表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

終わりのその先

 世界は今日も美しい。

 空は青く澄み渡り、眩しい陽射しが初夏の緑を照らす。

 燕が騒がしく鳴いて低空を飛び回り、道端の植木には小さな蝶々が可愛らしい舞を披露する。

 駅前を行く人波は笑顔が眩しくて、その幸福な絵面を祝福するかのように蝉が音楽を奏でている。

 世界は今日も美しい。

 その美しい世界の中で、僕は人波に流される。

 何処へ向かうとも無く、ただ流れに流されるだけ。

 ガヤガヤと町はざわめき、人々は笑顔。

 世界は今日も素晴らしい。

 素晴らしいはずなのに、僕は何かとてつもない違和感を抱えて足を止める。


「チッ!」


 僕が急に立ち止まったせいで、すぐ後ろを歩いていた人が耳元で舌打ちをして彼を追い越していく。

 けれども僕はそんな事には気もとめず、僕の前を歩いていく彼の背中に手を伸ばす。


 だめだ、届かない。

 小さくなる背中を諦めて、僕は手を下ろす。


「また、置いてけぼり……」


 諦めて僕は呟き、目を閉じる。

 また置いてけぼりだ。

 みんながどこかへ行く中で僕だけが置いていかれる。

 僕だけが……逝く事ができなかった。


「……拓海たくみくん?」


 鈴のような声が聞こえた。

 ハッとして振り返るとひとりの少女。


「ふうか、さん……」


 名前を呼ぶと少女は小首を傾げた。

 陽射しに照らされ揺れる黒髪ボブがキラリと輝く。


「こんな所で、何を見ているの?」


「何をって……」


 駅前を歩いているんだよ。


 そう言おうとして拓海は口ごもる。


「あれ……?」


 周りを見れば人も燕も蝶々も見当たらない。

 ただ照りつける太陽の下で、瓦礫の世界がどこまでも広がっているだけ。


「拓海くん?」


「あ、あぁ……ちょっと待って……」


 混乱する頭をフルフルと降る。


「あ……そっか」


 そうだった。

 また忘れていた。


「みんな死んだんだった」


 人も花も鳥も蝉も木々も街も、なにもかも。


「みんな、もうないんだった」


 瓦礫の世界の中心で僕はそう呟いた。


 **


「また、『夢』を見ていたの?」


 通い慣れた教室に入るなり、ふうかが問いかけてきた。

『夢』とは、かつての町の景色の幻影のこと。


「突然立ち止まるからびっくりしちゃったよ」


「驚かせてすまなかった」


「いいんだよ、仕方ないよね。二週間前までは世界が崩壊するなんて未来は見えなかったもの」


 そう。

 世界は滅んだ。

 少し前に突然世界中を巻き込む戦争が起きて、たった十日のうちに人間の文明は跡形も無く消えてしまった。

 その戦争に勝者は無く、ただ僕達の暮らしだけが全て破壊されただけ。

 あまりにも呆気ない人類の滅亡は生き残った僕たちから現実感を奪い去り、時折こうして『夢』を見せる。


「……『夢』でなにを見ていたの?」


「なにも面白くない、朝の通勤ラッシュだったよ」


「いいなぁ。私も見たい」


「良いものじゃないさ」


 そう言うとふうかは少し不貞腐れた表情を見せた。


 ふうかは『夢』を見ないらしい。

 どんなに目を凝らしても、彼女の目の前に広がるのはただ瓦礫の世界だけ。

 そんな彼女は最近口癖のように同じことばかり言う。

 --私も、『夢』を見てみたい、と。


「『夢』を見るっていうけど、文字面とは違ってなかなかエグいんだよ」


「エグいって?」


「『夢』を見ると、退屈で何気ないけど幸せだった戦前の世界に行くことができる。でもね、『夢』は夢でしかない。『夢』から醒める時、言葉では言い表せないような苦しみが心を縛り付けるんだよ」


