1話『お米パックは最強です』
かくしてドラゴンの赤ちゃんを連れて帰ってきました。
この子のお手手は猫みたいに肉球がついていて、弾力が半端ではありません。心の平穏のため、自分勝手に手を引いてきましたが、神様お願いです。その後ろ暗い行為には今だけ目をつぶってください。
「あの、抱きしめてもいいですか?」
きっと側から見れば、どちらが捨て子が分からないでしょう。私はつぶらな瞳でドラゴンさんへ訴えます。しばらくきょとんとした様子でしたが、何となく意思は伝わったようです。
「ぬあー」
「あ、鳴いた」
とても気の抜けた声でした。抱きしめることはできなかったけれど、十分に癒されました。ついつい平安美人みたいなとろけた顔になってしまいます。あぁ、それは元からでしたか。学生時代から自慢のできる所はきめ細かい肌くらいでしたが、今ではサッポロポテトのバーベキュー味みたいに肌繊維の粗が目立ちます。
「こんなだから、浮気なんてされちゃったのかな……?」
冷え切った室内はさらに温度が下がり、細々と鳥肌が立ち始めます。きっと私は自虐的な笑みを浮かべていることでしょう。
未開封のまま乱雑に置かれた段ボールたちが目に入りました。あの中には、新婚の頃に購入した毛布や冬服、記念日に貰った貴金属類があります。それが理由でガムテープを剥がすのも億劫になり、今ではテープからはみ出た粘着剤に埃がついています。
壁際に立てかけられた百均の鏡には、肩を落とし、その場に座り込んでいる自分が写っていました。肌は青白く、紫色の血管が透けて見えます。以前なら、血色の悪さを中和出来る下地やファンデーションを重ねて、社会人の女性らしい身だしなみを保っていましたが、いつから素顔のまま出歩くようになったのか。結婚生活に慣れれば主婦なんてそんなものだろう、と楽観視していたけど、男性の性欲は無尽のエネルギーなのですね。国の偉い人たちは原子力発電よりも、男性の熱エネルギーを電力化する方法を考えた方がいいです。あ、無理か。日本の偉い人たちも男性ばかりでしたね。
「ぬあ、ぬあー」
ドラゴンさんは心配そうに傍らへ寄ってきます。あぁ可愛い。もっとこっちにおいで。
「ぬあー」
短い前足を突き出しながら、懐へ飛んできました。赤ん坊の上目遣いなんて、庇護欲が爆発しそうです。
「一人は寂しかったですよね」
抱きしめようと近づくと、精一杯伸ばされた前足に顔を包まれました。
「ぬあ、ぬあ、ぬあー」
私の頬を温かい涙が伝っていきます。鏡を見れば、ドラゴンの赤子に大の大人が慰められていました。成人の泣き顔なんて気色悪いものばかりですし、私自身も「別れないでくれ」と喚く元夫の泣きっ面には飽き飽きでした。
だけど大声をあげて泣きました。
社会人としての、大人としての、女としての規範を忘れ去り、汚らしく鼻水とよだれをフローリングに撒き散らしながらドラゴンさんのお腹へ埋まりました。
「うぅ、温かい。温かい。くそぅ、別れ際に愛してるとか言うなよ。交際してた頃の思い出とか語るなよ。会社の後輩と浮気しておいて白々しいんだよ!若い女が良かったんだろぉ!」
鼻水が鬱陶しく、強引に啜ります。だけど愚痴と共に吹き出るので、右手で擦って壁へ投げつけました。この瞬間、日本で一番下品な女は私に違いないでしょう。
「絶対目元むくむよ、深海魚みたいになっちゃうよ」
明日は美意識の高い友人と会う約束があります。久々に手を抜かず、スキンケアをしましょうか。
ドラゴンさんにお礼を伝え、頭を撫でてあげると子猫みたいに戯れてきました。卒倒しそうです。何とか堪えて立ち上がり、ティッシュ箱を探します。すぐに貰い物の鼻セレブが見つかりました。顔はきっと原型を留めていないので、鏡を見ずに乾拭きし、お風呂へ向かいます。
「お風呂、一緒に入りますか?」
「ぬあ?」
*
私は身体を洗い終えると、ドラゴンさんを後ろから抱きしめるような形で湯船に浸かりました。
「ぬあ〜」
とても気持ち良さそうです。首周りにお肉が浮いてきて、フトアゴヒゲトカゲみたいです。確かそれをモデルにした、可愛いキャラクターがいた気がします。
頬を人差し指でちょんちょんと突くと、くすぐったそうに目を細め、ぬあぬあと鳴きました。
なんてずるい。このドラゴンさんは、私の心の柔い部分にすぐ潜り込んでくる。この子が嫌じゃないのなら、ずっと一緒に暮らしたい。
もしも私に見つからなければ、この子はどうなっていたのか。猫さんや犬さんなら保護団体の出番なはず。一方でドラゴンの赤ちゃんは?
