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狐日和の世界の中で

「ん……」


「あ、おはよう」


 目を覚ますと、朝日の中に輝く笑顔があった。


「ふうか……?」


「おはよう。また会えたね」


 笑えない冗談を笑いながら呟く少女の、その存在を確かめるように頬を両手で挟むと、ふうかは困ったように頬を染めた。


 結局昨晩はいつまでも離れることができず、夜の更けるに任せてただ語り尽くした。

 互いの手を握ったままに、二人の思い出を語るだけ。

 たったそれだけなのに気がつけば随分と時間が過ぎていた。

 それがとても楽しかった。

 もう一度だけ、いや、叶うならば何度でも繰り返したいと思うほどに。


「今日の夜も一緒に過ごそう」


 気がつけばそんな言葉が口をついて出ていた。


「オトナな夜のお誘い?」


 悪戯っぽい表情で問い返す少女に困りながら僕は微笑む。


「もっと君のことを知りたい。一緒に星でも眺めながら、命尽きるまでずっと。


 長いこと、空を見上げることはなかった。

 世界が滅んでからはずっと瓦礫だらけの赤茶けた地面か涙に暮れた少女の顔か、或いは親しい人の遺体ばかりみていた。

 上を向くことなんてなかった。

 けれど、きっと見上げたら星の海が広がっているだろう。

 人間のいない世界の空は、きっと底なしに美しい。


「きっと、最期の夜に相応しい」


 もう、食料も飲み物も口にしないまま随分と立つ。

 今ではもう立ち上がって歩くことすら大仕事だ。

 きっと、早くても今日の夜には体が動かなくなって、遅くとも明後日には命も尽きるだろう。

 その最期のひと時まで、二人で美しいものを見ていたい。


「そうだね……とにかく学校に行こう」


 そんなふうかの言葉に僕は頷き立ち上がる。

 足元はフラフラ、視界はグニャグニャと揺れる中で、それでも僕らは足を進める。

 決して義務なんかではない。

 生き残った仲間の大半もいなくなった今では、終末の学校へ向かう意味も失われてしまっている。

 けれども僕らはそこへ向かう。

 最期の時はやはりそこで過ごしたい。

 かつては嫌いだった学校は、それでもやっぱり僕らの日常で、繋がりの中心で、そして青春だったから。


「学校が見えてきたね」


 どれだけ時間が経っただろうか。

 何度も倒れ、休憩を挟みながらも僕達はようやく学校へとたどり着く。


「みんな、まだ生きてるかな?」


「多分、木戸君と優香はもうダメだと思う」


「……しばしの別れ、だね」


 そんなやや不謹慎な会話をしながら、最後に四人で過ごした部屋を戻る。


「あぁ……先に行っちゃった」


 残念なことに予想は当たっていた。


「……これで、残りは僕とふうかだけか」


「ついに地球上にただ二人きりになっちゃったんだね」


「ロマンチック?」


「そう思った方が良いのかな?」


 ふうかは僕に笑顔を見せた。


「ねぇ、拓海くん」


「ん?」


「折角だし私最期に行きたいところがあるんだ」


 突然ふうかがそんなことを言った。


「いいけど、ここにはもう帰ってこれなくなるぞ?」


「いいの。そこで私は死にたい」


 僕は特に終わる場所など気にしたことはない。

 町がなくなり、全てが瓦礫に返った中ではどこにいるかはもう意味をなさない。

 僕にとっては、誰と過ごすかだけが意味を持つ。

 終末に過ごした少女と風の香りを感じていたいだけ。

 だから、僕は彼女についていく。


「あっはっは……疲れるね」


 ふらふらと揺れながら少女が呟く。

 僕はその肩を支える。


「お腹も空いたし喉も渇いた……動物どころか虫の一匹もいないんだもんなぁ」


「もし蟻の一匹でもいたら、あと十分くらいは長生きできたかもな」


「十分かぁ……もし寿命が十分伸びたなら、何をしたい?」


 ふうかが笑顔を見せる。

