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資料室

 それから数日後、彩は再び高橋から電話を受けた。


『あっ、藤原さん』

『はい、先日はごちそうさまでした』

『色々お世話になったけど、会社を辞めようと思うんだ』

『何かあったの?』

『うん、ちょっとね』

『これから出て来ることができる?』

『ああ、大丈夫だけど……』

『じゃあ、1時間後、この前の【華】で待っている』


 そして二人は、小さな個室で向き合た。

「まだ辞表は出していないんでしょ」

「うん、明日出そうと思っている」

「何があったの?」

「うん、実は部長から鈴木美菜さんを紹介してくれって言われて……」

「断ったの?」

「もちろん」

「それでどうなったの?」

「あの人、出身大学の野球部のOBで、学生時代からかわいがってもらっていたんだけど、『俺の言うことが聞けないのかっ』って怒って……」

「それで辞めるの?」

「いや、だけど3日目に資料室に飛ばされて…… それが昨日のことでさ、今日は1日休んだよ」


「そう、だけどどうして辞めるの?」

「えっ、どうしてって言われても、『辞めろ』って言うことじゃないのか……」

「確かに資料室へ行けば、将来性はないし給料だって、上がり方は少ないかもしれない」

「うん……」

「だけど、出世したいとか、いい仕事したいとか、そんな望みがあるの? 資料室なんて、恥ずかしいって言うプライドがあるの?」

「いや、全然…… だいたい仕事は好きじゃないし」

「じゃあ、なぜ辞めるの?」

「ええっ、なんかわかんなくなってきたよ」彼は頭を抱えた。


「あのね、あなた、自分でも頭が悪いって言っていたけどね、その頭が悪いって言う意味、解っている?」

「そっ、それは勉強ができないって言うか……」

「違う! 全然違う」

「えっ」

「駆け引きができないって言うか、馬鹿正直って言うか……」

「駆け引き?」

「そう、よく考えてごらんなさいよ。資料室へ行けば、仕事もしないでお金もらえるのよ、今のあなたの望みにピッタリじゃないの……」

「確かに、そう言われてみれば……」

「そりゃー、皮肉は言われるわよ、でも、強制力もないし、もう失うものもないんだから、聞き流せばいいじゃないのっ! 『首だっ』って言われるまでい続ければいいのよ」

「そうだよな、確かにその通りだな、『首っ』って言われたのなら仕方ないけど……」

「だめっ、仮に『首っ』って言われたって、従う必要はないよ。出るところに出ますって言えばいいのよ」

「そっ、そういうものなの?」

「だからだめなのよ、出るところへ出られたら困るから、会社側だって簡単に首にはできないのよ」

「へえー、藤原さんはすごいな」

「あなたねー、言っておくけど、今回の部長から言われたこと、そして何日後に異動になったか、ちゃんとメモして残しておくのよ。日時も忘れないでよ」

「何かすごいね、とても同じ歳だとは思えない……!」

「でもね、そんなあなたにもいい所があるのよ」

「えっ、それは驚きだね……」

「その誠実さ、人と駆け引きをしないこと、できないことが相手にとっては魅力であったりするのよ」

「へえー、まっいいや、よくわかんないから……」

「聞きなさいよっ」

「あっ、はい」

「うちの鈴木美菜、あなたの人間性に惚れたのよ。だからいつもよりいい仕事したのよ、今回は…… あそこまでの企画書提出するんだったら、もう200万円、増額して欲しいところだったのよ」


「そうなの……」

「まっ、とりあえず、資料室に異動して、ゆっくり考えなさい」

「わっ、わかった」


 そして翌日、彼は資料室に出向いた。

 地下のキギッと音のするさび付いたドアを開けると、無数の書類棚が並ぶ奥の一角が事務室にされているようだが、突然、電気が付いたかと思うと、一人の女性ににらまれて、彼は一瞬霊なのかと思って驚いた。


