王子様を合法的に殴りたい
なんだかふと、タイトルが思い浮かびまして。
このタイトルで短編を書いてみたらどうなるかしら?
↓こうなりました、という感じの作品です。
私の前世の名前は水森 栄。
今世の名前は、ミシェル·グロリアス。
身分は可も不可もない弱小子爵家の三女。
お察しの通り、私には前世の記憶がある。
前世の記憶があるからといって、今の人生の何が変わるって訳でもないんだけれど。
そもそもが下級とはいえ貴族の家に生まれた時点で、レールの人生だし。
だけど困ったことが、ひとつだけ。
前世の記憶が蘇ってから、割と早い段階で今の人生に差し障る問題が出てきた。
それは、貴族の子女という生まれにあるまじき望み。
ただ一つだけ、前世から受け継いでしまった願い。
……暴力的な望みだけれど。(文字通りの意味で)
私は、王子様を殴りたくて仕方がない。
子爵家という上級貴族からしてみれば吹けば飛ぶような生まれ。
元々はグロリアス侯爵家から分家した家だけど、何世代も経て今は本家との関係も希薄。
それも三女とあっては、ぎりぎり持参金も用意出来るかなぁ?くらいの立ち位置。
嫁にいけないことも無いけど、出家して修道院に入ってくれても良いんだよ?
なんなら王宮か上級貴族に侍女として仕えて家の縁故を広げてくれたら万々歳だよ?
……と、親からは言外に望まれているような立場だ。
それが、私の現状なのに。
でも、拳がうずく。
王子を殴れと轟叫ぶ。
そもそも私がこんな暴力的な願いを持つに至ったのは、前世の記憶が原因だった。
私の前世、水森栄は何の変哲もない女の子だった。
ちょっと頻繁に、『お姉ちゃん』に悲鳴を上げさせていたけれど。
――さ、さかえぇぇ!! あんたまたスカートで野球なんかして! どろっどろじゃないのよぉ!
――ちょっと幾つになったら理解するの? いい加減に日焼け止めクリームくらい塗りなさい!
――お友達と遊びに行くって……また男子と草野球!? もっと女の子らしく出来ないの!
――あんた、女の子のお友達もいるでしょう? え? いるわよね? ね? ね?
――女の子ともっと女の子らしくキラキラした遊びは出来ないの!? 恋バナとかしないの??
――お友達は5歳年下の若い燕を養える大人が目標だから勉強に忙しい? どんな友達よ!!
――ねえ栄、あんたは恋とか、憧れとかないの? ねえ、ないの? そう、ないの……。
――ランドセルを投げ捨てるのは止めなさい!! ああ、もうボロボロじゃないの……!
――あんた、宿題はやったの? え? 教科書の詩を暗記するだけだから楽勝? とっくに覚えた?
――栄! 人を指さすのは止めなさい! え? あの顔が交番の手配書にあった?
――……もしかしてこの子って天才なんじゃ。写真記憶ってヤツ……? 宝の持ち腐れが酷い!
――どうしてあんたは頭が良いのにいつまでも猿みたいなの! 人間に進化して!!
姉曰く、いつまでも猿みたいだったという前世の私。
淑女教育を受けつつ育てられている今では、確かに信じられないような所業を数多くしていた。
というか女の子というより、男の子みたいだったような……?
そんな前世の私に 叫び疲れたのか、ある日とうとうお姉ちゃんが私を矯正しようと一つの指令を出した。
――あんたはとにかく、決定的に女子のきらめきっていうかときめきってヤツが足りないわ。
これでもやって、乙女心を学びなさい! 女子力を磨くのはその後よ!
その指令を受けて、前世の私が思ったことは「え? 女子力磨かないと駄目なの……?」だった。
とにかくもう、駄目過ぎる。
頭を抱えてお姉ちゃんが前世の私に渡したもの。
それはなんだかやたらとパステルカラーに満ち満ちた、キラキラのパッケージ。
中央には可愛らしい書体でゲームのタイトルが書かれていた。
……そう、ゲーム。
お姉ちゃんが前世の私に押し付けたのは、『乙女ゲーム』という未知の物体だった。
それまでゲームと言えば主に格ゲーかパズルゲームが中心だった。
そこに混入させられた『乙女ゲーム』とう異物。
姉に見守られながら、プレイする羽目になったかつての私。
そしてプレイ開始15分で、前世の私は思ったの。
――くっそこの王子、超殴りてぇ……!!
