長月想話 1:万年筆と輝く文字
万年筆で文字を書くのが好きだ。
この時代、最終的に文章を発表するのはデジタルであり、私も清書はテキストエディタで打ち込むのであるが、下書きはまず紙に万年筆で書く事にしている。
それは、手書きで、そして万年筆で書くことで、文章に自分の表現したい事、「思い」が文章に伝わる、文章に「乗る」と考えているからである。
文章を書く者であれば。特に創作として表現したいと思っている者であれば、自分の胸の中、心の中に表現したい「何か」があり、それが溢れたものが文章として現れている筈である。
「何か」の形や色、温度等は、表現者の思いによって様々であろう。
私が主に伝えたいものは、キャラクターの思いであり、優しい気持ちであり、暖かい思いである。こうした思い、そして暖かさを文章に乗せたい、読者に伝わって欲しいと願っている。
そして、こうした「暖かさ」は、自分の手そのもので、紙に筆で書く事で、紙の上に、そして最終的には文章に「乗る」「宿る」と私は信じている。
古い考え方であるし、そもそも最終的にはエディタでテキストデータとして打ち直す訳であるが……ともかく、そう考えている。
そして、紙で文章を書く時に、万年筆で書くのが、私は大好きだ。
理由の一つが、良い文章を書くには良い筆記具から、という個人的な考えからである。
そしてもう一つの……何より大きな理由が、万年筆で紙に書く文字が「美しい」からである。
私は乱筆なので、「字が綺麗」なわけではない。
万年筆で紙に描く字の輝きが、描かれた字が紙に吸い込まれる様子が、美しいのだ。
万年筆の金色の柔らかい筆先が、紙の上を踊る美しさ。そして、描かれた文字は、インクが乾くまでの束の間であるが、紙の上で光って、輝いて見えるのである。
自分の書いた文章が光っている、輝いている。生きている様であり、光の筆で書いた文章から、自分の伝えたい思いや暖かさが、インクに宿って輝く文字となり、紙に伝わっている様に感じられるのである。
だから、万年筆で文章を書く事が、筆を走らせている瞬間が、私は大好きだ。
そんな訳で、現在も私は文章の下書きは、万年筆を使って紙に書いている。きっと今後の作品についても、同様であろうと思う。
作品を書く際に、私の心の中から溢れる思いが。少なくとも万年筆で書く際には、紙に伝わっている、暖かくて輝いている筈の文章が。清書されて読者の皆さんが読まれる際にも、宿り続けて、伝わっている事を願いつつ……
私は今日も、文章を書いています。