直 訴
そして翌日、彩は高橋と斎藤に「直訴してみる?」と同意を求めた。
「どうしたの? 何かいい考えでも浮かんだの?」急な話に高橋が驚くと
「いや、そうじゃないけど、社長がグルだったら、もう辞める気なんでしょっ」
「いや、俺は結構、資料室を気に入っているんだけど……」高橋が思いを口にすると
「高橋さん、何言っているんですか! 社長までもがそんなことするような会社だったら、二人で潔く止めますよっ」斉藤絵美が瞬時に攻め込んでくる。
「そんなー、俺まで巻き込まないでよ」
そしてさらにその翌日、高橋は斎藤に背中を押され、秘書室に電話を入れ、社長に報告したいことがあると伝えたが、用件は言えないと説明すると、断られてしまった。
(確か、あそこの秘書室長は滝宮と関係があったはずだ。何度か二人でいるところを見たこともある……
普通であれば、主任クラスからの電話なのだから、一度は社長に伺いを立てるはず…… でも、それもしないで断った…… なんかおかしい )
「社長に会えなきゃ、どうするんですかっ?」絵美が高橋を責め立てる。
「待ち伏せるしかないよ」高橋の目つきが変わると
「えっ、急にどうしたんですか、やる気になったんですか」彼女が微笑む。
「そんなこともないけど、あんなくそみたいな女が秘書室を仕切っているなんておかしい。それにあいつは滝宮とできているんだ」いつになく高橋に怒りが感じられ
「ええっー」絵美は驚いたが
「ストレートで駄目だったから、ちょっとカーブを投げてみたくなった」
「ええっー、野球ですか…… 私、わかんないです」それでも彼女はほんの少しだけ彼が頼もしく思えた。
そして翌日、朝、エレベーター付近で社長を待ち構えていた高橋と斎藤は、俯いたまま社長に近づくと、高橋が
「社長、おはようございます。内々でお話ししたいことがあります。お時間をいただけないでしょうか」と伺いをたてたが
傍にいた秘書室長が
「何ですか、失礼でしょっ。秘書室を通して下さい」と彼を睨み付けた。
「わかった。スケジュールを確認して連絡をするよ」社長が微笑んで答えると
「社長、いけません。何かあると困ります」秘書室長が咎めたが
「はははっは、よろしい、よろしい」社長は笑いながらエレベーターに乗り込んだ。
社長は部屋に入ると、室長補佐に「今日の空いている時間は?」と尋ねた。
「はい、13時から15時が開いています」
「じゃあ、高橋君に13時に来るように伝えてくれるか?」
「はい、わかりました」傍にいた室長が補佐を制して返事をした。
彼女は秘書室に戻ると
「私が電話入れるから」と補佐に念を押した。
午前11時過ぎ、補佐が
「高橋さんには連絡いただきましたか?」と尋ねると
「何度もしているんだけど、全く出ないのよ」と不機嫌な回答だった。
「じゃあ、私がしてみます」と補佐が受話器を取った瞬間に
「私がするって言ったでしょっ」室長が補佐を睨み付けた。
「あっ、はい、わかりました」と補佐は答えたもののあまりの不自然さに違和感を持ってしまった。
お昼になって資料室に降りて行った彼女は、二人から全く電話が入っていないことを確認すると、秘書室長の様子がおかしいことを説明し、13時過ぎに社長室に来ることと、売店で偶然に会った自分から時間を聞いたことにして欲しいと彼らに伝えた。
13時前に秘書室に帰った補佐が、室長に説明しようとした時、社長室から社長が顔を覗かせた。
「高橋君は1時に来るのか?」と尋ねたが
「いえ、それが連絡がとれないのです」と室長が言った瞬間
「いえ、先ほど売店でお会いしましたので1時過ぎにとお伝えいたしました」
補佐が答えると、
「わかった」社長は部屋に戻ったのだが
「あなた、よくも勝手なことをしてくれたわね」
「ええっ、何かまずかったですか?」
「私が連絡するって言ったでしょ」
「でも、電話に出ないって言われていたので……」
「もういいわ、あなたにはがっかりしたわ」
その時、高橋と斎藤がやって来た。
「主任だけにしてくれる!」室長が斎藤を睨み付けた。
「社長に確認してくれないか? 重要な案件なんだ」
「それはできません」
「君は何様のつもりなんだ」
「秘書室長です」
「ふざけるなっ、俺が責任取るっ」そう言って高橋が進み始めると
「わっ、私が確認します」彼はそう言った室長補佐に目を向けた。
「じゃっ、頼む」
「はっ、はい」
社長室から戻ってきた補佐が「ご一緒にどうぞということです」と伝えると、
「ありがとう」高橋が室長を一瞥して、二人は社長室に入り、促されるままにソファに腰を降ろした。
「社長、突然に申し訳ありません」高橋が詫びると
「これを見ていただきたいのですが……」斎藤が赤木鉄鋼㈱の七川からもらった証拠資料のコピーをテーブルに並べた。
「これは何かね?」
「キックバックしたお金を振込んだ証拠です」
「滝宮の口座に振り込んだのか……」
「はい……」
「これをどこで入手したのかね」
「赤木鉄鋼㈱の七川さんからいただきました」
「原本も確認したのかね」
「いえ、それは……」
「じゃあ、これは印影があるけど合成コピーかもしれないね」
「社長……」
「ちょっと、これでは証拠にならないね」
