第1章第7話・粘り憑く『東京襲撃事件・3』
3隻目からは、3つの甲板からトンボ型の粘魔が急速に生まれ出でるのだが、それは全てクロムクルアッハが撃ち落とした。
その光景を見た駐日イギリス大使は本国に、
「東京防衛に最も貢献しているのは、日本機を駆るドイツ軍。日本国政府は愚鈍」
と送信。これをイギリス本国の報道官がマスメディアに発表すると、
「日本国敗北が間近に迫る」
という見出しの速報がEU中を駆け巡った。
オランダ王国へ国賓の護衛として同行している、日本国海軍と対粘魔軍海戦隊に衝撃が走ったが、乱洞と直属の上司は全く動揺していなかった。
機関車型が消滅した時点で、既に東京は少なくない被害を受けていた。
特に大きな被害を受けたのは、機関車型が最初に砲撃した『日本国軍対粘魔用武装外骨格開発局』である。
本来ならば弾童カンパニーのように、『対遠距離攻撃用魔法障壁形成装置』が作動するはずなのだが、それは魔力導線が切断されていたことから、動かなかったのである。
それに加えて、局長が避難指示を出さなかった為に、局員のほぼ半数が死亡してしまった。
砲撃の直撃を受けた者。砲撃の衝撃で建物が崩落して圧死した者。
警察と消防による必死の救出活動も虚しく、救出されて喜べる者が誰もいなかった。
誰もが傷を負っていたのだが、1人だけ無傷の人間がいた。砲撃の衝撃でその場所が崩落することがなく、空間そのものが奇跡的に無傷だったからである。恐らく、砲撃を受けた場所の対角線上にあったことも幸いしたのだろう。
しかし、階下の壁に亀裂が入っていたので、警察官2名と消防隊員1名は、気絶していると思われるうつ伏せの女性を救助しようとした。
意識を確認する為に消防隊員が女性を仰向けにすると、40代前半の女性は口から泡を吹いて死んでいたのである。
警察がすぐに身元を確認すると、神閃の3人いる開発責任者の1人――非違野法己だった。
消防隊員が先導し、警察官1人が女性を担いだ。もう1人の警察官は女性の近くに落ちていたマグカップを持ち、この部屋に設置された防犯カメラを見つけてから後を追った。
余談だが、この防犯カメラも砲撃の2時間前から作動しなくなっており、記録は残されていなかった。
50代後半の男性は、少しでも大型粘魔から離れようと走っていた。
勝手に殺人罪(奇跡が起きて殺人未遂罪になったが)を犯し、自身の同好会の輩を募って警察官を二千人以上殺害。更には外国の諜報部と思われる者たちも多数殺害。
こんな脚本は、弾童尽守に責任を擦りつけた時には想定していなかった。
その直前の、新聞記者によって弾童房子が殺害される事すらも想定外だった。四六時中見張っていると豪語していた警察が、こんな醜態を晒すとは思っていなかったからだ。
弾童先守が殺害された時もそうである。今度こそ警察が守るだろうと思っていた。
弾童尽守が粘魔によって殺される事態も想定していなかった。
弾童尽守が粘魔に殺された直後に、アメリカとイギリスが共同声明を発表することも考えていなかった。
イギリスは「日本国の司法に期待する」としか言わなかった。
アメリカはこの話題に関心がないと思っていた。
無い筈が無いのである。殺された外国の諜報部には、英語圏の外国人らしい人間もいたからである。
刑務所が襲われた後に駆けつけた神閃隊の報告によると、弾童尽守は粘魔に飲み込まれ、粘魔と融合して反撃してきたそうである。それも想定外。初の事例である。
おそらく、今回の襲撃も弾童尽守が主犯の1人として動いているのだろう。
なぜ他にも主犯がいると思うのか。
弾童尽守は、神閃のことを知らないのである。
逮捕される前は、まだプロジェクトが初期の段階だった。そもそも、ライバルとなる勢力にそういった情報は見せない。
神閃型粘魔の外観が神閃に酷似している以上、披露式典の映像や写真を見た可能性を思い浮かぶ者もいるだろう。それはあり得ない。
刑務所には、「刺激になってしまうだろうから、この話題は極力避けて欲しい。この命令に逆らえば、国家騒乱罪で訴えさせて貰う」と脅しているからだ。
開発局が砲撃される直前にも確認したが、「神閃の外観はおろか、披露式典があったことや、そもそもそのプロジェクトすら、知ることができないはず」と言われた。
