11 Everlasting①
Ⅴ Everlasting
コハルちゃんからの返信は来なかった。どころか、一週間以上経っても既読すらつかないありさまだった。
あのあと、先輩に連絡先を教えてもらって、わたしはうんうん悩むはめになった。いまさら何をことばにすればいいのだろう。というか、わたしはどうして、彼女と連絡を取りたいなんて思ったのか。そういうことに頭を捻って、先走った感情に名前をつけようとする。
結局、名づけはできなかった。その代わり以下の文面を送信することに成功。
『ひさしぶり。
橘いつきです。
元気にしてますか?』
そりゃ返信なんて来ないだろ。
トーク画面を閉じて、わたしは真綿のような息を吐いた。もはや日課となってしまった既読確認だが、今日も今日とて無為である。黒いロングコートのポケットにかじかんだ右手をスマホごとねじ込む。
「電車、まだかな」と、結良がいう。
「もうちょっとしたら来るんじゃない」
答えて、わたしはあくびをした。氷点下の外気が喉を突き刺す。
朝九時半のプラットフォームは殺風景で、ささくれたベンチと、ずっと遠くに灰皿がぽつねんとあるだけ、とても風通しがよかった。つまり寒い。わたしたち以外にだれもいなくて、まぁこの寒さだからなと心のなかで肯く。
最低気温はマイナス五度、最高気温は一度。夜には雪が降るという。今季いちばんとかいう寒波が迫っており、今日はその前哨戦です、と家を出る前に化粧の濃いお天気アナウンサーがいった。冬将軍の足音がきこえる。
黄色い線の内側で、わたしは突っ立ったまま身を縮こめた。生理現象である。ベンチに落ち着いている結良はマフラーに顔半分を埋めて、カメみたいな佇まい。やはり人間、寒さが厳しくなると甲羅が欲しくなるのだろう。わたしも赤いマフラーで口元を覆い隠すようにする。
と、ようやく遠くに電車が見えた。山吹色のかわいらしい車両で、二両編成。はじめは小指くらいのサイズに見えたのに、カーブを走り抜けたところでずいぶん大きくなった。
結良は立ち上がって、
「座れるかな」
「ガラガラだよ、心配しないでも」
山吹色の車体は凍えるような風を押しつけながら停止する。ドアが開いたって誰も降りてこない。弾んだ足取りで結良は車内に飛び込む。
「ガラガラ!」
「大声でいわないの」
小学生みたいな高校生のいもうとをいさめつつ、てきとうなボックスシートに向かう。結良は我先にと窓際を占領して、わたしはその隣に腰を下ろした。真向いの席にはふたりぶんの荷物を置く。
たのしみだね、今日……と、結良は窓の外を眺めながらいった。そうだね。わたしは軽く返事をして、いもうとの長い睫毛を見つめている。電車が動きはじめる。
窓の景色がスクロールして、徐々に映画の早送りのようにうつる。結良はそのファストな映像に夢中だ。わたしはいもうとから目を離して、鞄から文庫本を取り出す。
ついさっきとはうってかわって、暖房が効きすぎているくらいの、車内はあたたかさだった。挟んでおいた栞を指でつまみながら、失敗したな、と思う。暖房の送り出すねっとりした空気がちょうど当たる位置取りで、着込んだ身としてはさすがに暑い。マフラーを外す。
「おねえちゃん」
「うん?」
「ねこが飼いたいよね」
脈絡がない。とはいえいつものことだから、わたしはとくに気にしないで、
「そうだね」と、手元の小説に目を落とす。「飼うなら長毛種がいいかな……」
「あぁ、かわいいよね。ラマヌジャンだっけ」
「……」首を傾げる。「ラガマフィンかな」
「そうだっけ。あとノルウェージャン・ウッド」
「……」それじゃビートルズだ。「フォレストキャット、ね。でも抜け毛とかひどいのかな、やっぱり」
「じゃあ、逆に皮ばったやつとか。いるじゃん、ほら、ファランクスだっけ……」
「重装備だね……」
わたしは気が抜けて、結局、ぱたんと小説を閉じてしまった。で、また結良に視線を向けるけれど、相変わらず窓に貼りついたままである。一拍置いて、
「ねこ、すきだっけ」と訊ねる。
「すきだよ」結良はこちらを振りかえって、「わたしに似てるからね」
「ふうん」
よくわからない理由だった。
「マイペースなところとか?」
「かわいいところとか!」結良は舌をだして笑う。「冗談。かわいいからすきなだけ。あとやわらかい」
それで、結良は窓の外にすぐ意識を戻した。わたしはそういう身勝手でいじらしい女の子の頭を撫でて、なにか見える、と訊いた。
「べつに、寒そうだなってだけ」
結良は身をくねらせて、花が綻ぶように微笑した。ガラスに反射するその表情をわたしはやんわり脳に刻んで、手元の小説を見やる。和紙製のブックカバーで覆ったのは、最近買ったSF小説。このごろ数十年のお決まりとして、量子論をうんとこねくり回した結果の作品である。端的に、文系には底が知れない。
本は普段から数冊持ち運ぶようにしている。というのは、そのときの気分で読める本を変えられるように。だいたいは三冊。ひとつは小説、もうひとつは新書。で、あとの一冊は詩集のような読みやすいものにする。
最近、自動車を運転することが多いから本を読む時間が減った。結局、移動に費やすこういう時間がいちばん本を読みやすいのに、電車通学をやめるとそれがめっきり減る。というか皆無である。
だからたまの休日、自動車を使わずに電車で出かけるのはちょっとしたたのしみだった。あと、休みにまで車を運転したくないし。
