朝、起きてみると、おっぱいがDカップになっていた。
遥斗が傷ついてる。
彼女にフラレて泣いている。
今にも後ろへよろめき、公園のベンチに膝カックンされて崩れ落ちそうだ。
秘かに恋心を抱くただの幼馴染みだったあたしには、またとないチャンスだ!
「遥斗……。いいよ?」
あたしは腕を大きく広げた。
「おいで! この胸でお泣き! 『よしよしいい子だ』してあげる!」
「ハァ?」
睨むように遥斗があたしを見る。
「やめろや。そんな硬そうなところに突っ込んで行ったらケガするわ」
あたしの胸はAカップである。
それがどうした。突っ込んで来てみれば意外に柔らかいのを知るはず。
でも遥斗は続けざまにあたしの胸をバカにした。
「絶対『ガチーン!』って、鉄の板にぶつかったような音するわ。そんで跳ね返った勢いで地面で後頭部打って……。身も心も俺を満身創痍にしたいのか? それが幼馴染みのすることかよ? ひでーよ、お前。ひでーよ、梨沙、お前は……」
そこでようやくあたしが目に涙をいっぱい溜めて唇をわなわなと噛んでいることに気づいたようで、言葉を止めた。
土曜日だ。爽やかな緑の繁る初夏の公園に寒い風が吹いた、気がした。汗で湿ったあたしの白いTシャツをそれは乾かさず、涙がそこに落ちてちょっとまた濡れた。
遠くで遊んでいた子供たちも、異様な気配に気づいたのか、上げていた無邪気な声をぴたりと止めた。
「すまん……。せっかく愚痴聞いてくれたのにな」
遥斗が謝る。
謝るな。
謝るぐらいならあたしを女として見てくれ!
でも知っていた。遥斗はおっぱいフェチだ。別れた彼女はEカップだったそうだ。おっぱいのない女など、遥斗にとっては女ではなく、ただの幼馴染みとしか思えないのだ。
あたしは背を向けると、だだーっ! と駆け出した。これ以上涙なんか見せてたまるか。2人してメソメソして初夏の公園を梅雨に戻してしまったらどうする!
そして帰ると、すぐにベッドにうつ伏せになった。
うつ伏せになっても潰れる胸などないのでそこは苦しくない。でも胸の奥の、別の部分が苦しかった。
好きなひとがフラレて喜んでるあたし最低だ。
慰めてやろうとした幼馴染みの胸をバカにするオトコ最低だ。
クッションじゃなくて洗濯板なんかに飛び込ませようとしたあたしも確かに最低だ。
でもいくら幼馴染みだからってそこにフォロー入れないアイツも最低だ。
結論、あの公園は最低だ。二度と行かん!
すべてを公園のせいにしても心は晴れなかった。
「梨沙ちゃん、ご飯よー」
ママの声が階段の下からあたしを呼んだけど答えなかった。声を出したら泣いてるのがバレてしまう。
ああ……。この胸はまだ育つかもしれないのに。栄養を取れば……いや、ないな。もう17にもなれば。
ああ……。この胸がせめてDカップぐらいあれば……。アイツもあたしを女として見てくれるのに。
そう思いながら、晩ごはんも食べずに、あたしはいつの間にか夢の中にいた。
『よくぞ来た』
暗い夢の中にスポットライトが灯る。その中心に神様らしきものが立っていた。
白いおひげに杖をついて……とかではなく、ピッチピチのグレーのノースリーブシャツとネイビーにオレンジストライプの短パンという、およそ神様らしくない格好だったが、あたしにはそれが神様だとなぜだかわかった。普通に体育会系の大学生のお兄さんみたいなのに。
『あなたは……神様ですか?』
あたしがおそるおそる聞くと、
『そうじゃ』と言ってうなずいた。
『もしかして、転生?』
ドキドキしながら聞いてみた。
『あたし……、死んだの……? 晩ごはんを食べなかったから』
『そんなんで死ぬかいっ!』
神様の顔はよく見えなかったけど、優しいツッコミだった。
『わしはオッπの神、イップゥ・レイハーラ・テッシーじゃ』
『どっかで聞いたことあるような……』
『気のせいじゃ』
『も、もしかして……あたしのおっぱいを大きくしてくれるんですか?』
『いや、説教をしに来た』
『説教……』
『なあ、娘よ。オトコにとってオッπは、ふくらんでおるというだけで尊いものなのじゃ。オッπに貴賤などないのじゃ。どんな小さな胸でも偶然触ることができたならオトコにとってそれはラッキースケベなのじゃ。与えられたそのチッパイを大切にしないとダメだよ?』
