魔女になった悲しき令嬢
「今、この時をもって私、オズワルド・アスペはフィリア・フォーネスとの婚約を破棄することを此処に宣言する!」
王家主催のパーティーで毅然とした態度で会場全体に響き渡る声を発したのはメルティアナ国第一王子オズワルド・アスペだった。
婚約破棄を突き付けられたのは、メルティアナ国筆頭公爵家の令嬢、フィリア・フォーネスである。
この日がこれから続くフィリアの悪夢初日であった。
フィリア・フォーネスは幼少の頃から第一王子の婚約者候補として厳しい教育を受けて来た。
自由は殆ど無く、公爵家の令嬢としての嗜みや作法、勉学やダンスレッスンなどで一日が終わる。けれど、フィリアは窮屈とは思えども一度も嫌だとは思わなかった。
多少の息抜きは許されたし、何より、頑張れば頑張るほど家族が褒めてくれる。
フィリアは家族に愛されていた。だから、公爵家として生まれた環境に不満など一切なかった。
品行方正で魔力も高く怜悧な頭脳を持ち、容姿も女神と比喩される程の美しさだった。
だが、それを快く思わない者達もいる。
此度の件はそんな者達によって引き起こされた出来事だった。
「聞いているのかフィリア!貴様はなんて醜悪な女なんだ!」
一度は愛し合ったはずの男性からの断罪。
フィリアは身に覚えのない罪を着せられて糾弾された。フィリアが十八歳の時のことである。
王都にある魔法学院にフィリアと婚約者であるオズワルドは通っていた。十七歳の時に編入してきた平民出自のリーズという女生徒がいた。
リーズは平民出自ではあるものの、父親は男爵位を持つ人で、男爵と使用人との間に出来た不義の子であった。彼女が編入する半年ほど前に男爵の正妻が病気で亡くなり、子がいなかった男爵はリーズと彼女の母親を正式に男爵家に迎え入れたのだった。
男爵令嬢となったリーズは破天荒で天真爛漫といった生粋の令嬢にはない魅力で色んな男性を魅了していった。
リーズは何処でどう知り合ったのか、フィリアの婚約者オズワルドとも仲良くなった。
二人の距離は次第に縮まっていたが、フィリアは何もしなかった。そう、何も。
婚約者という契約のような決められた関係ではあったが、フィリアもオズワルドも互いに愛し合っていた。その為、初めは嫉妬もしたし悲しくもなった。
だが、フィリアは黒い感情に侵されていく自分に恐怖し嫌悪した。どうしたらいいのか分からない日々が続いたが、オズワルドの幸せを願った時フィリアの心は軽くなった。
未だ胸は痛むし、何日も目が腫れる程に泣いた。
しかし、嫉妬に狂うよりも愛する男性の幸せを願った。
なのに──
リーズをいじめた。リーズを階段から突き落とした。リーズに暗殺者を送り込んだ等々。
何一つとして身に覚えのない言い掛かりを付けられて、公衆の面前で断罪された。
「身に覚えがございません」
「わたくしは、そのような事やっていません」
何度も何度も、同じ言葉を繰り返した。
しかし、フィリアの言葉を受け入れてくれる者も耳を傾けてくれる者も誰一人としていなかった。
しまいには、やってもいないリーズ暗殺計画からオズワルド暗殺へと話が飛躍し、身柄を捕えられ、地下牢に拘束された。
出された食事も喉を通らず元々細身だった身体は骨と皮だけしか無いのでは無いかと思われる程にやせ細っていった。
一年以上が過ぎた日、フィリアは地下牢から出された。
今から処刑でもされるのだろうかと心の中で自嘲を浮かべながら外に出た。
連れられた場所は処刑場。しかし、フィリアの処刑ではなかった。
処刑台に居たのは、フィリアが愛する者達の姿だった。
「この者達は罪人を排出しただけでなく、罪人を庇い、反省も改心することも無い愚か者達である。また、国家反逆罪の疑いもある。よって、己の罪を顧みることも出来ない愚か者共から二度と犯罪者を出さないように国の汚点となる者達を断罪する」
父、母、姉、弟。それから、幼少の頃から身の回りの世話をしてくれた使用人達。そして、フォーネス家の親族達が大きな丸太に縛り付けられて横一列に張り付けにされていた。
彼等の足元には藁や小枝が敷かれ、頭部から油を注がれる。
処刑人達が彼等の足元の藁や小枝に魔法で火を点していく。
──やめて!!
