勇者と魔王の入れ替わり
俺は勇者だった。
異世界召還って奴でこっちにやってきたチート勇者で、どこぞの王様に魔王を倒すように頼まれたんだ。
勇者としての俺はもう無敵で、ハーレムを作ったり、魔法学園に入ってみたり、ギルドを荒らしたりしながら必死に魔王を倒す努力をしてきたわけ。……多分に遊びが含まれていたことを否定はしないけど。
でも、それなりに頑張ってきたんだぜ。
そして、遂に魔王と対峙した。
魔王は魔王城に居た。魔王城を探すのには本当に骨が折れたよ。だって山奥にある唯の小屋だったんだ。ヒロインたちとピクニックをしている最中に見つけたその建物。最初は「山小屋か?」と見間違いそうになった俺だが、しっかり「魔王城」と記されている看板を目にしたおかげでその正体を看破することが出来た。おのれ魔王、その狡猾な擬態にあやうく惑わされるところだっぜ。だけど勇者の真偽眼は伊達じゃない!
俺は旅のお供のヒロインズに「ちょっと待ってろ。俺にかかれば魔王なんざちょちょいのちょいよ!」っと言うとその小屋…じゃない、魔王城に入っていった。
「たのもー!」勢いよく扉を開ける。
「ふふふ、ようやく来たね、勇者!」
魔王は少しかわいらしい美少年だった。女装などをさせてみると似合うかも知れない、などとくだらない感想を抱く。こんな感想が出るようになる程度には、俺はこの世界にきてストライクゾーンが広がった…もとい懐の広い男になってしまったのである。
「なんか君の視線がいやらしいんだが…。僕は男だよ?」魔王は戸惑ったように言った。
「自意識過剰だ」俺は断じてホモではないのだ。
「まあいいや。ようこそ、僕の魔王城へ。あんまり見るところもないけれど、ゆっくりしていってね。」
なんとも暇そうな野郎である。山にこもっている間に時間感覚を失っているのだろうか。だが、社畜とコンクリートジャングルに囲まれて育った日本人の俺は時間には厳しかった。
「あいにくそんな時間は無い。外にハニーたちを待たせているんだ。」
「そっか。」魔王はどこか憂鬱げな表情をして、「やっぱり僕たちは戦わなくちゃいけないんだね…」と言った。
「そうだ」
「僕は魔王、君は勇者。やっぱり神が定めた運命からは逃れられないのかな…。」
魔王はそういいつつ、感傷に浸っていく。その目は遠い記憶を見つめているようで…。そんな彼の姿はどこか喋りかけづらい雰囲気を身に纏っていた。
でも俺は外に待たせているヒロインたちが気がかりで仕方なかったので、自分語りの始まりそうな雰囲気を察してすぐさまこういってやったんだ。
「魔王!お前が何をしたかは知らないが、俺の輝かしい未来の為に死んでくれ!」
そういって俺はチートで虚空から呼び出した最強の聖剣でいきなり魔王を切り付けた。
切られる魔王。その綺麗な顔は苦しみに歪められている。
でも、それでも奴は、笑顔を作った。
―――俺は勘違いをしていたのかも知れない。
「これで…、僕は…。」
そう呟いた魔王から飛び散った血液が、山小屋…もとい魔王城の床に同時に飛び散るのと同時に、あたり一面が光りだして…。
―――チートを手にして、最強になったつもりになって、敵をただのやられ役と決め付けて。相手も必死で、足掻き生きていると言うのに。
「な…何をしやがった…?」
魔王からの返答は無くて。
魔法陣だ、と気が付いた時にはもう遅く。
急激に薄れていく意識。
―――ブラックアウト。
♦
気が付いたら山の麓にある湖にいた。
どうやら俺はらしい無事だったらしい。立ち上がると少々視点が低く感じられる。先ほどの魔法の後遺症か。体のダメージが大きい。俺の女達も心配しているだろう。早く街へ戻って、治療を受けないと…。
街へ着いた頃には夜になっていた。門へ向かい、門番のオッサンの審査を受ける。
「身分証をみせろ」
「ああ。……あれ?身分証……。」
身分証を探すが持っていなかった。
「ごめん、身分証落としちゃったみたいだ。俺勇者だから顔パスで何とかならない?」
「ああん?坊主が勇者だって?おい、よく顔見せてみろ。」