ゲームのプロローグは、ド田舎辺境の村で平凡ながら幸福に暮らす主人公視点で始まった。
ふわふわ可愛い、懸命で好感の持てる女の子。
いつもと同じ毎日に幸せを噛みしめて、日常の変化や非凡な人生なんて想像したことも無い。
両親はいなかったけれどおじいちゃんと、幼馴染の男の子と山羊に囲まれた生活。
……ハイジかな?
ふわふわの金髪にキラキラのおめめだけど、ハイジかな?
そんな牧歌的で平凡な幸せに満ちた場面が、ゲーム開始5分で急展開を迎える。
幼馴染のペーター的男の子が叫んだ。
『魔物だ! 魔物が出たぞぉ!』
『そんな馬鹿な……っこの村の周囲に、魔物なんてもう、ずっと!』
『とにかく逃げろ、逃げるんだ!!』
平凡な日常から、一転して阿鼻叫喚。
さっきまでの牧歌的な空気にふんふんと頷いていた前世の私は、いきなりすぎる殺伐モードに戦慄した。え、なにこのゲーム。何が始まるの? アクション? アクションなの? 銃はどこだ!
しかし乙女ゲームなので、主人公を操作して殴りに行くことなど出来るはずもなく。
もどかしさを抱えながらテキストを読み進めれば、目の前に立ちふさがる巨大なモンスター。
捕まる幼馴染、吹き飛ばされるおじいさん。
主人公を庇おうとして、蹴散らされる山羊たち。
画面が一瞬、血の赤で染まる。
そして殺されかけた幼馴染を救う為、自分でも知らなかった潜在的なパワーに覚醒する主人公。
え、なにこの超展開。
村人を蹂躙していた魔物を、主人公がオーバーキル気味に瞬殺する。
腰を抜かして役にも立たなかった村人が、「ば、バケモノ……っ」と溢す。
おいこら、命の恩人にバケモノはない。
そんな現場に、いきなり駆け付ける剣を携えた物騒なご一行。
先頭のやたらキラキラした見た目の男……王子を自称するイケメン(笑)が、遅れて駆け付けて魔物なんて倒された後だっていうのに主人公の手を握り、言うのだ。
『私が来たからには、もう大丈夫だ。私が君を守るから』
うん? もう魔物いないよ?
守るって何から? ねえ、何から守るの?
倒れ伏す魔物を、なんかさも自分が倒したかのような態度にまずイラっとした。
加えて他の有象無象の村人や怪我人が目に入っていないかのように、美少女な主人公にぴったり張り付く態度に2回目のイラっ。
そんな王子の名前はカーライル・レッド。
ぶっちゃけて言うと、村が魔物に襲撃された原因だった。
はっきりとは明記されていなかったけれど、どうやら国が定期的に行っている魔物の討伐作戦に、腕試しとか何とかで王子が飛び入り参戦。挙句に身分の高さから押しのける形になった本来の指揮官が「深追いは危険です!」と叫ぶのに対し「私は大丈夫だ!」と叫ぶ問題行動。
いやいや指揮官が危険だって言っているのは、お前の身を案じてじゃないって。多分。
王子が無駄に追い詰め、トドメも刺せずに狩り立てた結果、どうやら本来の生息域を飛び出してしまったらしく。
王子が無駄に攻撃しまくったせいで、手負いとなって追い詰められた魔物は村に侵入。
興奮のままに村人を攻撃した、と。
やたらタイミングばっちりに現れたのはそのせいか!
主人公の平凡な日常が崩壊したの、完全にてめぇのせいじゃねーか!!