『嘘つきっ!』
『う……、嘘ではないっ』
『じゃあ、どうして遥斗はあたしの胸に飛び込んでくれなかったの!?』
『そりゃ……、照れ臭いからじゃろう……。飛び込めと言われてもそうそう簡単には……』
『本当はみんな、大きいほうが好きなくせに! ごまかして! そんな優しさ、いらないっ!』
『困ったのう……』
『ねえっ! あなた、神様だったらあたしの胸を大きくしてよ! 出来るんでしょう?』
『まあ……出来んことはないが』
『じゃあDカップにして! このほっそいカラダにそれ以上はたぶんおかしいから! お願い! 神様ぁ〜! お願いですぅ〜!』
『わかった』
神様はてのひらをぐるぐるした。
『後悔するなよ?』
『後悔?』
『ウム。もしも後悔するようなことがあったら、わしの名を3回続けて早口で唱えるのじゃ。いつでも元に戻してやろう』
後悔なんかするわけない。
神様の名前をあたしはもう忘れてたけど、聞き直すこともしなかった。
朝だ。
日曜の朝だ。
スズメがハッピーな感じで鳴いている。
あたしは期待した。
いや、夢だから。あれ、夢だからと思いながらも、期待しながら、軽く頭を起こした。昨日着て帰った白いTシャツのままの自分の胸を、見た。
ぼーん!
服の下にまるで二体のスライムでも隠れているような、大きなおっぱいが二つ、そこでたぷたぷと揺れていた。
「こっ……、これが……、あたしの……?」
ぱあっ! と顔を輝かせてあたしが起き上がると、それは肩に重みを感じさせながら、たゆんと垂れ下がった。でも不思議な力に支えられるように、形を保ってる。はちきれそうだ。皮膚を引っ張られる痛みさえ少し感じる。
いそいそと立ち上がり、姿見に自分を映した。前から映し、横から映し、あまり関係ないかなと思いながら背中からも映した。意味ないことなかった。背中からでも膨らみが横にはみ出して見えている!
ついでにスマホで記念撮影もした。ちょっとお尻とのバランスが悪いかなとも思ったけど、遥斗はおっぱいフェチだ。お尻フェチじゃない。だからこれでいいのだ。
「これで……遥斗を……振り向かせられる……?」
触ってみるとむんにゅむにゅしている。今まではお皿の上に少量の生クリームだったのが謎の巨大なぷるぷるスイーツになったようだ。
「神様……。ありがとう」
あたしは手を合わせて感謝した。
「神様……。素敵なDカップのおっぱいをありがとう!」
階段の下からママが呼ぶ声が聞こえた。
「梨沙ー、ごはんよー」
「あ、はーい!」
元気にそう答えてから、部屋のドアを開けようとしかけ、動きが止まる。
……怖い。
パパとママに見られるのが怖いと思った。なぜだろう。なんだか、自分自身の存在じたいが丸ごと裸のおっぱいになってしまったような気分だ。
こんなあたしを両親に見せるわけにはいかない、そんな気持ちになった。
部屋を出て行けずにいると、階段を昇って来る音がして、ドアをノックされた。ママの心配そうな声が聞いて来る。
「梨沙……? どうしたの? 昨日帰って来た時から変だよ? 何かあった?」
「お腹……空かないの……」
なるべく元気な声を作って答えた。
「ごめん。ほっといて」
パパとママが騒然となってるのが階下で聞こえた。「どうしたんだ、梨沙は」「急に引きこもりになっちゃった」「何があったんだ」「昨日、遥斗くんと会ってたみたいだけど」
本当、これじゃ明日、学校にも行けないと思った。
なんだろう、この気持ち……。
どうしちゃったんだろう……。
こんな立派なもの、みんなに見てもらいたくてたまらないはずなのに……。
なんだか胸に詰め物をしてるような、かえってひどくみっともないような、自分の恥部を見られるような気がしてしまうんだ……。
少し経って、再び部屋のドアがノックされ、遥斗の声がした。
「梨沙……! 昨日は悪かったって」
いくら親同士が仲いい関係だからって、気軽に女の子の家に来んなよ! アンタが今叩いてんのは女の子の部屋のドアなんだぞ? わかってっか?