そう叫んだはずが、一年以上声を出していなかった声帯は声を発することが出来なくなっていた。
枯れたと思ったはずの涙が後から後から無限に湧いては頬を伝って流れていく。
愛する者達の処刑を目の前で見せられたフィリアは項垂れて、再び地下牢へと閉じ込められた。
その日、元婚約者のオズワルドがフィリアの目の前に現れた。
「今日の催しはどうだった、フィリアよ。傑作であったであろう」
オズワルドは目を見開き笑い声を上げる。
しかし、フィリアは生気のない目をするだけで反応を返さない。
その事に、苛立たしげにオズワルドは舌打ちをした。
「まあいい。喜べフィリア。貴様は名誉ある実験台に選ばれた」
そう言って、フィリアが連れて来られた場所は王宮で働く科学者達の研究所だった。
「今、不老不死の研究をしていてな。誰で実験をしようかという時に貴様の名前が上がったのだ。それに、もし成功していたとしても貴様にとって不老不死は地獄だろう」
オズワルドは嘲笑を浮かべた。
「お前の唯一の味方だった家族も親族も死に頼れる者も誰一人としていない。そんな中、死ぬ事も出来ずに生き続けるなどお前にとっては一番の苦しみだろう。…本当に、リーズは賢い。それに、リーズは生き続けて償う機会を貴様に与えるように進言してきたのだ。もし、この実験が成功すれば貴様は前線に送る。国の為に一生その身を捧げろ」
フィリアは確信していた。
不老不死薬に使われたのであろう薬草や机の上に置かれたものを見て。複数の致死性の高い薬草や薬物が置かれていた。
不老不死など、夢物語である。
拘束具を外されたフィリアは抵抗することなく、差し出された不老不死の試薬品を喉に流し込んだ。
「あ、あああぁぁあぁぁ」
フィリアは喉を抑えて叫び声を上げる。
喉が焼ける。胃が焼ける。目の前が真っ赤に染まる。
フィリアは喉を抑えたまま地面に倒れた。
しかし、倒れたフィリアの顔には微かな笑みが浮かんでいた。
──これで、愛する者達の元へ行ける…
フィリアは息が出来なくなって心音が弱まるのを聞いた。そして、静かに目を閉じた。
「チッ、失敗か」
失敗してもいい、実験台としてフィリアは使われたのだった。
そして、不老不死の計画はフィリアの死という結果によって失敗に終わった。──はずだった。
ドクンッ
一度止まったはずの心臓が脈を打つ。
ドクンッドクンッドクンッ
徐々に早くなる鼓動。
「ゴホッ...ヴ...ゲホッゴホッゴホッ...」
息を吹き返した瞬間だった。
フィリアは目を開けて絶望した。生きているという事実に。心做しか、やせ細っていた身体も健全だった頃の身体に戻っているような気がした。
「おお!生き返ったぞ!」
「成功じゃ!」
「誰も成功出来なかったものを儂らが初めて成功させたんじゃ!」
オズワルドや研究者達から歓声が上がる。
「だが待て。本当に不老不死になったのか確認が必要だろう」
オズワルドはそう言うと、腰に刺した剣を鞘から抜いてフィリアの心臓を貫いた。
「けはっ…」
フィリアは双眸を見開き吐血する。
突き刺さった剣がズルリと引き抜かれる感覚が気持ち悪い。
フィリアはそのまま地面に座り込み両手を床に着いて咳き込む。
フィリアは心臓を貫かれたにも関わらず生きていた。
「おお、奇跡じゃ」
「不老不死の完成だ」
それどころか、貫かれたはずの傷口が塞がっていくのを見て研究者達は再び歓声を上げた。
この日、ただの令嬢だったはずの一人の女が不老不死となった。
フィリアが不老不死に成功した理由。
それは、フィリアの魔力が高いことに由来する。その中でも、光属性をフィリアは得意としていた。
フィリアは治癒力がとても高かったのだ。
その為、一度死んだにも関わらず、不老不死の薬が適応して不死身となってしまった。
人間ですらなくなった。