口汚く前世の私が叫ぶのも、仕方がないと思います。
結果として王子達のせいで眠れる力に覚醒した主人公は、平和な毎日を心から愛していたのに「その力は危険だ。それも制御出来ないとなれば更に」「誰も知らない未知の力……その力の使い方を学ぶ必要がある」とかなんとかかんとかで、主人公は強制的に故郷から引き離されて魔法学校に入学する羽目に。
あれ、絶対に国の思惑絡んでるって。
騎士が総がかりするような強い魔物を一発KOしちゃう主人公だもの。
国の管理下に置きたかったとしか思えない。
今まで人間よりも山羊の数の方が多いような田舎しか知らなかった主人公は、いきなり大都会のキラキラした学校に放り込まれて当然ながら苦労しかない。
しかも未知の力を持つという触れ込みのせいで、学校にいる王子共に興味を持たれ構われることに……いや、主人公の災難どれだけ積み上げるつもりですかね。
そして王子達がちょっかいをかけるせいで、自分の力の制御法を学ぶだけで手いっぱいだった主人公は王子達の抱える問題に巻き込まれていくっていう。
いやほんと、あの王子様方、どうにかならないんでしょうか。
というか周囲の大人が抑えてくれたりとか、しないんでしょうか。
あ、権力? ああ、うん、それは仕方がないね……。
ちなみに主人公を困らせる王子様は5人。メイン攻略対象でもある。
それぞれ名前と肩書は以下の通り。
・熱血正義感 カーライル・レッド(サンタンカ王国王子)
・冷酷無慈悲 ディース・バッハ・ブルー(サイネリア王国王子)
・軽薄能天気 シャルトルーズ・イエロー(アルストロメリア王国王子)
・純真無邪気 ソルフェリノ・ピンク(アカヤシオ王国王子)
・偏屈研究家 アイビー・グリーン(エピデンドラム王国王子)
どこの戦隊ものだよ。
前世の私は彼らのことを、名前で呼ぶのが癪だったのでそれぞれ『赤太郎・青次郎・黄三郎・桃介・青汁』と呼んでいた。別にこいつら兄弟でも何でもないけど。
この王子様達が、これまたそれぞれ面倒臭い問題を抱えていて、それに主人公を巻き込むのである。
ストレスと王子達へのヘイトがこれでもかと高まるゲームだったな、というのが前世の私の感想だ。
あまりに王子達を殴りたくなるので、結局一回しか前世の私はプレイしなかった。
その一回で迎えたエンディングは、王子達の誰でもなく隠しキャラエンドだったけど。
ああ、そうそう王子達5人の他に隠しキャラ(ラスボス兼任)1名と、両片思いチックな友情エンドしか用意されていないサブ攻略キャラが4名いたはず。
あまり重要じゃないから説明は割愛するけれど。
そう、重要なのはキャラクターが何人いるのかでも、エンディングの種類でもない。
ただただとにかく、ひたすら、王子様達を殴りたい。
この一文に限る。
そんな前世を引きずる私が生まれて生きているのは、サンタンカという名の王国で。
首都には諸外国からも広く留学生を募っている、大陸一の権威ある魔法学校がある。
そして祖国の第一王子の名前は、カーライル殿下である。
……はい、どっかで聞き覚えがございますね?
そう、主人公の日常を崩壊させた、某赤太郎の国である。
この国の第一王子は、現在6歳。
そして私も御年6歳。
……そう、前世の私がゲームで見たモノは、今生では未来の話なのである。
ということは今から頑張れば、頑張って鍛えれば。
なんとかこう……王子様を殴る道も何か見つかるんじゃないかしら?
そう思って真面目に模索してしまったのが、運の尽きだった。
誰の運が尽きたかって?
もちろん、王子様の運が尽きたのよ。
人間、真面目に方法を考えればどうにかなるものである。
そう、見つかったの。
王子様を合法的に、無理なく殴る方法が。
王子様をどつき回したとしても、罪に問われず済む方法が。
その為には、私自身が頑張って強くなるしかないけれど。
今の私はただの子爵令嬢、しかも三女。
到底王子様に会う方法なんてある筈もないし、同じ土俵に立てずに殴る方法なんてない。
だけど子爵家生まれの私でも、王子様と同じ土俵に立つ方法がある。
それこそまさに、ゲームの舞台。
魔法学園に入学するのである。
王子様と私は同年だ。
学校にさえ入ってしまえばこちらのもの、私と王子様は同じ『学生』という立場になる。
身分に縛られる学外ではどうにもならないけれど、同級生なら学内に限り身分も関係ない。
それも、赤太郎王子と同じ『魔法騎士コース』ならなおのこと。
だってそこは実力がモノをいう。
しかも戦闘職を目指しているのだから、当然ながら模擬試合は日常茶飯事だ。
そこで、模擬試合の最中に、王子を殴る。
気が済むまで存分に、殴り倒す。
それが出来る為には、強くなって魔法学校に入学するしかない……!!
