それはまるで陽光に包まれるような
この家に来てから何日が経った。
既に喉は枯れ、涙は果てた。
時折獣にも似た呻き声を上げて力の入らない体を叱責する。
あの時もっと自分に力があれば。
そもそも人間など信じていなければ。
取り留めのないたらればを思い出して――最後には母を思い出す。
「……かぁ、さん」
か細い声はそれでも尚、後悔と怨嗟に塗れていた。
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「……今日も食べてない、か」
彼がこの家に来てからはや数日、出した食事には一切手をつけず、喉を潤すための水分だけは飲んでいるようだった。
初めこそ彼の心を労わるように距離をとっていたがここまで何も食べないというのはこちらとしても困ったものだ。
「う〜ん……」
チラと隣に座る少女を見る。
正直、今の彼に他者と触れ合えるだけの余裕は無い。これは博打だ。
ただ、この子なら……或いは。
少女の頭を一撫でし彼の傍に行くように促した。
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キィと扉が少し開く。
この間からこの体は少しの刺激にも過敏に反応し、その度に怯えて震えてしまう。
布団の中から扉を見ると先日にも顔を合わせた少女の気配があった。
「……何か、用」
少女は答えない。
ただ開いた扉の前にいるだけだ。
重い沈黙が1つの扉越しに満たされる。
どことない居心地の悪さが少年の心を責めたてていた。
「用がないなら、どっか行って」
「……行かない」
「じゃあ何、どんな用があるの」
「…………」
答えない。
なんなのだこの少女は!
理由の分からない重い空気に胸が詰まる。嫌な雰囲気だ。この場から逃げ出してしまいたくなる。
「……どうせ、家を出ていけとかそんなとこだろ」
「……そんなこと、言わない」
「じゃあなんなんだ! 扉は開かない! 気配はずっと残してる! 用がある訳でもない! 僕に何をしてほしいんだ!」
枯れた声で必死に吠える。
分かっている。こんなのは八つ当たりで、彼女に非は無い。ただ彼女が自分を責めているように思えて、どうにかしてこの場所から逃げるように仕向けているだけ。
「分かってる! ああ、分かってるさ!! 母さんはもう居ない! 父さんも殺されたかもしれない! あの家はもう無いかもしれないし! このままここに居てもあんた達に迷惑をかけるだけだ!!」
思いが溢れて、零れて、言葉となって流れ出る。絶叫と言うよりも発狂に近いそれは、彼自身を責め立てる自戒の言葉だった。
「もうあの場所には戻れない! あの日々には戻せない! 今更になって気づいたんだ! 僕はこの世界にとって異端だって! バケモノなんだって!! 気づいてみれば当たり前だった!! なのに周囲に甘えて、気付かないふりをして……。そうだよ。分かってる、分かってるんだ」
悪いのは自分だった。
味方のいないと思えたあの街で、唯一対等に話してくれた人だったんだ。
家族ではないけれど、角付きのバケモノじゃなく、対等な人として扱ってくれてたと思ってたんだよ。
この世界は角や羽のある種族に情け容赦はない。個対個ならば角や羽のある種族が負けることはそうそうないだろう。
そもそもの肉体的な強度が違う。
けれど、人間は個では戦わない。集団としての個なのだ。
過去にも複数人に囲まれて袋叩きにされたことがあった。
その時も相手を諌めてくれたのはあのおっさんだけだった。
期待、したんだ。
こんな自分でも分かり合えるって、話をして、一緒にご飯を食べて、家族以外に友人や、大切な人ができて……なんて妄想をしていたんだ。
「後悔、してるさ……僕の思い描いた未来はただの妄想に過ぎなくて、手を取り合える未来なんて!!」
「――ある」
「…………は?」
「私、お喋りはあまり得意じゃない。気持ち、伝えるの……得意じゃない」
拙くも明瞭な言葉を紡ぐ。
少女の声は平坦で、そこに気持ちは載っていないように思える。
「私、あなたが最初怖かった」
「――はっ! そりゃ角付きなんて――!」
「違う」
「角、とか……羽、とか……関係ない」
扉が少し開く。
差し込む光が徐々に増していく。
「じゃあ何が!! バケモノ(僕)に、教えてくれよ! どうしたら良かったんだ! どうすれば間違わなかったんだ! ずっと……ずっと!!」
この数日間、失った日常を思い出して目が覚める。朝起きたら母の作ってくれたスープがあって、父は食卓で街の連絡を見てて、母が笑って食事を出してくれて、街に行きたくないなんて我儘を言って、それでも街に行って、おっさんと話をして、そのうち……他の人とも話をしたりして。
叶わない夢を見ているんだ。
覚めない悪夢に魘されてるんだ。
怒りのままに扉を開ける。
感情の載っていない顔に驚きが加わる。
彼女の瞳に写った自分は愚かな怪物に見えた。
「僕は……馬鹿だ。無くなってから、失ってから、気づいたんだ」
もう、どうにでもなればいい。
そうだ、いっその事角狩りにでも――
ふわりと体が包まれる。
純白の翼、初めて会った時にみた体の割には大きなそれはどこにも行かせないと言うように自分を囲んでいた。
「なにを――!」
「大丈夫だよ」
ゆっくりと、暖かい手のひらが頬を撫でる。
安心させるように。
温もりが伝わるように。
その温もりは、まるで母のようで次第に反抗する気力もなくなってしまう。
「私、あなたのことが怖かった。ボロボロで、今にも消えちゃいそうだったから」
1つずつ、治りかけの傷に触れられる。
そっと優しく指が触れ、その輪郭をなぞる。
痛くは無い……が少しくすぐったい。
「私、ここから出たことがない。きっと、あなたより知ってること少ない」
「……でも、あなたが優しい人なのは、ちょっと分かった」
「優しくなんて……」
「お母さんが死んだのは、自分のせいだって思ってる?」
「――ッ!」
真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐに彼女の視線が僕を射抜く。顔を背けようとしても添えられている手が離してくれない。
「……分かってるだろ。その通りだよ。僕があんなことしなければ、夢や理想なんて抱かなければ――」
言葉にすればスラスラと出てきてしまう。
強い自責も。
酷い後悔も。
止まない頭痛も。
収まらない吐気も。
自分の理想が家族を殺した。
自分の夢が居場所を壊した。
――――もう、戻らない。
絶望に染まった彼を遮るように。
空を覆う暗雲を切り裂くように。
扉はもう、開かれていた。
「私が、あなたの居場所になるよ」
「……なに、言って」
「私はお母さんにはなれないけど」
「私はお父さんにはなれないけど」
「あなたはここにいるって隣に居ることはできるから」
「だから、私があなたの居場所になるの」
少女の告げた思いはたどたどしく、しかしやがてジワジワと根を張るように浸透していく。
それはある種の狂気なのかもしれない。
まだ出会って数日、顔を合わせて話すこともこれで数回。
普通なら有り得ない。
けれど彼らは普通たりえない。
「あれ、なんで……」
とうに枯れたはずの涙が、静かに零れ落ちていく。
自分の頬を伝うそれを触ることで初めて自覚した。
「っくそ! 止まれ……止まれよ……!!」
後悔や自責では無く、安心や喜びによって発露した涙。
ボロボロと零れるわけではない。
溢れ出て止まらないわけではない。
ただ、少しずつ……少しずつ堰き止められていた心が流れていくだけ。
「ふふ」
「笑うな!」
「ごめん。可愛かったから」
そう微笑む彼女は、御伽噺の天使のようだった。