 夕陽に照らされる彼女の微笑みはまるで天使のように心に染み入る。


「十分でもいい。少しでも長くふうかの笑顔を眺めていたい。ずっとふうかのそばにいたい」


「あはは……それは願わなくても出来ることだから安心してね」


 そう言って少女は足を進める。


「私は、あなたと永遠の愛を誓いたい。そのための十分が欲しい……」


 昨夕の告白の答えだった。

 ふうかは僕の「愛している」という言葉にすぐには返事をくれなかった。

 ダメなのかもしれないと思ったが……。


「ここはね、昔教会があったところなんだ。ここで、君との結婚式を挙げたい。永遠の愛を、形あるものとして残したい……だから、拓海くんの最後の十分を私にください」


 言葉など、出てくるはずもない。


 ただ、抱きしめる。


 すっかり痩せて今にも消えてしまいそうな少女の存在をただ確かめるように抱きしめる。

 愛おしい。

 ふうかが愛おしい。

 彼女の想いが愛おしく、そして切ない。


「……もちろんだよ。僕の十分を君に捧げるよ」


 --ありがとう。


 **


 あなた方は、

 健やかなる時も、病める時も、

 良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、

 世界の終末のその時にあっても、

 共に歩み、共にあり、

 共に慰め合い、共に助け合い、

 その命ある限り、そして命が尽きてもなお、

 互いに愛し、愛されることを、

 この狐日和の世界の中で誓いますか?


「誓います」


「誓います」


 ただ誓いの言葉を述べて、僕たちは唇を重ねる。

 指輪も聖書も参列者も神もない、たった二人だけの結婚式。

 おままごとのように簡素で、神話のように美しい、世界最後の結婚式だ。


 やがて僕らは唇を離し、指を絡めたまま地面に崩れ落ちる。

 もう、ふたりとも立ち上がる気力はない。


「見て……」


 ふうかが指を伸ばした。


「陽が沈むよ」


 太陽が世界の遥かなる地平の彼方に沈みゆく。

 僕たちは手を重ねたままそれをただ眺める。

 人類の世界の終わり、そして僕たちの人生の最期を少しでも彩ろうとするかのように太陽は一層の輝きを放つ。


「ふうか……」


「きっとお互いの顔をはっきり見ることが出来るのは……これが最期だよ」


 両の目から大粒の涙をこぼしながら、それでも瞼を閉じることなくふうかは呟く。


「堪能しないとな。だってこんなにも、可愛い……」


「ふふ……嬉しい、な」


 一際明るく世界が照らされる。

 その光に照らされるふうかが女神のように見えた。


「ほら、こんなにも……こんなにも……ふうかは美しい…………」


 最後の輝きを僕たち届けると、太陽は次第にその勢いを失いその姿を地平線の向こうに沈めていく。

 それを見ながら、僕は心の中でとある言葉を思い浮かべる。

『美しい夕陽を見た翌日は雨が降る』

 よく知られた俗説だが、それはどうやら嘘らしい。

 だって、もうすでにこんなにも雨が降っている。

 これほどの大雨が降れば明日には晴れ上がってしまうだろう。

 だから、きっと明日は雨じゃない。

 それでももし明日は雨だと言うのなら……神さま、お願いです。

 もしまだこの世にあなたがいるのなら、お願いします。

 明日は雨を降らさないで。

 こんなにも大雨の降る夕方なのだから、明日の天気は晴れにしてください……


 弱くなっていく光を浴びながら、僕の目からは止めどなく雨が降り続ける。

 やがて東の空からは蒼が滲み出し、世界は橙から赤、そして紫と急速にその彩度を下げ始めた。


「……拓海くん」


 西の空にたなびく雲の最後の一欠片から太陽の破片が零れ落ちる。

 それと同時に、ふうかが最高の笑顔を僕に向けた。


「愛してる」

ありがとうございます!

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