秘密組織の危険な研究とか、メディアに取り上げられて見世物にされる未来とか、良くない想像ばかり浮かびます。そんなことがあっては駄目です。本物のお母さんが現れるまでは、私がこの子のママになります。
それならやはり、名前を決めた方が家族らしいでしょう。しかし性別が分からない。女の勘的には男の子な気がします。
「ぬあーって鳴くからぬあくんなんて、安直ですよね」
「ぬあー」
あまり嫌ではなさそうです。
「じゃあドラゴンさんの名前は、ぬあくんで。あ、私の名前は美月です」
「ぬあ……」
どうもぬあくんの顔色が悪い。熱気にあてられ、のぼせてしまったのでしょうか。空想上のドラゴンさんは火を吹くので、熱に強いと思い込んでいました。
ごめんねと一声かけて、湯船から抱き上げます。心なしか、表皮がふやけているような、そのうち脱皮とかしそうです。もしかしてこの子はドラゴンではなく、ただの大っきいトカゲさんだったりしませんか?
いくら考えても真相は分かりませんが、このままだとお肌の健康に悪いです。
「ぬあくん、一緒にスキンケアしましょうねー」
共に脱衣所へ向かい、私は灰色の綿パンとオーバーサイズの白いTシャツを雑に着て、化粧水を手に取りました。
「嫌だったら教えてくださいね」
「ぬあ?」
一応断りは入れて、ぺたぺたと塗り込んでいきます。ビタミンC誘導体が配合されているので、もし染みたらごめんなさい。
同じ要領で乳液までし終え、足元にある薬局の袋から本日の購入品「お米パック」を用意します。これが安価な割に、乾燥毛穴へ効果てきめんなのです。
「さぁぬあくん、少し目をつぶってー」
若干戸惑っているようです。でも安心してね、一緒にお肌を引き締めましょう。
「大丈夫、ひんやりして気持ちいいですよ」
「ぬぁ……」
ゆっくりパックを乗せてあげると、弱々しい声が一転し、
「ぬあ、ぬあぬあ!?」
と、相当な衝撃だったようです。
それにパックって、化粧水や乳液よりも、一つ上の美容アイテムという感覚がありますよね。私も最初に手を出したときは、自分が美容上級者になったような気がして、日々のスキンケアを心機一転頑張ろうと意気込んだ覚えがあります。
これからはこの子と新生活が始まるわけで、本日は重要なターニングポイントになるわけですよね。そう思うと、身体は手早く化粧水類を塗り込んで、お米パックを乗せていました。
ふと身体の芯に、北風のような切なさが染み込んできます。けれどぬあくんのおかげで、気持ちの折り合いは大体つきました。
「ありがとうね、ぬあくん。これからよろしくね」
「ぬぁ……」
しかしぬあくんは、とても心配そうな瞳をしています。
「大丈夫ですよ。もう泣いたりしません! お米パックは最強ですから!」
月曜日に投稿したかったのですが、
夜型人間の私には難しかったようです。
今度も投稿日は、週1〜2の月・金になります。
基本的に夜投稿です。