だから私は、両親にお願いした。
国内でも数少ない、女騎士の道を志したいと。
ただただひとえに、王子様を殴る為だけに進路を決めた。
まだ私は6歳。
将来の夢も、進路選択の理由も、そんなもので良いじゃない。
些細なきっかけで将来を決めるのは、ありふれたことでしょう?
私にとっては、進路選択のきっかけが『王子を殴りたい』だったというだけ。
元々両親的には、侍女として王宮勤めとか無理かな? 出来ないかな? と期待していたはず。
侍女が騎士になっても、きっと誤差の範囲。王宮勤めには違いない。
そもそも騎士は圧倒的に男が多い。
だけど貴い身分の方々の、半数は女なのである。
王族だって王妃様や王女様といった女性がいる。
どこまでもついて行く護衛に男だけじゃ差し障りがあるのに、尊い方々に仕えるにはある程度の身分が必要という規則があるので護衛を務められる女性が圧倒的に少ない。
そこで私が女騎士になれば、需要は間違いなくあるので就職は安泰で。
女騎士は侍女より圧倒的に少ないので、顔と名前を憶えてもらえる確率も上がるだろう。
身分の高い女性に一所懸命仕えて気に入ってもらえれば、良縁を斡旋してもらえるかもしれない。
両親をそう言って説得し、私は騎士を目指している次兄の家庭教師から体術と剣術、馬術といった騎士の嗜み・基礎編を学ぶ許可を得た。
全ては王子様を殴る為。
殴って、前世からの鬱憤を晴らしてすっきりする為!
ただその為に、私の騎士修行が始まった。
女の筋力で殴っても望むだけのダメージは与えられないかもしれない。
そもそも魔法学校に入学するには、魔法……というか精霊術を習得する必要がある。
そんな理由で、精霊術だって頑張って磨きに磨いて練り上げた。
もちろん、特に念入りに鍛えたのは身体強化系の術である。
今の時代、自分の力だけで奇跡を使える人間はほぼいない。
それこそ、ゲームの主人公だけだ。
昔は体内で生成した『魔力』を使い、人間は『魔法』を使っていた。
だけどいつからか『魔法』を使える程に強い魔力を持つ人は生まれなくなっていって。
ここ200年くらい、本物の『魔法』の観測記録はない。
今の時代、主流となっているのは『精霊術』だ。
自分の魔力を糧に『精霊』と契約し、精霊の力と魔力を混ぜて奇跡を起こす。
精霊ありきの、精霊と契約が出来なければ何も出来ない現代の魔法使いたち。
だからこそ、精霊と契約なしに奇跡を起こす主人公は脚光を浴びることになる。
主人公は歴史上、200年ぶりに生まれた本物の『魔法使い』なのだから。
現代、精霊は目に見えないとされている。
精霊が見えるのは、余程強い魔力を持っている『魔法使い』。
後は精霊と十分な絆を結んだ、『精霊の友』くらいなんだけど……
今の時代、生まれつき精霊が見える人はほぼ存在しない。
見えない世代を重ねることで、精霊の存在感は希薄になり、蔑ろにされている。
精霊がいないと精霊術は使えないのにね。
いや、精霊術があるので、存在自体は一般的なんだけど。
でも目に見えないのは、大多数にとってはいないのと一緒らしい。
精霊は無視されるのが嫌いだ。
精霊にとっても旨味があるので、求めれば契約自体はしてくれるけど。
いないものとして特に敬われもせず捨て置かれるので、人間に対する協力もおざなりになりつつある。
精霊と十分な絆を結べる人も何十年と現れていない。
だから、現代では年々精霊術使いの質が低下しているといわれている。
まあ、皆さん、質の低下が精霊を軽んじてるせいとは思わないようで。
より『効率的』に『上手く』精霊術を使える様になろうと、それはそれは涙ぐましい努力で研究を重ねているらしい。
