第8話「お返事は?」
「返事、聞かせてくれたら嬉しいな」
最終通告とばかりに、佐藤さんの投げかけた言葉が胸に重くのしかかる。俺に猶予はないらしく、ちょっと待ったも使えないようだった。
佐藤さんは明るくて優しさに溢れた可愛いひとであり、男子高校生の憧れる恋人像の権化みたいな女子だった。性格は言わずもがな、見てくれも申し分ない。
加えて、俺なんかのことを過剰なまでに好んでくれてもいる。すぐさま「こちらこそよろしくお願いします」と告白の返事をする方が普通だろう。
けれど、俺は変に疑り深いところがある。俺をこうまで佐藤さんが褒めそやす真意を探っていれば、行き着く先には「ドッキリ」「罰ゲーム」という悲しき可能性があった。
だいたい、俺を恋人にしたとして、佐藤さんには全く利益がないからだ。おちょくって遊ぶだけなら、暇を潰すぐらいの相手にはなっただろう。
しかし、からかう対象が恋人に昇格するとして、俺を選ぶメリットはどこにも見当たりやしない。
「あの、何というか……佐藤さんにはもっと相応しい人がいると、思う」
「そんなことない。私は新留くんがいいの。新留くんじゃなきゃダメなの」
やんわりとお断りの文言を伝えるも、佐藤さんは即答で反論してきた。口振りに迷いはなく、表情も真剣そのもので俺は正直、困っていた。
場に落ちる沈黙を持て余し、眼鏡のツルを指でなぞったり、気付かれないように息を吐いたり、居心地の悪さから無意味に身じろぎした。
「……もしかして、好きな子がいるの?」
「そうじゃないけど……」
「だったら、私じゃ駄目? 無理かな?」
わずかに目を潤ませ、緩やかに小首を傾げる仕草は卑怯だと思う。佐藤さん自身は全く悪くない。
悪いのは全部小心者である俺なわけで、佐藤千晴と交際するのはハイリスクハイリターンだと恐れをなす自分が駄目なのだ。
どうしたもんかと天を仰げば、夕焼けの茜色が空一面に広がっていて綺麗だった。
ところどころに浮かぶ雲はオレンジ色を宿し、遠くには気の早い星の瞬きがうっすらと見えた。昼間の青空はすっかり身を潜め、空の端からは夜を告げる藍色がじわりと迫っている。
暖かな晩春も太陽が落ちると、そよぐ風も冷たさを抱く。
閑散としたうら寂しい体育館裏でまごまご時間を消費していれば、家に帰宅する頃にはすっかり外は真っ暗だろう。佐藤さんの自宅がどこにあるのかは知らないが、暗い夜道を女の子一人で歩かせるのはいただけない。
俺は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。そうして、おもむろに佐藤さんに向かって片手を差し向ける。
「……新留くん?」
「ええっと、俺で良ければその、よろしくお願いします」
「ほんとっ? 本当に? いいの!?」
佐藤さんは即座に両手で俺の手を握り締め、ぶんぶんと勢いよく上下に振った。嬉しそうにその場で足踏みするかの如くぴょんぴょん跳ねている。
その喜び様には呆気に取られるしかなかった。そこまで歓喜されるとは思ってもいなかったから、俺なんかですみませんと謝りたくなってしまう。
手を握り合い、距離感がぐっと縮まったせいか、いやに佐藤さんの存在を感じてしまった。
揺れ動く彼女の髪から香るシャンプーの匂いやら、柔らかな手の感触やらを妙に意識して、動悸が激しくなって顔が熱くて仕方がない。
「佐藤さん、あの……」
「わっ、ごめんね。はしゃいじゃった。嬉しくて」
ぱっと手を離し、佐藤さんは浮かれていた己を恥じるように俯き、それでも感情を抑えきれないのか「えへへ」と漏れ出たはにかみ笑いが耳に届く。
しばらく喜びの余韻に浸っていたらしき佐藤さんは落ち着きを取り戻したようで、所在なくそのまま宙ぶらりんの状態で差し出していた俺の手を、今度は両手で包み込むように握り締めてきた。彼女の温かな手の温度にびくりと肩が跳ねる。
「私も言わなきゃ。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
「……こちらこそ」
軽く頭を下げて挨拶をし、顔を上げて佐藤さんを見やれば、彼女は幸福そうに微笑んでいた。ふふふ、と堪えきれないばかりの笑い声まで漏れ聞こえた。
そろそろ心臓が音を上げそうなので、手の拘束を解いていただきたい。しかし、佐藤さんが楽しそうならいいのかなあと眉を下げて苦笑する俺もまた、この一連の告白劇に舞い上がっていたのだろう。
後々、我に返って現実に直面し、冷静さを取り戻したとき、己の浮かれ具合をほとほと痛感するのだった。