少し違うんだねと。すると朔は笑った。現代の吸血鬼は時代に適応して進化し弱点は減っている。だがその分、弱くなっているところもあるのだと言った。それは吸血鬼の本能的な部分にも表れているらしく、吸血衝動があんなに強く出たのは私が初めてで、私だけだという。そんなことを言われてなんだか少し照れたけど、その後に朔は言った。


「適応と言えば聞こえはいいけど、俺達はある意味、ゆっくりと絶滅に近づいている。」


ここではないどこか遠くを見つめるその目は酷く寂しくて、種の存続を危ぶむだけではない、一人孤独を見つめるような思いがそこにあるのだと感じさせられた。


その時私は、この人と一緒にいたいと強く思ったのだ。私が朔を支える。朔の孤独も何もかも一緒に飲み込んで同じ未来を見ていたい。朔の人生に寄り添う相手が必要なのだとしたらそれは私でありたい。




「私はあなたと一生一緒にいる。そう言って告白を受け入れたのは、言葉だけの表面上のものじゃない。朔が望むなら監禁だって何だってしたって良いけど、それぐらいじゃ私の愛は揺らがない。…私のことを舐めないで。」


半ば睨むようにして朔を見る。涙を滲ませたまま凄んでも全く怖くはないだろう。でも、私の覚悟を分かるまで伝えてやりたかった。


朔は目を見開いて私を見つめた。わずかに開いた口から細く吐息が漏れる。呆然と固まっているようにも、私の言葉を心に深く落とし込んでいるようにも見える。やがて、ゆっくりと泣きそうな笑みを浮かべた。


「…そうだね、澪のこと甘く見てた。最初から、俺の澪は優しくて強い人だった…。俺にとって唯一の人だ。」


朔が私の頬を撫でる。存在を確かめるように優しく丁寧に。その手はもう震えていなかった。

口許にはいつもの朔らしい笑みを浮かべて、赤い目は射抜くように私を見つめる。


「一生離してやれないから、覚悟して。」


甘くて重い響きが胸を震わせる。やっと本当の意味で朔と一緒に歩んでいける気がして、これからの未来が私達を明るく照らしてくれていると信じられる。

私達は互いの一番の理解者であり、唯一の居場所であり、やがて訪れる最期の時までこの手を離さないだろう。


「そんなの、望むところだよ。」


朔こそ、覚悟して。

そんな思いで朔を見つめると、朔は柔らかな笑みを浮かべた。それから私達は、優しくて甘い誓いのキスを交わした。





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