そう思いながら、あたしは黙っていた。
遥斗があたしのパパとママに言った。
「ごめん。おじさんおばさん! 梨沙と二人だけで話がしたいんだ!」
そこにいたパパとママが、階下へ下りて行く気配がした。
しばらく沈黙が漂ったけど、遥斗がドアの向こうにいるのはわかった。
あたしはクッションを胸に抱いて、ベッドにうつ伏せに寝転びながら、遥斗が喋り出すのを待った。
「お前……さ」
ようやく遥斗がドアの向こうから話しはじめる。
「胸ないの、そんなに気にしてたわけ?」
ドアを勢いよく開いてブチギレた顔をしながらこの胸を見せつけてやろうかと思った。でも出来なかった。「はい。気にしてたから、神様にお願いしてこんなに大きくしてもらいました!」って言うみたいで恥ずかしかった。
遥斗はあたしの返事がないので続けて言う。
「ばっかだな! ナイチチ専門の男だっているんだぜ? お前のそれは武器だ! 自信を持て!」
フォローしてくれようと思ってるんだろうけど思いっきりずれてる。あたしはアンタが好きになってくれないならどーでもいい。
「とりあえず顔見せろ。明日、学校休む気か? っていうか、あんなことごときで引きこもりになる気か?」
あんなことって言われた……。
あんなことごときって……。
「とりあえず……ごめん! 俺、ひどいこと言った! お前が許してくれるまで何度でも謝るよ。ごめん! ごめん!」
本当に何度でも言って騒音公害になりそうだったので、あたしはようやく口を開いた。
「遥斗……」
「ごめ……。おっ!? はい……、はい! 何かなっ?」
「遥斗はさ……」
「うんっ。なんだい? なんだいっ?」
「別れた彼女さんのこと……」
「うっ……。うん?」
「どっちが好きだったの?」
「……うーん? どっち、とは?」
「彼女さんと、彼女さんのEカップのおっぱいと」
遥斗が黙った。
「遥斗……さ」
返事がない。ただのしかばねのようだ。
構わずあたしは聞いた。
「あたしのおっぱいが……さ、もし、Dカップになったら……、あたしのこと、女の子として好きになる?」
な、なんか……言っちゃったな。
ま、いいや……。
遥斗はずっと無言。
帰っちゃったのかな……。
そう思っていると、ドアの向こうでもぞもぞ動く気配がし、遥斗の声がした。
「俺……。そうだよな。フラレた彼女のこと……フラレて当然だった」
あたしは何も答えずに、ただ遥斗の話を聞いた。
「だってお前の言う通り、あの子のことじゃなくて、あの子のおっぱいが好きだったんだから」
まじかよ……。
「……で、お前にそう言われたから、言うけどさ」
なんだよ。
「俺、お前のこと好きだわ。お前にオトコとして見られてないと思ってたからずっと諦めてたけど、お前のことがずーっと前から好きだった」
「なんかさ、お前だけなんだよな、おっぱい小さくても好きだって思える女の子は。他の女の子は、そいつ自身のことはどーでもよくて、ただ大きいおっぱいが好きなだけだった。でもお前だけはさ、おっぱいじゃないんだ。お前はお前、俺の大好きな梨沙なんだ」
「だから、お前はDカップになんかなる必要ない。ならなくていい。俺、お前のことが好きだから。お前っていう女の子のことが好きだから」
枕がびしょびしょだ……。
なんだ、これ。あたしの涙か?
遥斗なんかに泣かされてんのか、あたし? 遥斗なんかに……。遥斗、遥斗ぉ〜!