 この後遺症のせいで、せっかく戦争を生き延びた人のうちどれだけが自ら命を捨てただろうか。

 見たくもない過去を振り返らされ、そして現実とのギャップに苦しめられる。

 希望も未来も救いもない世界の中で、それはまるで麻薬のようにじわじわと心を蝕んでいく。


「……それでも、あの時間を見ることが出来るんでしょ?」


 その言葉に僕はハッとした。

 顔を上げるとふうかが哀しそうな笑顔を浮かべていた。


「少しでも見れるなら、私は……」


「……悪かった。そうだよな。悪かった」


 軽率だった。

『夢』を見ることで地獄のような苦しみを得ることは彼女も分かっている。

『夢』によって彼女の親友は自ら命を絶ったのだから。

 そんな彼女に、改めてその事を突きつける必要など無かった。


「ふうか」


「……うん」


 ふうかは『夢』を見ない。

 もう一度逢いたい人も愛おしいあの日々も、決して追体験できない。

 そんな彼女にとって、『夢』とはリスクを分かっていても、たとえ命を失うこととなっても体験したいことらしい。


「やぁ、お二人さん。世界の終わりでもお熱いね」


 そんな湿っぽい空気を吹き飛ばすような明るい声が、突然天井のない教室から空へと響いた。。


「俺たちを見習っているのか?」


木戸きど……惚気るなら他でやってくれ」


 溜息をつきながら、振り返るとそこには一組の男女。


「お? 俺と優香ゆうかに嫉妬か?」


 戦前は同じ高校の同じクラスだった木戸がそう言って笑う隣から、女の子が弾かれたようにこちらへと駆け出した。


「ふうかちゃーん!」


「優香ちゃーん!」


 木戸の言葉を遮るように優香と呼ばれた少女がふうかと抱き合った。


「木戸よ。早速ふうかに取られてるぞ」


「狼狽えることなどあろうはずがない。俺の一番は優香だし優香の一番は俺だ。つーかそれよりお前は良いのかよ」


「なにが?」


「俺たちはもう残り少ない人生だ。早くふうかちゃんと一緒になれよ」


「それはそれ」


「とも言ってられないだろ? もう、いつ会えなくなってもおかしくないんだから……」


 木戸は僕に背を向ける。


「まあ、お前の人生だ。俺は最期の瞬間まで優香と二人で過ごしたい。だから一緒にいる。お前も終末に後悔だけは残すなよ」


 それが俺の遺言だ、と笑いながら木戸はふうかから優香を奪還した。

 そのまま壁際に向かう足取りはフラフラと覚束ない。


「僕の想い……」


 むぅ、と膨れるふうかとそれを笑う木戸と優香の三人を見つめながら呟く。


 願わくば、明日もこうしてみんなで笑っていたい。

 たとえ彼女の特別にならなくても、彼女の隣にいたい。


 多分、今の僕の願いはそれだけだと思った。


「なぁ、やっぱ食い物はもう無い?」


 突然木戸がそんなことを問いかけてきた。


「ない」


「そっか……そうだよなぁ」


 あははと笑いながら木戸が手を振る。

 そのまま「どっこいしょ」と腰を下ろす。


「拓海、体力はまだ残ってるか?」


「充電3パーセントってところかな」


「結構あるな」


 そう言って笑うとそのまま壁にもたれかかる。


「……わりぃ、俺たちはもうこれ以上動けない」


「おいおい、これからだろ?」


「だったら良かったんだけどな……もうここに来るので精一杯だったんだ……」


「私も、そろそろかな。木戸くんと一緒にお先に失礼するよ」


 笑顔の二人に、僕も笑顔を浮かべる。


「……まだ今日一日くらいは大丈夫だろ?」


「うん」


「なら、最高の最期の日にしないとな」


 そう言うと二人は顔を見合わせて笑った。


「四人でいるだけで、もう幸せだよ」


「っ!」


 --神様。どうしてこんなにも僕たちから大切なものを奪い取っていくんですか?


 思わずこの世にあらざる者に対してそう問いかける。

 その問いかけに応えるように、僕の脳裏にはあの戦争が奪い去っていったものたちが蘇った。


お読みいただきありがとうございます!


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 全てが終わってしまった悲しい世界の中で、最期まで明るく振る舞おうとした四人の日常をリアルに垣間見れている感じがして良かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