王佐の人、死す
王佐とは、読んで字のごとし。王を佐けるである。
左と右があるように、佐があるから、佑もある。佑もまた佑けると読む。
王の左と右には意味があり、左には文官が位置し、右には武官が位置する。当然左のほうが官位が上となる。
この王の左に侍る人を即ち『王佐』と言う。後漢末期に、その『王佐の才』と呼ばれた人がいた。
曹操の旗下にいた、軍師で荀彧、字を文若と言った。
彼は、曹操を助け、知恵を授けた。曹操は彼がいなかったら一諸侯として、他の勢力に飲まれていたとして不思議ではなかった。
曹操はこの賢人を友として厚遇したのだ。
◇
その荀彧は空の食盒をじっと見つめていた。食盒とは、食べ物を運ぶ箱である。
それを手にとってひっくり返しても豆一つ落ちてこない。
その箱を丁寧に両手を沿えて机の上に置くと、泣きながら笑って椅子に寄りかかった。
「はは……。空だ。空だ。なにも入ってなどない」
しばらくそのまま、箱を見つめていたが、やがて立ち上がり杯を用意する。それに並々と酒を注いだ後に、引き出しを探って黒い鳥の羽を取り出し、酒に浸けた。これぞ鴆酒という毒酒である。
酒はみるみる黒い液体となる。その頃になると、荀彧の顔の穴という穴から液体がこぼれ、両手でそれを思い切り拭った。
これは上司の曹操より贈られた食盒である。荀彧は曹操の軍師であり、友であった。
共に戦を、政治を、この国の未来を語りあい、曹操にはなくてはならない参謀だったのだ。
しかしただの一点──。
荀彧は曹操が公爵となることに反対した。家臣のほぼ全てが賛成しても、一人反対したのだ。
それは、漢を興した高祖劉邦は、『劉姓以外のものを王公としてはならない』と遺言していたからである。
家臣が公となるなど、許されることではないという主張だった。
だが時の漢の皇帝は、家臣たちの詰め寄りにかなわず、曹操を『魏公』に封じた。
荀彧は憤った。曹操の家臣たちは恐れて誰も荀彧のそばによることなどできない。そこに曹操は近づいて笑いかけた。
「荀彧。足下のいいたいことは分かる。しかしこれは余のやりかただ。天下はもはや漢には服さぬ。足下は余の旗本ではないか。そして余の友だ。足下がそれを反対してどうする?」
「閣下。私は漢の臣でございます。閣下のしようとしていることは、王莽や董卓と同じことです」
「ぬ……。余を簒奪者と同じと申すか。はは。漢の下で魏が漢の代わりに政治を行って何が悪いか」
「よろしいわけがございますまい。後世の史家は魏公曹操を決して英雄とは記さないでしょう」
曹操を目の前にしても恐れずに諫言を続ける荀彧の肩を優しく叩く。
「分かった、分かった。荀彧よ。足下と余の話は平行線で決して妥協案がない。しかし余は足下の今までの功績を忘れたりしない。ただの一点で今までの友情が破談になるなどと思ってはないぞ?」
「それは──。私も同じ気持ちです」
「左様か。では今までと同じように付き合ってくれると思って良いのだな?」
「当然でございます」
それから数日後。荀彧の元に曹操からの食盒が届いた。荀彧はそれを開けて曹操の意思を悟り、鴆酒をあおって自殺したのだ。
つまりこういうことだ。曹操は後に荀彧に訪ねる。「食盒の中身はどうだったか?」と。それに「美味しかった」と答えれば「中には何も入れていなかった。この語りものめ!」といい、「中には何も入ってなかった」と言えば「ウソをつくな!」と言って罷免、悪ければ処刑される。
もはや自分のいる場所はどこにもないと、自殺する道を選んだのだ。
実際、曹操の廟には当時の侍臣たちが祀られているのだが──、一番の友であった荀彧だけは祀られていないのだ。
◇
曹操のやり方は、全て正しいとは言えない。しかしこの大政治家でなくては、天下は大いに乱れただろう。
自分の生きている間にどうにかしなくてはならないと、急ぎ、どうしても粗い部分があったことは確かだ。
言い方は悪いが、曹操から見れば『重箱の隅を楊枝でほじくる』ような人間がたくさんいた。
まるでこちらが正義だと声高らかに裏切るものが大勢いたのだ。
曹操は生きている間に悲しい裏切りを何度も受けた。それは友と呼べる人ばかりだ。
だから曹操は裏切りを許さない。裏切りだけは曹操にとっては悪。
それが大事な友であっても──。