人間ですらもいさせてもらえず、死ぬことすらも出来なくなってしまった。
──わたくしが…何をしたというのでしょう。
人の為、愛していた婚約者の為、フィリアは尽力してきた。
だが、愛し合っていたはずの婚約者には裏切られ、民達を癒しの力で手を貸し女神や聖女だと崇められていたのに、いざとなれば手のひらを返してフィリアを悪者扱いする。
誰一人としてフィリアの言葉には耳を傾けてくれない。誰一人として、フィリアの味方をするものはいなくなってしまった……
「お前達は不老不死の薬を二つ作れ。これで、私は永遠をリーズと共に生きることが出来る」
オズワルドは研究者達に指示を出し、研究者達は慌てて薬の作成に取りかかる。
「ふ…ふふ…ふふふふふふ」
笑いしか出なかった。
「何だ、気でも狂ったか」
オズワルドはゴミでも見るような目をフィリアに向けた。
「全て無くなればいい…」
「何だ?何か言ったか?」
フィリアは顔を俯かせてボソリと呟いた。
「全部壊れてしまえばいい…」
フィリアは周囲に光の矢を複数発現させたかと思えば、間髪入れずにそれを解き放った。
無数の矢が研究所に降り注ぐ。
研究所に居たものは、オズワルドとフィリアを残して全員が地に伏した。
「お、まえ…なんて事を!」
オズワルドは目の前で行われる殺戮に瞬時に対応出来ず、我に返った時は全て終わった後だった。
「…らない…要らない…貴方も…もう、要らないわ」
フィリアは天に向かって両手を上げた。
「聖なる乙女の怒り、聖なる母の嘆き。双涙砂上に落ちぬ──」
「貴様っ、何を!?やめろ!その詠唱は──」
オズワルドが慌てて止めに入るが、詠唱は止まらない。
「自分が何をしているのか分かっているのかフィリア!!貴様の魔力でその詠唱を唱えればメルティアナ国は一溜りもないのだぞ!!無関係の民達まで殺す気かっっ!」
「器は土に、魂は無に還らん。怒りの雷よ悪と罪をこの世から消し去れし身を清めよ!生命の拒絶!!」
「許さんぞ!フィィィィリアァァァァ─……」
詠唱が唱え終わるとメルティアナ国全土は上空から降り注ぐ光の中に飲み込まれた。
その光は建物の中にまで侵入する。
目を開けられないほどの輝きにオズワルドは目を閉じながら怒声を上げた。
フィリアが次に目を開けた時には、王宮内は静まり返っていた。
目の前にはオズワルドの姿も研究者達の骸もなくなっていた。残ったのは、彼等が身に付けていた衣服類や装飾類、そして、盛り上がった灰だけだった。
フィリアが使った魔法は禁忌魔法である。
生きとし生けるもの全てを拒絶し命を奪う。生命を宿す器は朽ち果て、魂は天に還ることなく消滅する。
この魔法は己の命と引き換えに発動するものだが、不老不死となったフィリアは朽ちることも死ぬことも出来なかった。
研究所の外に出て王宮内を歩き回る。
王宮内には静寂が満ちていた。所々で、研究所で見たものと同じ本来人だった者達の残骸がそこかしこにあったが、フィリアは目もくれずにある場所へと向かった。
それは、王都を一望出来る場所。
フィリアは王都を見下ろす。空には鳥の姿も無く、城下町には人の姿もない。草は枯れ木は朽ち、全ての命がフィリアによって奪われた。
「あは…あははははっ。お父様…お母様…皆…わたくし、やりましたわ。わたくしやあなた達を貶めた王家と貴族、フォーネス家を頼るだけ頼って王家に切り捨てられれば手のひらを返して裏切った民衆達。こんな王家もこんな民衆も全て要らない。要らないものは全て排除致しましたわ」
フィリアは何時間もその場で狂ったように笑い続けた。ピタリと笑い声が止んだ時、フィリアは最後に小さく言葉を紡いで王宮内に戻って行った。
「泣きたいのにもう…涙も出ない。一番要らないのはわたくしなのに死ぬことも出来ない……」