プロローグ そして騎士は魔王となった 前編
かつて人と魔族の領域を大きく二分してきた魔海溝から、
遠く離れた人大陸の奥の小さな街リミニセン。
この小さな街から物語は始まる。その街の端。頃は夜。
随分前に太陽は沈み、月が天頂に届こうかという時刻。
包まれる街はゆるゆると眠りにつく準備を始めているのだが…
「ねえ、ばあば」
街の喧騒から一つ離れた場所に、彼女の住まいはあった。
彼女はまだ眠れないようだ。
「なんだい、イーラや」
眠いようで、眠くないような、ぼんやりと意識が微睡の中に溶けていきそうな、
それでいてなおまだ寝たくない、まだ話していたいと思うような。
この時間が1日の中で一番お気に入りの時間帯。
その隣で老婦人が穏やかな瞳を彼女に向ける。
「あのね、眠くないから、今日もご本読んでぇ」
彼女の名前は「イーラ」
綺麗に梳かれた金色の髪と左に紅と、右にこがね色の瞳。
本が大好きで家からあまり出ることがないためか、透き通るような白い肌。
それを少し眠気に紅潮させ、甘えるような声で本を読んでと毎晩ねだる。
ちょっと吊り上がった目じりと口の端は母譲り。
この時間でなければ家の中で元気に囀る姿を連想させる。
その赤と金の二つの瞳が上目遣いで、ばあば―エリス―に向けられ。
「あらあら、もう十と一つになるのに、甘えん坊さんねぇ」
エリスの瞳が愛おしさで少し細くなる。
誰に似たのかしら、
ゆるゆるとエリスは古い本を1冊手にして、今か今かと眠たげな瞳を輝かせるイーラの隣に腰を下ろす。
老婦人の名前は「エリス」
この街に昔から住んでいる元上流市民の女性。
今は人気のない一角にイーラと二人で暮らし、戦争で殉職した夫の残したもので細々とやりくりをしている。
短く切りそろえた金色の髪に、イーラの右目と同じこがね色の瞳。
丁寧な暮らしが見た目からわかる気品ある女性だ。
「じゃあねえ、今日はこの本を読んであげようかしら」
このお話はね。
「ママが1番好きだった物語だよ」
「やったあ。どんなお話なの?」
イーラの瞳の輝きが増す。これでは眠れないかもしれない。
それだけ、ママが好きなのね。
本の表紙を開きながら、エリスはくす、と笑む。
綴られている物語は。
一万年前の真実。
ずっと昔の、魔族の王様のお話。
「どれどれ。昔々、魔族がまだ誕生していない遥か昔、人と神の時代に聖戦が起こりました」
聖戦、神話の時代。
イーラは小さく、せいせん、と胸に刻んだ。
それだけで胸が熱くなるのはどうしてだろう。
「その時代では、 権力と金の神ギルディ と 愛と慈悲の神イルミア の信者で世界は二つに分かれていました」
大きく分かたれた世界。そこにあったのは。
「そしてギルディの信者たちは、たびたびイルミアの信者たちから財産や権力を奪いましたが、イルミアの信者たちは抵抗をしませんでした」
生まれた感情が小さな口からこぼれ落ちる。
「かわいそう」
同時に、イーラは愛らしい真っ直ぐな瞳をエリスへむける。
「イルミアの信者たちはどうして抵抗しないの?」
生まれる好奇。
どうして、それはイーラの根源だった。
やはりこの子は。
エリスは懐かしさを覚えながら、ゆっくりと答えをもたらす。
「そうねぇ。どうしてだろうねえ。」「えー。」
不満そうに、あるいは思いを巡らせるかのように、イーラは整った眉を寄せる。
うーん…。
奪われる、悲しみを知っているのね。
イーラの様子を見てエリスは安堵する。きちんと育っていますよ。
考えるイーラをひとしきり待ってから、エリスは続きをイーラへと語っていく。
「騎士ヴォルカスは信心深いイルミアの信者であり、騎士であったそうな。しかし、なぜ自分たちだけ奪われなければならないのか、不思議でならなかった」
続く物語に、イーラは目を閉じた。すっかり虜になっているようだ。
「そこでヴォルカスは神に問いかけました」
イルミア様、なぜ我々は彼の者達を愛さねばならないのですか。
その声に答えをもたらすものはなく。
ヴォルカスはもう一度声を重ねる。
イルミア様、なぜ我々は彼の者達を…愛さねばならないのですか。
「やっぱり、神は何も答えません」
耐えかねたイーラが小さく身じろぎをしてエリスへ尋ねる。
「神様はどうして答えを教えてくれないの?」
「それはね、きっと自分で考えないといけないことだからよ」
エリスはさらりと返す。
「えー。うーん…。」
そう、考えて。あなたの力で。
11歳には難しいかもしれない。
でも、考えてほしかった。感じてほしかった。だから答えはもたらさない。
「わかんない…」
わからないと、まだ懸命に考えているイーラ。
閉じたまぶたに長いまつ毛の影法師がゆらゆらと踊る。
「来る日も、来る日も、ヴォルカスは神に問い続けました」
今のイーラのように。
どうして、どうして。
その答えが出ないように
「神からの言葉はありませんでした」
影法師が悲しげに揺れる。
「ある日ヴォルカスは神殿に来なくなりました。彼は最後の晩、神にこう問いかけました」
イルミア様、なぜ我々だけ、奪われ続けなければならないのですか。
神は答えない。
最後の問いにも。
得られない答え。イーラも物語の一人に心を寄せる。
「その日ヴォルカスは魔に落ちました」
ただ君だけを、守りたいと願う
2021年1月より企画を立ち上げ多くの方にお世話になりました。
本当に、本当に、ありがとうございます!
また、この1章をお読みいただき、本当に、本当にありがとうございます。
第一部完結は6月を予定しています。是非それまでお付き合いいただけたら
本当に嬉しいです。
欲張りなお願いですが、
是非ご感想などいただけたら幸せです!
さぶろう&水稀乙十葉