「でも、二人で七川さんの話を聞いています。七川さんは赤木の社長もこのことは知っていますが、うちとは古い付き合いで、赤木が利益を得ることはしていない、全額、滝宮部長にキックバックしていると…… いつかは、誰かに気づかれると思っていたから、後は私達にまかせると言ってくれました」
「そうかね、その証拠はあるのかね?」
「証拠って、二人で聞いているんですよ……」
「でも、資料室に飛ばされた二人が滝宮を恨んで、このことを仕組んだ……」
「そうですか…… そう言う風に考えられますか……」
「いや、社会一般で見るとそう言うことも考えられるということだ」
「わかりました。ここに来たのが間違いでした。あなたもご存知のことだったんですね」斉藤絵美は唇をかみしめて社長から目を離さない。
「ああ、知っているというよりは、私が指示したことだよ」
「ええっ」
「君たちは会社を経営していくことがどういうことかわかっていない。仕事をもらうために、あるいは商品を売るために目に見えないお金が動くなんてことはよくあることだよ。そのためには裏金のストックが必要になる。君達社員を守って行くためには、必要悪なんだよ……」
「……」
「どうだろう、君たちは望む部署に復帰させようじゃないか…… 会社の将来に目を向けてくれないか」
「お断りします。でも、そのキックバックのことは納得しました。だから、そのことは忘れます。しかし、私は滝宮部長にセクハラされました。あの人を許すことだけはできません」
「わかった。彼にはよく話して聞かせるよ。二度と君たちに関わらないようにも言っておく」
「女子社員に、資料をホテルの一室に持って来させ、部屋へ入ると抱き着いて…… 社長はその男に口頭注意するだけなんですかっ」
辞職を覚悟している斉藤絵美は一歩も引く気はなかった。
「でも、それも証拠がないだろう……」
「わかりました。もういいです。高橋さん、行きましょう」
「あっ、ああ……」
二人が立ち上がると
「ここの話も証拠がないよっ。どこかにリークしても、二人の逆恨みということになってしまうよ」
「大丈夫です。録音してますから……」斎藤が言うと
「はははっ、この部屋で録音するとブザーが知らせてくれるんだよ」
「えっ……」絵美は困惑したが
「ご苦労だったね」社長が微笑む。
「ブザーはならないですよ、私が録音していますけど、ブザーはならないですね」高橋が切り返した。
「はははっはは、私の負けかな…… まあ、座りなさい」社長が笑いながら言うと、二人は顔を見合わせて、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「実はね、先日、藤原彩さんを口説いたんだよ」
「えっ」
「今の倍出すから内に来てくれってね」
「そういうことですか」
「そしたら断られてね、資料室にはいい人材がいる、社長が育てたらどうですかって言われて、斎藤さんのことはよく知らないって言うと、直訴させるからしっかりと見て欲しいって言われてね。それでちょっと意地悪をさせてもらった。申し訳なかった」
「とっ、とんでもないです」二人は恐縮してしまった。
「滝宮のことは、赤木の社長から連絡を受けていて、最初から知っているんだ。だけど、誰がそれを見つけてくれるんだろうって、ずっーと待っていたんだが、誰も何も言ってこない。実は知っていても彼が私の甥だから口にできなかったのかもしれない」
「……」
「だけど、企業なんだから、そんなことでは続いていかないよ」
「社長……」
「いや、本当に良く直訴してくれた。ありがとう。これであいつを処分できるよ、どこか子会社へでも行かせるよ」
「社長、それはあまいと思いますよ」斉藤が毅然と語った。
「えっ……」
「ああいった人間は、つながりを持たせておくと、いつか必ず息を吹き返します。知らない間に、社長の甥であることを餌に、社員を取り込んで行って、気が付いたら、彼の取り巻きばかりだった…… なんてことになってしまいます」
「斎藤さん……」
「息の根を止めるべきです。私の両親がそうでした。身内に温情をかけたばかりに、実権を握られ、最後には会社をつぶされ……」
「そうか、そんな過去があったのか……」
「社長の息子さんは、まだ大学に入ったばかりですよね」
「ああ、継がせるまでにはまだ、時間がかかりそうだ」
「奥様には、息子をとるのか甥を取るのか…… そこのところをご理解いただくべきだと思います」彼女の言葉に迷いはなかった。
「そうか、藤原さんが言っていたよ。君は厳しい境遇で育ったのだろう、まだ若いのに人の裏を読んでくるって……」
「わかったよ。ここははっきりとさせるよ」
「ありがとうございます」
「それから君は、明日から秘書室に来てくれないか」
「えっ」
「お茶を入れたり、スケジュールを管理するためじゃない。秘書室に籍を置くだけで、実務は私のそばでいろいろと勉強して欲しい」
「えっ、本当ですか……」斉藤は驚いたが
「でも、社長、あの秘書室長は……」高橋が懸念を口にした。
「わかっている…… 彼女はすぐに解雇する」
「そうですか…… それだったら安心です。斎藤君、頑張ってよ」
「はい」
「ところで、君はどうしたいのかね」
「えっ、私はできれば今のままが……」
「はははっはは、欲のない人間だな、わかったよ」