研究に走るより先に、精霊に心から話しかけてミルクの一杯も奢る方が手っ取り早いのにね。
そこは前世八百万の神が万物に宿るとか言われていた国生まれの前世を持つ私である。
とりあえず手始めに、自分の部屋に神棚……いや、精霊棚を作って拝むところから始めてみた。
精霊棚にはお札の代わりに、かつて精霊の見える魔法使いが沢山いたって時代の力ある文字で『精霊様』と書いた紙を収めて拝んでみた。
そうして朝には「おはようございます、精霊様。今日もよろしくお願いします」と精霊棚に挨拶し、夜には「今日もありがとうございました。おやすみなさい、精霊様」と声をかける。
ついでに2日に1度、蜂蜜入りミルクと手製のクッキーを備えることも忘れない。
そんな毎日を、一週間くらい続けてみた。
そうしたら、魔法の威力が1.2倍くらいに上がった。
わあ、確かな手ごたえ……。
人間に無視されてきた精霊さん達にとっては、コミュニケーションを取ろうとしてもらえるだけでも結構嬉しかったようだ。
そこで私は調子に乗った。
神d……精霊棚を作って喜んでもらえたのならと、より精霊棚で居心地よく過ごしてもらう為、精霊棚の祭壇裏側に小さな家具をセッティングしてみた。
前世の私がゲームで見た『精霊様』は、アゲハチョウのような羽を生やした光るナニか。
サイズもアゲハチョウくらい。
そのくらいのサイズ感で、小さなソファセットとベッドを作った。
ついでに殺風景は寂しいと、端切れ布をもらってきて精霊棚の裏側に壁紙のように張り付けたり、小さなカーテンを作ってみたり。
気が付いたら、精霊棚がドールハウス化していた。
あの、家をスライスしたような小さいヤツです。
出来栄えは自分でも自信あり。
私の小さな弟が、「おにんぎょうしゃんのおうちみたい!」と諸手を上げてはしゃいでいた。
そして精霊様も大はしゃぎだった。
精霊棚をバージョンアップさせた翌日から、魔法の威力は1.5倍と化した。
ついでになんだか、気配のような物を感じるようになった。
部屋の中に、確かにいる気がする……路地裏で感じ取る野良ネコの気配くらいの存在感。
目を瞑れば、瞼の裏に光るナニかが飛び交うのを感じる。
特に気配が大きいものは、どうやら私の部屋に常駐している3体の精霊。
赤・青・緑の光がどうも私の近くにいるみたい。
いつも側にいるっぽいので、名前を付けて一方的に話しかけた。
赤はマゼンタ、青はシアン、そして緑は孔雀明王。
いつの間にかそこにいた、私の目には見えないお友達である。
ついでに3体もいては精霊棚も狭いでしょうと、張り切って新しく作ってみた。
出来上がったものは、どこからどう見ても立派なドールハウスだった。
もはや祭壇の名残すらない。
ちなみに初代精霊棚は、欲しがるので弟にあげた。
今では弟が部屋に飾って毎晩祈りを捧げているらしい。
日当たりの良い窓辺のティーテーブルに、お人形サイズの屋敷を置いて。
毎晩蜂蜜入りのミルクとお菓子を備えて声をかける。
名前を呼んで、話しかける。
「ねえ、マゼンタ様。効率よく王子様を殴る為には身体強化系の術に力を入れるべきだと思うのよ。でもせっかく精霊様がいてくれるのですもの。将来魔法騎士を目指す身としては、やっぱり派手に火柱でもあげられるようになった方が格好いいかしら」
その日から、炎系統の術威力が3倍くらいになった。
「ふふ。シアン様がいてくれると、なんだか夏の暑さが和らぐ気がするわ。青い光が涼し気で、とても綺麗ね。まるで清涼な湖そのもの……きっとシアン様の光が清らかだから、こんなに気分も爽やかになるんだわ。夏の暑さも、シアン様が側にいてくれれば大丈夫ね」