「おいっ、遥斗くん!」
階段を昇って来るパパの声がした。
「ドアのロック、開けるぞ。この鍵は内側からしか開閉できんが、いざという時にはこの平べったい鉄の定規を隙間に挿し込めば開けられるんだっ」
いや……。
遥斗の声が言った。
「いや……、おじさん。梨沙が自分で開けるまで待とう」
パパが言った。
「娘のものは私のものだっ。だから娘が心配なんだっ」
意味わからん! 待てーーーっ!
ガシガシガシと、鉄の平べったい定規が挿し込まれる音がする。
「むう!? なかなか入らんな?」
「おじさん! やめなって!」
待って……待って……!
こんな胸じゃ遥斗と顔を合わせらんない!
せっかく好きって言ってくれたのに……! 遥斗が好きなあたしじゃない、今!
わかった! チッパイはあたしのアイデンティティだったんだ!
Dカップのあたしはあたしじゃないんだ!
それに、なんか自分の嫌らしい内面を見られるみたいで恥ずかしいんだ。こんな汚いあたし、遥斗に嫌われちゃう!
戻せ……、戻すんだ! 神様の名前を早口で3回……。なんだったっけ、なんだったっけ……!
ガシャガシャと音を鳴らし、鉄の平べったい定規が入って来た。
その時、頭の中にその名が天から降って来た。これは神の助けか……? あたしは素早くその名を3回唱えた。
「イップゥ・レイハーラ・テッシー、イップゥ・レイハーラ・テッシー、イップゥ・レイハーラ・テッシー!」
ガチャン!
部屋のドアが開かれた。
遥斗とパパがなだれ込んで来た。
あたしはドアのすぐ前に立っていた。
「うおっ……?」
「うおおっ!?」
遥斗とパパが声を揃えて、なんか驚いた声を出した。
自分の胸を見ると、まだDカップのままだった。でも、すぐに風船がしぼむように、しゅるしゅると萎んで行く。
「なんだ……、今のはっ……!?」
遥斗が興奮して叫ぶ。
「何をしてたんだ……、梨沙っ!?」
パパも興奮して叫んだ。
「わーん」
あたしは遥斗の胸に飛び込んだ。
「遥斗! 好き好き好き好き!」
二人でまたあの公園に行き、並んでブランコに乗った。
「ハァ!?」
遥斗が驚いた声を出す。
「神様におっぱいを大きくしてもらってたぁ〜!?」
「違う」
あたしは嘘をついた。
「朝起きたら、神様が勝手にあたしの胸を大きくしちゃってたの。それで恥ずかしくて、部屋に籠もってたんだから」
豊胸手術は少しずつ大きくするから恥ずかしくないんだろう。でもいきなり大きくなったあたしは、せめてそれを神様のせいにしたかったんだろう。
「ええ〜……? なんでそれで、元に戻しちゃったんだよぅ?」
「だって遥斗、言ってくれたじゃん。胸の小さなあたしが好きだって」
「そんなこと言ってねーよ。大きくなったんならそのほうがよかったに決まってるよ〜」
「……え?」
「もう一度神様呼び出して、お願いしてくれよ〜。今度はEカップにしてくださいって」
「大きいままがよかったの?」
「うん! 俺、巨乳、好きだ!」
あたしは急いで手を合わせ、神様の名前を唱えようとした。遥斗好みにもっとなれるのなら、もちろんそれがいい。あたしと巨乳で巨乳のほうが好きなのは嫌だけど、遥斗の好きなあたしが巨乳なのなら何の問題もないっていうかそのほうがいいに決まってる!
でも神様の名前はもう降って来なかった。
まるで神様が怒ってて、二度と降らせてなんかやらないぞと言ってるように。
テキトーに唱えてみた。
「タラーコ、アイネコ、クローモーリ!」
これじゃない……。
「エタメータ、ブラックバニー、カモン!」
そんな名前じゃなかった。
巨乳じゃなくても遥斗はあたしを好きでいてくれる。でも、巨乳だったらもっと愛してくれるかもしれないのに……。
ああ〜! なんてもったいないことをしてしまったんだろう!
(おわり)