「ほらよ」
坊主って年でも無いんだがなあ、と思いつつ俺はフードを脱ぎ顔を近づける。
するとオッサンは急に焦った顔で騒ぎ立てた。
「ま、魔族だ!魔族が出たぞ!!衛兵!衛兵!」
「おいおい、オッサン何言って…」
おれはオッサンのたわごとに反論しようとしたが、それは途中で遮られた。
攻撃されたのだ。
間一髪で避けたが、勇者であった俺にとって人間に攻撃されるというのは初めての経験で。
思考が停止する。
そしてぞろぞろ集まってくる衛兵たち。
「魔族だ!」
「本物じゃないか!」
「矢を射かけろ!」
「もっと増援を!」
つぎつぎと打ち出される矢を防ぎ躱しながら、俺は無我夢中で元いた湖まで戻ってきていた。
反撃をする事もできたはずだと、後になって考える。でもその時は混乱した頭でそんな事を考える余裕もなかった。
―――薄々感付いていたのかも知れない。認めたくなかっただけで。
低くなった視点。少し高くなった声。失った身分証。そして、人間に攻撃される自分。
でも、もう確認しないわけにはいかなくなった。俺は意を決して湖を覗き込んだ。
月明りに照らされた水面には、魔王の姿が映っていた。
俺は、全てを失ったのだ。
♦
あの日から、季節が一巡した。
世界では勇者が魔王に勝った事を切っ掛けに、激しい魔族狩りが行われていた。
反撃はしなかった。この体では勇者に敵わない。元勇者の自分がそのことは一番よく知っていた。
―――俺じゃない俺が、俺の振りをして世界を動かしていた。
俺が魔王の体に入っているんだから、きっと今勇者の体を動かしているのは魔王なんだろう。
今になってわかる。みんな俺についてきていたんじゃなくて、勇者の称号とその力について来ていたんだ。証拠に、俺が俺じゃなくなっても、世界は綺麗に廻っている。
途端、チートだのハーレムだのではしゃいでいた自分が馬鹿らしくなった。
それから、できるだけ世界の噂話から耳をふさぐ事にした。
♦
俺は、ただ逃げ続けた。
仮にも今は魔族の体、反撃する事もできる。食料を奪うこともできただろう。でも俺は決して人間に攻撃することはなかった。
それが、俺に残った最後の、勇者だった者としての抵抗だった。
別段胸を張るような事じゃない。ただただ、自分に残る勇者の残滓に縋りたかっただけだった。
これさえ失えば、自分が全て壊れてしまいそうだったから。
♦
ただ逃げて死を待つばかりの日々。それも終わりが近づいていた。
体が動かなくなった。食料が不足していたんだろう。
魔族の体は燃費が良く少量の食べ物で長く活動できたが、それも限界だった。
そして体以上に、心が限界だった。
出会う人、出会う人、全てに攻撃された。
中には勇者だった頃の知り合いもいた。かつて俺を愛しているといってくれ女もいた。
でもそんな記憶はなんの役にも立たず、ただすり減る心に拍車をかけただけだった。
いまなら何となく分かる気がした。なぜ魔王がこんなことをしたのか。それはきっと……
そのとき誰かが近づいてきているのを感じた。もう残り少ない体力を使い、目を向け、知覚する。
近づいてきた彼女はかつて俺を慕ってくれていたハーレムメンバーの一人だった。
褐色の肌に輝く銀髪が映える、猫族の亜人の少女。人種故に迫害を受けていた所をなんとなく助けて、ついて来たいって言ったから、ハーレムに加えてあげたんだっけ。でもあんまその後かまってあげられなかったな…。
ははッ。ハーレムに加えてあげたって何様のつもりだよ。勇者様か。でもそんな彼女に殺されるなら、きっとここで飢え死にするより上等な最期じゃないかと思えた。
「…こ…ろせ……」
俺は力を振り絞り言葉を紡いだ。でも、死は訪れなかった。
「食べて」
代わりに彼女は俺に食料を差し出してきた。
「な…ぜだ……」
俺にはその行動が理解できなかった。
「昔、私も死にそうだった所を、勇者様に助けてもらったから。」
そう言われ、俺も彼女との馴れ初めを思い出していた。ああ、そんなこともあったなあ…。
