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インビジブル・ラブネス  作者: a10 ワーディルト
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【 6 】


    【 6 】


「 なによう。 なんで意外そうなのよ 」

 帰りの校門でも、一足先に外へ出て待ってくれていた先輩には普段の自信や落ち着きのような感じは無くて、まだちょっと悔しそうで平常運転とは言えなかった。 腕組みしてるし。

 さすがに今日は怒って先に帰ったのかと思いました、と正直に言ってみると、

「 楽しい気分じゃないのは認めるけど。 練習を欠かす理由にはならないでしょ 」

 当然のように割り切った口調だ。 この辺りが彼女の凄いところだった。 外見の可愛らしさ以上に、役者としてのこの人の本質は演技力にある。 そしてそれを支えているのが、当たり前だけど徹底した練習だ。

 先輩に誘われた僕が、二人で校門から駅までの下校時間を使い台本の読み合わせをするようになって、かれこれ三ヶ月。 配役が決まってすぐに、それは始まった。


 あれはまだ七月が、中旬の頃。


 劇の練習が開始されてからたった数回で、僕は潰れかけていた。 自分で自分にギリギリ合格点を出せたのは、最初の読み合わせだけ。

 出演者全員が各自台本を手に、輪になってセリフを読み上げていったその一回のみが、他の人たちの足を引っ張らずに主人公役らしく劇に参加できたと言える程度の、情けない出来でしかなかった。

 その頃、僕は台本無しだとまるで駄目だった。 セリフの量と長さで頭が一杯になって舞台での動きに精彩がなく、たまに思い通りに体が動くとセリフを間違える。

 僕が失敗するたび、練習の進行は止まった。


 その日も最悪、本当にみっともない練習しか出来なかった僕を部員の半分がなぐさめ、残りは難しい顔であきらめ気味に目配せしながら部室をぞろぞろ出ていくという、新しい下校習慣が一段落していた。

 部室には、自分だけが残っている。

 他の人たちと連れ立って帰ることはとてもできない ─── 迷惑をかけまくっているのだ。 談笑の輪に入れるはずもなかった。 僕は、劇が失敗に終わるとしたら原因はきっと自分だろうという不吉な予想を立てながら、のろのろと一人で帰り支度を済ませたのを憶えている。


 学校の正門を出ると敷地境からはアカバポプラの片並木が始まり、駅までの少し長い道のりに沿って夕陽が木々の規則的な影を落とす。



 先輩は一本目の木影の中に立っていた。


「 一緒に帰ろうよ 」 当然のように ─── まるで約束していたみたいに ─── 彼女はそう言って、僕の横に歩み寄った。

 もしこれが普段の僕だったら、きれいな年上の女性と二人きりで下校できるという夢シチュエーションにどきどきして舞い上がっていたはずだ。 表面的な態度はともかく、少なくとも内心はヒャッホウサンクガッってなるに違いなかった。

 でもその時の落ち込みっぷりはそういう浮わついた考えが持てないほど酷かったから、僕はうつむき気味に立ち止まったまま、はっきり返事もできずにいた。

「 帰りながら練習しよう。 台本出して 」

 帰りながら、練習 ‥‥‥ 駅に着くまでの時間を使って、という意味だろうか。 今は無駄だ、と思った。 正直に言えば、やる気が出せる状態じゃない。 僕としてはいったん失敗の悪循環を忘れられるだけの時間を置いて、一人で静かにセリフを暗記していきたいというのが本音だ。 まず集中。 今はただセリフだけに集中して、他の要素を断ち、完全な暗記を第一に 「 おっぱい、見すぎだと思うな 」 き記憶夏服っ!?


 予想外の指摘にびっくりして顔を上げると、いつの間にか真ん前に回り込んでいた先輩は夏服の胸元を視線から防御するように片手を当てて、少し非難顔だった。 いや下向いてたから角度的には確かにそうなりますけど!

「 今は集中しなさいね 」

 見ていたのではなくどちらかと言えばあなたの推測 F カップの方から視界に入って来たのだと思います台本は今すぐに出します!


「 セリフは歩きながら憶えて、小声でいいから必ず口も動かすこと。 他の役は全部私がやるから、息継ぎと '' '' も頭に入れるようにするのよ 」

 先輩はそう言うと横の位置に戻って、振り向くことなくさっさと歩き出した。

「 大丈夫、一緒に頑張ろう 」 という自信たっぷりの一言を残して ‥‥‥ 。


 役者は舞台の上を複雑に動き回る。 その動きには時として走ったり倒れたり、斬ったり跳ねたりなど、一層の激しさが求められたりもする。

「 だからね、セリフは体を動かしながら憶える方がいいんだよ 」

 ─── というのが先輩の持論だった。 それが正しいかどうか、セリフ記憶術として誰にでも有効なのかどうか、僕には判らない。

 ただ、半ば強引に開始されたこの補習風・駅までレッスンのおかげで僕の頭には不思議とセリフが刻み込まれ、演技がどうにか見られる水準の物に段々と変わって行ったのは確かだ。


 台本を手に持って、僕は先輩と歩く。 歩きながら、相手に聞き取れるかどうかのかすかな声でお互いにセリフを掛け合っていく、やっている事はただそれだけの単純なものなのだが、そのうちに先輩はいくつかのルールを追加した。

「 他の人に聞かれちゃ駄目、悟られちゃ駄目 ─── 」 悪企みを思いついた子供みたいな顔でそう言うと、─── だって恥ずかしいじゃない、と彼女は笑顔で付け足した。

 ひとつの場面を始めたら、何があっても中断しないという鉄則もできた。

 通学路はその大部分が公園や区画された緑地に沿っていたが、駅に近くなると交通量の多い国道を横切り、そこをさかいとして商店街に入る。 行き交う人が多くなると僕たちは自然と肩を寄せあう歩き方になり、時々必要に応じて交互に相手の耳元でセリフをささやいた。 ルールの 1 と 2 だ。


『 オルレアンをとす事にこだわり過ぎると、この者たちは一人残らず皆殺しにされるぞ 』 先輩が、バスから降りてきたおばちゃんの一団に巻きまれてどうにかやり過ごしつつ物騒な一言。 これはルール 3 。

『 サウスケンジントン公爵は、逆包囲されるのを恐れて独断で撤退の用意を始めたとか 』 公園から出ていく補助輪自転車の子供を見やりながら、これは僕。 こんな風にセリフと実際の光景が妙な関連を見せてツボにはまったりすると、先輩も僕も時々笑いが止まらなくなった ─── 端からは、変な二人連れに見えていたに違いない 。


 気付けば自分の受け持つセリフにとどまらず、台本一冊が丸々すべて頭に入っていた。 そして練習ではミスが減ることで余裕が生まれ、進行に追われるのではなく積極的に流れを作り出すように劇への働きかけが変わっていく。 演技という捉えどころの不確かな世界で自分を動かしていくコツを、僕は理解し始めていたのかもしれない。

 もし今の自分が成長できているとすれば、それは間違いなく先輩のおかげだった。



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