親族や関係者の面会謝絶。あの女を含む開発局の局員の接触も無い。看守や他の犯罪者から漏れた可能性もない。
ではなぜ、神閃型の粘魔があるのか。
答えは、いま思い出した。
1940年のオリンピック村事件。
あの時に戦死した日本国軍兵士の中に、森丸成利の名前があった。
神閃の3人いる開発責任者の内の1人で、開発指揮を担当していた森丸歩利の3歳年上の兄である。
森丸歩利は兄の成利に、神閃のテストパイロットを依頼していた。だから、あそこまで正確に、粘魔が形作ることができたのだ。
さすがは、『日本国軍対粘魔用武装外骨格開発局の鱒尻局長』である、この私だ。
弾童尽守の報復を予測し、道徳観や倫理観を抑え込み、局員たちを口封じする為に避難指示を出さなかった。素晴らしい判断力と決断力だ。
いまだってそうだ。スポーツ選手でなければ、子どもの頃に走り込んでいたわけではない。なのに、全力疾走しているいま、全く疲れていない。
もうすぐだ。もうすぐで指定避難場所に辿り着ける。
私の逃避行は完遂する。
そう思っていたのに。
思っていたからこそ、前が見えていなかったのだろう。
私は交差点の曲がり角、建物の陰に隠れて乗り捨てられていたトラックに激突した。
「んがあぁ!!」
顔が痛く、地面に倒れて後頭部も痛めた。
痛くて顔や頭を手で触りたいから、地面から起き上がることができない。でも、転がることはできる。
そんな私の近くに、1輌の魔力重戦車が止まった。
いま、魔力重戦車は3胴船のような大型粘魔と戦っているはず。
増援なのだろうか。
私は魔力重戦車から出てきた女性に視線を向けた。
円華三尉が3胴船型粘魔と戦っている時、神閃を装着して戦っている妹から通信が入った。
妹は、神閃型粘魔の中でも最も精強な粘魔と戦っていた。
その粘魔は人の記憶や人格を強く有しており、自身を『森丸成利』と名乗っていた。
妹が所属する隊の隊長の親友の名であり、神閃を制作した天才少女の兄の名でもある。
その森丸成利と戦っている妹からの情報で、弾童尽守らしき外骨格型粘魔を他の隊が見つけ、現在交戦中とのことだった。
刑務所で戦った時と同様に、対粘魔装備をしていれば、その者に強い敵意を向けて機関銃らしき武器で連射してくる。
戦闘の素人なので、物理攻撃や魔法を当てることは難しくない。
しかし、どういったわけか表面の粘魔を消滅させても、再生するかのように粘魔が増殖して傷を塞ぐと聞いている。
つまり、『不死身の粘魔』なのである。
そこで、増援として選ばれたのが私と、私が乗る重魔力戦車だ。
私と尽守の仲については、尽守が逮捕された時に警察から聴取を受けた、それを軍に報告したので、多くの人間が知っていた。
その軍上層部から命令が下された。
説得せよ。と。
無駄だとは思いつつも、上からの命令なので逆らうことができず、指定された場所へと向かっていたのである。
その途中、乗り捨てられたと思われるトラックが僅かに動いたので、粘魔がいる可能性を考えて速度を落とすよう指示を出した。
トラックの陰を注視すると、人がのたうち回っていた。
救助よりも指定場所への急行が最優先だと分かってはいたが、私は下りてその人物に手を差し伸べようと思った。
「少尉! 前方に目標と思われる粘魔を発見!!」
私がそちらに視線を向けると、確かに粘魔がいた。
全身を外骨格で覆い、腰や背中からは4本の触手が伸びている。その4本の触手を使って身体を支え、両手に持っている重機関銃2丁を連射する。
両肩には首長龍の頭があり、首長龍の頭が吐く息は、魔法を構成する魔力を分解する能力が備わっている。
如何なる属性の魔力も分散させるので、息が濃くない場所を狙って魔法をぶつけなければ傷を与えることはできない。
幸い、首は2本だけなのでそれは難しくない。
しかし、傷を負わせても再生してしまう。
本当に厄介な敵である。
非戦闘員の男も粘魔に気づき、腰を抜かしたのか立てずにゆっくりと後ろへ下がった。
「見つけたぞおおお!!」
そう叫んだのは、粘魔ではない。
私の後ろの、遠くにいた警察官たちの1人である。