と、コートのポケットで携帯が震えた。見ると、光海さんからのラインが一件ある。
――11時ごろに着くと思います。
律儀なひと。わたしはついついくすっとしつつ、了解です、と簡単な返事を送る。すぐに既読がついて、それっきり。
また同じ場所にスマホをしまう。結良はあいかわらず流れる景色のとりこだった。こういう子どもっぽいところは、いつまでもそのままだ。わたしは文庫のページを繰る。
◇
一時間とちょっと電車に揺られて、市街地に近い駅で降りる。近い、というのは、終点であるターミナル駅の手前だから。自宅付近と比べると充分に〈市街地〉だが、別段、都会という感じはない。要は郊外ってこと。
いちおう有人駅で、とはいえ窓口が常時開いているわけではない。その代わりに自動改札機がある。ただしプラットフォームに出るとき専用で、駅を去ろうとする際には窓口付近の回収箱に切符を入れる。運が良ければ駅員の若いお兄さんが出迎えてくれる。今日はいない。
結良が率先してわたしのまえを歩き、踏切をこえて、やがて県道沿いに出る。いもうとの手をつながないでもよくなったのは、ここ数か月のこと。八月の大久野島観光からである。
むかしは手を離したすきにふらり消えてしまうような子だったのに、いまではすっかり見違えて、ひとりでまっすぐ歩けるようになった。最初はさみしかったけれど、いまではちょっと、うれしく思う。
たぶん、ひよりちゃんのおかげだ。あの子のまえだと、結良は本当に立派なおねえちゃんになる。だから結良の成長は、ひよりちゃんがいてこそ。
それとも、どうだろう。実はむかしから結良は一人前で、わたしが気づいていなかっただけなのかもしれない。このいもうとはわたしが手をつないでいなきゃだめだったから――ううん、だめだと勝手に思っていたから、彼女のすこやかな成育を知れなかったのかも。
いってしまえば、どっちも、なのだろう。結良が成長したのは、それも見違えるほどに思えたのはなぜかと問われたら、どっちもの理由がただしい答えになるはずだ。だからさみしいし、そのぶん、うれしい。
横断歩道を渡ろうとする直前で、赤信号に切り替わった。ざんねん、と肩をすくめる結良の、わたしは隣に立つ。ちょうどわたしの目線の高さくらいに、いもうとの頭のてっぺんがある。いくら成長したといっても、身長はちっとも追いこしてくれる気配がない。
北の方角から冷えた風が吹きつけ、無駄に伸びた髪をさらっていった。冬の外気には確実な殺意があって、信号が変わるのを待ちぼうけの身にはずいぶん沁みる。耳と鼻は凍ってぱっきり折れてしまいそうな感じがして痛い。そりゃ雪だって降るだろうな、と思う。どころか明日の朝には積もっていそうだ。
ようやっと青信号になって、また結良が先立っていく。わたしはそのちいさな背中を見つめながら、数歩後についていく。振りかえらずに、
「ひさしぶりな気がする」と、結良がいう。「ひよりちゃんと光海さんに会うの……ケッコーご無沙汰じゃない?」
「そうだね」わたしはポケットに手を突っ込んだまま、「一か月ぶりくらい? 十一月のお泊り以来かな」
いいつつ、わたしの場合は光海さんと定期的に食事に行っているから、彼女とはひさしぶりというほどではない。もちろん、ひよりちゃんとは、結良とおなじでしばらく会っていないのだが。
「身長伸びてるかな」
「髪は伸ばしてるらしいよ」
「そうなの? おねえちゃんと一緒だね」
「これは時間がなかっただけで……冬休みのうちに切る予定だから」
「あ、そうだったんだー」
結良はにやついた顔でちらりと振りかえって、それからちょっとまじめな顔になって、
「どれくらい切るの?」
「それはまだ決めてない」
「おねえちゃん、ずっと伸ばしてるけどさ。ショートも似合うと思うんだよね」
「そうかな」
「うん。一回バッサリいっちゃえばいいよ」
無責任なことをいってくれる。ま、バッサリ切るのはちょうどいいかもしれない。つい先日、失恋したことだし……恋に破れて髪を切る、というの、一度やってみたかった。
問題は、季節が冬なところだろうか。ずっと伸ばしていた髪を一気に落とすと、ずっと寒くなりそうな気がしてならない。
「あるよね、なんか、ヘッドホンみたいな」
「うん?」
「切った髪をどっかにあげるやつ」
「あぁ、ヘアードネーションね……」わたしは苦笑して、「さすがにそこまでの長さはないよ。あれ、たしか三十センチは必要でしょ」
「そうなんだ。じゃ、もうちょっとだね」
うーん、と首を傾げて唸る。勘弁してくれという抗議の意思を込めて。
結良はわたしの唸り声にちっとも反応しないで、会話は終わったとばかりにさっさと進む。仕方ないので、わたしも早歩きでそれについていくばかり。そうして数分歩くと、大型のショッピングモールが見えてくる。
今日の目的地は、そこだった。ここらで遊ぶとしたら真っ先に候補として挙がるような、地元有数の複合型商業施設である。午前十一時、衣笠家の面々と入口付近で落ち合う予定になっている。
スマホで時間を確認する。いまは午前十時四十五分ごろ。ちょっとばかし早いが、悪くない時間帯だ。
「そういえば、今日、なにしに来たの?」
「いまさらだぁ」と、結良はにへらと笑って、「もちろん、ショッピング!」
「うん……なにを買いに来たのかなって」
「新作ゲーム」
どこまでも個人的なショッピングだった。




