第1話:根の目覚め ─プロローグ─ 日常に潜む微細な揺れ
孤独という猛毒は、時として理性の防壁を容易く突き破る。 国家の影で「深根会」として生きる男が、唯一の聖域を守るために選んだのは、自らを社会的異常者に貶めるという絶望的な献身だった。 本作は、外資の非情なロジックと、男の狂気を孕んだ愛が交錯するサスペンスである。 日常に潜む「事故」の真相を暴きつつ、偽名に隠された十年の真実を解き明かしていく。 救うための襲撃、守るための裏切り――その結末にあるのは、勝利か喪失か。
――静かな大樹は、今日も誰にも気づかれずに立っている。
私たちの日常は、
あまりにも当たり前で、
あまりにも静かだ。
朝、子どもを送り出し
仕事に向かい
夕飯の献立に迷い
疲れて眠る。
その「何も起きない一日」を、
誰が守っているかなんて、考えたこともない。
でも――
何も起きない、という奇跡は
偶然ではない。
街角の違和感。
ニュースにもならない異変。
「気のせい」で流される、小さな揺れ。
それを拾う者たちがいる。
声を上げず、名を残さず、
ただ“循環”として存在する組織。
枝が揺れを拾い、
根が判断し、
幹が支え、
花が守られ、
実が未来を育てる。
それが――
「深根会」
これは、派手なヒーローの物語ではない。
「守られてきたこと」に、
ある日ふと気づいてしまった
私たち自身の物語だ。
■ プロローグ:色の濁り
東京の朝は、いつも通りに始まる。
電車の揺れ、コーヒーの香り、スマホの通知音。
誰もが同じように日常へ向かって歩いていく。
けれど、不動の視界には、
その日だけ“薄い濁り”が混じっていた。
共感覚が拾ったのは、
「透明なはずの空気に沈む、淡い灰色の揺れ」。
誰も気づかない。
けれど、不動には分かる。
かつて加藤が残した言葉が、
胸の奥で静かに息を吹き返した。
愛の形は様々だが、自らを汚泥に沈めて対象を光の中に押し戻す、それも一つの真実かもしれない。 たくまが背負った「社会的死」と、智子が手にした「残酷なまでの平穏」の対比を描き切った。 外資の脅威は去っても、失われた「十三時の聖域」が戻ることは二度とない。 読者の皆様が、日常の片隅にある「小さな幸せ」の裏側を想像するきっかけになれば幸いである。 八咫の楔シリーズ、これにて一時の幕を閉じる。




