第6話「夕暮れ迫る体育館裏にて」
そのまま体育館裏に直行しそうになったが、ひとりでずんずんと歩いているうちに舞い上がった思考もいくらか平常時に戻る。
俺は散々ラブレターと称しているが、貰ったのは果たし状だ。好きの言葉は手紙のどこにもなかった。ただ単に放課後、体育館裏で待つと書かれていただけなのだ。
体育館裏でなされるのが、果たして告白だろうか? 果たし状であるならば、決闘ではないか。
だが、俺と何で決闘するのか分かりやしない。いや、告白だってどだい可笑しな話ではあるけれども。
それに、俺はまだ疑ってかかっているのだから。愛の告白だと信じ切った俺がのこのこやってくる様を、陰からあざ笑うイタズラではないのかと。
彼女はそこまで意地が悪い人種には見えないが、ごく浅い付き合いしかしていない身で何が分かるというものか。隠している本性なんて、そう簡単に見えるはずがないではないか。
けれど、期待は膨らむばかりで萎まない。ぬか喜びが一番辛いだろうにと、緩む頬を元に戻すべく一度立ち止まる。締まりのないだらしない表情を引き締め、俺は体育館裏へと歩みを進めた。
体育館からは部活に勤しむ生徒たちの声がかすかに聞こえてくるが、物置や掃除用具入れに、今はすでに利用されていない焼却炉が佇む体育館裏は人気もなく、ひっそりとしていた。
果たし状の主はもちろん到着していない。先に着いてよかったのだろうかと、俺は周囲に落ち着きのない視線をそわそわと巡らせた。
誰かが潜んでいる気配は感じない。ドッキリでしたーとお仲間さんたちが雪崩れ込む最悪の想定はしないで済みそうだ。
高鳴る心臓を押さえつけながら、俺ははたと思い至る。
仮に愛の告白だったとして、俺は「はい」と承認するつもりなのか。今からやってくる相手を想像し、一瞬で冷静さを取り戻した。
彼女と俺が交際する、不相応にもあまりあった。万が一にも、相手が問題ないと言ってもだ。周りの反応を想定し、たちどころに血の気が引いた。
ありえない。ありえない。誰も納得しない。誰も祝福しない。まるでジョークのような光景だった。
あまりの顛末に、思わず頭を抱えそうになった。身の程知らずにはなりたくない。俺は現状維持で十分だし、高望みは望んじゃいない。
自分の地位ぐらい自覚している。教室の隅っこにて、仲間同士で陰々滅々と暗く盛り上がっている人間なのだ。だから、俺がクラスのヒエラルキー上位者たる女子と釣り合いが取れないことぐらい知っている。
今なら、逃げ出せるだろうかと、慌てて踵を返すべく、スニーカーで地面を蹴ろうとした間際。
「新留くん。良かった、来てくれた。ありがとう……」
視界のど真ん中に佐藤千晴を捉えてしまう。ああ、逃げられない!
青い顔をして小刻みに震える俺とは対照的に、ほんのりと頬を朱に染めて恥じらう佐藤さんは小さな歩幅で駆け寄ってくると、少し芝居がかった調子で目の前に立ち止まる。
足先をきちんと揃え、すっと胸に手を当て、ゆっくりと深呼吸をする姿は決意の表れが見て取れた。今更遁走できるはずもなかった。
「今日は朝、いつもよりずっと早起きだったの」
目と鼻の先に佇む佐藤さんは柔らかな微笑を唇に湛え、決して俺から視線を外さない。
対する俺は、まともに彼女の目が見ていられず俯いて地面を見たり、じわじわと夕焼けの橙色が青空を浸食していく空を仰いだりと、動揺のせいで視線の動きが忙しないことこの上なかった。
「新留くんが登校するより前に、君の机に手紙を投函したかったから。ね、驚いた?」
笑み混じりの声音を聞き、ちらりと佐藤さんの顔を窺えば、イタズラが成功したような悪ガキじみた笑顔を浮かべていた。
そのどこか誇らしげな笑みを直視し続けるのは心臓の鼓動の速度的に難しく、慌てて目を逸らそうとしたが、改めて佐藤さんの顔を見やって気付いたことがあった。彼女の顔へと抱く印象に違和感が生じていた。
どこか普段と違うようなと首を捻って、すぐに髪型が異なっているのだと勘付いた。
真っ直ぐに切り揃えた前髪は普段であればそのまま下ろしているのに、今日は右に流してヘアピンで留めている。
髪に挿している黄色いヘアピンの付け根には、玩具っぽくデフォルメされた赤いイチゴが飾られている。古いものなのかイチゴの表面の塗装が所々剥がれかかっていた。
そのヘアピン、女子高生である佐藤さんにしては、いささか子供っぽいデザインでチグハグな感じもあるが、お洒落に俺は大層疎いので、流行のファッションであれば、似合っていないという感想は見当違いも甚だしいので特段指摘はしない。
そもそも、この状況下でヘアピン云々の話を持ち出すのはお門違いに思われた。
「ラブレター兼果たし状。昨日の夜、書いたの。久し振りに毛筆使ったなぁ。小学生の頃は習字を習っていたんだけれどね」
「……イタズラかと思ったよ。果たし状なんて」
「ごめんね。でも、新留くんならそっちの方が喜んでくれそうだと思って」
「……佐藤さんは俺を何だと思っているの?」
「……それは今から言うね」
「え、あ、ちょっ……」
「私、いま、すごくドキドキしている」
彼女はこほん、とわざとらしく咳をして、俺へと一歩近づいた。急に間合いを詰められ、反射的に後ろに引き下がろうとしたが、どういうわけか足が竦んで動かない。
佐藤さんの滲ませる緊張感にあてられたとでもいうのだろうか。蛇に睨まれた蛙状態だ。
彼女の揺るぎない眼差しは俺を一直線に貫いて、彼女の口が息を吸う音は確かに俺の耳朶を打つ。
「新留くん。私、君が好き」