ある鉄砲撃ちから聞いた話
代々猟師をやってる知り合いの爺さんから聞いた話。
そこの家は、江戸の頃から鉄砲撃ちをやっていたらしく、色々と面白い話を持っている。
歴史はそれなりに古く、おまけに単独もしくは少人数で山に入る為に、生きて帰るための家訓が幾つもあるらしい。
『弾を造るときは誰にも見られてはいけない』
『いざというときのために、特別製の弾を御守りとして隠し持て』
という家訓もその中に入っており、その重要性を身を持って体験したというのが今回の話。
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武蔵国は岩殿村に生を受けた治兵衛。
先祖代々鉄砲撃ちの家系である猟師、喜助の次男として育った彼は、長男義兵衛と共に猟師として育てられた。
猟師として優秀だった家系のため、領主からの信頼も厚く生活もそれなりに裕福だった。
そのため村とは少し離れた場所とはいえ、次男である治兵衛の家も簡単に造ることが出来ていた。
十六歳の治兵衛は、結婚こそしていないものの、家の主として鉄砲撃ちに精を出していた。
そんなある日の事。数日前から、父と兄が寄居宿へと熊撃ちの応援へと向かっていたため、一人残っていた治兵衛は山に入るための準備として、鉄砲の弾造りを行っていた。
囲炉裏端に座り、火に掛けた鋳鍋で鉛を熔かす。
熔けた鉛を掬い灼で型へと流し込む。
型に流し込むときに出来た、へその部分を切り取り、型を軽く盆の縁にぶつける。
型を盆にぶつける、こん、という音のあとに、弾が盆の上に落ち転がる。
こん…こと、ころころころ…
弾を一つ作る度に響く心地良い音。
治兵衛は昔からこの音が好きだった。
良い気分になりながら5つ程弾を造った頃だろうか、ふと庭の木に一匹の猿が座り込んでるのを見つけた。
猿は畑を荒らしたりするので追い返そうとも思ったが、どうやらこの猿、木の上に座り込んだまま目を閉じて、弾を造る音に合わせて首を振っているらしい。
追い返す気も失せてそのまま弾を造り続ける。20個作ったところで弾造りを止める。
次に、造った弾を7つ使い、早合を作り始める。
小さな竹筒に弾と火薬を詰め栓をする。
興味を持ったのか、猿がこちらの作業をじっと見ている。
その視線に厭なものを感じた治兵衛。作業が終わってもまだ猿がいたら少々痛い目にあわせようかと考え始めていたのだが、片付け始める頃には猿はいなくなっていた。
明くる日。治兵衛は日が昇る前に起きだし、日の出とともに山へと入っていった。
山はいつもと違い、妙に静かだった。
物音がしないとか、鳥のさえずりが聞こえないという訳ではなく、なんとなく静かで、時折聞こえる猿の鳴き声が静けさを強調するかのような空気だった。
不安にかられた治兵衛は思わず懐に入れてある小袋に手をやる。
小袋には神社で貰った御守と特別製の早合が一つ入っていた。
それらの感触を確認した治兵衛は落ち着きを取り戻すことができた。
異質な気配の中で、それでも治兵衛は獲物を仕留めていくことに成功していた。
山の中を歩き回り、夕刻になる前には雉を八羽、兎を三羽仕留めていた。
いざというときの為の早合を除けば持参した弾も、ニ発分と残り少ない。
日が傾く前には山を下りないと、そう思う治兵衛であったが、俄に空が暗くなってきた。
天候が崩れたのかと思わず空を見上げると、空が暗くなっているのに雲は見えない。
まるで一足飛びに夜を迎えたかのように、茜に染まる夕暮れなど存在しないかのように、空は宵闇となっていた。
驚いて顔を戻すと、周囲も暗くなっていた。
それだけではない。何時の間にか霧が出てきた。
暗い灰色をした、煙のような霧が。
異常な事態に困惑しつつも、無意識のうちに鉄砲に弾を込める治兵衛。
戸惑いながらも周囲を見回す治兵衛の視界に妙な物が飛び込んできた。
一対の巨大な目玉。
紅く爛々と輝くその巨大な目玉は、ただ治兵衛の事をじっと見ていた。
邪悪な気配を漂わせる巨大な目玉に思わず後退る。途端に目玉が近寄ってくる。
反射的に下がるのを止め、鉄砲を構える。
すると目玉も動くのを止める。
距離は凡そ一町。少し遠いが的が大きいから当てられるだろう。
そう思い、治兵衛は鉄砲を撃つ。
ぱんっ、という発射音の直後に目玉の方から、かーん、と響く音。
恐らくは命中はしたのだろう。しかし目玉に効いた様子は見られない。
鉄砲を撃った直後は止まっていた目玉が動き出す。
こちらに近寄ってくる。
慌てて次の弾を込めようと弾入れに手を伸ばそうとするが、僅かな時間すら惜しいと思い直し、早合を手に取る。
弾を込めて直ぐに目玉に向かって放つ。
かーん、と音が響く。目玉がまた動きを止める。
『ひとーつ』
地のそこから響くような声が聞こえた。
愉悦を隠す気もないその声に治兵衛は恐怖した。
恐怖しつつもその両手は淀みなく弾込めを続ける。
鉄砲を撃つ。
再度、かーん、という音が響く。
『ふたーつ』
声はどうやら使った早合の数を数えているようだ。
治兵衛は昨日の猿を思い出す。
恐らくこの巨大な目玉は昨日の猿。木の上から弾造りを見ていたのは早合の数を確認するためだったのだろう。
弾を込めて撃つ。
三度目もかーん、と響くだけだった。
そして『みーっつ』と続く声。
徐々に詰まる両者の間に脚が震える。殆ど無意識に弾を込め撃つのを繰り返す。
撃つたびに、『よーっつ』『いつーつ』『むーっつ』と響く。
その頃には嗤い声も混じっていた。
七つ目の早合を使い弾を込める。その頃には目玉は十間程の距離になっていた。
『ななーつ』
嗤いながら声が言う。
早合は使い切った。後は弾が一発。一から弾込めをしていて果たして間に合うのか、と思いつつ、手は弾入れではなく懐の小袋に伸びていた。
小袋から早合を取り出そうとしていたら目玉が動き出した。
間に合わない。そう思った治兵衛であったが、小袋に指を差し込んだ途端に、四方から狼の遠吠えが響き渡った。
目玉が動きを止める。嗤い声も無くなっていた。
遠吠えの中、治兵衛は特別製の、鉛ではなく、鉄でできた弾を使った早合を取り出し、弾込めをする。
治兵衛の動きに気が付いたのか、目玉がこちらに向かってくる。
鉄砲を構えた治兵衛はそれまで狙っていた目玉ではなく、目と目の間、眉間の更に下を狙って鉄砲を撃った。
理由はわからないが、何故かそうしたほうがいいと思った治兵衛であった。
今度は、かーん、という音も、こちらを嘲笑う声も聞こえなかった。
目玉は次の瞬間、姿を消していた。
消える直前の目玉の位置は、一間程であった。
腰に着けていた大振りの鉈を右手に持ち替え辺りを見回すと、何時の間にか周囲の様子が元に戻っていた。
目の前の地面には、胸に穴が開いた猿がいた。
何処から手に入れたのか、釜を被っていた。
釜には鉄砲で撃った痕が九つついていた。貫通した痕が一つと、へこんだ痕が八つ。
ふと思い出して周囲を見渡す。狼はいなかった。
御守は三峯神社のものだった。
三峯神社様に怒られないかしら?