その日から、水系統の術が進化して氷系統の術が使えるようになった。
「孔雀様の光って、なんだかとっても力強い……近くにいると勇気が湧くの。お願い、力を貸してね。これから回避出来ない荒事も沢山あると思うけれど、孔雀様が近くにいてくれればきっと大丈夫だって思えるから」
その日から、身体強化術の効きがとてもよろしくなった。
こうして日々を徒然過ごし、身体を鍛えて精霊と戯れて。
いつの間にか、3体の精霊がぼんやりと見えるようになってきて。
ついでに淑女教育の傍ら、騎士修行に磨きをかけて。
貴族子女用の『運動出来る服』がどうにも動き難かったので、より動きやすい様に改良を加えて。
そうして、10年の月日が流れた。
魔法学校は15歳から通える4年制の学校だ。
学年ごとに30人学級が4クラスある、国営の名門校。
精霊術が主流となった今でも、かつての名残で学校は『魔法学校』と冠している。
各学科も、それは同じ。
魔法騎士コースも、『精霊騎士』じゃなくて『魔法騎士』ですものね。
私はその魔法騎士コースに、成績花丸奨学生として入学を果たした。
というか女騎士が需要の割に少なすぎて、女騎士志望というだけで優遇措置が設定されていた。
当然、優遇されるに足る成績を残してこその措置だけれど。
こうして立派に15歳になった私は入学を果たし。
王子を殴った。
入学後、3日目の出来事だった。
見事に頬を捉えた私のグーパンチ。
勢いを殺せず、10mくらい後ろに吹っ飛ぶ王子様。
飛ばしていた野次を喉に詰まらせ、唖然とした顔の同級生たち。
同じくぽかんとする、模擬試合審判役の指導教官。
時は魔法騎士コース、模擬試合の真っ最中。
剣術の最初の授業で、先生はわたくし達生徒の実力を測りたいと仰った。
そこで生徒同士のトーナメントを行うことになったのだけれど、魔法騎士コース唯一の女生徒である私の相手をどなたもが嫌がった。
曰く、か弱い女性に手を上げるなど紳士として以ての外とかで。
挙句の果てに私には見学するよう親切そうな顔で言う始末。
特に一層懇切丁寧に私に見学を進め、言外に邪魔者扱いしてくれたのは、どこかで……前世の記憶で見た顔だ。
前世の私が、殴りたい……殴りたい……と拳を疼かせることになった原因。
赤太郎殿下である。
優しい紳士的な王子様、といった顔がこれまた殴りたくて仕方ない。
よし、と私はひとつ頷いた。
入学後最初の授業だ。
ここは一発景気づけ、盛大にこの欲求を晴らしてくれようと。
圧し留めようとする同級生を振り切り、呆れたような苦い顔を向けられながら私は模擬戦に参戦し。
第一試合で「せめて怪我しないように私が負けさせよう」とかほざいている某王子様ににっこり微笑みかけて。
元気いっぱいに腕を振りかぶり。
我が祖国の王子様を10mばかし殴り飛ばしたのである。
ちょっと言葉にしつくせない、今までに感じたことのない素晴らしい爽快感だった。
わあ、なんて清々しいの……!
鏡を見なくてもわかる、断言出来る。
きっと今の私は、とっても良い顔をしていることだろう……!
そうしてこれが、私がこの学校で打ち立てた数々の伝説……常軌を逸したと時に言われる武勇伝の、最初の一撃だったのです。
ちなみに今年の抱負は『入学後半年以内に王子様5人をコンプリート』である。
何をコンプリートするのか?
もちろん、合法的に殴ることについて。
特に前世の私がむかついていた赤太郎は、幸いにして同じ魔法騎士コース。
これからきっと何度でも殴る機会が訪れる。
その度に、私はきっと丁寧に一発一発殴り飛ばしていくことでしょう。
そう、赤太郎が『腕試し』なんて不遜なことを思いつきもしないように……!