「腰ぎんちゃくが飛ばされたのね、いい気味よ」

「えっ、どういうこと……」

「腰ぎんちゃくのあなたでも飛ばされるのね、っていうことよ」

「俺が腰ぎんちゃく?」

「もういいわよ、それで何をしたの? 部長の女とでも寝たの?」

「なっ、なんてこと言うだ君は……」

「じゃあ、どうしてここに飛ばされたのよ」

「そっ、それは、経営コンサルタントの女性を紹介しろっ、て言われて、断ったら……」

「へえー、あんた、良く断ったわねー。心を入れ替えたの?」


「ちょっと君、何か怒っている?」

「怒ってなんていないわよ、軽蔑しているだけよ」

「俺、何かしたのかな?」

「はあー、覚えていないの?」

「……」

「半年前に、私の所に封筒持って来て、シーサイドホテルの部長のにところ持っていけって言ったじゃないの……!」

「えっ、あー、君は広報課にいた女性か……」

「そうよ、やっと思いだしたの……」

「ああ、ごめん、ごめん、あの時はお世話になりました」


「はあーっ、あんた馬鹿?」

「あのさー、君、一応、俺は上司で、歳だって君より大分上だと思うよ」

「それがどうしたのよっ」

「君が何を怒っているのかよくわかんないよ」

「はあっー、あの時、ホテルにいる部長の所へ行かせたじゃないのっ!」

「封筒を頼んだことをそんなに怒っているの……」

「何言っているのよっ、私は部長にセクハラされたのよっ!」

「ええっー、まっ、まさか……」


「あなた知らなかったの……」

「知るわけないよっ、確か部長から電話があって、机の上の封筒を君に持ってこさせるようにって…… なんか、相手の人が君のことをよく知っているから、って」

「それ、本当に知らなかったの」

「知らないよっ、そんなこと知っていたら俺が持っていったよ」


 この女性は、斎藤絵美、24才、入社3年目の女性であった。半年ほど前、高橋隼人から言われるままに、シーサイドホテルに向い、部屋へ入ると滝宮部長に抱き着かれ、頬を張って逃げたのだが、突然、3日後にこの資料室に異動させられたのである。


 しかし、彼女は一言も反論せず、資料室を片付け、ここでの時間を有効に使ってやろうと考え、静かに時間を過ごしていた。

 ところがある日、滝宮に贈収賄の噂があることを知った彼女は、昨年度の契約関係の書類を調べ始めた。

 ほとんどの書類が電子化されていたが、重要な契約のみは未だに紙がベースで、ありがたいことに、書類は全てこの部屋に整っているし、時間もたっぷりある。

 調べて行くうちに、資材購入に関する契約で、赤木鉄鋼㈱からの購入に際しては、必ず変更契約で増額され、その変更内容は数量の増、もっともらしいことが書かれているのだが、よくわからない。担当は、全て、加工部の中村正という主任であることに気づいた彼女は、その赤木鉄鋼㈱からの購入に関する契約のみを数年遡って調べてみたが、やはりいずれも増額変更されていた。


 彼女は、数日の間は、高橋隼人の様子を見ていたが、これまでの彼に対する認識が間違っていたのではないだろうかと考え始めていた。二人の間で誤解は解けたのだが、信用していいのかどうか迷っていた。


「ねえ、斎藤さん、人事異動があったんだから、歓迎会とか……」

「はあー、迎える側は、私一人なのよ、何が歓迎会よっ」

「えっ、まっ、確かに……」

「それに逆でしょ、私に対してお世話になりますという気持ちを込めて、何か御馳走でもするべきでしょっ」

「ええっー、俺が御馳走するの……?」

「当然でしょ」

「でも、俺、よく知らないんだよ」

「じゃあ、高級居酒屋を予約しておきますよ」

「ええっー、高級なの……」

「当然でしょ、この私が行くのよ、それなりの店じゃないと、似合わないでしょ」

「ええっー、そうは思わないけど……」

「はあっー、何なのよっ」

「あっ、わっ、わかったよ。お願いするよ」

「じゃあ、今夜ね」

「ええっー、急だね」

「どうせ、何も用事はないんでしょ」

「それは……」


 そして、その日の夕方、二人は【居酒屋絵美】に出かけた。

「あれっ、同じ名前だ……」高橋は不思議に思った。


「いらっしゃーい、あっ、お嬢さん」若い店員の気持ちいいあいさつの後、二人が席に着くと

「お帰りなさい、何にしますか?」店員が注文を取りにやってきた。

「えっ」驚いた高橋が斎藤に目を向けると

「うちの実家なのよっ」斎藤が吐き捨てるように言った。

「お嬢さん、彼氏さんにはもっと優しく言わないと……」

 店員が微笑みながら促すと

「はあっー、何が彼氏なのよっ、会社の上司よっ」

「ええっ、上司さんなら、もっと……」

「うるさいわねー、生の大と、あとは適当に……」

「はいっ、上司さんは?」

「あっ、私はウーロン茶を……」

「えっ、飲まないのっ?」

「アルコールは駄目なんだ……」

「はあっー、じゃあ、どうして居酒屋に来たのよっ」

「ええっー、それは君が……」

「ふん、お酒が駄目なようじゃ、出世もできないわね」

「ははっはは、別に望んでもいないけどね」


 店員が大将に報告すると、前菜と刺身を見繕った大将が慌てて席にやってきた。

「いつも娘がお世話になっています」

「あっ、いいえ、こちらこそ」高橋が笑顔で頭を下げると

「あいさつなんてしなくていいのよ、私がお世話しているんだから……」

 斎藤恵美が投げ捨てるように言った。

「もう、わがままな娘で申し訳ないです。以前にパワハラを受けましてね……」

「セクハラよ、もういいからあっちに行ってよ」

「すいません、よろしくお願いします」


 食事をとりながら、高橋は、辞職しようと思っていた自分が思いとどまったいきさつを話した。

 本当に羨ましそうに藤原彩のことを語り始めた彼を見て、絵美は少しずつ彼を受け入れ始めていた。



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