「…ばかな…おんな…だ…。その…ゆうしゃが…まぞくを…ころせ…と…」
昔から馬鹿な女だった。口下手で、無表情で、自分の感情を伝えるのが苦手で、それでも真っすぐな、そんな馬鹿な女だった。
「勇者は、そんなことは言わない。あれは、きっと、偽物。」
その言葉を聞いた時、俺はえもいわれぬ感情にとらわれた。ずっと探していた、もうどこにもないと思っていた俺が、彼女の中にあった。
俺はその時、この世界に来て初めて泣いた。
泣きながら、彼女の与えてくれた食べ物を夢中でむさぼった。うまかった。
♦
「それで、あなたはこれからどうしたいの?」
俺が落ち着いた頃を見計らい、彼女は相変わらずの無表情でそう問いかけてきた。
俺は、息を吸い、言葉を絞り出した。
「俺は―――」
―――俺は、人間になりたい。
きっとあいつも、そう思ったに違いないから。
♦
それから、俺と彼女は旅に出た。俺が人間になる方法を探す旅。俺の振りをしている奴に聞けば分かるかもしれないが、会いに行くのは自殺行為だったのでしなかった。
入れ替わりなんて事が起きたのだ。きっとどこかに、人間になる方法もあるに違いない、そう信じて旅を続けた。
旅は勇者の頃と比べて、ずっと過酷なものになった。魔王の体は幾分か頑丈ではあったがうまく使いこなすことが出来なかったのだ。
旅を続けるうち、俺はいつしか彼女に恋をしていた。きっと、これが初恋だった。
旅は今までの人生で一番充実したものになった。
そうして5年たち、人間になる方法が見つかった日、俺は彼女に想いを告白した。自分が勇者だった事は言わない事にした。
彼女はいつも通り無表情だったけど、顔を赤らめ受け入れてくれた。この日の事を、きっと俺はいつまでも忘れないだろう。
そしてこの頃になると、魔族はもう世界から姿を消していた。
♦
人間になった俺は、時を見計らって俺の振りを続けているあいつに会いに行った。
特に苦も無くすんなり会う約束を取り付ける事が出来た。場所は初めて俺たちがあった山小屋。不思議ともうあいつと敵対することもない、そう思えた。
「君はすごいな、本当に人間に戻ってしまうなんて。」
あいつは、俺に会うなりそういった。やはり敵意は無いらしかった。
「どうして、こんなことを。」
「どうして、とはどっちの事をさしてるのだろうね。君と入れ替わった事を指しているのかな?それとも、魔族を殲滅したことについてかな?
きっと、どっちもなのだろうね。
僕はね、ずっと君の勇者としての冒険を見ていたんだ。魔族は娯楽が少なくてね。君の愉快で痛快な冒険は見ていて本当に楽しかった。そんな君の英雄譚の一部として殺されるなら、僕の下らない生にも意味があるんだと本気でそう思えたよ。でも、ある日間違いが起こった。
僕は恋してしまっていたんだ。勇者が助けた一人の少女にね。彼女は亜人としてずっと差別を受けていたはずなのに、真っすぐだった。無表情ではあったけどね。口下手でも常に諦めず周りに想いを伝えようとしていた。それは僕に無い熱だった。僕はその熱に焦がれたんだ。何としてでも手に入れたいと思った。だから考えたんだ、君なら彼女が手に入る、君から奪えばいい、君になりたい、とね。
あとは、君も知っての通りさ。人を蹴落としてまで手に入れようとした僕の醜さを見破られ、手に入れた筈の彼女は僕の手を零れ落ちていった。
そうなってようやく気が付いたよ。僕の醜さに。何も持たず、奪うことしかできない魔族の醜悪さに。だから滅ぼすことにした。醜い魔族は、彼女の世界に相応しくない。
思えば完全に八つ当たりだ。証拠に、魔族になった筈の、醜くなった筈の君は、こうして彼女と共に戻ってきた。こういった所も、彼女に見透かされていたんだろうなあ。
ああ勇者よ、このゲームは君の勝ちだ。完膚なきまでにね。世界から魔族はいなくなり、人間だけの歴史が幕を開ける。僕もそろそろ去るとしよう。願わくば、彼女の見る世界が美しいものであり続けますように」
そう言い終わると、
俺だったあいつは、静かに事切れていた。