主人公の平凡な日常が崩壊した原因は、赤太郎が『腕試しを兼ねて魔物の討伐作戦に飛び入り参戦』したから。
だったら赤太郎が乱入さえしなければ、経験豊富な指揮官の下、優秀な騎士様達が適切に魔物討伐を行っていた筈で。決して、無暗に魔物を追い詰めたりなんて、しなかったはずで。
つまり赤太郎が大人しくしていれば、あのゲームでの主人公が日常を失った前提条件が消滅する。
彼女がささやかな幸せを失わずに済む。
それを私が采配するのは、良いことか悪いことかはわからないけど。
とりあえず周囲に多大な迷惑を振りまくことになるってわかっている元凶が目の前にいたら……こう、一発ぶん殴っても仕方ないわよね。
戦う術のない村人達が脅かされているんだもの。
貴族としても、騎士を志す身としても、村の壊滅未遂なんて放っておける案件じゃない。
だから私は、今日も王子様をぶん殴る。
「く……っどうしていつもお前に勝てないんだ!」
「ふふ。はーはっはっは! そんな腕前ではまだまだ私に指一本触れることなど不可能よ! 腕試し? そんなもの、私に有効打のひとつも入れられるようになってから口にすることね! 腕など試すまでもなく、貴方、私より弱いんだから」
「く、くそぉぉおおおお!!」
私の高笑いに、赤太郎が悔し気に歯噛みする。
今日も地面に這いつくばる彼の右頬には、私のストレートが炸裂した痕跡が燦然と輝いていた。
一方その頃、とある辺境地では。
「おかしいわ……どうして今日も、何も起きないのかしら」
金髪のキラキラした美少女が、始まるはずの出会いを待ち侘びていて。
山羊に囲まれながら、ひとり首を傾げて佇んでいた。
登場人物
ミシェル・グロリアス
グロリアス子爵家三女。
本来であれば花嫁修業の為に修道院に入り、大人しく平凡な貴族子女として育つはずだった。
しかし前世(小猿系女子)の記憶が蘇ったことで王子を殴りたいという欲求に目覚める。
王子を殴る。その為に令嬢として間違った方向に自分磨きをしてしまった女性である。
魔法学校に入学後は動きやすいという理由で男子制服を改造したものを着用。
確かな実力と王子共を押しのける男らしさで女生徒からは遠巻きにされている。
魔法騎士コースの野郎どもとは、王子をやたら殴りたがる以外は気さくな性格ということもあり普通に仲が良い。ただしその仲の良さは性別を忘れ果てた、『騎士候補生仲間』としての仲の良さである。
赤太郎
本名:カーライル・レッド
サンタンカ王国第一王子。
本来であれば敬われる身分なのだが、早々にミシェルが殴り飛ばしてしまったせいでキャラ崩壊を起こし、今では弄られキャラと化した。お陰で魔法騎士コースの男子生徒達とも普通に仲が良い(ゲームでは身分の高さ故に距離を置かれて敬われていた)。
そしてミシェルが赤太郎殿下と呼ぶので、赤太郎呼びが定着しつつある。
ゲームでは魔法(精霊術)の実力に伸び悩み、自信のある剣術でどこまで行けるのか試したいと考えている熱血キャラだったのだが、今ではとにかくミシェルに勝つことだけが目標と化しつつある単純さん。
本来は精霊を見ることの出来る主人公が仲立ちすることで精霊との絆を結び、最強の魔法剣士として覚醒する筈だったのだが、最強の称号はミシェルに奪われっぱなしである。
ヒロイン
デフォルト名:ミリエル・アーデルハイド
どこかのハイジよろしく田舎で平凡な幸せを噛みしめ生きてきた少女。
ゲームでは赤太郎の暴走のとばっちりを受けて魔力に覚醒し、魔法学校に強制編入することになる。
その力は未知数だが、上手く育成すれば上級精霊術師100人分の強さとなる。
しかし覚醒イベントが起きなければただの田舎の村娘である。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ここから順番に王子達を殴り合わないといけない状況にどう持ち込んでいくのかが、これからのミシェル嬢の課題です。
赤太郎は王子を殴るという目標的には、一番難易度が低かった模様。